五月最終週の水曜日。私たち雄英ヒーロー科の生徒は、学校最寄りの駅に勢ぞろいしていた。
「全員、コスチューム持ったな?」
引率するマスター・イレイザーヘッドが、居並ぶ生徒たちに確認を取る。
彼に応じる形で、何人かがコスチュームケースを掲げた。
「……本来なら公共の場じゃ着用厳禁の身だ、落としたりするなよ」
「はーい!」
「伸ばすな、『はい』だ芦戸。くれぐれも体験先のヒーローに失礼のないように。じゃあ行け」
相変わらず簡潔な物言いに終始して話を打ち切ったマスターに、全員が返事をして……ああいや、ヒミコだけは悲壮な顔で私を見ている。
だがこればかりは仕方がない。何せ、私と彼女の体験先は違うのだから。私たちの指名は、奇跡的なまでに被らなかったのである。一つのヒーロー事務所につき、指名は二人までということなのでこればかりは仕方ない。
いや正確には、被っているところもあるにはあったのだが。そういうところは大体、有象無象というか……程度の低い事務所ばかりだったので、こちらの選択肢に入らなかったのである。
おかげで昨夜はなんというか、大変だった。本当……全身のあらゆるところから吸血された気がする。その分、彼女の中のストックは万全だろうがな……。
別に原始的な惑星でもないのだから、会話ならいつでもできるだろうに。第一、その手の機械がなくても私たちはフォース・ダイアド。何光年離れていようと、テレパシーで会話ができるだろうに。気にしすぎだと思うがな、私は。
「ううううう、コトちゃん……」
「あまり悠長にしていると、乗り遅れるぞ。……大丈夫、すぐにまた会えるさ」
今生の別れのような顔でちっとも進もうとしないので、仕方なく私は彼女にハグをする。
「さあ。大丈夫、フォースと共にあらんことを」
「……うん。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
ついでに頬へ軽く口づけをくれてやれば、ヒミコは多少なりとも機嫌を直してホームへと向かっていった。それでもちらちらとこちらを何度も見返していたので、これは相当重症である。
体育祭で少しは前進したと思ったのだがなぁ。どうやら片足を踏み出した程度の前進らしい。
あとは、なんだかんだで時間が取れず、ウララカたちから血を吸うどころかそれを説明する機会もないままなので、せっかく固めた覚悟が揺らぎ始めているというのもあるかもしれない。なんとかしたいところだが、はてさて。
「……少しは時と場所を考えろ」
「は。申し訳ありません」
呆れたようなイレイザーヘッドの声が、背中に突き刺さる。正論すぎて何も言えない。
私はくるりと百八十度向きを変えると、深々と頭を下げた。
「ったく……。まあいい。そんじゃ行くぞ」
「はい、よろしくお願いします」
そうして私は、きびすを返して駅から出ていくイレイザーヘッドの一歩後ろに続いた。
そう。
私のヒーロー職場体験先は、イレイザーヘッドなのである。
……以前にも述べた通り、私が一番職場体験先に選びたかったのはインゲニウムのところだ。集団を率いるということを、特に学びたかったから。
しかし彼は負傷してしまい、指名を出しても受け入れられる状態ではない。仕方なく他を当たろうとしたのだが、インゲニウムのような方針のヒーローはなかなかいなかったのだ。
次点で来るといいなと思っていたエンデヴァーからも不発だったので、私にはもはやどうしようもなく。専門家……ミドリヤの協力も仰いだが、やはりそういうヒーローはほとんどいなかったのである。あれほどの数の指名があったというのに。
結果として、私は現時点で組織運営を中心に学ぶことは不可能だと判断した。そして、ならばせめてヒーローというものがよくわかるであろう実力者のところで……と考えた結果が、イレイザーヘッドという選択である。
理由としては、彼が教師として優秀であると知っていること、フォースについて理解があること、そしてフォースの件で話をする機会があればいいなと考えたこと、などである。あと、遠隔地に行く必要がないという点も少々。
ともあれそういう理由で、イレイザーヘッドの下についた私である。ゆえに、今回駅に来た理由も主に見送りだ。
