人は、初恋の人と結ばれる確率はたった1%と言われている。
そもそも一般的に、10歳前後の頃に好きになった人のことを初恋の相手と捉える傾向にあるらしい。その相手は先生だったり、近所の年上の人だったり、幼馴染だったりするわけで、特に最初の二つは成就する確率が非常に低い。年齢の差というのは幼少期において時に残酷なまでの意識の溝を作る。自分が異性と認識していたとしても相手はただの子供としか考えていない場合だって多い。
前者で語った場合と違って初恋相手が幼馴染だった場合、まだマシなのかもしれない。互いに年齢という壁は無く、問題はたった一つ。意識の差のみ。友人として見ているのか、或いは異性として見ているのか、その違いによってその恋愛の結末は左右されるだろう。
俺にそんな相手がいるのかと言えば……正直に言ってしまうと、いる。
容姿はと言えば、まあ、想い人というフィルターを通してもかなり可愛いと思う。ミルクチョコレートみたいな明るい茶色の髪に、可愛らしいリスみたいな顔立ち。度々俺と身長を張り合おうとする姿は非常に愛くるしい。
俺は彼女に告白しようとして、踏み切れずにいた。
成就するには1%の壁。初恋の顛末を決める高いハードルを乗り越えなければならない。俺にそれが可能かと言えば、自信など欠片も無かった。
本当なら中学三年生の卒業式で告白しようとしていたのに、ぐちゃぐちゃ考えている内に遂には一年も経ってしまった。運良く高校でも同じクラスになって、それでもズルズルと関係を引きずったまま。変わらない異性の友人という安息の地位にしがみつくのが今の俺である。
「付き合ってくれない……かな? 勿論、恋人として」
そして本日。高校一年生の終業式。
モラトリアム期間の貴重な一年を消費してもなお結論を出せないまま、俺はもう一人の幼馴染から告白を受けてしまった。
─── ─── ───
黒髪をツインテールにした、活発的な印象を受ける女子で幼馴染の一人だ。俺と小梛と茉莉の三人は幼い頃からの仲良しで、ずっと同じ世界で生きてきた。それは中学でも、高校でも変わらずにだ。
運動神経は抜群にもかかわらず運動部には属さず、俺と同じく帰宅部。放課後になればすぐさま俺の教室へとやってきて「帰ろー、あ、寄り道もしたいな」と俺と茉莉の放課後を奪い去ってく存在だった。
その彼女が。何の間違いか、俺に告白してきた。……いや、間違いと称してしまうのは小梛への無礼になってしまう。それでも俺は彼女に惚れられているだなんて、一回たりとも考えたことなんて無かった。それだけは決定的に明らかだ、自分のことは自分が一番知っている。
「それは……あの……本当に?」
「勿論……だよ? 私は好き、君だけが好き。手を繋ぐ相手も、一緒に住む相手も、子供を授かる相手も、余生を楽しむ相手も、全部全部君が良い。君だけが良い」
俺は男らしくないかもしれない。自分は人に告白しようとしていたのに、いざ自分が告白されたらこうも簡単に思考を乱される。マドラーで油と水を強引にかき混ぜるみたいに攪拌され、俺の頭の血管は裂き千切れ、鬱血し、考えは何も浮かばない。どう答えれば良いのかも分からない。良案も、弥縫案すら思いつかない。
「でも俺は…………」
言葉は形を伴わず、霞のように風に流された。
溢れんばかりの滾る熱を弄んで両手をもじもじと動かしたり、外のちょっとした微量の音に肩を震わせたりする小梛に俺は率直に羨ましいとすら感じてしまう。小梛は凄い。俺に出来なかったことを実行に移せたのだ。自分の想いの丈を相手にぶつけられたのだ。
……それでも、俺には俺の好きな人が居る。そう、明確に。心では返事は決まっていた。なのに口は開かない。回るのは口ではなく脳味噌ばかりで、自己嫌悪から俺は視線を窓の外に向けた。
