目を覚ますとどこかの部屋の天井が見えた。
「……生きてる……」
思わず口からこぼれた言葉だった。
―良かった。……私生きてる、生きてるんだ。……実弥ともっと一緒にいられる!!そうだ、実弥はどこに?
辺りを見渡しても誰もおらず、ゆずだけが布団で寝ている状態であった。
「実弥どこにいるんだろう」
起き上がろうとすると、首筋に鈍い痛みを感じた。首元には包帯が綺麗に巻かれていて、意識するとズキズキと急に痛み始めた。
すると襖がゆっくりと開き、そこから蝶の髪飾りをつけた綺麗な女の人が2人入ってきた。
「まぁ、目が覚めたのね!」
「首の噛み傷が思った以上に深いからあまり動かないでね」
―私の体を心配してくれているという事はもしかして手当をしてくれた人なのかな。
「あ、あの貴方たちは……」
すると、開いた襖から元気よく「わんわん!!」と言いながらコマがゆずに飛びついてきた。
「コマちゃん!?」
「わんわん!!!!」
ブンブンとしっぽを振りながらぺろぺろと舐めるコマは、久しぶりに主人に会えて嬉しそうにはしゃいでいた。
「フフ、その子も随分と貴方を心配していたのよ?私は胡蝶カナエ。こっちは妹のしのぶよ」
「あのっ、もしかしてカナエさんとしのぶさんが私の傷の手当を……?」
「えぇ。あと少しで危なかったのよ?」
そう言いながら、カナエはゆずの頬に手を当てた。頬がじんわりと暖かくなり、自然と心がホッと落ち着くような気がした。
「無事に目が覚めて良かったわ。それも、あの子のおかげね」
―あの子……、実弥のこと!?
「実弥はっ、……私の近くにいた男の子は今どこにいますか!?」
そう聞くと、カナエとしのぶは顔を見合わせて、ゆずの手のひらに1つの手紙を握らせた。
「手紙?…あの、実弥はここにはいないんですか?」
「落ち着いてから読みなさい。私たちはすぐ隣の部屋にいるから、何かあったら呼んでね?さぁ、しのぶ、いくわよ」
そう言って2人は静かに部屋から出ていった。
白いただの便箋を開くと、中からカスミソウが一緒に入っていた。それを見て、ふと、一緒に行ったあのかすみそうの花畑を思い出した。
―あの場所、また二人で一緒に行きたいなぁ。実弥が手紙にお花を添えるなんて。
ついクスッと微笑んだゆずだが、手紙を読み進めていくにつれて、その表情はどんどんと強張っていく。
ゆずへ。
手紙は初めて書くから字が汚いのは無視しろよな?
傷は大丈夫か?
本当にすまない。あのおっさんの言う事を聞いておけばよかったんだ。
この町から手を引けば、ゆずに傷をつけずに済んだのに。
危うく、お前を死なせてしまう所だった。
俺の選択でお前を失ってしまう所だった。
本当にすまない。
俺は鬼に家族を壊されたって話をしたのを覚えているか?
母親が鬼になってしまって、弟たちを守るために俺が母親を殺した。唯一残った弟がいるんだ。
命がけで守った弟に“人殺し”と言われた。
それでも俺は、兄貴だからあいつがこれから生きていく人生に二度と鬼を近づけさせねぇ為に俺は鬼を狩り続けていたんだ。
でも1人で鬼を狩り続けるのにも少し疲れていた頃、ゆずに出会ったんだ。
どこかの良いところの娘で甘ちゃんなやつだと思ったけど、違った。
ゆずはいつも真っすぐで、素直で、すぐに鬼との戦いに順応して、凄い奴だと思ったよ。
ゆずの隣はいつも暖かくて、居心地が良かった。
ゆずといたこの5年間、俺は一生分の幸せってやつを体験したんだと思う。
どうしようもない俺は、ゆずの優しさに甘えてゆずの隣から離れたくなかったんだ。
でも、間違っていた。
俺がゆずを鬼との戦いに巻き込んでしまった。もっと早くからお前から離れなければならなかったのに。
だからゆずは傷を負って、怖い思いまでさせてしまった。
本当にすまない。
俺は今まで通り1人で生きていく。
ゆずや弟が生きていく世界に、俺が鬼なんて近づけさせない。
ゆずの両親を殺した鬼も、俺が滅殺してやる。
だから、ゆず。
お前はもう刀なんか握らず真っ当に生きろ。
実は茂吉さんには話を通してあるんだ。
歩けるようになったら、茂吉さんの所へ行け。
お前ならすぐにいいやつを見つけて幸せになれる。
俺はお前の幸せを願ってる。
ありがとうゆず。
「なにこれ」
―これじゃぁまるで、もう二度と私には会わないって言っているみたい。私のこと、好きだって言ってくれたよね、実弥。これからも一緒に生きていくんじゃなかったの?そう思っていたのは私だけ……?
