少年、緑谷出久にとってオールマイトは神にも等しい。彼の短い人生の多くはオールマイトによって構成されており、その憧れはオールマイトを絶対視させるには十分すぎた。
加えて、己の力不足。“個性”を
ゆえに、いつの間にかオールマイトは「越えられない壁」という認識が無意識に染みつきつつあった。
だから、同じチームにされた幼馴染が迷うことなくオールマイトに向かおうとするところを見て、逃げることを提案した。
勝てるはずがないと。勝つだけが試験ではないのだから、ここは逃げるべきだと。特に策はないけれど、まずは逃げるべきだと。
だが、それが幼馴染の逆鱗に触れる。
「このクソナード……それ以上ふざけたこと抜かしやがったらテメェから先に殺すぞ!」
「け……っ、けど、いくらかっちゃんでも、オールマイトに勝つなんて無――」
正確かつ素早い動きで胸倉をつかまれ、宙に吊るされそうになる。呼吸が詰まり、苦しさがこみ上げてくる。
ああ、やはりダメなのかという思いが脳裏をよぎった。
物心つく頃からの付き合いで、しかし“個性”の有無によっていつの間にか虐げるものと虐げられるものになってしまった関係。そうなった原因の幾分かは、きっと自分が口だけでまったく努力をしてこなかったからだと、新しいクラスメイトとの初日の会話で自覚できている。
だからこそ、勇気を出して自分の意見を出したけれど……やっぱりかっちゃんとは協力できないのか。そう絶望しそうになる。
だが、
「テメェ寝てんのか? 寝言は寝て死ねクソが! 最初から何もせずに逃げるなんざ真似をヒーローがするとでも思ってんのか!」
さにあらず。幼馴染の逆鱗に触れたのは、そこではなかった。
「わかってんだよ、
「……っ!」
「何もしないでとりあえず逃げるだと!? テメェの頭ン中は腐ってんのか!? ンなことでオールマイトから逃げきれるなら誰も苦労しねェわ! 第一なぁ……! 今勝つつもりのねぇやつが……! 今超えるつもりのねぇやつが……! 超えられるようになるわけねぇだろうがこのクソが!」
「うぐ……っ!」
地面に背中から叩きつけられ、一瞬完全に呼吸がとまる。
なんとか息を整えて、かろうじて目を開ければそこには、絶対に勝つことを諦めない幼馴染が失望した目で見下していた。
「そんなゴミと組むくらいなら、一人で戦ったほうがまだナンボか勝率高ぇんだよクソが……! わかったらとっとと尻尾巻いて失せろ! 邪魔だ!」
そしてそう吐き捨てると、何一つ躊躇うことなく背を向ける。
彼の背中に、ああそうだ、と緑谷は思った。確かにそうだ、と。
――ああそうだよ、そうだとも。
(僕は……また何もしないで逃げようとしてた……! ヒーローになりたいって言いながら、努力も何もしてなかった頃と同じだ……何にも変わってない……!)
歳下のクラスメイトに努力不足を指摘されたこと。その少女の実力にわずかに嫉妬したこと。その本人にずっと鍛錬し続けてきたと言われて驚いたこと。そして、それは尊敬できる友人に追いつくためだと言われて目から鱗が落ちたこと……。
何より――その友人を過去形に語る様子を見て、自分は後悔したくないと思ったこと。
ごくごく一瞬のうちに、あの日の記憶が、あの日抱いた気持ちが走馬灯のように脳裏をよぎる。
――あのとき僕は、なんて思った?
そうだ。もっと僕がまっとうに努力してきていたら、きっとかっちゃんとだって肩を並べて雄英に来れたかもしれない。
彼とまっとうに幼馴染であれたかもしれない。何より、一緒にヒーローになれたかもしれない。
そして同時に、思ったはずだ。失ってからでは遅いと。
歳下のクラスメイトには悪いけれど、自分も幼馴染も、まだ生きている。だから――幼い頃のように、とまでは言わない。せめてまっとうにライバルと呼べるくらいには、なりたいと。手遅れにならないうちに、せめて。
そう思ったはずだ。だからこそ、今日まで頑張ってきた。そのつもりだ。
その、つもりだった。
じゃあ、今は? 今はできているのか?
(ちっともできてないじゃないか!)