ふと、考えてしまう。俺たち三人の関係性を。
俺と小梛と茉莉は仲良しだった。男一人、女二人のアンバランスなグループだったから小学生の頃なんて同級生の男子からハーレム扱いされたりもしたが、それでもその関係性は失われることなく続いた。平日なら朝と放課後は一緒だったし、休日になれば絶対に二人と同じ時間を共有した。互いの家に行ったり、時には遠く何処かへと出かけたりしたのだ。
思えばこの関係性は薄氷を履むが如き危うさが最初からあったのだ。
結果論的に言ってしまえば俺は茉莉のことが好きで、小梛は俺のことが好きだった訳だ。一方通行の矢印は誰も報われず、何も生まず、卓袱台を引っ繰り返すようにガラガラと壊れていく。俺たちの世界も、人間関係も、築いた絆も。ただ一つ、恋という遅延性の毒によって蝕まれ、誰も漂白出来ないほどに黒く染まって落ちない汚れとなって、そして忘れ去られる。今までの友情も共に語らった経験も。
そうだ。俺は、怖い。
この二人と共有する世界を無くすことに、これ以上無い恐怖を覚えていたのだ。地球温暖化で地球が徐々におかしくなって行くことよりも、隕石が明日降ってきて地球は滅亡しますとニュースで流れるよりも。或いは、数瞬後に俺が存在したという歴史ごと俺を構成する全ての要素が跡形も無く消えて、誰の記憶からも残らず、それでも世界は日常の歩みを止めず、幽霊として上空から俯瞰する俺が虚無感に苛まれ胸が空きそうになるよりも。二人との毎日を失い、日々を生きる方が辛い。それを肯定するように俺の胸の内でドキンと心臓が痛んだ。
だが、その思いと裏腹に俺はこんな関係が何時までも継続するはずも無いと理解もしていた。卒業してしまえば進路は違えるだろう。大人になれば茉莉も、今俺に火照った顔を向ける小梛でさえも、俺も知らない誰々と結婚して家庭を作って、今度こそ疎遠になる。そして時偶に集まると俺たちは「あの頃は良かった、三人での日々は楽しかったよな」と今を懐かしむのだろう。それが堪らなく辛い。髪の毛が無くなるまで爪を立てて髪を掻き毟り、頭蓋骨もろとも頭頂部から中身を抉ってしまいたい衝動すら俺の身体に湧き上がって仕方がない。どうしようもないほど俺は子供で、高校生並みの社会性すら獲得出来てない人間落第生だ。
ああ、今になって分かった。漸く俺は理解出来た。
思慮は浅い。人格も不適。そんな人間が恋を育むなんて、馬鹿げている。無責任極まりない話だ。
「俺は小梛と付き合う資格なんて無い」
「そんなの……傲慢だよ。資格があるかどうかは私が決めること、違う?」
小梛はいつにも増して強い口調で、唇を戦慄かせる。微かに息が吹きかかって、甘い香りが鼻孔をくすぐる。その匂いは物質的には化学記号で表すことも可能な分子の塊でしかないのに、いとも容易く俺の心は弦を弾いたギターみたいに振動した。
「違くないけど、違う。凄い狡いことを今から言うようだけど、聞いてくれ。俺は小梛の告白を受け取らないし、仮に茉莉から告白されたとしても受け取らない。俺は屑だから、人より欲深くて劣ってるから、今の関係を無きものにしたくないと思うんだ」
精一杯の返答は、自分で聞いても飽きれるほど理想主義人間の言葉だった。
小梛には失望されるかもしれない、と今更俺は可能性に思い至る。許容するでもなく、拒絶するでもなく、事もあろうことに俺は彼女の告白を無碍にしようとしているのだから、彼女には憤る権利がある。
