希望を託した戦士のヒーローアカデミア   作:白華虚

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4話 孫悟飯:オリジン(後編)

「お父さん!!!」

 

 激戦地から数十m離れた地点で、悟飯は悲痛に満ちた声を上げる。今しがた彼は悟空が気を失ったまま、地面に落下したところを目撃した。悟空が死んでいないことは確かだ。しかし、彼と対峙していた男が空に浮かび、飛び去っていくのを目撃したこともまた事実。

 

 辺りに流れる静寂。先程の事実とそれが示すのは――悟空の敗北であった。

 

 幼いながらもそれを察しているのだろうか。八百万も声にならない声を出しながら、その目いっぱいに涙を溜めて声にならない声を出していた。

 

「……悟飯。悟空さんは……?」

 

 そんな様子の八百万の頭を慰めるように撫でる美空は、固唾を呑みながら悟飯に尋ねる。

 

「大丈夫です……。''気''は感じられますから。お父さんはちゃんと生きてます」

 

 八百万と違って依然冷静さを保つ悟飯は、的確に悟空の''気''を感じ取れた。彼を通じて自分の夫の無事を知った美空は、ホッとした表情をして息を吐く。

 

「どちらにせよ、あのスーツ姿の男の人がお父さんを負かしたのは事実です。それに、お父さんにも手当てが要る……。お母さん。オレが行きますから、百ちゃんをお願いします!」

 

「ッ!?悟飯!?一人じゃ危ないわよ!」

 

 闘いを通して受けた悟空の傷が深いのは、''気''の大きさで分かる。なにせ、その大きさが闘いが始まった時よりも小さくなっているのだ。前世の父親とは違う。いくら普通の人間から逸脱した域に居るとしても、彼が人間であることに変わりはない。

 

 ''気''を分け与えれば、ある程度の傷を治し、回復させることも出来る。そういった意味と、母を危険な目に遭わせる訳にもいかないという意味も含めて悟飯は己が率先して父の様子を見に行くことを決め、舞空術で飛んでいってしまった。

 

 危険なことは己の身を顧みずに引き受ける姿は、幼い子供でありながらも既に悟空にそっくりだと美空は思う。ヒーローを望んでいなくとも、根は同じように出来ているようだ。親が親なら子も子とはこのことだろうか。

 

(どちらにせよ、あのままだと百ちゃんまで心配させちゃう。私がしっかりしなくちゃ。私は、あの子の母親なんだもの)

 

 そう意気込みながら美空は、生涯で初めてヒーローの敗北を目にした故の恐怖と不安からか泣き続ける八百万を撫で続ける。慈悲深い笑みと共に彼女の不安を拭い去ろうとするその姿は、まさしく慈母のそれだ。

 

 その時。彼女達の元に新たなる脅威が現れる。

 

「こんにちは。いきなりで不躾なのですが……人質となっていただきますよ」

 

「っ!?」

 

 目の前に現れたのは、人語を喋る黒い円形の何か。何処ぞの未確認生物かなどと思う余裕などなかった。

 

 突如その中から現れた、細身ながらも筋骨隆々に鍛え抜かれた藍色の腕。それによって美空は頭を強く殴りつけられてしまったのだ。

 

「きゃっ!?」

 

 一人の母親、若しくは子供を守るべき大人としての意地か。彼女は、脳震盪を起こして倒れ込みながらも、八百万を抱えたまま手を離さなかった。

 

 八百万を庇うようにして地面に倒れた美空。彼女に縋り付くように抱きついていた故か、八百万は周りの状況を把握出来ず、倒れた彼女に困惑する。なんとか芋虫のようにして身を捩り、脱力した美空の両腕から抜け出てみると……彼女は、頭から血を流して倒れていた。

 

「!?お、おば様!?どうなされたのですか!?」

 

 八百万は、必死の形相で美空の体を揺らして彼女を揺り起こそうとする。しかし、彼女は微かに呻き声をあげるのみだった。

 

「ご心配なく。気絶していただいただけです」

 

「な、何者ですの!?」

 

 突如降りかかってきた、自分の家に代々仕える執事を彷彿とさせるような紳士的な言葉遣いと声色に、八百万は反射的に顔を上げた。

 

「そう警戒しないでください。殺しはしません。……ただ人質になっていただくだけです」

 

 紳士的ながらも邪悪に満ちた声を発する黒い何かは、己の隣に立つ、藍色の格闘家並みに鍛え上げられた痩躯を持っており、脳が剥き出しの化け物に八百万を捕らえるように命じた。

 

