本作において、クトゥルフの要素は一切ありません。今後も一切出てきませんし、出しません。
銀の鍵、という設定も作中の過去の人々がそういうものと認識し、そう呼んでいるだけで実際は別のものです。
どうぞあしからず。
それはまだ職場体験学習が始まる前のこと。
中間試験を終えた一年A組の教室には、開放感が漂っていた。ホームルームが終わればそれは顕著になり、普段から何かと賑やかな面々を筆頭に騒がしくなる。
クラスメイトのそんな様子を横目に帰宅準備を整えていた理波とトガの下に、芦戸がやってきた。
「……ジェラート?」
「そ! 学校近くに専門店ができたらしくってさ、気になってたんだけどテスト中でさ。で、テスト終わったじゃん? これからみんなで行ってみない?」
増栄ちゃんも甘いの好きだったよね、という提案に、理波は小さく首を傾げた。
「すまない。ジェラートとはなんだ?」
「そこから!?」
そして出てきた質問に、芦戸はずっこけた。
ずっこけてから、そういえばこの子十歳だったなと思い直す。学力においては八百万にも引けを取らず、戦力に至ってはクラス一だが、一般的な知識はわりと歳相応だったなと。
「ジェラートとは、アイスクリームによく似たイタリアの氷菓子ですわ。製法や成分が少々異なるので、日本の法律では明確に違うものとして扱われておりますの」
そこに説明を入れたのは、八百万だ。
彼女の言葉に、理波の顔が輝いた。
「そうか。それはさぞ美味なのだろうな」
その表情を見たものは、みな一様に微笑ましい気持ちになって顔が緩む。
顕著なのは隣にいるトガで、彼女は「カァイイなぁ」と連呼していた。
「そうそう、専門店って言うからには絶対おいしいと思うんだよね! ……ってことで、みんなで行こうよ! 今日なら時間あるんじゃない?」
「ぜひ」
そしてその誘いに、こっくりと頷く理波。
頷いてから、少し慌てて同居人に許可を求める姿は普段と異なり、本当に見た目相応に見えた。
ともあれそうして、一年A組の女子一同は寄り道をすることになった。
彼女たちがやってきたのは、雄英にほど近い駅のやや裏側。一等地ではないが、人目につかないということもないであろう場所に位置するその店は、華やかな色で飾られた店名を看板に掲げていた。
その店内は広くはないが、十人程度なら座って食事ができるように整えられている。軒先にもベンチが二つ。
他にも、奥まったところにまるで密談のために設けられたような個室が存在するが、これは本当に密談用だったりする。
雄英の経営科出身者がオーナーを務めるこの店は、ヒーローや警察がときに人目につかずに打ち合わせや内密な話をする場所を提供する、という目的も持っているのだ。雄英近くにはこういう店がさり気なく多く、教師陣御用達の隠れた名店めいた居酒屋などもあったりする。
まあ、そういう事実を知るものが学生にいるということはなく。訪れたA組女子一同も気づくことのないまま、店先でどれを選ぶかで悩んでいた。
その筆頭は理波である。店の秘密に真っ先に気付きそうな彼女であるが、今はジェラートしか眼中になかった。
「普段の理波ちゃんを見ているから、全部って言うと思っていたわ」
その姿を、まるで妹を見るような目と顔で微笑ましく眺めているのは、早々と買うものを決めた蛙吹である。
「ねー。まあでも、言われたら納得ー」
「うん。そりゃ“個性”なしであんなに大食いなわけないもんなぁ」
「ここは雄英でも、私有地でもありませんものね」
彼女に続いて葉隠、耳郎、八百万が頷く。
これに芦戸と麗日がニコニコしながら応じた。
「気持ちはわかるけどね。まさかこんなに味の種類があるなんて思ってなかったもんなー」
「だよねぇ。私もまだ迷ってる。被身子ちゃんはー? もう決めた?」
「みんなと被らないやつにしよっかなーって。ほら、それならみんなと交換で少しずつ色んなの食べれるでしょう?」
「あはは、なるほどあったまいい!」
「でしょー!」
そう言って笑い合うトガと麗日。
そんな二人をよそに、理波が意思を固めたのはほどなくであった。
やがて数分後、店内には女子たちの華やかな声が響き渡る。
「あまーい!」
「おいしー!」
「濃厚だー!」
「ねー! 来てよかったー!」