それによって俺たちの関係性が変わってしまう……そう考えると、やっぱり辛かった。幼い子供が駄々を捏ねて我儘を言ってるみたいに自分が思えてくる。だがそれでも良いとすら感じてしまう自分も背後にはいた。俺の立つ一歩後ろで、そいつはニヤニヤと口を開けながら愉しそうに俺のことを見つめている。見世物でも鑑賞するかのように拍手を鳴らし、感嘆の声を上げ、気に入らない時には舞台に上がって俺の目の前でひたすらにその黒い目で見つめ続ける。ジトリと、そしてねばねばとして冷たい、嫌な双眸。今もそれが後ろで俺の云為を眺めている。小さな双眼鏡を片手にバードウォッチングでもするかのように、無邪気に佇立している。
「受け取りたくないかー……。でもそれって君のことが好きな私の好意を止める理由にはならないよね」
「それは、そうだな。俺にそんな権利なんて無いし、小梛の意志を捻じ曲げるつもりなんてない」
「なら、諦観なんて生じないよ。自慢じゃないけど、私って何事にも愚直なんだ。欲しいものならどんな手段でも講じてみて、手中に収めるタイプって言うのかな」
「それは知ってる」
心中で思った言葉がそのまま漏れ出る。小梛は諦めが悪い。いや、諦めないという方が最早正しいほどに、手に入れたいと願うものに対して執念深い。日曜朝にやってる少女アニメの限定プロマイドを手に入れるまでにコンビニを10軒回ったり、突拍子も無く昭和64年製の10円玉を探して自販機に硬貨を入れて返却レバーを下げる一連の行為を一週間ずっと繰り返したり。それに付き合った俺はその時間の分、小梛の性格について知っている。
「正直、分かってたんだよね。断られるんだって。だって君は茉莉のことが好きなんでしょ?」
「……バレてたのか」
「視線がね。私に行く回数よりも2倍も3倍も多かったから」
「それだけで?」
「女子は視線に敏感って言うよね。それが好きな人ならなおさら、気になって目で追う物だと思うよ。少なくとも私はそうかな」
それは嘘ではないのだろうと小梛の目を見て思った。小梛の目尻には涙が浮かぶことも無く、淡々と事実を語るように乾いた眼を見開いて、俺へと視線を送っていた。
不意に、思いついたかのように小梛は首を小さく横に動かすと、ボリュームを下げて呟く。
「私より、茉莉の方が大事?」
「……いや。違う」
「そっか……そうだよね。君は私でもなく、茉莉でもなく、私たち三人の関係性に重きを置いているんだもんね」
内心を見透かされたような気分だったが、それは当然だろう。俺と小梛は数えてみれば10年以上の付き合いだ。俺が小梛の気持ちを推し量れないのは俺が浅薄な思惟しか持ちえないのが原因で、その条件は小梛には適応されない。勉学的な意味ではなく、世の中に横たわる人間社会的な意味で小梛は俺より頭が回る。
「ところで、今更だけど何で俺のこと。君って二人称の代名詞で呼ぶんだ? 小梛は俺の名前を知ってるはずだろ」
「当然だとも」
白髭をたっぷり蓄えた博士みたいな口調で言うと、それから決まづそうに顔を斜め横に逸らした。きめ細かな肌で覆われた頬が紅潮している様が良く見える。
「そう……だね。今だから言うけど、私ね。君と付き合ってから始めて君の名前で呼びたかったんだ」
「それは、何というか」
「理解はあんまり期待してないよ。君の名前を呼んだとき、きっと恋人関係になったって感覚が私の中枢神経で麻薬みたいに巡るんだ。そして側坐核から出たドーパミンが私の中身を溺れさせて、そこで初めて私はこの恋の結果として幸せになれるの」
理解は出来なかった。それでも構わないと勝手に思った。人の感情なんて結局その当人にしか分からないのだから。
「でも、残念だなぁ……幸雄くんの彼女。今日からなってみたかったなぁ」
「名前、呼ばないんじゃないのか?」