「ひっ」

 

 目の前にいる相手の邪悪さとヤバさを本能的に感じ取った八百万は、小さな悲鳴を上げて後退りするも、彼女の小柄で華奢な肉体は化け物の鍛え上げられた腕に呆気なく捕らえられる。そもそも、子供の足の速さが大人と同じくらいの体格を持つ化け物の足に敵う訳がなかったのだ。

 

 化け物が八百万を腕に抱え、美空を担ぐ様子を見て、黒い何かは満足そうに声を発する。

 

「良くやりました。では、私達も命じられたことをこなしましょうか」

 

「いやっ……!離してくださいまし……!」

 

 八百万は、かぶりを振りながら彼女なりに必死の抵抗をした。しかし、8歳の子供に出来る抵抗などたかが知れているというものだ。ポコポコと拳骨をするようにして化け物の腕を叩いているものの、黒い何かには子供の戯れ程度にしか過ぎないし、化け物にとっては痛くも痒くもない。

 単純な力でも敵わない。''個性''も未だに未熟。抗う術はない。まさしく、万策尽きた状況だ。

 

 そして、彼女の抵抗虚しく、化け物によって捕らえられた八百万と美空は化け物ごと黒い何かに呑み込まれてしまったのだった……。

 

 

 

 

 

 

 一方。悟飯は''気''及び気配を消し去っての移動を行うために、悟空が地面に落下したであろう地点からたった数m離れた地点に到達したタイミングで舞空術の使用を中断し、地面に降り立った。そうした理由は無論、己の足で移動する為である。

 

 実の所、悟空を空中に打ち上げたのであろう例の黒スーツの男の''気''は未だに近くに存在しているのだ。あの男は''気''が扱えるという訳ではないと悟飯は考えている。しかし、あの男が気配を察知するような''個性''を持っていたとすれば……舞空術を使用している際に気配を察知されるのは明らかだ。

 

 そもそも、舞空術は''気''を放出することで空を飛ぶ技術である。高速飛行を行う際には、オーラの放出も伴う。簡単に言えば、飛行速度を引き上げようと思うとそれだけ大量の''気''が必要だし、大量の''気''を放出することになる。更に言い換えてしまえば、それだけ顕在化する生命エネルギーが増加し、気配が濃くなる。

 舞空術を使用している時は、大質量の水が轟音を立てながら滝壺に向かって突き進んでいるも同然。自分はここにいるぞと大胆にアピールしている状態でもあるのだ。

 

 気配を察知されるのが明らかだと言ったのは、それが理由である。そこまで考えた上で彼は地上を移動することを選んだのだ。

 

 備えあれば憂い無し。いついかなる時も対策をしておけば、いざという時の心配をする必要もない。全くもってその通りな事実をことわざとして残した先人達には頭が上がらない。

 

「!見つけた……!お父さん!」

 

 今しがた父の姿を発見した悟飯は、彼の元に駆け寄った。

 

(吐血……!外傷は思った程じゃないかもしれないけど、体の内部の傷が酷い……!)

 

 事実、悟空の外傷は体中の擦り傷や僅かに抉られた右肩のみに留まっていた。もし、この外傷のみならば''気''が多少なりとも小さくなることはないだろう。''気''が小さくなるのは、生命力が弱まっている証拠。そこから鑑みても、彼が重傷を負っているのは体の内部だと判断するのは容易であった。

 

 悟飯は、即座に悟空に自分の''気''を分け与えることで彼の傷を回復していく。

 

 その最中。

 

「家族を献身的に治療なさっているところ、失礼します」

 

 背後から執事を彷彿とさせる紳士的な声が聞こえた。ただし、彼らとは違ってその声は不気味さに溢れている。体の底から、浴槽に溜められる水のようにして徐々に不快感が湧き上がってきた。

 

 父親を庇うようにして立ちながら悟飯が背後を振り向くと……そこには、バーテンダー服を着た、黒い靄がいた。人型をしたそれはまさに靄人間。鋭く吊り上がった黄色い目は、凶悪さに満ちた獣や魔物のそれを思わせる。

 

 そして、その(かたわ)らには格闘家のように鍛え抜かれた痩躯を露わにした、藍色の肌の何かがいる。靄人間よりも明確な人の形をしているものの、頭部は脳味噌が剥き出しだ。瞼もなく、常にぎょろりとした瞳には光が何一つ宿っていない。死んだ魚の目と言っても過言ではなさそうである。

 

 意志のない人形のように脱力しているその化け物は――

 

「ッ!?百ちゃん!?お母さん!?」

 