わいわいと感想を述べる一同。その中で、理波は控えめに「美味だ」とつぶやいて、しかしふにゃりと顔を緩めた。
スプーンでジェラートをすくい、はむ、と口にする仕草は誰がどう見ても子供のそれである。小さすぎて地についていない足はぱたぱたと前後に揺れており、そんな様を見た周りはさらに表情を緩める。
なお当人にそんなつもりはなく、ポーカーフェイスのつもりでいるので、周りの反応に毎回内心で首を傾げているのだが。
しかしそんな疑問も、横からトガに「あーん」とジェラートを眼前に差し出されれば、すぐに消える。
「あー……んむ」
「ふふ、どーお?」
「ああ、これもいいな。アイスクリームやソフトクリームと違って、果肉が入っているのは新鮮だ。うん、おいしい」
小さく切り刻まれたキウイの、酸味と甘みの合わせ技に理波の顔がまたほころぶ。
彼女はそれから、お返し、とばかりに自分のクッキークリーム味をすくうとトガに差し出す。応じたトガもまた、顔をほころばせた。
二人の反応は、とてもよく似ている。表情も。峰田が見たら、手を合わせて拝む可能性大の光景であろう。
「私もちょっとほしいなー!」
「じゃあ私の上げるよ、芦戸ちゃん!」
「……食べる?」
「いただくわ。お返しに私のもどうぞ?」
「はい、八百万さんもどーぞー」
「ありがとうございます。ふふ、こういうのも楽しいですわね」
そんな二人をきっかけに、一同はジェラートの交換を行う。互いのジェラートをひとすくいして、それぞれに差し出して。
彼女たちは異なる味を楽しみながら、どうということのない話に興じて笑い合う。
たかが一口、されど一口。ジェラートを満喫する彼女たちの顔は、程度の差こそあれみな一様に明るく幸せそうであった。
八人が八人とも夢に向かって邁進する若者で、過酷な訓練を重ねる日々ではあるが、だからこそこういう何気ない時間には黄金にも勝るとも劣らない価値があるのだ。
そうして全員がジェラートを平らげ、余韻に浸りながら雑談に興じていたとき。
「あ……そういえば、なのですけれど」
ふと思い出したというように、八百万が声を上げた。
彼女は鞄から何やらパンフレットを取り出すと、全員が見やすいようテーブルに広げる。
「お? なになに?」
「I・エキスポ? ってなんだっけ? 聞いたことある気がする」
「ニュースで見たわ。I・アイランドでやるのだったかしら」
「ええ。会場は各国から企業や投資家の出資を受けて造られた人工島ですの。これはそこで今度開催される博覧会の案内です」
「“個性”研究やヒーロー向けアイテムを造っている島の、博覧会だな。様々な展示が行われる」
「ああ、聞いたことある。確か、あのデヴィット・シールド博士がいるんだっけ?」
「おおー、ノーベル個性賞の人や。すごいイベントなんだねぇ」
「そのチラシ持ってきたってことは……もしかして百ちゃん」
「はい。父がI・アイランドのスポンサー企業で株主をしていまして……その縁で招待状をいただいたのですが、余ってしまいまして……」
『おおー!』
言いながら、八百万が差し出したのは二枚の招待状。
これを見て、一同は声を上げた……が、すぐに「ん?」と首を傾げる。
そして代表する形で、蛙吹がおずおずと口を開いた。
「……百ちゃん、これ……二枚、よね?」
「ええ……余っているのは二枚だけでして。お呼びできるのは……お二人だけですの」
この答えに、一同には激震が走った。次いで隣、あるいは向かいに座っているメンバーに視線を向けて、ごくりと生唾を飲み込む。
その中から、芦戸が覚悟を決めた顔で拳を前に出した。
「……じゃんけん! じゃんけんで決めよう! 誰が勝っても恨みっこなし!」
「それだー!」
彼女に葉隠が乗っかり、麗日も顔を引き締め拳を前に出す。
無言ながらも蛙吹と耳郎が応じ……たところで、ここまでリアクションを起こしていなかった二人のうち、理波が申し訳なさそうに声、さらに手を挙げた。
「あー、みな覚悟を固めている所悪いのだが」
そして視線の集中を受けた彼女は、鞄の中から封筒に入れられた紙を取り出した。八百万が出したものとほとんど同じデザイン、内容のものだ。
全員の目が丸くなる。
「私も余らせていてな。たぶん、これで全員行けると思う」
