悟飯と八百万の初めての出会い。それは、彼らが4歳の時のことだ。
「や、やおよろずももともうします!よろしくおねがいします!」
「百ちゃん……っていうのかあ。可愛い名前だね。宜しく。オレは、孫。孫悟飯っていうんだ」
家が豪邸である以上、育ちもいい八百万は教養があった。故にお嬢様らしい言葉遣いというものも既に学んでいる身であった。それもあって、緊張しながらも4歳の子供にしてはしっかりとした言葉遣いで挨拶をした彼女に対し、悟飯は更に大人びた……たどたどしさが一切ない言葉遣いで余裕のある挨拶を返したことを、八百万は昨日のことのように覚えている。
その後、八百万の父や母が彼の対応の紳士っぷりを自分の子供であるように褒めちぎっていたこともあってか、悟飯との出会いはより鮮明に彼女の記憶に残っていた。
勿論、それは八百万に限った話ではない。前世では女性との関わりが決して多くはなく、女性関係に疎い悟飯にとっても、幼い頃から雛人形のような可憐で可愛らしい容貌をしていた彼女との出会いは鮮明に覚えていることだ。
その出会いから、2人の幼馴染生活が始まった。
2人はお互いに家が近くであり、幼稚園から中学校までずっと同じところに通っているのだが……当然ながら、幼馴染同士よく遊んだし、年を重ねてからは共に学習するようになった。
その最中で、2人は出会うことそれ自体が運命であったかのようにあっさりと仲良くなり、親交を深めていく。今や、2人の仲は周囲の人々の誰もが彼らを恋人同士だと勘違いする程だ。――ただし。2人揃って天然且つ、異性との関係に疎いせいで付き合うまでに至っていないのだが。加えて言えば、理由はそれだけではない――そんな彼らの様子を見てか、両親達は2人を必ずや結婚させようと思っているようだ……。
そうして仲を深めていく中。悟飯にとって、とても意外なことが起きた。
それは……八百万が、悟飯や悟空が無個性であることをあっさりと信じたことであった。悟飯は幼い頃から自衛の術を学んだ上に、前世での経験があったからか、同い年の子供達からしたら信じられない強さをしていたし、その頃には既に''気''を教わってまともに扱えていた。そして、悟空はプロヒーローとして活躍している実績がある上に、悟飯と同じように''気''を扱えた。それ故、''個性''のことばかり頭に置いて、見聞の狭い者達には全くと言っていい程信じてもらえなかった。
しかし。八百万……否、八百万一家は、その例外であった。彼女の家では教養のある立派な人間を育てる為か、幼い頃から英才教育を施している。教育の中で、''個性''でなくとも素晴らしい技術があることを知る為に、''気''についての学習も施されているようだった。無論ながら、悟空が直々に出版した書物も彼女の家も書庫に収められている。
昔から伝わる''気''の技術を自分達なりに研究し、自らの見識を広げる。そんな彼らの姿勢こそ、まさに温故知新である。
依然として周りから無個性であることを信じてもらえない悟飯からしたら、八百万の存在は自分の理解者のようであって、いつの間にやら心の安らぎとなっていた。
年を重ねるにつれて、世界に対する人間の理解力は深まるものだ。それもあって、いつしか八百万は無償の平和の為に奮闘し、人々を救けるヒーローに憧れ、志すようになった。悟飯は、そんな彼女の夢を応援した。元から自衛の術として体術を学んでいた故、彼女に体術を教えたし、他の面における彼女のヒーローになる為の特訓や学習にも常に付き合った。
幼馴染の八百万からすれば、悟飯と共にヒーローになりたいという思いが全くなかった訳ではないだろう。しかし、彼女には理解力があった。
幼い頃から容姿が整っていた八百万は、周囲の男子から、ちょっかいを出されることが多かった。雛人形のように可愛らしい彼女を見れば、世の中の少年達が瞬く間に恋に落ちるのは無理もない。
男子にありがちな気になるからこそ素直になれず、ちょっかいを出してしまうという現象なのだろうが……幼い八百万にとっては、教養があるとしても、彼らの気持ちが理解出来なかった。故に。度々彼女は困惑し、何が何だか分からないまま、目に涙をいっぱいに溜めてしまうということがあった。――同い年の少年達が、急に馴れ馴れしそうに詰め寄ってくるのだ。幼い少女に恐怖を抱かせるのも仕方のないことだ――
その度に悟飯は彼女のことを庇い続けたが、その際に彼は決して暴力を振るうことはなく、子供を
閑話休題。八百万は、悟飯がそうしてどんなに嫌な性格をした人間が相手でも暴力を振るわないのには、彼が闘うことや誰かを傷つけることが嫌であることが関わっているのだと彼との幼馴染生活の中で理解していた。
それ故、彼女もまた悟飯の両親のように彼にヒーローを目指すことを無理強いしなかった。悟飯が自分の側で見守ってくれている。それだけで十分だった。
相手が誰であれ傷つけることを嫌う悟飯が、何故、時には
★
季節は冬。空気が山から湧き出た水のように冷たく感じられ、雪が散らつき始める頃だった。青いはずの空は灰色の雲に覆い尽くされており、どこか不穏な風が冷たく吹き付けていた。
前世で己が命を落とす直前に似たような不穏さがあり、悟飯は、何の理由もなく嫌な予感がしていたことを鮮明に覚えている。
その日も、幼馴染同士である悟飯と八百万はいつも通りに遊んでいた。雪が散らつく中、家の広い庭で''気''を扱う練習も兼ねて、2人揃って掌と掌の間に小さな気弾を作り出し、狂ったように色々と動かしていたであろうか。――因みにだが、悟飯が無個性だと知り、前々から''気''についても興味を持っていた八百万は、幼馴染がそれを扱える本人だと知ると、「わたくしにもおしえてくださいまし!」と悟飯に頼み込んだ。その時の年齢は7歳である――
その最中だった。
「っ!?」
(何だ、この''気''は!?)