「ご、悟飯さん……!救けて……!」

 

 美空を俵担ぎのようにして抱え、その小脇には八百万を抱えていた。

 

「お前……!何者だ!?」

 

 悟飯は、拳を握り締めながら靄人間を睨みつける。悟飯に尋ねられた靄男はニヤリと笑うように目を細めながら名乗った。

 

「これは申し遅れました。私、()()()()()にお仕えさせていただいております……黒霧と申します。以後お見知りおきを。''気''の技術を扱う孫家。貴方の一家は、あのお方にとって邪魔になりかねません。それ故、私も孫家の血筋を始末しておくよう命じられたのですよ。……ふむ、確かな面影がある。孫悟空の息子、孫悟飯は貴方で間違いありませんね?」

 

 自己紹介の中に入り混じる確かな殺意。たった今、相手は自分を殺すことを宣言してきたのだと悟飯は悟る。

 

「……ああ、そうだ。けど、オレがターゲットなら、二人に手出しする必要性はないはず。何が目的だ?」

 

 靄人間こと黒霧を睨みつける悟飯の黒い瞳が、矢の先の如く鋭くなる。

 

 対する黒霧は、悪びれない様子で答えた。

 

「成る程、その件でしたか。彼女らには人質となっていただいたのですよ。孫悟飯、貴方に確実に相手をしてもらう為に。勿論逃げる選択肢など与えません。もしも貴方が逃げるのならば……このお二人の命はないでしょう」

 

 こう言うのも、黒霧に勝利の算段があるからこそだろう。悟飯にとって、美空と八百万が大切な人物であることを察した上での脅し。このような手口を用いるとは、流石は(ヴィラン)といったところか。

 

 黒霧の言葉に対して、八百万が小さく悲鳴を上げながら恐怖で顔を引き攣らせる。その行為が、悟飯の闘争心と怒りに火をつけた。

 

 悟飯が子供であることには間違いない。しかし、黒霧には二つの計算違いがある。

 

 一つ、彼には前世から積んできた膨大な戦闘経験があること。

 

 そして、もう一つ。

 

 

 

 

 

 

 ――彼が激情を抱いた時の爆発力だ。

 

 

 

 

 

 

「きゃっ!?」

 

 突如、八百万の悲鳴と共に、岩を殴りつけ粉砕したかのような衝撃音が黒霧の元に聞こえてくる。

 

 それらの音に振り向くと。藍色の肌を持つ、脳が剥き出しの化け物が砂煙を巻き上げながらスリップした車のように後退していく姿が目に入る。ついでによく見てみれば、それが小脇に抱えていた八百万の姿もない。

 

「ッ!?あ、あの少女は何処に!?」

 

 黒霧は忙しなく辺りを見回す。すると、先程悟飯がいたであろう位置に彼女が口を半開きにしたまま、涙で濡れた顔でポカンとしているのが目に入る。そして、今度は悟飯の姿を見失った。

 

「なっ……いつの間に!?孫悟飯の姿もない……!?」

 

 これぞ、咄咄怪事(とつとつかいじ)。そもそも、八百万が化け物の小脇から逃れられることすら予想もしていなかった。これの元となった言葉を言った晋の男は、親友である者の讒言(ざんげん)で貶められたことを悔しがったそうだが……。黒霧は、ただただ焦っていた。

 

 ()()()()()()()()をすっかり頭から捨て去り、八百万にこれだけの力量があったのかと疑う。そうなれば人質にする相手を間違えたかもしれない。

 

 そんなことを考えていた時だった。

 

 更にもう一発、先程と同じ――否。先程よりも強烈な、鉄を殴り砕いたかのような衝撃音が聞こえてきた。

 

「こ、今度は何が……ッ!?」

 

 訳も分からないまま音の聞こえた方を振り向いて、彼は言葉を失った。

 

 何故ならば……化け物が一人でに空中に打ち上げられていたからだ。無論のこと、担いでいた美空の姿はそこにない。もう何もかもが理解出来ない。黒霧は衝撃音の正体すらも発せずにいた。

 

「ええい……!何が起こっているというのです……!?」

 

 振動を起こしている音叉を鷲掴みにして振動を止めるかのようにして、無理矢理にでも微かな苛立ちを鎮めながら煩わしい様子で黒霧は言う。

 

 そして周囲を見渡してみれば、美空を横抱きにして抱えたまま先程自分がいた位置に戻っていた悟飯の姿が目に入った。

 

 化け物が空中でくるくると車輪の如く回転しながら受け身をとって、地面に着地した音を耳にしながら、黒霧は悟る。

 

(この一瞬で、二人を救け出したというのですか……!?我々が視認出来ない速度で動くとは……!)