そして既に職場体験は始まっている、ということで、実は見送りにもヒーローコスチューム……ジェダイ装束で来ていた。合理性をとことん追求するイレイザーヘッドのことなので、こうなったのだ。
「とりあえず、繁華街周辺まで出るぞ」
タクシーを呼び止めながら言う彼に、私は頷きつつ一つ尋ねることにした。
「ちなみにマスター、
鳴羽田とは、イレイザーヘッドの地元だ。四年ほど前まで、彼はそちらを中心にヒーローをやっていた。
だが、彼の返答はノーであった。
「時間があればな」
短くそう答えて、話を打ち切ったのである。心の動きからすると、今は教師業があるからあまり雄英周辺から離れられないということのようだ。
物理的な距離はどうしようもない。納得の理由なので、私もこれについては何も言わず頷いて終わりにしたのであった。
***
「おや、渡我くん? 君も東京方面に?」
東京へ向かう列車の中。早々と乗り込んで座席を確保していた飯田天哉は、発車ギリギリになって乗り込んできたトガにそう声をかけた。
返ってきたのは、きょとんとした顔。しかしすぐにいつものように笑みを浮かべると、彼女はこくりと頷いた。
「はい。飯田くんもです?」
「ああ! 俺は保須に行く予定になっている」
「奇遇ですね、トガも保須なんですよぉ」
そのままトガは、飯田の正面に座った。
「君もか? どなたのところへ?」
「ノーマルヒーロー・マニュアルって人です。知ってます?」
「えっ?」
だが飯田のほうは、思わず目を丸くして固まってしまった。
なぜなら、
「知ってるよねぇ。だって、飯田くんもマニュアルだもんねぇ」
ということだからだ。
「そ、それは、そうだが……お、驚いたな、知っていたとは。誰かから聞いたのか?」
「ふふ、そんなとこです」
彼女には話していないはずだが、と飯田は内心で考えているが、彼の驚きは正しい。なぜなら、トガは直前まで飯田の職場体験先を知らなかったのだから。
しかし、彼女はフォースユーザー。対面して、話題の中心とも言えるものを口に出して問われれば、当人が思い浮かべているものを見抜くことなど造作もない。心を読まれる対策をしておらず、生来素直な飯田の内心は非常に読みやすいのだった。
「そういうわけなので。職場体験、一緒にがんばろうねぇ飯田くん」
「ああ! よろしく頼む!」
ただ、トガが飯田を見てきょとんとしたのは彼がいると思わなかったからではない。彼から感じる暗黒面の気配が思ったよりも大きかったからだ。
もちろんインゲニウムが負傷した直後には遠く及ばない。ないが……インゲニウムがヒーローに復帰できると知ったときよりは、間違いなく。
なのでトガは、インゲニウムのことは解決したはずだけど……と内心で首を傾げながら、とりあえず飯田と相席することにした。
「それにしても、渡我くんがマニュアルさんのところとは……どうしてそこを選んだんだい?」
「出久くんに、『普通』のヒーローを探してもらったのです。なんだっけ……えーっと、確か……『まんべんなく普通にこなせるほうがいい』……でしたっけ?」
「ああ。マニュアルさんは、現代ヒーローのマニュアル的存在になりたいという想いで名前を決められたそうだからな」
「そういうことなのです。トガ、ヒーローのことホント知らないので。とりあえず、ヒーローがどんなか知るのにちょうどいいかなって」
「それで『普通のヒーロー』で、マニュアルさんか、なるほど」
うんうんと頷く飯田。
そんな彼に、トガは確信を持って問い返した。
「飯田くんはなんでマニュアルのところ選んだんです?」
「俺か? 俺は……俺も君に近いな。将来は都市部での対犯罪を中心に活動したいと思っているんだが、他の活動も疎かにすべきではないと思うんだ。だから、一通りのことができるマニュアルさんはうってつけだと考えたのさ」
「なるほどぉ~」
飯田の答えに、トガはにんまりと笑って頷いた。
そして、
「でもそれ、違いますよね」
「……ッ」
すぐにそう言い返した。問い返したのではない。言い返した……つまり断言したのだ。
トガはこのために相席したのだ。なぜなら、
もちろん、視界の端に映った
「保須は、お兄さんいるもんねぇ。心配だよねぇ」
「あ……ああ……うん、そう、だな……。君には隠す必要はなかったな……」