やる前から諦めていた。オールマイトを相手に、勝つなんて絶対にできないって思っていた。思い込んでいた。
いや、それはもちろん事実だ。あの幼馴染だって、それは認めていた。
でも、だけど。
(かっちゃんは……! 自分一人じゃ勝てないとは言ったけど……!
そうだ。彼は嫌なやつだけど。そう思うような関係になってしまったけれど。
でも、ずっと昔からなんでもできて、歳上にだって臆することなく戦い、しかも勝ってしまう僕の幼馴染は。
ずっとオールマイトを超えると公言してきた彼は。どんなことでも勝つことを諦めない、どんな相手にだって勝つことを諦めない、僕の憧れた幼馴染は!
(最初は、僕を頭数に入れてくれてたんだ! なのに僕は! かっちゃんが怒るはずだ!)
ぐ、と全身に力が入る。緑色の閃光がいかずちのように溢れ、緑谷の身体を包み込む。
力がみなぎる。腕に、脚に、何より心に。緑谷出久という存在のすべてに、木偶の坊だった頃とは比べ物にならない力が満ちていく。
歯をくいしばる。
そうだ。
そうだ。
そうだ!
こんなところで諦めていいはずがない。
たとえ師匠が相手でも。たとえオールマイトが相手でも!
――プルスウルトラだ!
なぜって?
決まってる!
(僕はオールマイトの、ワンフォーオールの
「かっちゃん……!」
幼馴染の背中に声をかける。返事はない。振り返りもしない。立ち止まることすら。
当たり前だ。だって、それだけのことを今、彼の前でしてしまったのだから。
ならどうする?
示すしかない。僕がここにいることを。
「ごめんかっちゃん……僕は……僕には、オールマイトに勝つ方法がちっとも思いつかないんだ。情けないけど……」
顔を上げる。もう俯くなんてしない。
少なくとも、彼の前では。
だってこの、爆発的向上心の塊な幼馴染の隣に並べる……それすらも超える、最高のヒーローになりたいから。
「だからかっちゃん! 僕を使ってほしいんだ! こうしろって、これをやれって、そう言ってほしい! 他力本願でごめん! でも……でも君の指示なら、君の作戦なら! 僕、信じられるから! だから……!」
目が、合った。呼吸が一瞬とまる。
赤い瞳に射抜かれて……しかし、決して視線は逸らさない。
そうして数秒。あるいは、数分。
なぜか動く気配のない敵……オールマイトを気にする余地もなく、ただ幼馴染と向き合い続けた時間は、無限にも感じられたけれど。
やがて、幼馴染がにやりと笑って、その時間は終わった。
ここ十年近く、向けられていた笑みではない。まだ本当に対等だったとき、向けられていた笑み……に、近い。
ああ、と思う。
彼は、かっちゃんは、こうやって笑う人だったな、と。
オールマイトと同じだ。この幼馴染も、困難を前にしたとき、よく笑う。
ならば、自分も。
だから――にぃ、と笑って応えた。
「……やるぞデク。オールマイトをぶっ殺す!」
「うん! ……あ、いや、さすがに殺すのはちょっと……試験だしさ、ね?」
「うぅるっせぇんだよクソナードが! 殺す気でやるんだよ!」
「ええええーっと、それはっ、僕には荷が重いっていうか……!」
「やかましい! 何も思いつかねぇような雑魚は黙ってついてくりゃいいんだよ!」
かくして、本来ならば最悪だったはずの二人は、大幅に異なる流れでオールマイトへ立ち向かう。
爆豪に本来よりも心に十分な余裕があったからこそ……緑谷に本来よりも爆豪について考える時間が多かったからこその、変化だった。
――オールマイトのデトロイトスマッシュによって周辺一帯が更地になるのに、二人が巻き込まれるまであと五秒。
***
「久々に無茶したなぁ、緑谷」
「は、はは……何も言えないや……」
試験のために設けられた、臨時テントの出張保健室。その一角で、キリシマが呆れたような尊敬するような顔と声で言えば、ミドリヤは苦笑しながらも認めた。
いまだにベッドから起き上がる気力はなさそうだが、意識ははっきりしているし、もう目立った怪我はないと言っていいだろう。
「お前もだよ爆豪。まさかお前が緑谷みたくボロボロになるとは思わなかったぜ」
「そういうセリフはオールマイトと戦ってから言えやクソ髪」
「それもそうだな!」
バクゴーも同様だ。常の彼からは考えられないくらいの重傷を負ったが、少なくともキリシマの言葉に悪態を返せるくらいには回復している。
