はっきり言おう。私は彼と会うべきではなかったと。私がでしゃばるのは時期尚早にすぎた。もう少し時間を経て彼の精神が成長してから話すべきだった。
封筒も渡すべきではなかった。彼はきっとどこかでそれを捨てるだろう。今さら知ってどうするのだと。そして捨てて心にしこりを残すのだ。私のいい加減な介入によって、本来苦しむべきではないことをさせてしまった。
彼は終始笑顔であった。凡そ"楽しいと"表現するに値する表情であった。瞳は一切笑ってはいなかったが、それでも笑顔を浮かべていた。きっとその笑顔には意味があるはずだ。意味もなく笑顔を浮かべるやつなんているはずもない。
嗚呼、そうであれば一瞬でも曇らせた私は罪が深いのだろう。何故私は血縁者であると彼に言い放ったのだろうか。彼を混乱させるだけなのに。
そうだ、言うなれば私は後悔しているのだ。余計なお節介がいかに余計であるかを私は知っている。知っているのだ。知っていたはずだ。だが知っているだけで理解していなかったのかもしれない。理解していればこんなことで悩むことも無かっただろうに。
彼を苦しめる罪悪感、或いは不甲斐ない自分への嫌悪感が私を蝕んでいく。鼓動は揺れ、脳は震え、喉は水分を失った。霞む視界のなか彼のカップを手に取った。結局一口も飲まなかった。そういうところは父親によく似ている。
私はそれを一息に飲み干した。ぬるくて苦いコーヒーの味だ。熱々にしておいたのだがな。随分と長いことお喋りしていたようだ。
私はため息をつき体を背もたれに預け、上を向いて目を瞑った。疲れが溜まっているようだ。カフェインを取り込んだというのに眠気が襲ってくる。いっそのこと、このまま楽になってしまえば良いのでは、などとこんな時にも逃げ道を模索する私に反吐が出る。
ガチャ、とドアの開く音がした。誰も通すなと通達したはずだが一体どこのどいつだろうか、と思い私は目を開きそこへ向けた。
驚愕した。どうしてお前が、と。何故ここにいる、と。私の前に彼の父親、
嗚呼、そうだった。愛する者のためならなんだってする。亜驚はそういうやつだった。そんなやつが愛する息子の近くに居ないはずがない。冷静に考えてみればすぐに思い付くことだ。
「これは珍しいお客さんだ。コーヒーでよかったかな?」
「白湯で結構」
そう言って私の対面に座った。随分と懐かしいやりとりだ。それもそうか、実に十五年も前のことなのだ。忘れてしまってもおかしくはないのに、私も亜驚も覚えていたようだ。
「それで、どうだった。私の息子は」
「どうだった、か。お前と同じだよ亜驚。見た目が似ているとかそんな次元の話じゃあない。生き方にしろ考え方にしろ、中学生の頃のお前そのものだ。そのうちお前と同じ選択をするぞ。止めようとは思わんのか?」
彼は亜驚の生き写しだ。生まれも育ちも家柄も教育方針も全てが一緒だ。東京で生まれ四歳まで過ごしたら北海道に住まいを移し、それから十二歳になって初めて外に出ることを許されるのだ。物心ついた頃には母親はおらず、父親の手ひとつで育てられる。これほど精神の歪まない要素など有るわけがない。
亜驚家は代々裕福であり代を重ねる毎にその財を増していく。経済しかり、芸術しかり、ヒーロー業しかり、そのどれもご成功を修めている。だからといって当人たちが幸せであったかは語るに及ばないが、亜驚という家の歯車であったことは間違いない。
亜驚家は子に必ず失敗してしまう道を用意する。父親に従うという理念を植え付けられた子供は、それが失敗すると理解していながらも敢えて失敗するのだ。父親のことだ何か意味があるはずだと苦悩するものの、それが無意味であると知った時、脆弱な精神は容易に揺さぶられる。時には破壊される者も過去には存在した。
だが亜驚の人間は強靭である。心の一つや二つ簡単に直してしまう。そうして再構築や補修されて頑丈になった心を持つようになっている。挫折を知らせるのだ。それも特大級の挫折を。そして熟した存在にこう言うのだ、"当方の好きにせよ"と。