『……えええぇぇぇ!?』
次いで、その言葉の内容に驚いて一斉に声を上げる。
「なんで!? どして!?」
「体育祭の優勝者にと送られてきたんだ。同伴者は四人まで、つまりこれ一枚で五人参加可能らしい」
「五人? じゃあどっちみち足りんやん!」
「ふっふっふー、ところが足りるのですよぉ」
ダメじゃん、と言いたげに招待状へ指を向けた麗日に、トガがにんまりと笑う。
そんな彼女に応じて、理波はさらに招待状を追加して見せた。
「こちらは父上宛に届いた招待状だ。こちらは同伴者の条件が少々厳しくてな。私とヒミコはこちらで行く予定なんだ」
「お父さん宛ー?」
「ああ。増栄のお父さんって元プロヒーローで、開発者でもあるから?」
「そういうことね」
「えっと、では私の招待状でお二人……体育祭の招待状で五人……バンコさんの招待状でお二人……これで全員で行けますわね!」
全員の分がないことに対して申し訳なさそうにしていた八百万の顔に、花が咲く。
彼女に続く形で、全員が顔を見合わせ……そして同じく嬉しそうに笑い、歓声を上げた。
「あれ? でもこれ、優勝者宛の招待状なんでしょ? 増栄じゃなくってウチらがそれ使うのってアリなわけ?」
「大丈夫、先方には確認済みだ。条件はあるが、譲渡は構わないとのことだよ」
「条件? 何かしら?」
「体育祭で最終トーナメントに残っていたものにのみ譲渡を許可する、とのことだ。そして同伴者の条件はない。……最初は準優勝のバクゴーにどうかと思ったのだが、施しはいらんと断られた」
「あーはははは……」
「爆豪らしいリアクションだぁ」
実際は、事前の予想通りに「死ね」と言われたのだが。それは言わない理波であった。
「それと三位のトドロキとイイダは、ヒーロー一家だからな。そちらで伝手が既にあるらしい。他に譲ってやってくれと言われてな。こうなったわけだ」
「あー、エンデヴァーとインゲニウム」
「どっちも有名やもんね。こういうとき有名人ってお得や、ずるい」
「ですがそういうことですと、I・アイランドではお二人にもお会いできるのですね」
「会場は広いはずよ。顔を合わせる機会があるかしら?」
「んふふ、でも楽しみですよねぇ」
あれこれと会話する一同を代表するように、トガが嬉しそうに言った。
彼女の言葉に、一瞬場が静まる。しかし誰もがすぐににっこりと笑うと、嬉しそうに頷いた。
「いやー、それにしてもこのメンバーでI・アイランドかー。もう完全に旅行だなコレ」
「そういえばそうだね。わあ、がぜん楽しみになってきたなァ」
「わかるー! ちょー楽しみー!」
「ねーねーせっかくだからさー、みんなで一緒の飛行機で行こうよ! そんでもって、一緒のホテルに泊まって、夜はみんなで女子会! どお!?」
「三奈ちゃんナイスアイディアです! やりましょう!」
「私、女子会はしたことがありませんわ。何をご用意すればよろしいでしょうか?」
「……私もしたことがないな。そもそも女子会とはどのような催しなのだ?」
「えっとねー、女子会ってのはねー……――」
――かくして、I・アイランドに一年A組女子が勢揃いする。
なるべく表情は平坦に保つように日頃から気を付けている(キリッ(EP4の5話「繋がる」より
ということで、普段から全然ポーカーフェイスはできていませんよというお話でした。
これは身体に引っ張られているわけではなく素で、前世でもジェダイに外交官的役割が強く求められた共和国末期にあって、腹芸が全然できないこともあって公文書館に回されたという設定だったりします。
まあ、それはそれとしても日本の食文化が刺さりまくっているわけですが。イギリスに生まれなくてよかったね(本気
なお、芦戸ちゃんは基本的に名字で呼び捨てます(付き合いの浅かった入学直後はともかく)けど、理波に対してだけはちゃんづけです。これは今回みたくなんだかんだで言動に幼さが見えるところから、ちゃんづけにしてる感じですね。
・・・ちなみに今回、アニメヒロアカの体育祭編のED映像がイメージです。そこに主人公だけでなくトガちゃんも入れてあげたかった。
でもああいう、高校生が青春を謳歌して輝いてる姿からしか摂取できない栄養素って、ありますよね。