そして、彼らに言うべき注意は既にリカバリーガールが言っている。なので、私から言うことは何もない。
「けど一番驚いたのは、爆豪が緑谷と協力したことだよ。お前あんなことできたんだな」
「どーいう意味だア゛ァ゛ン!?」
それにバクゴー、この状態でも何かあると爆発しようとするので、ある意味全快していると言ってもいいのではないだろうか。
ただ、少しでも爆発しようとすればこの場の主が黙ってはいない。
「騒がしくするなら出てってもらうよ」
「アッス、すいませんリカバリーガール!」
「……チッ」
そうしてバクゴーは改めてベッドに横になると、苦い顔で……しかし逸らすことなくつぶやいた。
「……勝つんだよ。それがヒーローなんだから。今回はそのための手札がデクしかなかっただけだ」
「爆豪……それ、」
「ストップだ、キリシマ。それ以上はやめておけ」
「お、おう……すまん、保健室だもんな。悪かった」
キリシマが頭をかきながら謝った。まったく、バクゴーの性格は今日まででわかっているだろう。「どんな汚い手を使ってでも勝つって思われかねない」などと言おうものなら、間違いなく大噴火だ。防げる災害は防ぐに限る。
……何はともあれ、ミドリヤはバクゴーと共に試験をクリアした。オールマイトという強すぎる相手を前にしても二人で一歩も譲らず、装備とコスチュームの大半を失いながらも、彼らは確かに勝利した。
決着は、ミドリヤにトドメを刺そうと近づいたオールマイトの一瞬の隙をついて、かすかだがフォースの気配を宿したバクゴーによる。一瞬の隙をついて後ろから接近し、オールマイトのカウンターをフォースの導きを受けて完璧なタイミングでかわしたバクゴーが、ハンドカフスをかけることに成功したのだ。
その分負傷も大きかったわけだが、しかしオールマイトを相手に逃走しての勝利ではなく立ち向かっての勝利をもぎ取ったことは、何よりも大きいだろう。
バクゴーは特に、相当深く集中していた。祈るでもなく、運に身を任せるでもなく、全力で勝利をつかみに行ったのだ。それがフォースの一端に触れた原因だろう。
もちろんハンデキャップはあったが、それでも確かに二人は勝ったのだ。これは二人にとって、最高の経験になったはずだ。
そしてそれは、二人の表情を見れば間違いないと確信できる。
私やキリシマは途中から見ていたのだが、普段の仲の悪さが嘘のように連携できていたので、試験内容についても私から言えることは何もない。お見事である。これは私もうかうかしていられない。
そう思っていたら、バクゴーに神妙な顔で一瞥された。どうやら私に近づいたとは思えども、勝ったとは思っていないようだ。もちろん、オールマイトに対しては言うまでもなく。
これに対して私は肩をすくめつつも、軽く首を横に振ってから頷いて、返事とした。
今回は勝ったと言い切っても、誰も異論は挟まないと思うがな。私自身も、今回は君の勝ちだと思うぞ、バクゴー。
……その後私たちは、リカバリーガールの出張保健室で、他のクラスメイトの試験を眺めて過ごした。
最初に試験をクリアした私たちがここに来る間に、トドロキ・ヤオヨロズとイイダ・オジロの試験は終わっていたので、そこは見れなかったが。
あと、見学させてもらおうとしたところでツユちゃん・トコヤミの試験も終わってしまい、そこも不発。仕方ないとはいえ、少々残念だ。
ともあれ他の面々だが……ミドリヤとバクゴーが搬送されてきてから少しして、ヒミコ・ジローのペアがクリアした。上位互換とも言えるプレゼントマイクを、確保してのクリアである。
どうやら私に変身したヒミコが、簡単には目視されないほどの遠隔からフォースと増幅でプレゼントマイクを徹底的に妨害し続け、ジローがそこをついたようだ。
まあ、勝利の決め手になったものが、フォースブラストでえぐれた地面から巻き上がった土の中から現れたムカデ、というのは誰も予想していなかったが。
うん、顔面に何十センチもあるムカデが張り付いてきたら、誰だって悲鳴を上げるだろう。あれはさすがに、プレゼントマイクに同情する。
彼女たちに次いで、ショージ・ハガクレペアがスナイプを確保してクリアした。