悟飯は、数km先に邪悪な''気''を感じ取った。それが明らかに
冬である上、それ程激しく動いた訳でもないのに、玉のような汗が浮かび、額から悟飯の頬を伝っていく。ただし、それは冷や汗だった。
咄嗟にすぐ近くに立って自分達の遊びを見守っていた父親、悟空の顔色を
よくよく見ると、瞳が微かに揺れているのが分かる。しかし、彼は即座に動揺を押し隠した。これぞ
これも''気''の技術の練度がまだまだ悟空らに及ばず、数km先の''気''を感じ取るには至っていない八百万に不安を感じさせない為の振る舞いだろう。
悟飯は、小さな気弾をお手玉のようにして遊んでいる八百万にチラリと視線を向けた後、何食わぬ顔をして悟空に尋ねた。
「お父さん、どうしたんですか?」
彼の声に視線を下ろした悟空は、己の息子も邪悪な''気''を感じ取った上でそういう風に振る舞っていることに勘づくと、内心で彼を褒めながら口を開いた。
「ちょっと父さんにお客さんが来ていてな。悟飯、
『……
笑顔で悟飯に頼んだ後、悟空は、事態を察している彼に対象を絞ってテレパシーを送った。
「……分かりました。行こう、百ちゃん。お父さんにお客さんが来てるんだって」
無言で頷いた悟飯は、八百万に笑顔で語っては彼女の手を握った。
「は、はい!おじ様、また後で……」
当初こそ、八百万は困惑する様子を見せていたものの、教養のある彼女としては、悟空に迷惑をかけるなど言語道断だと考えたのだろう。すぐに悟空の指示に従った。
「おう」
悟空は、そんな聞き分けの良い彼女に朗らかな笑みを向けて、荒っぽくも彼女の頭を撫でる。
そして、美空にも自分に客人が来ている為、ここを離れろと伝えるように促す。
数分と経たず、3人はこの家を出て、離れた場所に移動をしていく。その際、美空と悟空の視線がバチリと合った。
――死なないで。
――ああ、分かってる。
暗黙の了解。長年悟空と過ごした経験からか、美空は全てを察して、目線のみでメッセージを送った。悟空も目線を返した後、美空達の背中を守るパラディンさながらの様子で佇み、邪悪な''気''を感じた方向に目を向けた。
家から離れること、たった数十m。悟飯達は、背後から凄まじい強風が押し寄せたのを感じた。
巻き起こるはずもない異常な強風に、彼らは反射的に振り向いた。
振り向いた先に広がっていたのは、自らの自宅だけで災害が起きたのではないのかと思う程の恐ろしい光景だった。
ベージュ色に塗られた外壁に、複雑に入り組んだ灰色の
そして、あろうことか……そこから火が吹き上がっているではないか。その火の大きさ故か、数十m離れているというのに悟飯達の顔がそれによって朱色に照らし出されていた。
そんな世紀末さながらの光景に、八百万は耐えきれずに悲鳴を上げた。
「いやぁぁぁぁぁ!!!!!おじ様ぁぁぁぁぁ!!!!!」
「大丈夫、大丈夫よ、百ちゃん……!悟空さんは、私の自慢の旦那様だもの……。早々
このままここにいては、自分達にも危険が及ぶと本能が訴え、悟飯達の足も自然と動く。足を止めることなく走り続ける中、狼狽える八百万を美空が励ます一方で、悟飯は依然冷静であった。
(そこらの
自分達の暮らしていた家を無惨な姿にしたであろう男の''気''の大きさをより鮮明に把握しながら、悟飯は走る。
「お父さん……!大丈夫ですよね……!?」
隣を走る2人を不安にさせないよう、悟飯は密かに呟いていた……。
瓦礫を覆い、燃やし尽くす勢いで立ち昇る炎を突き破り、悟空が姿を現す。幸運なことにも、彼は無傷であった。彼の周囲には、よくよく目を凝らさなければ見えない程の薄い''気''の障壁が張られている。''気''の集中に形状変化を組み合わせることによって障壁――即ち、バリアを形成して、突如押し寄せた風圧や立ち昇ってた炎を防ぎ切ったのだ。
バリアを解除し、''気''を開放して、体から烈火の如き勢いで白いオーラを噴き出させながら悟空は目の前にいる
その男は、''
彼の見た目は、30代前半くらいであろうか。非常に若々しく、こんこんと湧き出る水のような、静かな生命力に溢れていた。その一方で、長きに渡る時を生きていなければ発せない程のカリスマ性と威圧感があった。
「気味の悪ィヤツだな、お前はよ。オレがガキの頃から全く姿が変わっちゃいねえ。''個性''を奪う''個性''……。それがお前の''オール・フォー・ワン''だったな」
悟空が意味深長げな発言をすると、男は大層嬉しそうに不気味な笑みを深めた。
「ははは……嬉しいね。僕のことを覚えていてくれたのかい、孫悟空。そりゃ、当然覚えているか。