 

 彼の察した通りだ。悟飯は、''気''を消したことによる高速移動で化け物の元に肉迫。同時に一度目は突き、二度目は蹴り上げを叩き込んで化け物を後退させ、二人を救出したのだ。

 

「百ちゃん。お父さんとお母さんを頼むよ」

 

「は、はい」

 

 一見平然としているように見えるが、悟飯はその内に怒りを抱えている。二人を救出した際の速度は、激情時の凄まじい爆発力によって何倍にも増加していた。

 

 怒りを抱えた時に、凄まじい爆発力を発揮するのは前世から変わらない。事実、その爆発力によって膨大な戦闘力を発揮し、幼い頃から幾度も前世の父親達の危機を救ったこともあった。その爆発力は、今世の彼にもしっかりと受け継がれている。

 

 八百万に悟空と美空のことを託した彼は、相手を迎え撃つ為に付け入る隙が一切ない構えを取る。

 臨戦態勢。一糸の精神の乱れもなく黒霧と化け物を睨みつけるその姿は、子供のそれじゃない。黒霧は自分達は、今まさに百戦錬磨且つ不敗の戦士と真正面からぶつかり合おうとしているかのような錯覚を覚えた。

 

「この年齢でここまでの迫力……。成る程、流石は孫家。相手にとって不足はないでしょう。ただし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。隣にいる……改人、脳無です

 

 そう言いながら脳無と呼ばれた化け物の背後に移動した黒霧は、不敵な笑みを浮かべるようにして黄色い目を細める。その目に宿るのは、獲物を狙い定めた獅子のようにギラついた殺意だ。

 

「脳無は、私が仕える方とその協力者の方が制作なさった試作品。『テストがてら暴れさせてくれ』とのご指示をいただきましたのでね。その性能、貴方で試させていただきます」

 

 悟飯は黒霧の殺意にも怯まない。依然として構えを解くことなく''気''を体内の一点に集中させ、戦闘開始に備える。

 

 ただ不敵に笑みを浮かべる黒霧に、美空に''気''を分け与えて応急処置を施しながらも、息を呑んで悟飯の勝利を願う八百万。脳無は人形のようにぼーっとしており、悟飯は既に戦闘する際のスイッチをオンへと切り替えている。故に、誰一人喋らない。

 

 辺りに流れる静寂。吹き抜ける冷たい冬風。降り注ぎ始めた粉雪。冬らしい景色が広がる中――

 

「脳無!目の前に立ちはだかる少年を……!孫悟飯を殺すのです!!!」

 

 静寂を引き裂くように、黒霧が自衛隊の長官のような腹の底から絞り出した声で命じた。

 

 刹那。悟飯は集中させた''気''を爆発させることで、全身レベルの開放へと昇華させる。体から烈火の如く白いオーラを噴き出させながら地面を蹴った。

 同時に、脳無も先程までの人形のようにもぬけの殻であった状態から一変。明確な殺意を持った獣のようにして地面を蹴った。

 

 迫り合った一人と一体は、己の間合いに相手が到達した瞬間に拳を振り抜く。

 

 結果は分かりきっていた。衝突した二つの拳は、拳と拳の間にあった空気を押し潰し、爆ぜさせる。同時に間近で巨大な風船を破裂させたかのような音が響き渡り、大気が震えて風圧が巻き起こる。

 

「きゃあっ!?」

 

「ぬおおおっ!?」

 

 その風圧の勢いのなんと凄まじいことか。小柄な八百万は勢いに耐え切れずに尻餅をつき、体が靄そのものである黒霧は激しい風に(さら)された炎のようにして(なび)いた。

 

 互いに拳を押し付け、単純な力と力をぶつけ合う膠着状態もすぐに終わりを告げる。

 

 先に動いたのは悟飯であった。すぐさま膠着状態から抜けると脳無の元へと大きく一歩踏み込み、その土手っ腹にボディーブローを叩き込む。

 

「だりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃッ!!!!!」

 

 力強い一撃に一瞬だけながら怯んだ脳無。そのタイミングをチャンスとして、悟飯は次々と拳を振り抜いて無数の乱打を繰り出した。

 

「す、凄い……。まるでおじ様のようですわ……!」

 

 気合いの一声と共に高速の乱打を繰り出す悟飯の姿は、見ている者に彼の父親である悟空の姿を彷彿とさせた。

 悟飯の背後に位置する場所にいる八百万も彼の背中を悟空のそれと重ね、希望に満ちた笑顔を浮かべている。

 

