保育園には毎朝使用人さんが車で送ってくれる。僕の家は街から離れた所にあるので結構不便だったりする。静かで良い所だけどね。
使用人さんは僕のことが嫌いなようで一切話しかけてこない。隠しているみたいだけど笑っちゃうくらいわかりやすい。父以外は皆知っていたりするし、使用人さん自身は隠せていると思っている。面白いからそのままにしているけど、今までよく生きてこれたなって常々思うよ。こんなに分かりやすい人滅多にいないぜ?
終始無言のまま保育園に到着した。タクシーみたいにドアを開けてくれないので、手動で開けて挨拶もすることなくゲートを潜った。保育園は活気に溢れている。いましがた親と同伴でやって来た子、早速砂場で暴れている子、ボールを蹴ったり、遊具で戯れたり、鬼ごっこしたり、皆が皆笑顔であった。僕は笑顔を浮かべているだろうか。ま、どうでもいいか。
保育園での生活は家でじっとしているよりも苦痛である。お仕事という名のお遊びに付き合っては、真面目にやれと先生に注意される始末。落ち着きのないガキが暴れて時間を無駄にする。騒々しいざわめきに頭痛がしてくる。フラストレーションが貯まらない訳がない。
ようやっとお昼寝の時間になって静かになった。寝る子は育つと言うし、そのまま寝こけてていいぞ。僕は他人と行儀よく寝れるほど神経が図太くないので、先生の目を盗んで布団から抜け出した。僕は確実に良い子ではないけれど、気づいているのに見過ごしている先生もいい人では無いと思うんだ。どんな思惑があるのか知らないけど、こっちとしては有りがたいものだ。
この保育園はグランドの半分以上が竹林だ。何故そうしているのかよくわからないが景観としては悪くない。手入れもしているようだしうっすらだが道も存在する。もっぱら鬼ごっこの遊び場だ。追い詰められてもそう易々と捕まらないのが人気の理由のようだ。子供には危ないから撤去しろ、とか保護者さんに言われているようだが一向に撤去する気配がない。
僕は竹林の中を落ち葉を踏みしめながら歩いている。夏が終盤に差し掛かり秋が近づいてきたのか少し肌寒い。明日からは長袖にしようかなと呑気に考えていると、すすり泣く誰かの声が聞こえた。声の方を注意深く見てみると竹が密集していて見えにくい所に、女の子がちょこんと三角座りしている。とても可愛らしい顔立ちが、涙に濡れることでより一層可愛くなっている。
整った眉は八の字に寄せられ、瞳は揺らめき、艶やかな唇は物悲しげに歪んでいる。絶望の余りに悲しみが抑えられない、そんな暗い表情をしている。正直に言うと僕は見惚れていた。とても綺麗だ、てね。
まあ僕も男の子だ。いくら僕が僕だったとしても、気になる女の子と関わりたくなるのは変わりない。それも悲しんで泣いているのだ。話しかけない訳がない。話しかけるのに深い理由なんて必要ないからね。だから僕は尋ねたんだ。
「なあにしてるの」
てね。そうすると女の子は泣きじゃくりながらこう答えたんだ。
「いないの、皆、いないの。わたしを置いて、どこかに行っちゃったの」
つまるところ迷子なのさ。今気づいたんだけどこの子は初めて見る顔だったんだ。保育園にくる奴の顔は大体覚えているから間違いない。最近、それも昨日辺りに来た新しい子なんだろう。竹林自体はそこまで大きくないけれど、慣れてないと迷子になるかもね。
一人は寂しいのだろう、不安なんだろう。泣いている顔もそろそろ見飽きてきたし安心させることにした。ここは、まあ、あれだ。すんごいヒーローの言葉でも借りようかな。
「安心しな。僕が来た!」
安心させるコツは自信満々に言うことだって、テレビで言ってたしね。精一杯胸を張ってニヒルな笑みを浮かべるのだ。けれども女の子の反応はよろしくなく、涙は止まったけど未だに暗い顔だ。
「嘘よ、そんな都合よくひーろーが助けに来るはずないもん」
「おいおい、目の前に居るじゃあないか」
全くふざけたことを言ってくれる。これじゃあまるで僕が幻聴と幻覚のコンビネーションと思われているみたいじゃあないか。
「だって、ひーろーは皆のひーろーだもん。皆を助けるのに忙しいから、わたしなんかの所にひーろーは来ないもん」
この感じだと、この子自身が思っているわけでは無さそうだ。誰かに言われたような、それも飛びっきり性格がクソな奴に。心当たりがたくさんあるのがちょっとおかしい気もするが、一人は確実に言っただろうよ。自分より綺麗な者を許さず、厭らしい嫌がらせをしてくる質の悪い奴のことだ。もしかすると迷子じゃあないかもね。