「今日くらい良いかなって。この瞬間は最初のピリオドだから。明日からは敗者復活して、また頑張るね」
そう言って明るく微笑み、ツインテールが春風で揺れる。三月上旬の夕日の赤さは今年一番の色味らしく、小梛の顔に真っ赤な影を落とす。その赤みに含まれる要素は全て恋愛的な照れなのか、物理的な光の色なのか。恐らく両方なのだろう。俺は自分の顔を隠すように両腕を背中の方へ引いて、頭の後ろで両手を組むと、小梛は「勿体無いなー……」と口惜し気に呟いた。
─── ─── ───
人間には好き嫌いがある。キノコが嫌いという人間がいれば、排気ガスの臭いが嫌いという人間もいて、カッコいいイケメンが嫌いという人間もいるかもしれない。これらはどれも別のカテゴリーのものだが、俺からすれば主体が嫌悪感を醸し出す対象としては全て意味合い的には同じである。
俺にとって嫌いと感じるものは、
俺の人生は一般的に苦難の連続と言える。じゃんけんに勝ったことが無かったりおみくじで大吉を引いたことが無かったりと、些細な不幸は沢山あった。六歳の頃に交通事故で親を亡くすという大きな不幸もあり、それから引き取ってくれた叔父からネグレクト紛いの扱いも受けた。それ以外にも不幸を語れば廃屋の埃みたいに出てくるが、このくらいで十分だろう。
だからこそ、この名前は皮肉にも感じる時が多い。名字は末広がりで縁起が良く、名前には幸福の幸が入ってさながら祝福されているみたいだがとんでもない。通り雨のように頻繁に起こる不運な出来事に出くわす度、俺はこの名前のこと思い出して光の届かない地底で藻掻いている気分になる。
ただ一つ補足をすれば別に俺個人の主観としては自分の人生が不幸に偏っているとは思っていない。そもそも確率的に、スイッチのオンとオフを切り替えるかのように、幸運と不幸が交互に訪れるとは考えられない。不幸も幸運も、主体の観測の結果の感想でしかない。夏の暑い日に雨が降れば高温多湿な不快な気候になるから不幸なのに、夏の終わりに「今年は降雨が少なかったためダムの貯水量が例年よりも少ないです」というニュースを見てああ不幸だ、と感じるのはダブルスタンダードだ。どちらが望ましいかなんて、主体と状況に左右されるのだから不幸も幸運もこの世には本質的に存在しない。禍福を定量化できない以上、神様がこの世には実在せず宗教家が虚空に祈りを捧げるのと同じくして、この世に明確な不幸も幸運も存在せず語るに無意味である。だから俺は主観的に俺が不幸であると思ったことは無い。ちょっぴり試練が多いだけだ。誰から与えられた訳でもない、それはまるでRPGゲームのように、されど無秩序にポップした困難が。
だがもし幸運を語るなら、俺はやはり同年代の少女二人の名前を挙げる事となる。
花飾茉莉と蒔苗小梛。
俺が短い人生で得た、ダイヤモンドよりも得難い友達だ。俺は彼女たちのことを信頼しているし、全面の信服もしてるし、彼女たちの為ならば死んでも良いとすら考えている。俺にとって、この二人は生きていくため必要不可欠な要素だ。困難が多かった俺がここまであまり捻くれず、社会的にも極度に浮かず、問題も多いが表面上は真っ当な人間として過ごせてるのは1から10まで二人のおかげだ。
落伍者としては彼女たちに恩返しをしたいものだが、それは叶わない。共に人間として基本スペックが優秀な二人は俺の助けを必要としない。一方的な依存関係だ。劣性の俺はどこまでも二人の後をついて行くしかない。だからこそ、いなくなった時の絶望に打ちひしがれて、暗澹たるフラッシュバックを時折乾いた布団の上で繰り返すことになるのだ。
─── ─── ───