 悟空のものに及ばない威力とは言えど、悟飯の拳は豪速球以上の威力がある。人間が喰らえば、下手をすれば突き指なり何なりの怪我をするのだが……脳無には効いていないらしかった。

 

 打撃が効かない、若しくはその威力を吸収したり軽減する''個性''持ちだと判断した悟飯は攻撃方法を切り替え、ゼロ距離から気弾を次々と連射していく。

 

 背後且つさほど離れていない場所に八百万達がいる以上、後退は許されない。背後にいる彼女らを守る為にも相手に攻撃を加える隙を一切与えることなく、気弾を撃ち込んだ。

 

 脳無に命中した気弾は次々と爆ぜて、煙を巻き起こす。脳無の体は呆気なく煙に覆い尽くされ、その姿は目視出来なくなった。果たして気弾はその化け物に通じたのか否か。その答えは、煙が晴れるまで誰にも分からない。

 

 黒霧はただただ黙って煙に覆い尽くされた脳無を見守り、八百万は神に祈りを捧げるシスターのようにして悟飯の勝利を願う。そして悟飯は、油断のない立ち姿で煙の方を見据える。

 

 再び一時の静寂が流れる。その最中で吹き抜けた冬風が煙を晴らす。そして露わになったのは――

 

「き、効いてない……!」

 

 掠り傷一つさえも見られない様子で威風堂々と佇む脳無の姿だった。

 

「そ、そんな……」

 

 八百万にとって、悟飯は自分より遥か上の実力者。彼女自身、彼が群を抜く実力者であることを察している。恐らく彼の父である悟空を除いてしまえば、自分の身近にいる人の中で一番強い。そんな彼の攻撃すらも脳無には通じていないのだ。彼女が絶望の表情になるのも無理はない。

 

 絶望の表情を浮かべる彼女と驚きを隠せずに目を見開く悟飯を前に、黒霧は彼らを嘲笑いながら語る。

 

「効く訳がないでしょう。それ相応にこちらも対策を施したのですから。ここからが脳無の本領発揮ですよ!」

 

 黒霧が腕を掲げながら言うと、脳無が拳を握って体全体に力を込め始める。その次の瞬間、脳無の肉体は赤く発光し、その表面からは蒸気が立ち上り始めた。

 

 明らかな見た目の変化に、警戒心を高めた悟飯が構えを取ったその瞬間。

 

「ッ!?」

 

 脳無は構えを取って腰を落とした悟飯の眼前に迫り、その格闘家並みに鍛え抜かれた腕でストレートを繰り出す。

 

 咄嗟に腕を交差させて拳を防いだ悟飯だったが、それでもなお勢いを殺し切れなかった。今いる位置から砂煙を巻き上げながら数m程後退させられる。

 堅牢な岩の如く足腰で踏ん張りを利かせると共に地面に爪を立てることで、ようやく勢いを殺せた。

 

 地面に手をついたまま、クラウチングスタートと似たような構えから反撃に転じようとした悟飯であったが、相手はそんな暇も与えてくれない。すぐさま地面を蹴って、砲弾のような勢いで迫ってきた。

 

 しかも、そのスピードは戦闘開始時の2倍近くにも跳ね上がっているではないか。

 

 突然のことが起きると、人間は何が起こったのかを把握するまでに時間がかかってしまう。故に、どれほど短い時間であろうとも体が硬直してしまうものだ。

 そのせいで悟飯は脳無の動きに反応出来ず、右頬に弧を描きながら振るわれた脳無の拳を喰らってしまう。

 

「いやあっ!悟飯さん!」

 

 脳無の拳を頬に受けてフラつく悟飯を目にした八百万が、悲鳴を上げながら彼の名を呼ぶ。その声には、悟飯の命が奪われることに対する拒否が表れていた。

 

 しかし、脳無は止まらない。黒霧の命令通りに悟飯を殺すまでは。

 

 人間で言う、「はあっ!」や「うりゃあっ!」などのような気合いの掛け声の代わりだろうか。脳無は、獣のような呻き声を上げながら両腕を猛スピードで振り抜いて乱打を繰り出した。

 

 体勢が崩されたせいもあってか、悟飯はその身に脳無の乱打を諸に喰らってしまう。頬や額に猛スピードで拳が掠ったせいで皮膚が切れ、鮮血が垂れた。所々に痣や内出血した痕もあり、とても痛々しい。

 