さて、どう返答したものか。面倒臭いからごり押し作戦でいくかな。いたいけで純粋な女の子を騙すみたいで罪悪感が芽生えるけど、まあ良いスパイスだ。ぞくぞくするね。
「それじゃあ僕がヒーローになってあげるよ。皆のヒーローじゃあない、君だけの唯一無二のヒーローに」
ピクリ、と女の子が体を動かした。好感触のようだ。いたいけで純粋な女の子を騙すみたいで罪悪感が芽生えるけど、まあ良いスパイスだ。ぞくぞくするね。
「寂しい時はそばにいてあげる。悲しい時は一緒に泣いてあげる。辛い時も苦しい時も、寄り添って君を支えてあげるよ」
「……ほんと?」
うつむいていた顔をあげて、透き通った瞳で僕を見つめている。嘘か真か見極めているのだろう。そんなに見つめられると照れちゃうな。
「嘘じゃあないさ。ヒーローは笑顔を守るんだ。僕は君の笑顔が見てみたいんだ。だからさ、笑ってくれよ。笑ってしまえば、暗い気持ちなんて一発だから」
「……うん」
頷いた女の子は涙をごしごしと乱暴に拭き取って、ニカッと屈託なく笑った。笑った顔も良いね。これには僕もニッコリだ。
そうして僕は元気のでた女の子と一緒に、保育園そっちのけで竹林を探索することにした。女の子を引き連れて開けた場所や綺麗な場所、僕のお気に入りの景色や日が直接差す不思議な所などを紹介した。大人たちがスポットとか言ってるような所だ。僕が二年かけて見つけ出した特別な場所だ。
時間はあっという間に過ぎ去って、そろそろ帰る時間になった。竹林を抜けてゲートに向かうと、丁度よく迎えの車がやって来た。お別れなので女の子にじゃあね、と手を振ればまた明日、と手を振り返してくれる。短い間でとても仲良くなれた。これはもう友達と言っても差し支えないのでは?
僕が上機嫌なせいか使用人さんがすごくイライラしているのがわかる。まあ、そんなことどうでもいいんだ。さっきから心臓が煩くてかなわない。女の子の笑顔を見たときからずっとだ。まさか、これが恋!?なーんてね。
女の子の事を考えるだけで心が浮わつくのを感じる心が女の子を求めてるんだ。僕は珍しく明日のことを楽しみにしていたんだ。だから夕食の場で父の発した言葉に唖然としてしまったんだ。
「引っ越しするぞ。それも今晩のうちにな」
「えっ」
ショックだったんだ。すごくショックだったんだ。父のタイミングの悪さは知っていたが、ここまでとは理解していなかった。それでいて頑固で、言ったことを絶対に曲げない偏屈な男なんだ。母が離婚するのも頷ける。
マジか、と呆然としながら運び込まれていく家具を見ていることしかできなかった。日常に楽しみを見いだせたその日にこの仕打ちだ。こんなことになるんだったら花壇の花を全部踏み荒らしとけばよかった。
君だけのヒーローはなるって、結構恥ずかしい約束をしたんだけどな。一日で破ることになるとは露ほども思っていなかった。なに、マセたガキのふざけた約束だ。大きくなるにつれて嘘っぱちの言葉だって気づくだろうよ。ちょっと、いやかなり悲しいけれど、もう会うことは難しいと思う。
そんな諦めやすい僕は、異様に流れるのが速い外の風景を眺めてこう思うんだ。
名前ぐらい聞いとけばよかったなって。
***
初めてあの男の子と会った時、私は妖精さんだと思ったんだ。何せあんなに綺麗な人は初めてだったからさ。意地悪な子にとても酷いことを言われて傷ついていたのもあるんだと思う。これは私の妄想なんだ、現実じゃあないんだってそう思っていたんだ。
だから驚いたんだ。ある種の理想とも言える存在に
男の子は私の笑顔が見たいって言った。だから私はあの日からずっと笑っている。見えなくなったとしても私は腹の底から笑えているんだ。あの日から芽生えた私のアイデンティティーだ。それはこれからも変わることはないだろうね。
私は最初男の子のことを妖精さんだと言ったけど、あながち間違いじゃあないと思うの。次の日にはどこにも居なかったしね。とってもショックだったよ。親にまで白昼夢、なんて言われたんだから。
けれど私は覚えているんだ。あの優しい笑顔を。繋いだ手の温もりを。踏みしめた土の感触を。むせ返るような自然の匂いを。見せてくれた美しい景色を。どれも色褪せることなく鮮明なまま記憶している。
だから私は待つんだ。あの男の子は存在しているんだから。いつか絶対に会えるんだって信じているから。
だから待つよ。いつまでも待つよ。例え姿形が変わろうとも、好きという感情は変わらないから。
でも、どうせなら──私の事、覚えているといいな。
未練たらたーらってね