……のだが、彼らの場合。銃火器による遠隔からの攻撃によって演習場にはほぼ常に煙幕か粉塵が舞っている状態だったため、流れはほとんどわからない。
かろうじて、透明人間であるハガクレがその視界不良の中を抜けてスナイプを捕まえた、ということはわかるのだが……あとで話を聞かせてもらいたいところだ。
そしてそのすぐあとに、アオヤマ・ウララカペアが13号を捕まえてクリア。
アオヤマとウララカは13号のブラックホールに捕らえられかけながらも、あえて手を離して懐に飛び込んだウララカを褒めていたが、私とバクゴーはそうは思わない。
私たちの意見は一致する。あれはただの偶然だと。
ただその直前、アオヤマに何事か話しかけられたウララカの心が激しく揺れ動いたのが気にかかる。あの心の動き、どこかで見覚えがあるのだ。どこで見たのだったか。あとでヒミコにも聞いてみようと思う。
それから、試験終了直前でセロ・ミネタがクリアした。このときはもう試験を終えた全員が戻ってきていて、出張保健室はとても狭くなっていたが、それはともかく。
このペアはなんというか、ミネタを見直す内容だった。
というのもこのペア。相手がミッドナイトだったのだが、序盤でセロが眠らされてしまっていたのだ。後で聞いた話によると、開始とほぼ同時にセロは抜けてしまったらしい。
そして、一人でミッドナイトを相手取るのはかなり難しい。ゆえに、このペアはもうダメかと思われていた。
だが、ミネタは諦めていなかった。弱者を装い、本音も混ざっているだろう弱音をぶちまけながら逃亡することで、ミッドナイトの嗜虐心を誘い。
そうして誘われた彼女を“個性”でその場に貼り付け動けなくしたところで、
最後を決めたのは間違いなくセロの功績だが、しかし時間一杯まで粘り、ミッドナイトの視線を一身に集めて拘束までしてのけたのは、間違いなくミネタの功績だ。これには、この場にいたほぼ全員がミネタを見直した。
まあ完全にとはいかなかった辺り、ミネタのこれまでの行いがいかに問題か物語っているが。
なお当のミネタは試験後、ヒミコに「カッコ良かったですよぉ」と言われて相好を崩して気を良くしていたが、直後に私を見てからなぜか気が触れたように床に何度も頭を打ちつけながら、許しを請うてきた。
合間合間に「違うんだオイラそんなつもりじゃ」とうわ言のようにこぼしていたが、なんだったのだろう。もちろんみなで慌ててとめたのだが、毎度ながら彼はよくわからない。
最後に……アシド・カミナリは、最後までクリアできず時間切れとなった。校長の詰将棋めいた悪辣な仕掛けに屈することも、
戻ってきた二人が意気消沈していたのは当然で、私にはかける言葉がなかった。
ただ、これは「不合格者は学校で補習」というイレイザーヘッドの言葉が合理的虚偽であるとわかっているからでもある。このことはまだ明かさないほうがいいだろうから、私はとりあえず下手な慰めだけはしないように口をつぐんでいたのだ。
で、翌朝。試験の結果発表だが。
「赤点はいなかったので、林間合宿は全員行きます」
「「どんでん返しだぁ!!」」
イレイザーヘッドの宣言に、アシドとカミナリは天を衝く勢いで両手を挙げたのであった。
試験の組み合わせは原作同様。
ただし主人公が色々と底上げしているので、ほとんどのペアが原作よりクリアが早く、点数が上がっています。
三奈ちゃんと電気くんペアの場合は、もちろん原作よりがんばったからってのもあるんですが。
予想より粘った二人を相手に校長先生がやりすぎ、フィールドを「逃げてゲートに辿り着いてもクリア」という勝利条件を絶対に満たせない状態にしてしまったことによる恩情、も含まれています。
「クリアすれば合格とは言われていない」ですが、逆説的に「クリアできなければ不合格とも言われていない」ので、そういう感じです。テンポの都合でカットしましたが。
それとここで一つお知らせが。
本作を書き始めたときに想定していた「青山くんを除外しなかった理由」の残り半分を、今回無事にクリアしました。
そう、彼にはとても大切な存在意義があったのです。お茶子ちゃんに恋心を自覚させる、というとても大きな存在意義が!
色んな意味でお茶子ちゃんはトガちゃんと対比のある子なので、そういう意味でやはりデク茶は外せないわけです。
いいよね、デク茶。本作ではしっかりカップルになってもらうぞ(宣言