「はあっ……はあっ……。オレの攻撃を喰らう前と比べて、遥かにパワー、スピード、攻撃のキレが増している……。まさか、蓄積させたダメージをエネルギーか何かに変換して……!?」

 

 肩で息をし、口元の血を親指で拭いながら悟飯は分析する。彼の分析を聞くと、黒霧は感心したように黄色い目を微かに見開いては称賛した。

 

「ほう……素晴らしい分析力。仰る通りですよ。どうせ見抜かれてしまったのだから教えて差し上げましょう。その脳無は、''リベンジ''という''個性''を持っています。

凡ゆる攻撃で受けたダメージを蓄積し、それが許容値の限界まで達すると自然とエネルギーへと変換される。そのエネルギーは膨大な熱量を持っていましてね。いつまでも体の内部に残ったままでは熱が篭り、動きが鈍くなってしまうのです。それを防ぐ為に、エネルギーは蒸気と化して体外に放出されるのですよ。人間が、激しい運動の後で熱った体を冷やす為に汗をかくように出来ているのと同じことです」

 

(くそっ……蓄積出来るダメージの許容値を超える程のダメージを叩き込むのは通用しないか……!)

 

 ''個性''の詳細を事細かに説明してくれたのはありがたいことだが、話の途中で思いついた策は通用しなかったことが分かった。

 早とちりでしかなかったことに悟飯は歯痒い思いをし、悔しげに歯を食い縛る。

 

 仮にエネルギーが完全に消費されるのを待ったとしても、それが無くなれば再び許容値までダメージが蓄積されてエネルギーに変換される……。その繰り返しでしかない。

 

 そんな悔しさに身を焼き焦がす悟飯を嘲るかのように脳無の次なる攻撃が繰り出される。

 

「ぐあっ……!?」

 

 叩き込まれたのは、ボディーブロー。自分の土手っ腹に叩き込んでくれたお礼だと言わんばかりに繰り出されたそれは悟飯の鳩尾を穿ち、肺の中の空気を吐き出させる。

 

 腕が完全に振り抜かれると同時に拳が押し込まれ、悟飯の体はボールのようにして吹き飛んでいく。ぐるぐると回る視界の中、腹部を強打されたせいで涎が口の中に溜まる。水の中で溺れさせられたかのような気分だった。

 

 吹き飛んでいく悟飯に向け、脳無は自らの顔を向けて狼のように裂けた口を大きく開けた。

 開けた口の中に熱が充満し、ジリジリと火の粉を散らす。そしてそのまま、呼吸によって息を吐き出すような勢いで脳無は炎を吐き出した。

 

(炎を吐き出した……!?人間が持てる''個性''は、一人に一つずつなんじゃないのか!?)

 

 迫り来る火炎を目にした悟飯は口の中に溜まった涎を地面に吐き捨てながら受け身を取り、一点に集中させた''気''を形状変化させることで自分の周囲を覆い尽くすバリアを形成した。

 

 ''個性''は、一人の人間が持てるのは原則として一つ。いくつかの''個性''の特徴が組み合わさった複合型の''個性''も存在するにはするのだが、脳無のそれは黒霧の説明からして''リベンジ''と先程の炎が複合したものだという訳ではない。複数の''個性''を一人の人間が持ち合わせるなど、宝くじの一等が当たるのと同じくらいにありえない話だ。――因みにだが、その確率は0.00005%だ――

 

 炎を防ぎ切った悟飯が未確認生物を発見したかのように目を見開いて驚いている様子を見て、黒霧は観客の反応を楽しむマジシャンのようにして楽しげに言う。

 

「脳無が''個性''を複数持つことに驚きのようですね。ええ、お察しの通りです。こいつは、貴方方人間から逸脱した存在だとだけ言っておきます」

 

 語りながらも、黒霧は考えた。

 

(それにしても流石は孫家。彼だけ脳無の攻撃を喰らってもなお、受け身を取る余裕まであるとは。このままでは焦れったいだけですね)

 

 そして、ある方向に視線を向けた彼は()()を思いつく。

 

「脳無、狙いを変えなさい!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

「!?」

 

 悟飯が引き離されたことは相手にとって好都合でしかなかった。黒霧に命じられた脳無は、ゆっくりと八百万の方を振り仰ぎ、ぎょろりとした瞳で彼女を見据えた。

 

「っ!?こ、来ないで!」

 

 明確に向けられた殺意によって、八百万の体は硬直してしまう。震える声で脳無の接近を拒むも、悪あがきでしかない。一度でも殺せと命じられた以上、脳無に声が届くことはないのだ。