憎たらしい程に不気味な笑みを浮かべて、余裕綽々に振る舞う男に対し、悟空は出来る限り、怒りを表に出さないように拳を握り締めながら答える。
「ああ、一時も忘れたこたァねえぜ。オレの家族にも、この周辺の人々にも手出しはさせねえ」
腰を落とし、右手を握り拳にして腰に添える。更に、左手の小指と薬指を曲げて掌につけ、親指も曲げて掌へと添え……人差し指と中指は第二、第一関節を曲げたまま立てる。そして、左手の位置は、顔の辺りに。格闘ヒーロー''武神''として、お馴染みの構え。男は、それを取った悟空から凄まじい闘志と威圧感を感じ取る。
武闘家さながらの隙のない構えと臨戦態勢を取る悟空を見た男は、大層楽しそうに不敵な笑みを浮かべた。
「相変わらず、孫家の人間は勇ましい人間が多いようだね。素晴らしい!それに、無個性ながら君達一人一人があの男の半分以上は強い。精々楽しませてくれよ。楽しんだ後に、君の血筋を滅ぼすとしよう。
「ああ……楽しませてやるさ。そんでもって、誰1人死なせやしねえ」
恐ろしい程の静寂。2人は距離を取ったまま、動かない。
そして、吹き抜けた一陣の冬風をきっかけとし、彼らは同時に距離を詰めた――!
★
崩れ去ってただの瓦礫と化した、かつての自宅。その上空で紅き炎に照らされながら、スーツ姿の男と私服姿の悟空が激戦を繰り広げていた。
冬空という広大なフィールド上を存分に立ち回りながら、男と悟空は熾烈な乱打戦を繰り広げていた。拳と拳。それらが一切の引けを取ることなく衝突し合っている。その闘いの激しさは、拳がぶつかり合うたびに鳴り響く、自動車同士が衝突事故を起こした時を彷彿とさせるような轟音からも明らかだ。
経験がものを言うというのは本当によく出来たことわざだ。
ヒーローとしてだけではなく、1人の武闘家として数々の戦闘経験を積んできた悟空は、ヒーローの中でも屈指の実力者となり、今やオールマイトに次ぐと言われる程のパワー、スピード、テクニック――それら全てを兼ね備えた高レベルの戦闘を繰り広げることが出来る。それらの経験は、今回の闘いにおいても遺憾無く役立っていた。実力もないアマチュアヒーローや、ヒーローとしての覚悟がない偽物のヒーローなどが黒スーツの男を相手取っていれば、瞬く間に敗北を喫することだろう。
対する黒スーツ姿である、どこぞの魔王にも似た不気味なカリスマ性を持つ男に、こういった乱打戦の経験があるかというと……答えは否だ。
ならば、何故、格闘戦の達人とも言うべき悟空と真正面から乱打戦を繰り広げられるのか?
その秘密は、この男の''個性''にある。この男の''個性''に冠された名は――''オール・フォー・ワン''。直訳すると、「皆は1人のために」という言葉になる。
1人の人間や一つの目標の為に、周りの人間が一丸となって尽くし、大義を成す……。そういった良い意味を持つ言葉なのだが、この男の''個性''に関しては全くもって違う。
悟空の言葉通り、''
男からすれば、それをする対象は奴隷のようなものなのであろう。彼の振る舞いからは……君達の意志は関係ない。黙って僕に従え、と言わんばかりの傲慢な王のような横暴な考えが根底にあることが察せるだろう。
閑話休題。そんな傲慢な王の如き巨悪である男が奪った''個性''の中に、''軌道予測''という、視界に入った凡ゆるものの軌道を予測することが出来る''個性''があるのだ。
''軌道予測''によって悟空の繰り出す拳の軌道を予測し、己もそれを迎え撃っているという訳である。
己の拳で猛獣の牙の如く襲い来る悟空の拳を迎え撃ちながら、男は笑った。
「ハハハハハ!やはり、孫家の人間との闘いは楽しいな。あの男は悪く言ってしまえば脳筋。対して君らは、強さと技術の両方が高レベルだ。君に守られる市民達はきっと幸せなことだろうさ!」
――皮肉だ。純粋に悟空を褒めている訳ではない。この男がどれだけ嫌味ったらしい男なのか。悟空は、それを知っている。
「そりゃ……どう、もっ!」
感謝という名の皮を被った怒りを込めて、悟空は正拳突きを繰り出した。正拳突きをその目で見た男は、軌道を予測することで見事にそれを
「ぐぶっ!?」
次の瞬間、腹部に別の衝撃が押し寄せる。恐る恐る視線を下ろせば、腹部には悟空の膝蹴りが叩き込まれていた。
そう。悟空の繰り出した正拳突きは、男を引っ掛ける為の罠だったのだ。
