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カチャカチャといった打鍵音、ブオオオオといった異常稼働するファンの様な風音、ノイズの混じった何とも聞き取り難い声によって、僕は目を覚ました。気分良く寝てたのに耳障りな物だ。静かにしてよね。
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それにしても目覚えが欠片も無い真っ白な天井だ。真っ白過ぎて何処から何処までが天井なのか壁なのか区別がつかない。距離感が狂ってるなあ、これ。思わず吐き気しちゃう。オロロ。
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体を起こそうかと思ったけど、全く身動きが取れなくて困ったものだ。これって金縛りってやつ? 初体験だわ。なんでか眼球は動くのでキョロキョロしていると、クソでかい何かの機械の前にダボついた黒衣服を着た不審者が居た。ソイツはキーボードを一心不乱に打ち込んでいる。
もしかして人体実験ってオチ? それはちょっと勘弁かな。
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*☼☜✌☹☹✡(*実に……)
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そのクソでけぇゴミ袋みたいなソイツは、殺虫剤でも吹き掛けられたゴキブリの如くワサワサと蠢き、ケタケタと奇っ怪な笑声を上げた。一頻り笑った後ピタリと静止し、突如として僕の方へ顔を向けた。それはもう、グリンッと。首だけでブリッジしているみたいにね。
そいつの顔はまるで死人の様だった。ていうか骸骨そのものだった。皮膚も無くば髪も無い、謂わば骨その物。そして、そこにあるのは灰暗い碧を浮かべる両の眼孔と張り裂ける様な笑み。上下に迸る二つの罅がそれらに確かな質感を与えている。
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「日本語でお願い」
僕の脳味噌は優秀だけど、理解出来ない物は山程あるのだ。悪いけどね。
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「いやぁ、すまない。セカイが異なるのだから、コトバが違ってくる事くらい理解していたのだがねぇ……。
実際に区別して話すのは実に難しいものだ。キミもそう思うだろう?」
ケタケタと、その虚ろを見せる三日月の裂け目を歪ませながらソイツは笑った。髑髏の様に見えるが、あんな柔軟な動きを見せる骨など見たことが無い。
碧白い焔を灯す眼孔もそうだ。ソイツは個性だとか体質だとか以前に、ヒトとして分類出来るような存在では無いのだろう。
僕はそれ程長い時間を生きている訳ではないが、それでも積み重ねてきた経験やら知識やらによって紡がれる直感が、ソイツを化生の者であると囁いているのだ。
しかし、僕は理解の範疇を越えたソイツに対して恐怖や嫌悪といった負の感情を抱くことは無かった。更に言えば、懐古的な或いは懇親的な所謂肉親へと覚える暖かな感情が芽生えたのだ。
それによって、僕の気分がこれまでに無い程に最悪なものになったのは言うまでもないだろう。
「おや? 喋れないのかい? 先程言葉を発していた様だったが……。困ったものだ、少しばかりケツイを吸い過ぎたか……。還元はどうやったものか……」
妙な言葉を聞いて、僕は思わず右手の人差し指をピクリと動かしてしまった。金縛りでも身に染み着いた癖は勝手に起きるらしい。得難い経験だな。金輪際役に立つ事はないだろうけど。
それと同時に装置の方からゴボリッ、と気泡の弾ける音がした。装置の天頂部に鎮座する液体の入った容器から、何らかの気体が発生しているようだ。てか良く見たらプラグ的な何かが僕の心臓にぶっ刺さってるんだけど。マジで何だこれ。
「やはりそうだ。キミは興味を持った。ワタシのわざとらしい物言いに知的好奇心が刺激され、今しがた知ろうとするケツイを産み出した。
キミのその際限無く産み出し続けるケツイは一体何処からやって来ているのだろう! 宙を漂うほんの一欠片に過ぎなかったワタシが、自我を得るまでに至ったそのケツイの強さ、量、質は! 一体何なのだろうか!