 

 脳無の右腕――その手首から先の部分が、強靭な金属で出来たチップソーに変化する。機械音を響かせ、それを回転させながら脳無は一歩、また一歩と八百万に接近。一気に突進すれば済む話だというのに地面を踏みしめながらゆっくりと歩くその姿は、恐怖で体を震わせ、涙を零す八百万を見て楽しんでいるかのようだ。

 

「いやっ……!いやあっ!!」

 

 年相応の拒否を示す行動として、幼い子供がイヤイヤをするようにして八百万はかぶりを振る。

 

 このままでは彼女の命が危ないと思った瞬間。悟飯の体は勝手に動いていた。

 

「百ぉぉぉぉぉ!!!!!」

 

 彼女の名前を叫びながら悟飯は地面を蹴る。魔物に捕らえられた姫を救出せんとする勇者のような迫力を放ちながら、彼は八百万の元に辿り着き……。

 

「ひゃっ!?」

 

 力に任せて、己の左手で彼女を突き飛ばす。

 

 地面に倒れ込んだ彼女を見て、悟飯がホッとしたと同時に――脳無のチップソーと化した右腕が振り下ろされた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここらで良いでしょう。止まりなさい、脳無」

 

 ――ギャリギャリギャリ!と何かを切断したかのような音が聞こえた。直後、何かが地面に落下したかのような音も聞こえた。脳無に、動きを止めるように指示を出す黒霧の声もまた耳に届いた。

 

(……生きて、る?もしや、悟飯さんが……?)

 

 そんな不気味な音を耳にしながら、八百万は自分の無事を知る。それと同時に、悟飯が庇ってくれたのだろうということも。一先ず、彼に精一杯の笑顔を向けてお礼を伝えなければと思い、振り向こうとした瞬間だった。

 

「――があ''あ''あ''あ''あ''あ"あ"っっっ!!!?」

 

 突如、彼女の耳に悲鳴――否、耳を(つんざ)くかのような絶叫が届く。それが悟飯のものだということに数秒経ってから気が付いた八百万は、弾かれたように声のした方を振り向いた。

 

「…………え」

 

 視線の先には、あまりにも残酷な光景が広がっていた。脳が剥き出しの化け物、脳無が振り下ろしたチップソーには、赤い液体が付いている。

 ――鉄のような匂い。その液体が血であることを察するのに時間はかからなかった。

 

 地面に目を向ければ、腕のようなものが落下していて、その周囲には鮮血が滝のように零れ落ちている。

 

 気が遠くなるような感覚を覚えると同時に恐る恐る視線を上に向ければ……。

 

「がっ……あ''あ''っ……!」

 

 額に大量の脂汗をかいた悟飯の顔が目に入る。その顔は微かに青ざめ、苦痛に歪んでいた。雨に濡れ、その雫が頬を伝うかのような勢いで脂汗を伝わせる彼の視線の先を見れば、彼の左腕――肩を除く部分が全て無くなり、傷口からドバドバと血が零れていた……。

 

「ご、悟飯……さん……?」

 

 あまりにも残酷な光景に、悟飯の名前を呼んだ彼女は唖然とする。しかし、それもたった数秒のことだ。

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

 

 すぐさま現実に引き戻された彼女は、目に涙を溜めながら悲鳴を上げた。

 

「っぐうっ……!」

 

 全身に力を込め、腕の筋肉を収縮させるも血が止まらない。壊れた間欠泉のようにして血が依然噴き出し続けている。悟飯が辛うじて意識を保っていられるのは、前世から培った鋼のような精神力と、前世で全く同じ経験をしたことのおかげだ。普通なら、腕を切断された時点で発生する凄絶な痛みによって気を失うに違いない。

 

「ほう、随分と大胆にやったね」

 

 窮地に陥った悟飯達の元に、愉悦と不気味さに満ちた声が届いた。

 

「!先生。こちらにおられましたか」

 

 黒霧が声の方へ振り仰ぐと、悟空と闘いを繰り広げた件の黒スーツの男がいた。黒スーツの男は苦笑しながら言う。

 

「いやあ……僕としたことが、孫悟空を殺すことに夢中になりすぎてね。折角施した細工を台無しにしてしまった。今しがた様子を見てきたが、もうじきここにヒーローが駆けつけてくる。早いところ戻ろうか」

 

 彼が提案すると、黒霧は申し訳なさを滲み出させながら吊り上がる黄色い目の目尻を下げて言う。

 

「承知しました。……申し訳ありません。即死させるには至りませんでした」

 