その日の翌日、いつものように起床すると掛け布団を畳んで、テラスとは名ばかりのベランダで日光を浴びて頭を目覚めさせる。世間的には特にないが、学生的には春休みというやつだった。ベランダから眼下を見下ろせば、狭い路地を通る服装様々な人々が駅方面へと流れていく。休日の朝はこうして下界を見下し、そこはかとなく統治者の気分を味わい、実体のない権力に陶酔する。世間体が悪すぎて幼馴染にも語ったことは無いが、こんな時間を5分も過ごせるくらいには好ましく思っていた。
今朝もきっかり5分を脳内でカウントすると、室内へと戻る。六畳一間のワンルーム。木造で、二階なのにゴキブリや蜘蛛は我が家のように侵入してくるため殺虫剤は必須なのだが、その分値段が素晴らしかった。一ヶ月の家賃が三万円。しかも駅まで5分の好立地。当分はここ以外の住居を考えられない程だ。
俺はワンルームの中に備えられたガスキッチンで朝ごはんを作ろうとして、残り三枚まで減った食パンを袋から取り出そうとしたところで動きを止めた。……正直言うと、俺はこの状況に当惑していたし、自身から対応するかどうかあぐねていたのだが、放置しても問題は解決されないどころか更なる問題の契機になる可能性すら孕んでいたので料理を諦めて先にそちらへと対処することを決めた。
「小梛……小梛! 起きてくれ、そして何で朝から俺の布団で包まっていたかを説明して欲しい」
掛け布団が剥がされてなお、俺の布団の右半分で転寝をリピートする小梛に俺は声を掛けた。当たり前のことだが前夜は一人で寝たはずだし、こんな幼馴染の朝ドッキリが日々の習慣になっている訳でもない。隣に知ってる顔、しかも異性が知らず知らずのうちに寝込んでいるのは初体験だ。
一応断っておくと、俺の部屋に上がってくること自体は珍しい事ではない。俺は一人暮らしで、茉莉と小梛には合鍵すら渡している。不法な手段を取ることなく、スムーズに我が家へと訪問が可能だ。だから別に深夜に家宅訪問することもできなくは無いのだが……それはモラル的にどうかと思う。
小梛はのろのろと腕を動かしたかと思うと、長い髪を床に引き摺りながら状態を起こして目をグリグリと擦る。
「おはよう……八場くん。とても良い朝だね」
「聞いてなかったならもう一度言う。何でここにいたんだ」
「それは勿論、恋愛的に意識してもらうためだよ……どんな手段でも取るってアピール済みだからね。今日から頑張るぞー、おーっ!」
勝手に盛り上がってる小梛を尻目に今度こそ朝食を作ろうと食パンをトースターへと投げ込む。ジリジリという、高温で焼きながら時を刻む音をBGMに俺は歯を磨く。背後では小梛が気分良さげに伸びをして、テレビの電源を付けたところだった。
小梛の分まで焼こうとして、念のために聞いておくことにする。ダイエット中でグルテンフリーの物しか食べないから、とか言われたらもうこのパンが俺の昼ごはんになってしまう。昼間で食パンを食べるのは本日の気分的に受け入れがたい。
「朝ごはんは食べる?」
「勿論。お腹減った」
「了解、コーヒーは砂糖二杯ね」
二枚焼き上げて、コーヒーを淹れ、付け合わせの目玉焼きを皿に盛ると部屋の中央に鎮座する小さな卓袱台に置く。
「ありがとー。今日は何か予定ある?」
小梛は食パンを齧りながら甘いコーヒーで胃へと流し込むと、そんなことを聞いてくる。
「今日は……そうだな。外に出て、その辺を歩いて陽の光を浴びて、それから適当な喫茶店で本を読みながら落ち着く。くらいだ」
「それ、暇ってことだよね」
「予定だって言ったろ。気分で変わるけど、今のところはこの計画を履行しようとしてるから紛れも無くこれは予定だ」
「ふーん。なら、その予定、私にくれないかな」
「なら茉莉も呼ぼう」