悟空は、この短時間で、男が自身の拳の軌道にやたらと注目していることから''個性''による恩恵によって、こうして自分と張り合っているのだということに勘付いた。そして、男が視界に入ったものの軌道を読む''個性''を持っていると予測。そこで、相手の注意を意図していない別のところに向けさせる技術――つまりは、ミスディレクションだ――を用いたのだ。
仕組みは、分かれば至極単純。男の視界を一点に集中させる為にその顔面に向けて正拳突きを放ち、続け様に男の視界――その死角から膝蹴りを叩き込む。たったそれだけのことだ。
男の肺に残された空気を絞り出させるように膝を押し込んだ悟空は、膝蹴りを繰り出した方の脚を振り上げて蹴り上げを繰り出す。鍛え上げられた故、悟空の体は強靭。黒スーツの男1人を空中に蹴り上げるくらいのことは、造作も無い。
サッカーボールの如く空中に蹴り飛ばされた男に狙いを定め、悟空は己の両掌の間に眩く輝く、勇ましい生命力に満ちた蒼い光を
空中にて無防備状態である男に向けて放つのは、悟空の
「かめはめ……波ァァァァァ!!!!!」
勇ましい叫びと共に解き放たれた蒼い閃光。それは、天を翔ける1匹の青龍が如く無防備状態の男に迫る。誰もが命中するに違いないと思うはずだ。
しかし。
「''物質硬化''
男は、自分の手で触れたものを硬化させる''個性''と、凡ゆる物体の形を思うがままに変化させることが出来る''個性''を組み合わせることで不可視の障壁を作った。大気中の窒素やら二酸化炭素やら酸素やらが硬化することで出来た障壁は、悟空の
ほぼ予想通りの結末に、悟空が警戒態勢のまま、かめはめ波の構えを解いた瞬間だった。男は、指先を黒い枝のようなものに変化させた。それは、人間の身体中を巡る血管のような赤いラインが入り、禍々しかった。仮に魔界に大樹が存在するとしたら……このような枝を張り巡らせているのかもしれない。
見方を変えれば、禍々しい爪のようにも見える黒い何かが鞭のようなしなやかさで以って振われる。
「指先が枝みてえに……!」
「避けるか。素晴らしい」
まだまだ切るべき札は沢山あると言わんばかりに、男は悟空の動きを褒め称えた。彼の言葉を聞きながら、悟空は舌打ちすると大気を蹴って跳躍した。
宙でバク転しながら距離を取った彼は、すぐさま身を翻し――
「だりゃあああっ!!!」
拳を振り抜くと同時に見えない衝撃波を放った。衝撃波は、まさにソニックブームを己の身で再現したものと言っても過言ではない。凄まじい速度で飛行機が低空飛行した時に起きる轟音を彷彿とさせる音を立てながら、男に迫りゆく。
「不可視の衝撃波かい?なら、こちらも似たようなもので対応させてもらおうじゃないか。''空気を押し出す''
筋肉と骨の発条化。その上から瞬発力と筋力を増強することで発条の性能を格段に上昇させ、その力に乗せて空気を押し出す。やったことはシンプルだが、嵐の中で吹き寄せる一陣の風を彷彿とさせる風圧が巻き起こった。悟空の衝撃波と男の風圧は衝突と同時に相殺され、空気の塊が爆発を起こす。雲を晴らさんばかりの勢いで巻き起こったそれは、悟空と男の両方が踏ん張りを利かせていなければ吹き飛ばされてしまう程の威力があった。
やはり、相手が相手だ。真正面からぶつかってばかりでは勝てない。
「やっぱ、虚を突くしかねえか……!」
目の前の相手に負けない為にも綺麗事は捨て去る。今は、それよりも市民達や家族の安全を守ることの方が大切だ。
悟空は決意をすると、''気''を完全に消した。
''気''を消すというのは、''気''を扱った闘いの中で更に先の次元に踏み込む為の大きな一歩となる。心を無にすることで己の存在を無にした結果、気配を絶つに加えて、動きの無駄を無くして高速移動が出来るのだ。それも、常人の視界では認識出来ない程の。
誰であれ、少なからず感じ取れる場合もある人間の気配の正体は、活動した際に皮膚の表面に染み出した弱い電気――これを準静電界という――が体の周囲に作られることで出来た、薄い膜である。
無心になることで己の存在を無とする。即ち、体の表面に顕在化する生命エネルギーとも言える、"気"を消す。それによって、生じた電気を無駄なく体の外に滲み出させずに、無駄を削減して効率よく生命活動を行うという芸当も可能になる。気配を断ち、動きの無駄を減らせるのはそういう仕組みだ。
――さて。"気"を消した上に、気配を絶った以上、その対象の動きを追うことは出来るだろうか?答えは、第六感が並外れて優れてでもいない限り、否……である。
「おや?消えたね」
このカリスマ性を持つ黒スーツの巨悪も1人の人間。気配が絶たれれば、僅かであろうとそれを感じることは出来ない。そして、幸運なことに第六感に関する"個性"を所持しておらず、高速移動を行った悟空の動きを目で追うことは叶わなかった。