ははは、と乾いた笑いを浮かべながら、飯田は頭をかいた。
だが、トガはなおも切り込む。
「それに、ヒーロー殺しも気になるよねぇ」
「……ッ!」
「コトちゃんが言ってました。ヒーロー殺しは必ず、一か所で四人以上に危害を加えるんだって。保須は、まだ一人だけだよねぇ」
「…………」
言いながら、トガは顔を飯田に近づけていく。対して、飯田の顔は比例するようにうつむいていく。
トガは、その視線に自らのそれを合わせるように、下から飯田を覗き込んだ。
彼女の金色の瞳が……瞳孔の開いた瞳が、飯田のそれと向かい合う。暗黒面のフォースが、親しい闇の気配に呼応して蓋をこじ開け始めていた。
「ねえ飯田くん。お兄さんの敵討ち、しようとしてます?」
「…………」
「…………」
そのまま二人は、無言でしばらく顔を見合わせていた。
ただ、薄い表情のまま飯田を覗き込むトガに対して、飯田の表情は様々に移り変わっている。彼の中の葛藤が、顔にそのまま表れていた。
「……いや……そんなことは、考えていないよ……今は……」
だが、飯田はそれでも否と答えた。
瞳に現た剣呑な空気は……消えていない。
それを見たトガは、目を細めて黙り込んだ。
違うだろう、と。そうじゃないだろう、と。無言で言い放つ。
そんな彼女に、飯田はあえぐようにかすれた声で言いなおした。それでもなお、否、と。
「君の言う通り、しようとしたさ。敵討ち……考えた。考えてしまったとも。だからいただいたプリントに保須の事務所が載っているのを見たとき、これだと思った……思ってしまったんだ……職場体験中にヒーロー殺しに遭遇しても、偶然と言い張れるはずだと。それで戦うことになっても……俺がこの手でやつをどうにかしても、構わないはずだと……」
「でもコトちゃんとお義父さんが、お兄さん復帰させてくれますよね」
「ああ……だから、冷静になれた……と、思うんだが……。結局、志望を取り下げようとしなかったんだから、まだちっとも冷静じゃないのかもしれない……。君にはお見通しだったみたいだし……」
自虐的に微笑み、飯田は目を閉じる。その下で、拳がきつく握りしめられた。
「考えないようにはしている……だけど風呂や、布団の中で……一人でいると、どうしても考えてしまうんだ。確かに増栄くんのおかげで、兄さんは復帰できるかもしれない……インゲニウムは死ななかった……でも! けれど、それで兄さんの怪我が治るわけじゃない……! 結局……結局僕は、やつが憎いんだ……そう思う自分をとめられないでいる……!」
「…………」
「わかってはいるんだ……頭ではわかってる……。でも……わかっていても、僕は……! 憎いと思うのをとめられないんだ……! そんな自分が不甲斐なくて、恥ずかしい……! これではヒーローになる資格なんて……ッ!」
「とめなくって、いいと思いますよ」
我慢していたのだろう。自責の言葉を次々にあふれさせる飯田を遮って、トガは静かに断言した。
その言葉の意味がわからず、飯田は怯えるように目を開いた。眼前の少女と、再び目が合う。
そこにあったのは、先ほどまでと異なる金色の瞳。闇を宿した、昏い輝き。暗黒面のフォースが煌めいて、禍々しくも生き生きとしていた。
トガが言う。さながら誘うように。
「大切な人を傷つけられて怒らない人なんて、いるわけないじゃないですか。なんで我慢しなきゃいけないんです?」
「……そんな。だって、私怨で動いていいはずがないじゃないか! ヒーローが私刑なんて、もってのほかだ!」
「でも飯田くんは、敵討ち、考えてないんでしょう?」
「……それは。そう、だが……しかし……!」
「じゃあ、いいじゃないですか。憎くっても。だって、それって人間として当たり前のことだもん。無理に抑えたって、見て見ぬふりしたって、どっかで爆発するだけですよ」
「……人間として……」
「そうですよぉ」
こくりと頷くトガの顔が、にまりと歪む。
その様に、飯田はごくりと生唾を飲んだ。そうして、いや、と首を振る。
「……それでもダメだ、ダメなものは。もしもやつが目の前に現れたら、僕はきっと……」
「もー、そういうとこですよ、飯田くん」
え、と目を丸くして顔を上げる飯田。