小梛の気持ちを知っていて、敢えて俺はスマホに手を掛ける。二人より三人の方が俺としては好ましいし、何より昨日は一度しか見れなかったので茉莉の顔が見たい。「あっ」という小梛の声を聞こえなかったふりをして、茉莉へと電話を繋げた。
2コールも置かずに茉莉は直ぐ通話に出た。
『おはようございます……幸くん』
「ああ。おはよう、眠そうだな」
『はい、起きてからまだ五分と立っていなかったもので……』
まだ夢半ばの声が受話口から響き渡る。目の前にいる小梛は小難しそうに額に皺を寄せると、ほっそりと伸びた指を顎に持って行った。
花飾茉莉は朝が弱い。学校でも成績首位を誇るほどの優等生である茉莉は、小難しい数式や訳の分からない漢文は克服できても朝だけは克服できないのだ。それでも普段は朝五時ほどに起きて投稿する頃合にはシャキッと目覚めている訳なのだが、休日である今日は既に外も明るくなったこの時間に起床したらしい。
「今日さ、暇かな? 今、小梛と一緒にいるんだけど丁度いいから一緒に何処か遊びに行かないか?」
『……この時間から幸くんの家に小梛がいるんですか?』
「ああ、俺の前にいるけど。変わるか?」
『いえ……分かりました。今すぐに行きますね』
今すぐ来るという言葉に疑懼を覚えたが、別に問題も無いから良いだろう。
そう思っていると、プツリと電話を切られる。慌てて切ったような様だった。
「ねえ……私、ちょっと隠れて良いかな」
「え、どうかしたか」
「茉莉とはちょっとあってね……その……ヤバいかも。変な空気になったらごめんね?」
「変な空気って……もしかして、俺の知らない場所で喧嘩してたとかじゃないよな」
「そんなことはしないよ。でも、変わるかも」
「変わるって何が?」
「私たちの、今まで紡いできたこの関係性」
バチが悪そうに小梛は前髪をちょこんと触って俯いた。この時、朝を告げる鳥の囀りはいつも通りなのに俺の中核から嫌な予感が血液に乗って全身に回りだす。ドクン、ドクン、と。心臓は有無を言わず時を刻んだ。
俺も小梛は互いに言葉を交わすことなく、今朝起きたコンビニ強盗の事件の原稿を淡々とマシンみたいに読み上げるニュースキャスターの声をBGMに朝ごはんをゆっくりと口に運んだ。
それは相手が見知らぬ人間なら気まずくなってしまうような沈黙だった。つい、その強盗犯は何で人生を捨ててまで小金目当てでコンビニなんか襲ったんだろう、とか強迫観念に背を押されて口を開いていたかもしれない。その相手が小梛だから、俺は肩を下ろしながら若干冷めた苦いコーヒーを口に注いで、安穏とした時間が過ごせる。それは茉莉でも変わらなかった。この二人を相手にした時のみ俺はしたいように、本能のままに、自分自身を偽らずに生きる事が出来る。1億円積んでも得られないと確信できる、この広い世界で俺が唯一誇れる、そんな二人だ。
ピーンポーンと安い電子音が室内に響いたのはそれから20分後のことだった。思っていたより随分と速い。
「おはようございます幸くん……それに小梛」
防犯対策のチェーン(いつもは賭けていないので、恐らく夜の内に小梛が掛けたのだろう)を開けると、そこに立っていたのは茉莉だった。茶色の髪の毛を風に流し、赤いのボタン付きのシャツに白を基調とした長いスカートに太腿を包み込んでいた。確か、ガーリッシュ系と呼ばれる服装を小梛が何時だかに強調して服屋で連呼していた記憶があるが、正しくそれだろう。
茉莉はニコリと清楚な笑みを浮かべる。その笑みは何処か秘めたる感情を隠蔽した結果表情筋が屹立して作られたような、不穏な香りを醸し出していた。
主人公は暗いくらいが丁度良い(性癖)
ヤンデレ習作になる予定