もう一度言っておくが、悟空は断じて消えたのではない。高速移動をおこなったのだ。高速移動によって男の懐に潜り込んだ悟空は再び''気''のスイッチをオンにして存在を露わにする。
「ッ!?いつの間に……!?」
男の視界からすれば、悟空が突然自分の懐に現れたようなものだ。彼はその目を見開き、''瞬発力''の''個性''で己の瞬発力を引き上げて迎え撃とうとするも、時既に遅し。
「オラァァァッ!!!!!」
秒速340m――即ち、音速を超えるとされる拳銃の弾。それにも差し迫る速度で放たれた悟空の拳は、彼の猛々しい雄叫びを発砲音として黒いスーツを着た男の右頬を穿った。
「だりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃっ!!!」
戦闘の勝利と敗北。その命運を分けるのは、ほんの一瞬の隙だ。自らの作る隙を如何に減らせるか。相手に如何に隙を作らせ、そして、如何にそれを突くか。それらが鍵となる。
戦闘のスペシャリストとも言うべき悟空は、当然ながら、それを把握していた。何処かの大企業の社長のような風貌の男には、体勢を立て直す暇すらも与えられない。
骨と骨。そして、皮膚と皮膚が猛スピードでぶつかり合うことで痛烈な打撃音が響き渡る。己の振り抜く拳、その1発1発に闘志を込め、暴風が如き勢いで拳撃の乱打を放つ。
亜音速の速度で放たれる拳は、黒スーツの男にとって痛恨の一撃となり得る……はずだった。
拳を叩き込む最中。男に打撃を加えた際の手応えがないことに違和感を抱いて、悟空は訝しげに眉を
相手に対する警戒を重視して距離を取った悟空を見ながら、男は不敵に笑みを浮かべた。超スピードで拳が掠ったことによって流れた口元の鮮血を親指で拭うと、彼は己の力を自慢するかのように楽しそうな様子で一国の大統領さながらの演説を始めた。
「''吸収''。本当に便利な''個性''だよ。名前通り、体に与えられた凡ゆる力を吸収することが出来る。吸収だから、勿論上限はあるさ。でも、相手がオールマイト程の馬鹿力でなければ、これは十分な壁となってくれる。そして、吸収した力というのは、倉庫のようにして僕の体内にストックすることも可能だ」
両手を広げ、身振り手振りを交えながら話す彼は、真上からのスポットライトに照らされ、庶民の注目を浴びる大統領そのものであった。
''個性''の詳細をわざわざ話す辺り、随分とその性能に自信があるらしい。事細かに教えてくれるとは、まさしく棚から牡丹餅。思わぬ得をしたものだ、と悟空が思ったその瞬間だった。
突如、男は悟空を見やって一瞬だけ真顔になる。しかし、それもほんの一瞬のことだった。次の瞬間には、彼は口の端を吊り上げ、微かに目を見開いて体の芯からゾワッと冷たい衝動が押し寄せるかのような不気味な笑みを浮かべていた。
「ところで、孫悟空。僕が
「っ、まさか!?」
悟空が勘づいた瞬間だった。男は、''瞬発力''によって凄まじいスピードを引き出して悟空の眼前まで肉迫。彼に触れると同時に新たな''個性''を発動した。
「''放出''×''内部浸透''!僕の体内にストックした君の打撃のダメージをプレゼントだ!!」
「ゴフッ!?っがああああっ!?」
体内にストックした力を名前通りに解き放つ''放出''。更に、触れた対象の体の内部に己の放った攻撃などを浸透させる、''内部浸透''。その二つを組み合わせることで発生した、先程の打撃に等しいダメージが、悟空の体の内部に叩き込まれる。
いくら強く、肉体を鍛え上げた人間だとしても内臓を鍛えることは出来ない。内臓にダメージが与えられれば、誰だって大きなダメージを受けるし、致命傷になり得る。銃弾並みの威力の乱打で内臓を直接殴りつけられるようなものなのだ。喰らえばたまったものじゃない。それは、悟空も例外ではなかった。
しかし、この男は抜け目がなかった。触れられた瞬間にスーツ姿の男が企んでいることを予測し、内臓に''気''を鎧のように纏わせることで大きくダメージを軽減させたのだった。
そのおかげで、動けなくなる程のダメージは辛うじて受けていない。
「ずあっ!!!」
加え、内部に浸透したダメージは、洞窟内にて反響する声のようにして余韻が残り続ける。それでも尚、悟空は目の前にいる男の頬にコークスクリューブローを叩き込んだ。
「ぬうっ!?ダメージを受けていながらも、こちらにカウンターとは……素晴らしい精神力!」