亜驚風士は数有る選択肢の中から、自ら亜驚家の歯車になることを選んだ。その亜驚風士と性格が極似している彼も、きっと同じ選択をするだろう。そして父親のように自分の子供を地獄に招き入れるのだ。
だからこそ亜驚は何も答えない。亜驚の行動理念はとっくの昔に固定化されている。私の問いに答えを持つことができない程に。揺らぐことなど愛する者が死の間際にある時だけだ。その大半が手遅れであることは言うまでもない。
「そんな腐りきった仕来たりにいつまで囚われているつもりだ。亜驚家のために生きる、などと考えているのなら即刻捨てた方が身のためだ。亜驚家はお前とお前の息子の二人しか残っていない。お前を縛っているのは他でもないお前自身だ。断ち切るのだよ負の連鎖を。お前の代で。子を想うなら早く決断した方が良いぞ。そのうち手遅れになるからな」
亜驚は何も言わず静かな笑みを浮かべている。悲しさを覚える笑みだ。それを向ける相手はもうどこにもいないというのに、亜驚は笑みを浮かべている。亜驚の心境など察したくもないが、あの日から時間が止まってしまったのだろう。きっと私もそうだ。
「また繰り返すつもりか? あの日のように、同じことを」
ピクリ、と亜驚の人差し指が動いた。鋭い目付きで私を睨みなけなしの感情をさらけ出した。
「私はあの子を守る。絶対にだ。守り抜いてみせる。これは亜驚だからではない。私自身の思いだ」
絶対の意志、或いは強大な自信をもって高らかに宣言した。相変わらずの向こう見ず。そんなんだから守りたいものも守れんのだ。
「守れていると本気で思っているのか?」
「今まで守ってきた。これからもそうだ」
亜驚は席を立ち扉へ向かった。
「何処へ行く?」
「パトロールだよ。……私はヒーローなのでな」
ヒーローの仮面を被り逃げ出すように出ていった。私の質問に答えることなく行ってしまった。亜驚は息子の評価を知りたがった。自分の教育が成功していると安心するために。私の御託などどうでもよかったのだ。人の話を聞かない人間は、いつかどこかで深い後悔を味わうことになるだろう。
嗚呼、その日が来ないことを切に願うよ。
***
あちらこちらで放浪するうちに集団とはぐれてしまった。僕がぼんやりしていのも悪いと思うけど、はぐれないように気遣ってほしかったな。
まあそんなもの絶対に有りはしないけどね。
僕は今、繁華街に一人残されている状況だ。お天道様が傾き出したし僕のお腹も空腹を訴えてきた。マ○クでも寄ろうかなっと。
こんなところで一人立っているのもなんだし、そこら辺でも彷徨うかな。偶然集合できるかもしれないしね。そう思って道なりに歩みだした。東京の街は活気に溢れている。人もそうだし物だってそうだ。あっちとは比べ物にならないね。
うろうろしていると、気づいたらどこかの路地裏に僕はいた。どこかで道を逸れてしまったらしい。こんなところに居たって特になることなどないし、来た道を引き返そうとした。
ぬるり、と誰かが路地裏の奥から出てくる。妙な角度で差し込んでくる日の光がそいつを照らした。
それは男だった。老けてはいるが年齢はそこまで高くはない若い男だ。手入れのされていないよれよれのスーツ、土埃にまみれたズボンと靴。髪はボサボサで充血した絶望を浮かべる瞳の下に、真っ黒な隈をつくっている。
「やっ…やる。あい……に知らし……やる。俺の個…を。知…しめて……んだ。俺の…性が………恐…しいか。……つらに…」
マジもんの放浪者と出くわしてしまった。何事かブツブツと呟いているし関わらない方が身のためだろう。僕は男の視界から外れるように身を引いた。だが確実にその男は僕を見ている。それはもうガッツリと。こんなに見つめられたら逃げられそうにないな。
「そのためには人一人ぐらい、殺さねえとな。なあ、そうだろ?」
「なんか分からんけど普通に違うと思う」
男は腕を振りかざして僕に襲い掛かった。
あぁ^~伏線がいっぱいなんじゃぁ^~