彼の眼前に、トガは人差し指を向けた。そのまま、白魚のような指を左右に揺らす。闇のフォースが飯田の身体を包み込む。さながらかき抱くように。
「さっき、駅で出久くん言ってるの聞こえてましたよ。本当にどうしようもなくなったら言ってね、って。お茶子ちゃんだってうんうんしてました。頼っていいんですよ。一人で抱え込まないでください」
「だが、これは僕の私事だぞ! こんな関係ないことで友達を巻き込むわけにはいかない!」
しかし、フォースを乗せた言霊を飯田は振り切った。彼は素直で生真面目だが、意思は固い。だからこそヒーロー志望なのだが。
そんな彼を見て、内心でトガは小さくため息をついた。けれど、もう一度。
「頑固だなぁ。出久くんなんて、きっと自分から巻き込まれに来ますよ。だって、出久くんヒーローだもん。関係ないなんて、それこそ関係ないですよ。たぶん」
「それは、……確かに……そう、かもしれない……」
今度は通じたらしい。トガは改めてにまりと笑う。
対して、つぶやくようにこぼした飯田の脳裏には、入試のときの光景が浮かんでいた。
そうだ。あのときも彼は……緑谷出久という少年は。
試験の残り時間も、身の安全も、合格に必要な要素を天秤にかけ。それでもなお、一切の躊躇なく救うために飛び出した。彼は、そういう男なのだ。
ならば……と、己をあのときの被害者……麗日お茶子と入れ替えて思考する。
答えはすぐに出た。考えるまでもない。それでもきっと、緑谷の行動は変わらないだろう、と。
そこまで考えて、飯田は納得する。
そうだ。彼なら、きっと来る。来てしまう。
(……僕は、そういう彼を。クラスメイトとして、友人として、尊敬している)
「でしょう?」
己が思い浮かべた答えに飯田が到達したところを見て、トガが笑みを深めてふふりと声を漏らした。
「だから、憎んだっていいの。ね。それで、やっぱり敵討ちしたくなっちゃったら、頼っちゃえばいいんです。みんな喜んで助けてくれますよ。
もちろん敵討ちを手助けなんてしませんよ? とめてあげるの。だって、みんなヒーローだもん。お兄さんだって、そうしてるんでしょ?
だからもしものときは、みんなで飯田くんをとめてあげますよ。こう……ぶん殴ってでも」
そして、えーい、とおどけて腕を振るって見せた。
ね、と言いながら小首を傾げる。
そんなトガの姿が、妙におかしくて、かわいらしくて。
飯田は、思わず笑ってしまった。だが、同時に肩の力が抜けたのも感じていた。
そうだ。兄は、インゲニウムは。最高に立派な、僕のヒーローは言っていた。支えてもらっているのだと。
――ああ、そうか。そうだった。ヒーローは、ヒーローとは、助け合いなんだ。
蒙を啓かれた気分であった。
だから飯田は、目の前のクラスメイトに改めて声をかけることにした。かけることができた。
「……もしものときは、頼めるかい? 渡我くん……」
「もちろんなのです。なんたって、今のトガはヒーロー志望なので」
どこか晴れた表情の飯田に、トガはえっへんと胸を張る。
その姿がまたおかしくて、飯田はようやく声を上げて笑った。笑うことができた。
兄が負傷して以来久しぶりの、心からの笑みだった。
そんな二人の姿を、列車の隅のほうで半透明のアナキンが楽しそうに眺めていたが……やがてきびすを返しながら、景色に溶け込んでいく。
『これでよかったんですよね、ますたぁ』
彼の背中を見送って、トガはにこりと笑った。
というわけで、二人の体験先は相澤先生とマニュアルでした。雄英で教師してる場合指名は出せない、なんて裏設定とかあったら破綻するやつですけどね!
主人公の行先については公安関係(あと飛べるやつってこと)でホークス、戦闘スタイル関係でミルコなども選択肢でしたが、主人公の主観では二人ともナシだったのでナシになりました。
理由はヒーローとしてのスタイル。ホークスは「ホークス一人で大体全部解決、サイドキックはほぼ後始末係」、ミルコは「群れない上に事務所を持たず、しかも対ヴィランがメイン」なので、どちらも主人公の求めるタイプではない、ということですね。
ちなみに、飯田君ですが。
原作通りにインゲニウムの復帰ができないでいたら、トガちゃんのこのやり方ではたぶん飯田君止まらないと思います。むしろ逆効果かも。
ダークサイドだからね、仕方ないね。