頬を抉り取るかのような勢いで炸裂したコークスクリューブローを受けたスーツ姿の男は、大きく体勢を崩して仰け反った。しかし、達磨のようにしてすぐに体を起こすと、''筋骨発条化''と、骨を槍のような形に変形させ、露出させた状態で自在に扱える''槍骨''を掛け合わせて、螺旋を描いた槍のような骨が露わになった禍々しい腕を作り出した。
そして、彼は初めて手にしたおもちゃの性能を試す無邪気な子供のような笑みを浮かべながら、捻りを加えて、魔界に住む魔物のそれと言っても過言ではない禍々しい腕を振るう。
悟空は、振るわれた腕を咄嗟に
悟空の顔が苦痛に歪み、彼の額から水に溶かされた絵の具のように滲み出た脂汗が、彼の頬をゆっくりと伝った。
「ははは!これはいいな……!まさか、君の苦痛に歪んだ顔が見られるとは思わなかった!」
人を殺すことを楽しむ殺人鬼にも喩えられる、狂喜に満ちた笑みを浮かべながら、黒スーツ姿の男が猛然と迫り来る。
「巨悪がお似合いの顔だな」
男の方も十分タチが悪いが、悟空もある意味タチが悪かった。
彼は、窮地に立つ程にワクワクが増す男。ピンチを楽しめる、戦闘狂気質のある男なのだ。
頬を伝った脂汗を手の甲で拭いながら、彼は笑った。軽口を叩きながら、男は迫り来る男を堂々と待ち受ける。
(一度見た攻撃がオレに二度も通用すると思うなよ)
極上物の刀のように鋭い瞳で男を睨みつけると、悟空は籠手を取り付けるイメージで腕に''気''を纏わせる。
刹那。瞬きをする間に、バキャアッ!という、何かを打ち砕いたかのような音が耳に入る。
音のした方に視線を向けて見ると、驚きの光景が広がっていた。まるで、木の枝がへし折られたかの如く、''槍骨''がへし折られていたのだ。
瞬きする一瞬でこのような芸当が出来る男など、たった1人しかいない。言うまでもなく悟空だ。彼は''槍骨''を''気''を纏った状態で繰り出した手刀によって、瞬時にへし折ったのだ。
流石にこれ程の反応速度を引き出せるとは思っていなかったのだろうか。してやったりと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべた悟空に対し、彼は愕然としながら己の腕を見つめていた。
男から距離を取ると、悟空の両掌から光が発せられた。その数秒後、機関銃と例えるに相応しい速度で連射された気弾が迫り来る。ただし、その幅と密度はまさに壁だ。黒スーツ姿の男の視界、その全てを覆い尽くす程の幅と0.1mmの隙間をも許さない密度の気弾の壁。それが、彼に向けて津波の如く押し寄せる。
気弾が炸裂する度に爆煙が男の体を覆い隠す。休む間もなく放たれる気弾によって、煙は天高く立ち昇った。そして、徹底的に攻めると言わんばかりに、かめはめ波が彼の両掌から放たれ、煙の中に居るであろう男は蒼い閃光に呑み込まれた。
悟空は、爆煙に覆われた先を油断なく見つめ続ける。淀んだ煙が晴れた先にあったのは……。
「防がれたか……」
「素晴らしい密度と範囲の攻撃だったね。だけど、僕には届かない」
無傷のままで悠々と空中に佇む、黒スーツの男の姿であった。恐らくは、例の''物質硬化''と''形状変化''を組み合わせることで不可視のバリアを形成し、悟空のかめはめ波を防いだのだろう。
攻撃が当たらなかったことを哀れんでいるのか、男は親に捨てられた孤児を見るかのような笑みを浮かべては風圧を放つ。
「ゴフッ!?」
放たれた風圧を諸に喰らった悟空の肉体は、新幹線に衝突されたかのようにして軽々と吹き飛んでしまう。その勢いのままに何軒かの住宅を巻き込み、薙ぎ倒したところで漸く勢いが弱まった。
数m先に淀んだ土煙。それを一瞥するや、男は上空に両手を掲げて''オーラ''という''個性''を使用する。そして、その両掌の間に、際限無く広がる漆黒と言うに相応しい不吉な色をした、ソフトボール程のサイズの念力弾を作り出した。
男は、''拡声''――その名の通り、己の声を拡散させる。たったそれだけの''個性''だ――を使用して、己の声を辺り一帯に轟かせた。
「ヒーローは守るものが多くて大変だね!可哀想に!今から僕は、この念力弾を街に向けて放つとしよう!!!これを避けるだとか、応援を要請するだとかは考えない方がいい!これを避ければどうなるか……君も予想はついているはずだ!この街がまるまる一つ消し飛ぶぞ!応援に関しては、要請することを考えないというより、期待しないほうがいいと言った方が正しいかな!?何故って?単純さ。僕が細工を施しているからだ!」
