トガと襲という二人のフォースユーザーが戦い始めた頃、ステインとマニュアルの戦いは早くも佳境へと入っていた。
どちらも一歩も引かず、狭さすら利用した戦いは激しくなる一方だ。にもかかわらず両者にダメージはなく、まさに戦いは一進一退である。
ただ……一見すると拮抗した勝負のようだが、実態は違う。負傷したネイティブを背後にかばいながらのマニュアルは常に苦戦を強いられており、何か一つでもミスをすれば即座に押し切られてしまいそうな状況であった。
おまけに苦戦を乗り切るために”個性”を全力で使い続けているため、限界に向けて一直線。そのときは着実に近づいている。
逆にステインは、まだ一度として”個性”を使っていない。彼はあくまで技術だけで戦っており、わずかでも血を出させればそれだけで勝利に近づく。
加えて、今の市内の状況をおおむね正確に知っている。救援が来る可能性が限りなく低いことを知っている。なぜなら連合の兵器が……
そして今のこの街に、選別を潜り抜け場末の路地裏にまで来られるような本物はいないと、ステインは確信していた。
つまりこの戦い、最初から圧倒的にマニュアルが不利であった。
「器用貧乏と……ネットでは揶揄されることもあるが……ハァ……存外やるじゃあないか……!」
「く……っ!」
ただ、それでも刀と短剣による猛攻をかろうじてでも防いでいるのは、やはり”個性”があるからだ。たとえそれが凄まじい負荷になっていたとしても、それがあるからこそ戦いは成り立っているのだ。
マニュアルの”個性”は、液体を操作するというもの。ゆえに彼のコスチュームには、いつでも扱えるように様々な液体のストックが用意されている。彼はそれらを駆使して、なんとか状況を膠着させていたのだ。
また、素手で武器を持つ相手と戦うのはそれだけで不利だが、マニュアルにはちゃんと武器がある。それが今手にした瓶から出ている液体だ。
この液体、マニュアルの”個性”によって自在に形を変える。あるときは刃となり、あるときは鞭となり、あるときは盾となる。まさに彼のヒーローとしての方針のような千変万化の対応力によって、彼はなんとかステインに対抗できていた。
加えて、マニュアルの”個性”の対象はあくまで液体だ。その状態にあるものであればなんでもよく、ゆえに今、彼が武器としている物体は水ではない。
手にした武器は、溶解液でできていた。
もちろん、あらゆるものを溶かすような強力なものではない。即座に人の身を害するようなものでもない。ただ、”個性”由来の特殊な……そう、金属だけを限定して攻撃する特殊な溶解液である。
それ以外に扱っているものもまた、対ヴィラン用に調整されたマニュアル専用の特殊溶液だ。繊維だけを狙って溶かすものであったり、身体の動きを阻害したり……そういうものだ。
当然、どれも当たらなければ意味がない。だがそれらを見破ったからこそ、ステインは普段よりも慎重に動かざるを得なかった。傍目には拮抗状態に見える状況は、そんな奇跡的なかみ合わせによって生じているのだ。
「ち……っ」
今もまた。
ステインは、利き手ではないほうで斬りつけた短剣を包み込むようにして展開された液体を前に、攻撃を中断する。
別に、大事な武器というわけではない。しかし急ぐ必要がない以上、下手な消耗は避けたかった。
だが、どんなことにも対応できることを旨とするマニュアルはそれをさせない。展開した液体を絞りつつ、一部を触手のように伸ばして攻撃に転じたのだ。
それを避けた先で、地面に溜まっていた別の液体も槍衾さながらにステインを襲う。
いずれも大した速さではなく、彼には対応は簡単だ。だが、攻めきれない。マニュアルに刃が届かない。
届かなければ使えない”個性”を持つステインにとって、この遅延行動はなかなかに腹立たしいものであった。
このままだと、動きを封じたネイティブが動き出す可能性もある。そしてマニュアルの狙いは、間違いなくそれであった。なんらかの異常を引き起こす類の発動型”個性”は、ほぼ間違いなく永続しないのだから。
――もういいか。
だが、戦い始めてから二分ほど。ステインがマニュアルのすべてを見切ったと判断した瞬間である。
「せやぁっ!」
「ぬ……!」
「天哉くん!? なんでこっちに……」
飯田が戻ってきて、事態は加速し始める。
飯田の、同年代の中では優れた蹴撃がステインの虚をつき、大きく距離を取らせることに成功した。