「いや、良いさ。その出血量だ。いずれにせよ出血多量でそのうち死ぬ。自分の息子を失えば、孫悟空も気が狂うことだろうさ。楽しみだね……。はっはっは……!」

 

 彼の謝罪に対し、黒スーツの男は何も気にしていない様子で、部下を励ます会社の上司のようにして彼の肩に手を置きながら言う。そして彼は、人の形を崩して黒い靄となった黒霧の中に足を踏み入れては高笑いを残し、脳無諸共忽然(こつぜん)と消えた。

 

(百……。無事で、良かった……)

 

 悟飯には立ち去る彼らに注意を向ける余裕も無かった。必死で保ってきた意識にも限界が訪れ、視界がぐらりと揺れる。八百万に傷一つないことに安堵した彼は、青ざめた顔のまま消耗し切った儚い微笑みを浮かべて地面に倒れ、意識を閉ざしてしまったのだった。

 

「だ、だめ……!悟飯さん……!死んじゃだめですわ……!悟飯さん、しっかりしてくださいまし!悟飯さん!誰か……救けて……!誰かぁぁぁぁぁ!!!!!

 

 

 普段の八百万ならば、即座に彼の治療に動いていたことだろうが……8歳の少女にとって、大切な幼馴染の腕が切断されたのを見たショックは大き過ぎた。それ故、パニック状態に陥り、誰かに救けを求めることしか出来ない。

 

 雪がしんしんと降りしきる中に残ったのは……涙を零しながら、救世主を求める八百万の姿だった……。

 

 ヒーローを目指すには残酷すぎる原点。それを、悟飯はその身を以って体感したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八百万自身も、気絶した悟飯もその後のことはよく覚えていない。八百万もあの後に駆けつけてきたヒーロー達に、パニックに陥ったままながらも必死で状況を説明した後、泣き疲れて眠ってしまったのだ。

 

 全てが終わった後に目を覚ました悟空や自分の両親曰く、泣き疲れて眠った後もずっと悟飯の名前を呼びながらうなされていたらしい。

 

 八百万が目を覚ましたのは、事件が起こった日から丸一日経った後。悟飯に至っては、1週間ほど目を覚まさなかった。

 

 命が助かったことは喜ばしいことだったが、一思いに喜ぶことなど出来なかった。当然だ。自分の目の前で、幼馴染が自分のことを庇ったことによって左腕を失ったのだから、心の傷として残らない訳がない。あの事件は八百万にとってのトラウマであり、悟飯の絶叫も昨日のことのように覚えていて、ふとした時に思い出してしまう。医者の話によれば、凄絶な殺意や悪意を感じた途端、トラウマが再発してパニック状態に陥り、指一本すらも動かせなくなるだろうとのことだった。

 

 その事件が心に深く傷をつけたのは悟飯にとっても同じことだった。彼にとっての後悔は、八百万を恐怖に晒し、泣かせたことだ。自分がもっと強ければ……(ヴィラン)から彼女を守れる存在であったならば、彼女に恐怖を抱かせることはなかったし、左腕を失ったことで彼女を泣かせることもなかったはず。当時は気絶する瞬間に百が無事で良かった、と思った悟飯であったが、今やその時の自分を殴りたいという怒りの炎で身を焼き焦がすこともしばしばある。幼馴染が腕を失ったのを見て、無事な訳がないじゃないか、と後になってから気がついた。

 

 その時の後悔は、強くなりたいという願望へといつしか昇華した。あの事件は、紛れもなく彼が「強く偉大なヒーロー」になりたいと思うようになったきっかけなのだ。

 

 八百万は、悟飯の義手となった左腕を再び撫でながら誓う。

 

(私がもっと立派であったならば、悟飯さんの左腕が失われることはなかった。必ずや、このお方の隣に立って支えられるヒーローになって償いを……!)

 

 悟飯に左腕を失わせたことは、いつしか彼女の中で罪となっていた。そうして彼女は、「悟飯の隣に立てる立派なヒーロー」を目指すようになったのだ。そうして、彼を全力で支えることで左腕を失わせた分の償いを返すのである。

 

「百?どうしたんだい?」

 

 悲しげな目から一変。強い意志を宿した凛々たる瞳の八百万を見て、悟飯は尋ねた。

 

「いいえ……何でもありませんわ」

 

 彼に対し、八百万は微笑みを浮かべながら首を振る。

 

 そして、二人は誓いを胸に抱いて足並みを揃えたまま自分達の通う中学校へと向かうのであった。

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