「君の家だった場所を中心に、半径1km!僕は、この範囲に''蜃気楼''の''個性''を使った!範囲外からは、何の変哲もない君の家とその周囲の景色が見えることだろうね。他のヒーローが君の孤独な戦いに気付くことはない!」
やっと残りのピースがはまった、と悟空は思った。
実を言うと、
三度の邂逅の中で、彼が気持ち悪いくらいに不気味且つ慎重な性格をしているのは知っている。その性格から鑑みるなら、このスーツ姿の男がここまで派手に暴れることはあり得ないのだ。
そんな男が、何故これ程まで派手に暴れられるのかと疑問に思っていたが……その理由は、単に自分の戦闘しているところを見られないからであった。彼からすれば、何としてもここで自分のことを殺したいのだろう、と予想がついた。
並べた言葉からすれば同情のようであるが……その実、皮肉に塗れた発言をした男は、上空に掲げた両手を広げる。それと同時に、ソフトボール程だったはずの念力弾が、何十倍ものサイズに膨れ上がった。敢えて例えるとするなら、バランスボールを五回り程大きくしたものだろうか。
「避けられない、応援も期待出来ない!ならば……
スーツ姿の男は勝利を確信したようにほくそ笑み、腕を振りかぶると、巨大な漆黒の念力弾を悟空に向けて放り投げた。
砲弾さながらの様子で迫り来る漆黒の念力弾を目にした悟空は、弾かれたように立ち上がると、力を振り絞って体の一点に集中させた''気''を増幅させ、爆発させることで全身のレベルにまで開放する。
白いオーラを業火の如く噴き出させながら、悟空は迫り来る念力弾をキッと睨みつけた。
そんな彼に駆け寄り、声をかける者がいる。
「そ、孫さん!?そんなボロボロになってどうしたんだい!?」
髪を短く整えた爽やかな青年が、幾度となく喰らった攻撃によって擦り傷がつくと共に血を流し、服をボロボロにした悟空を見て悲痛そうな声を上げた。
年齢は、20代前半だと思われる。恐らくはこの家の家主なのであろう。
「何があったの!?凄い轟音がしたから慌てて来たんだけれど……」
青年に続き、肩までの長さをした艶やかな黒髪をした女性も忙しない様子で駆け寄ってきた。彼女も20代前半だと思われるが、顔立ちは美しいながらも何処か幼さが残っている。2人は夫婦、若しくは恋人のどちらかであるに違いない。
「ッ、オレのことはいいから早く逃げろ!シャレにならねえ強さの
声を掛けられるや否や、悟空は鋭い目つきのままで切羽詰まった声を上げる。彼が言い切るよりも前に、周囲が禍々しい光によって暗くなった。
「な、なんだ!?あの球体!」
急に暗がりが出来たせいか、咄嗟に周囲を見渡した青年は迫り来る念力弾の存在に気がついた。女性も彼の指差す方向を釣られるように見ると、幽霊を見たかのように恐怖で顔を
「あれはオレが何とかする!早く行け!」
悟空は、2人を庇うように立ちながら、一般人である彼らを逃がすことを優先する。
青年は何か言いたげに口を開きかけるも、すぐに言いたいことを呑み込んだ。
――目の前にいる男は、No.4ヒーローである武神なのだ。いつだって負けない為に戦い抜き、人々を救けてきた。彼の功績を知っているのだから、彼にここを任せない道理はない。
それに。武神だって、本当の神の如く無敵ではないのだ。それを考えれば、自分達が取るべき行動は決まっている。
「僕達がいたら、孫さんの邪魔になってしまう!僕らも僕らに出来ることをやろう!ヒーローを救けるんだ!この辺の人々を避難させてくる!」
「わ、私は近くのヒーローに知らせてくるわ!孫さん、ここはお願いします!」
何もかもをヒーロー1人に任せるのではない。自分達も、普段から救けてもらっている分、出来ることでヒーローを救ける。それこそが今取るべき行動。
それぞれのやるべきことに向けて動き出した2人を視線だけで見送ると、悟空は
「4倍……界王拳ッ!!!!!」
開放させた''気''をコントロールし、限界を超えて増幅させる。それによって顕在化した生命エネルギーをも増幅させ、パワー、スピード、防御力を何倍にも引き上げる。それが、この界王拳なのだ。
先程よりも激しく噴き上がる紅いオーラを纏いながら、悟空はかめはめ波の構えをとる。
「この街は、テメェの好きにはさせねえ……!かぁぁぁ……めぇぇぇ……はぁぁぁ……めぇぇぇ……!!!」
両掌の間に、平生放つそれよりも遥かに力強さを増した命の輝きを放つ、蒼い閃光が集中する。
必ず念力弾を押し返す、という覚悟が瞳に宿る。鋭い眼光が放たれんばかりの瞳で念力弾を見やった。
そして――
「波ァァァァァッ!!!!!」
修羅の如き雄叫びと共に、激流の如く蒼い閃光が解き放たれた!