「マニュアルさん! すいません、もう一人のヴィランに妨害されて戦線離脱に失敗しました! マニュアルさんの端末も壊されてしまって……!」
彼が戻ってきた先では、トガと襲が激しくぶつかり合っている。正確には、身の丈並みの大きな剣を振り回す襲相手に、得物を持たないトガはあまり攻撃ができていないのだが。
それでもトガも、暗黒面の住人だ。周辺のものをテレキネシスで高速で放つ、頭上の配管などを引き落とすなどして容赦なく攻撃を加えている。
彼女の今のところ立ち回りは危なげがなく、むしろ優勢に立ち回っている……のだが、そういう派手な戦いなので、二人の周辺はとてもではないが通過できそうにない。少しでも近づいたら、そのまま巻き込まれてしまうだろう。
飯田も何度か加勢しようとしたが、結局できず断念したのだった。
「く……っ、そうか……! いや、君が悪いんじゃない、俺の判断が悪かっ……うわっ!?」
「よそ見をしている余裕があるのか?」
「マニュアルさん!」
「大丈夫だ! 天哉くんは、ネイティブの護衛を頼む!」
「わ、わかりました!」
「はあああぁぁぁっ!!」
飯田に負傷したネイティブを任せたマニュアルは、防戦から攻勢へ打って出た。
マニュアルはこのわずかな間に、思考を定めた。このまま防戦に専念すれば、きっとネイティブが復活して二対一に持ち込める。だが、既に限界寸前まで”個性”を使っている以上、それまで守り切れる保証はない。何より学生がいる。
ならば、と。
そう、彼は覚悟を固めたのだ。何よりもまず、後ろにいる二人の安全を優先するという覚悟を。
「ハァ……!」
その顔を見て、ステインは少しだけ表情を緩めながらも、正面から迎え撃つ。得物を駆使して一つ一つを丁寧にいなしつつ、チラチラと脱出の機会を探る飯田からも注意を逸らさない。
マニュアルは、己に完全には集中していないステインをなじることはしない。己に集中していないなら、それだけ敵のスキを突きやすいということ。マニュアルはそこに起死回生のチャンスを求めたのだ。
そしてこの猛攻により、遂にステインが数歩後ろに下がった。
瞬間。
「天哉くん今だ!!」
「! 了解です!!」
”個性”の使い過ぎで流れた鼻血をコスチュームでぬぐいながら叫んだマニュアルの意を受けて、飯田は脚部のエンジンをふかす。彼はすぐさまネイティブを背負って、猛然と走り出した。エンジンがうなり、マニュアルがこじ開けたスペースを縫っていく。
「ハァ……! 逃がさん……!」
だがステインもさるもの。一瞬のスキをついてナイフを引き抜くと、容赦なく投擲した。
マニュアルがとめる間もなく、一直線にネイティブのうなじに飛来するナイフ。
その動きを、走り抜ける一瞬だけ垣間見た飯田は――迷うことなく己の腕を盾にした。
「ぐう……っ!」
血が噴き出る。
しかし。
「天哉くん!」
「大丈夫……です! 俺は……! 俺は、インゲニウムの弟です! これくらいではへこたれませんっ!!」
飯田はそのまま、ほとんど速度を落とすことなく路地裏から脱出していった。
その背中を安堵と共に見送りつつ、マニュアルはステインに集中する。
一方のステインもまた、嬉しそうに笑みを浮かべながら飯田を見送った。周囲に飛び散った飯田の血を舐めるそぶりは、一切見せなかった。
「ハァ……
なぜなら、彼のお眼鏡に飯田がかなったのである。
そう、ステインの目的は、掲げる思想は、英雄回帰。ヒーローとは見返りを求めてはならない、ヒーローとは自己犠牲の果てに得うる称号でなければならない、というものである。
多くのヒーローを殺し、あるいは再起不能にしてきたのは、そのためだ。現代のヒーローは、オールマイト以外すべて英雄を騙る偽物であり、己にはそれらを粛正する義務がある、と。
だがだからこそ、ステインは将来有望な子供であれば、手をかけることはしない。オールマイトに次ぐ、真の英雄がそこから生まれるかもしれないから。
そう、飯田は見逃されたのだ。ネイティブを殺せなかったことは残念だが、それは将来性を見せてくれた子供に対するご褒美として目をつむることにした。目の前の相手のこともある。ステインにとって、ネイティブはその程度の存在に過ぎない。
そして当初の目的が消えたことで、ステインの標的は完全にマニュアルへと移り変わった。
――マニュアルは、それなりに心構えはできているようだ。だが、実力のほどはどうだ?