気付いたらゆずは立ち上がっていた。襖をあけて、廊下へ出るとぐらっと眩暈に襲われた。極度の貧血状態であったゆずの体は、輸血をされたがまだ本調子ではなく、全身にどっしりと疲労を感じていた。
「くぅん」
コマは心配そうにゆずの足元に立ち見上げたかと思えば、「わんわん」と言いながらカナエとしのぶの部屋の襖の前で吠え始めた。
ゆずは、ふらつきながらもその足は、自然と前へと進んでいて、うわ言のように「実弥」と呟きながら実弥の姿を探した。すると、すぐ隣の部屋にいたカナエとしのぶが駆け寄ってきた。
「動いてはいけないわ!ほら!また血が!!」
首元に巻かれた包帯からは、じんわりと赤いシミが広がっていた。
ゆずは、カナエとしのぶの服を掴んで「実弥は、実弥はどこなんですか」と尋ねるも、2人は何も答えなかった。
「どうして何も言ってくれないんですか?」
「彼の決意を私たちが台無しにする訳にはいかないわ。彼は、貴方を危険から遠ざけたかったのよ」
「危険から……?そんな、私は自分で決めたのよ。鬼を狩ることは、私が自分で決めたの。実弥が責任を感じることなんかないのに……。私は、実弥さえいてくれたら良かった。家族を失った私には、もう、……実弥しかいないのに……!!!」
ぶわっと涙がとどめなく溢れてきた。
「私が……私が弱かったからだっ!!私があの時、鬼に捕まってしまったからだっ」
するとカナエは震えるゆずを優しく抱きしめた。
「自分を責めないで?」
「でもっ!!!実弥は自分を責めてる。自分のせいだと思って、これから実弥は1人で生きていくの!?そんなの悲しすぎるよ……っ!!!!」
「彼は、すべてを背負う覚悟をしたのよ。貴方にできることは、彼の望み通り、幸せに生きること」
「そんなのっ……そんなの無理だよっ……、今までずっと一緒にいたのに急に1人でなんてっ」
「大丈夫。生きてさえいれば、いつか笑って懐かしく話せる時が来るわ。貴方が笑って過ごすことが彼の幸せなのよ。分かってあげなさい。それに、貴方は1人ではないわ」
ふと視線を落とすと、コマがこちらをじっと見ていた。
「わん!」
「……コマちゃん……!」
ぎゅっと抱きしめると、コマは慰める様にゆずの瞳から零れ落ちる涙をぺろぺろと舐めた。
ゆずは涙が枯れるまで泣き続けた。それから3日間、ほとんど食事が喉を通らず、ゆずは部屋から一切でてこなかった。
ただただ茫然と、窓から外を眺めていた。
どうやらゆずがいる場所は、あの旅館の中だった。鬼がいなくなったこの町は、ゆずと実弥が来た時よりも人の往来が増えて、心なしか少し活気めいた気がした。
―実弥は、この町の人を救ったんだ。私は一体何をしているんだろう。実弥の足手まといになって、実弥1人にすべてを背負わせて、ここでぼうっとしている。父さん、母さん、兄さん、私はこれからどうしたらいいのかな。
ふと視線を落とすと、茂吉さんがくれた白いかざくるまと、父さんがくれた刀が目に入ってきた。ゆずはその2つをぎゅと握りしめた。
「やっぱり、……私にはこれしかない」
―実弥は私の幸せを願ってくれている。……私の幸せは、実弥の隣にしかないんだよ。でも、貴方の隣に居続けるには、私は弱すぎる。実弥を探しに行っても、また同じことを繰り返してしまう。私は強くならなきゃいけない。
「コマ、いこう」
「わん!」
コマはゆずの肩にぴょんと飛び乗った。
カナエとしのぶに置手紙を残して、窓から飛び降りて姿を眩ませた。