蒼い閃光と、漆黒の念力弾とが真正面からぶつかり合う。守る意志と滅ぼす意志との張り合い。
スーツ姿の男は必死の形相で抗う悟空を見て、大層楽しそうに笑っている。その様は、自分のいじめに必死で反抗するいじめられっ子を嘲笑するかのようだ。
「ハハハハハ、素晴らしい!君はまさしく真のヒーローだ!凄烈な悪意や、格上の脅威にも決して背中を向けないとは!」
「ぐうっ……!」
力は拮抗……否。悟空の方が押され気味だった。歯を食いしばり、死に物狂いで念力弾を迎え撃つ彼に対し、黒スーツの男は余裕綽々に力を押し付け、悟空の抵抗を嘲笑っている。
男は、自分の勝利がほぼ確実なものになったとほくそ笑んだ。目の前にある街が粉々に消し飛び、彼方此方から火が立ち昇る、戦乱によって滅ぼされたような光景を想像しながら傲然と語る。
「そぉら、どうしたのかな?このままでは押し負けてしまうぞ。街が滅びてしまうぞ!君の責任で!」
しかし、男は甘く見ていた。人間の……ヒーローの底力を。
悟空がヒーローになる為に研鑽を積んだ学び舎は、かの雄英高校だ。
そこの校訓は……
雄英高校の校訓通り、ヒーローとは今ある限界を更に一歩踏み越えていくもの。常に想像の一歩先を行くことで、幾度となくピンチをぶち破ってきたのだ。それは、悟空とて例外ではない。
「ナメやがって……!」
「………………界王拳、
「ッ!?」
天を切り裂くが如く轟いた、悟空の猛々しい咆哮。
瞬間、悟空を覆う真紅のオーラは更に勢いを増して、天高く噴き上がる。そして、放たれていた蒼い閃光は更に力強い輝きを放ち、先程の数倍の威力を引き出した。
限界を超えて放ったかめはめ波が、男の放った念力弾を押し返す。そして、それを宇宙の彼方に吹き飛ばしてしまった。男は、押し返された念力弾を辛うじて避けてはいたが念力弾が飛ばされた先を呆然として見つめていた。
しかし、それも一瞬のこと。再び悟空の方を見ると、やはり自分の勝利は揺るがない……それを不気味な笑顔で訴えた。
「はあっ……はあっ……」
一方、悟空は肩で息をしており、著しく消耗した様子だった。
自身の''気''を精密にコントロールし、顕在化する生命エネルギーを増やすことは、それだけ精神的にも肉体的にも消耗する。
そもそもの話、''気''を開放した状態というのは、己の戦闘力や生命エネルギーを最大まで開放した状態だ。界王拳は、最大まで開放した状態から半ば無理矢理にリミッターを外す、言わば、超開放技術なのである。
体力の限界に達している状態の中、全力で走ればすぐに息が上がる。足が疲労の限界で震える中で走ろうとすれば、怪我をする。このように、己の限界を超えて何かを為す、若しくは為そうとすることはリスクとの隣り合わせだ。
それを考えれば、界王拳を使用した悟空がここまで消耗するのも当然のことであった。
(駄目だ……。気ィ抜いたら、もう二度と立てねえ……!)
自分の体の状況を把握しながら、悟空は気力で立ち続ける。実の所、彼は立っているのですら限界だ。指一本も動かせず、気を抜けば生まれたての子鹿のように足が震えて、膝から崩れ落ちてしまう。そんな状況だ。今頼れるのは、これまでに培ってきた鋼如く不動である、不屈の精神のみだった。
男は、満身創痍にも等しい状態の悟空の前に降り立ち、拍手を送りながら彼に一歩ずつ歩み寄る。
「立っている余裕があるとは驚いたよ。孫家の人間というのは、強いだけじゃなくタフネスだね」
体が動かない……。たったそれだけのことで悟空の闘志は尽きることはない。依然として闘志を宿した目で男を鋭く睨みつけるが――
「ゴフッ!?」
醜くも抗わんとする悟空を嘲笑うように、男は悟空の目の前に移動すると彼の腹部にボディーブローを叩き込んだ。
幾度となく肺の空気を吐き出させれたことはある。だが、今度吐き出させられたのは……血だった。内臓を傷つけられた故だろうか。体の底から込み上げる衝動のように激しく血が逆流する。口の中を鉄の味が埋め尽くす中で、悟空は''内部浸透''の''個性''を使用した攻撃を叩き込まれたのだと悟った。
「ははは、やはり流石の君でも内臓までは普通の人間と同じか。それなら……これはどうかなっ!?」
「ぐはあっ!?」
続け様に、男は研究者のようにして"個性"の組み合わせを探ることを楽しみながら、悟空の顎にアッパーカットを叩き込む。
組み合わせたのは、"筋骨発条化"と"内部浸透"。伸縮することで力を溜めたアッパーカットは、バネそのものの性質を考えれば、脅威が十分に分かり得る。更に、体の内部に攻撃の威力を浸透させる"個性"まで組み合わせた。凶悪な攻撃であること間違い無しだ。
その攻撃により、体を空中に打ち上げられながら、悟空の視界がぐらりと揺らぐ。顎の先端は人体における急所。そこを強打されたことで、脳震盪を起こしてしまったのだ。
視界がチカチカとブラックアウトする中、彼の体は跳ねながら地面に落下した。
(限界……か……っ)
先程のアッパーカットで、完全に集中力が途切れた。悟空の体は、もはや指一本すら動かなかった。
「……おや?先程の念力弾で、蜃気楼まで吹き飛ばしてしまったようだね。はは、僕としたことが……君を殺すことに夢中になり過ぎてしまったようだ。あの男に見つかる訳にはいかない。君を殺したいところだが、見逃すとしよう。さらばだ、孫悟空」
薄れる意識の中で、男のそんな言葉を耳にする。
男は、地面に仰向けに倒れた悟空を残して空中に浮き上がり、どこかへと去っていった。
(済まねえ……悟飯、美空……。そっちには、行けそうに、ねえ……な…………)
崩れ落ちた家々。依然吹き上がる炎。そんな光景の中に残されたのは、己の未熟さに歯を食い縛り、意識を閉ざした悟空だけだった。
……悟空が倒れた一方。悟飯達にも、刻々と危機が迫りつつあった……!
長くなってしまった……。
因みにですが、一つ申しますと、黒スーツの男と悟空が激突したタイミングは言わずもがな、どこかの誰かさんと大激戦を繰り広げるよりも前のことです。