ゆえに――全力。
ステインは改めて数回マニュアルと交錯した直後……マニュアルがステインの
そのままギリギリまで引き付けてから攻撃をかわし、かわしながら鋭い反撃を放つ。その対処にマニュアルが動いたところへ、ナイフを投擲しつつ追撃で短剣を振るった。
「ぐう……!」
本命は右手の刀ではなく、左手の短剣。投げナイフも含めれば、三つほぼ同時の攻撃。マニュアルは、これを、防ぎきれなかった。
先ほどまでなら恐らく、防げていた。だが、わざと慣れさせられて最適化させられていた動きとは明確に異なる動きが、判断を、何より認識を誤らせた。
そう、今まで極力避けていたはずの武器と溶解液の接触を、避けずに踏み込む動き。ブレーキを踏むべき場面でのアクセル全開の動きが、マニュアルの敗北を決定づけたのである。
マニュアルの身体を、遂に刃がとらえた。
もちろん、マニュアルとて致命傷は避けている。本命だった攻撃も、予備だった攻撃も、かろうじて防いで見せた。
だが、ステインにとってはもはやそれも気にすることではなかった。
一つ。どれか一つでよかったのだ。
どれか一つでも、血を出させることができれば。
「な……!?」
反撃に転じようとしたマニュアルの身体が、硬直する。そのままがくりと膝をつき、受け身も取れずに倒れこんでしまう。
不自然に距離を取った先で、ステインがちろりとナイフの刀身を舐めていた。先ほど投げたナイフ。マニュアルの身体をかすり、壁に刺さっていたナイフ。そこに付着していた血を。
――ステイン、”個性”「凝血」。相手の血を舐めることで、身動きを封じることができる。対象の血液型によって効果時間に差はあるが、一対一の場面においては、相当以上に強力な”個性”と言えよう。
「ハァ……どうやら……お前も贋作のようだな……」
ステインが言う。心底残念そうに。
「く……っ! ネイティブは……これにやられたのか……!」
うめくマニュアル。そんな彼の眼前に、刀の切っ先が突き付けられる。刃の向こうで、ステインの昏い目がぎらついていた。
なんとかこの状況を打破しようと身体に力を込めるマニュアルだったが、やはり身体は動かない。”個性”も同様らしく、今まで使っていた溶解液は既に地面に落ちてしまっていた。
「く……、悔しいが……俺の負けだ……。だが、俺は……役目を果たした……! 悔いはない……!」
「……ネイティブよりは、マシなようだな。だが、それでも贋作は贋作。滅びるがいい」
そこに、ステインは容赦なく刀を突き立て――
「よく言った若いの!」
「……!」
――る直前、全力で上体を逸らした。
そこを、凄まじい速度で小柄な老人が通過していく。
老人はそのまま明後日の方向へ……行くことなく。足から猛烈な空気噴射を行って、鋭角に軌道を二度変えてステインの真上を取る。
もちろん、ステインもさるもの。それを手持ちの短剣で迎撃しようとしたが……。
「やれ小僧!」
「
「ぐぅッ!?」
その身体を、背後から脚が打ち据える。鍛え抜かれた、という域には決して達していないはずの脚が放つには、あまりにも速く、重い一撃だった。
これにより、ステインはアスファルトに思い切り叩きつけられる。その背中に、一切軌道を変えないままの老人が真上から猛然と着地した。強すぎる衝撃により、ステインは血を吐きながら脱力する。
だがそれでもステインの執念は、彼の身体を突き動かす。気絶どころか、死んでもおかしくないほどの一撃を入れられてもなお彼は刀を手放さず、老人を突き刺そうとする。
「こいつまだやる気か!?」
「グラントリノ、危ない!」
老人……グラントリノと呼ばれた彼は、ステインの攻撃をかわそうとしなかった。ただそこにあった。
それでも彼に攻撃が届かなかったのは、直前割り込んだ少年……緑谷出久がその力でもって腕を押さえつけたからだ。
いかずちを思わせる緑色の閃光を全身から迸らせながら、緑谷はさらにステインの身体を極める。
「ヌゥ……!」
だが、そうしてもなおステインは武器を手放さず、鋭い眼光を二人に向けもがいていた。彼のあまりに常軌を逸した執念に、緑谷は思わずおののき唾を嚥下する。ただし、身体はとめないままで。
緑谷がそうしている間に、グラントリノはどこからか取り出した鎖でもって、ステインの身体を拘束する。
そして、宣言した。
「……午後七時十一分。ヒーロー殺し、確保」
脳無が暴れてるのをステインが容認しているのは、作中にある通り連合側がヒーローの選別用に出すと説明したからです。
ただ兵器であることは伝えていても、人間を改造した生物兵器であることは伝えていませんし、脳無と互角だった一年生が規格外ということも伝えていません
なのでステインは少しだけ状況を誤認しており、だからこそ脳無を容認した状態ってわけです。
あと、マニュアルの個性が「液体操作」というのは独自設定です。
はっきりとは明言されていませんが、原作だと目薬に個性を使って操作していたので水だけじゃないだろう、と。
まあ原作見る限りそれらしい装備は見当たらないんですが、ポーチは着けてるんでその中に色々しまってあるんじゃないかなぁ。
・・・と、そういうわけで、本作におけるマニュアルは様々な液体を駆使して戦うヒーローということでお願いします。
あ、トガちゃんが変身してない理由は次でちゃんとやります。