嗚呼……そうだ。キミは、実に――興味深い」
ソイツはソイツで勝手にエキサイトしているし何が何だか理解できない。
「ワタシの名はW.D.Gaster。我が器なるヒトのコよ。是非ともガスター博士と呼んでくれたまえ」
自らを
「さて、どうしたものか。現状維持を貫けば器の死と共にワタシが消滅するのは明白。ん? 死? 死か……。馴染みがないな。どういうものだろうか。
いや、そうだ、詰まりはケツイだ。生き続けたいという意志、運命を変えたいという強い気持ち。それが……ケツイ。
興味が高じてやる気へ変わり、やがて必ずや遂行させるという強いを芽生えさせる。キミが読んだ本にあったコトバだったか……。
フム……、どうすればキミは興味を覚え、やる気を出し、ケツイを漲らせるのだろうねぇ。嗚呼ッ! 実に難しい……!」
甲にポッカリと穴が空いた手が浮かび上がり、ソイツの顎を指で挟んだ。一丁前に思考を巡らしている様子だ。その余裕がある動作が実に腹立たしい。
「ああっ! そうだ、思い出したぞ! 確か、アレは8年程前の事だったか。ケツイの産出量が急激に増加した……そう、あのコだ。それ以降もあのコを思う度に産出量を上げていた記録がある。そう、ワタシは覚えているぞ。
そうだ、そうだ、確かにそうだ。なら、コレを見れば……キミは興味を持ってくれるかね?」
ソイツが装置のキーボードを乱雑に叩くと、空間が内側から裂けるように割れ、目を疑う様な光景が映し出された。
倒れ伏す僕を、あの娘が抱えていたのだ。
───ゴボッ。
その姿が見えなくとも、僕は確信を持って彼女をあの娘だと断じた。
───ゴボッ、ゴボッ。
涙に濡れ、月明かりによって映るその暖かな瞳が確かな証であったのだから。
───ゴボゴボッ、ゴボゴボゴボゴボッ。
あの娘が泣いていた。その原因は見るからに僕である事は明白で、その事実に耐え難い焦燥感と張り裂ける様な鋭い痛みが胸に迸る。
───ゴボボボボボボボボボボッ。
───ゴボッ。
衝動に駆られるままに僕は、ピクリとしか動かなかった身体を跳ね上げ、興奮の余りはしゃぐソイツの胸ぐらを掴み上げた。
「正しくワタシの推察通りだ。キミは強い感情とケツイに深い結び付きがある。あのコを見せれば、キミは死に体であろうと動こうする大きなケツイを産み出すだろうと思っていたよ」
「黙れ
「話せるのなら最初からそうしたまえ。無駄極まりない。そしてこの問答も無駄そのものだ。
キミも気付いているのだろう? 現世へと還るにはワタシの助力が必要不可欠であると」
ギリッ、と思わず歯を軋ませてしまった。渋々と、ソイツの言葉に納得するしかなかった僕は胸倉を掴む手を離した。
嗚呼、いけないいけない、冷静にならなくては。頭に血が上ってちゃあ思考が乱れちゃう。……上る血なんてもう無さそうだけど。
推測になるけど、ここは僕の精神が存在する場所。そして勝手に居候している異物がゴミ袋だ。色々と大事なナニカを汚されている気分だけど、今は気にしている余裕は無い。
死んだ感触があったが、今こうして意識があって思考し、肉の内側から外を観測している以上、何らかの方法で延命されているのだろう。きっと、碌でも無いだろうけど。
次に考える事はゴミ袋の要求だ。ケツイと呼ばれるソレは僕が生み出している何かだ。言葉通りの物かもしれないし、或いは個性に関する何かかもしれない。
何はともあれ、ゴミ袋は僕が生み出すソレらが必要なのだろう。宿主である僕が死に掛けていても、出ていこうとしないのが何よりの証拠だ。
ゴミ袋はきっと、僕の一生涯を掛けて寄生し続けるはずだ。不愉快だが、それは絶対であることを認めなければならない。僕が、生き残るために……!
嗚呼、クソッ、思わず悪態をつきたくなる。
「考えが纏まった様だね? さあ、キミの答えを聞こう」
「……オマエが、ここに居ることに対して僕は何も言わないし何もしない。だから、協力してもらうよ。お前は僕に死なれると困るみたいだしね」
ニィッ、とゴミ袋は張り裂ける様に口角を上げ、音も無く笑った。一々癪に障る奴だ。
「よろしい! 実に良いケツイだ! 現時点において必要な分のケツイの抽出は既に終えている。後はキミが目覚めるだけだ。簡単だろう?」
「目覚める? 何を馬鹿な事を、僕は既に起きているだろ」
「残念だが全くの見当違いだ。キミが見ているこの世界はキミ自身の精神世界、脳の裏側に存在する魂の世界。謂わば眠る時に見る夢の様な物。ケツイは満ち足りているし、意識も確立している。自ずと目覚めるはずなのだが……」
「生憎だけど、物心付く前から一睡もしてないんだよね、僕。横になる度に眠ったら体を乗っ取られるって恐怖が湧いちゃってね。だから、夢から覚めるなんて言われても、どんなものなのかすら理解できないんだよね。
まあ、その原因はお前だったみたいだけどな」
「ふ、ふぅん? 成程ねぇ?」
白い骨から滲み出るはキラリと光る冷や汗。汗腺云々の前にどうやって汗を出しているのだろうか。
「だけど、まあ良いんだ。理不尽なんて慣れっこさ。僕が僕として生きる為に、立ち塞がる障害は全て薙ぎ払ってきた。今までも、そしてこれからも」
無くなったはずの拳を握り締め、胸をドンッと打ち鳴らす。その衝撃が僕に勇気を与えてくれる。
「死という障害! 人生における絶対なる運命! 立ち塞がるというのなら! 乗り越えてみせる! それがこの僕、
自身の精神を彩る世界、ケツイとかいう自身が生み出している摩訶不思議なエネルギー、死の間際に感じた個性の脈動、そして僕に死の恐怖を与え続けてきた諸悪の根源との邂逅。
その経験が僕の糧となり、力となる。僕を導く道標となってくれる。全てはあの娘を救うために!
「この、ケツイ……! この、輝き……! 嗚呼ッ、素晴らしい! やはりキミを宿主に選んで正解だった!」
さあ、目覚めの時だ。