ゼロの黒 作:ソルダのおっさん
「あんた誰?」
「……う」
身を起こして自分の身に起きたことを振り返り、彼女は思わず胸に手を当てる。そこにつけられたはずの傷は無く、時を戻したかのように綺麗なままな儀式の服が、ただあるだけだった。
一体何が起きたのか。薄れる意識の中で、死の闇に包まれていく感覚を彼女は覚えている。それはまるで冷たい海に連れていかれるような感覚。
なのに、今感じる日差しの温かさは、草原の優しい香りを運ぶ風は何だろうか。
目を開けて、世界を確かめる。そこは自分の知る、少し冷える高原にある荘園ではなかった。
辺りにいるのは、見慣れない人間たち。荘園で過ごす人間や自分が纏っていたマントのようなものをつけているのに、服は現代の紳士服に近い白シャツと、スカートやパンツ姿をしていて、彼女にはどこかちぐはぐに思えた。
思わず自分が首をかしげると、その少年少女たちは、いっせいに自分を笑い出した。
「あははははは! 平民だ、平民が召喚されたぞ!」
嗤われたことに、少しだけ少女は怯えた。今こうして生きている理由は解らないが、自分が嗤われるに相応しい人間だったからだ。負け犬、資格を失くした人間となった自分がそうなることは、当たり前のことだった。
「ゼロのルイズ、何やってんだお前!」
「ルイズ、平民なんか召喚して、どうする気なのよ!」
肩を抱いて思わず後ずさる。しかし、続けて嗤われたのは自分ではなかった。指をさして笑う人間たちの視線が、ほんの少しだけ自分からずれている。
その視線は自分のすぐ隣。見上げれば、少女が悔しそうな顔で嘲笑をその身に受け、耐え忍んでいた。
その少女の髪の色は、輝く金属的な光沢をもつ薄紅色という人間離れした色をしていた。以前山で見かけた綺麗な花を思い出させるものの、どこか頼りなさを感じさせる顔をしていた。
だが、ルイズと呼ばれた少女は直ぐに力強い、意志のある瞳を取り戻すと吠えた。
「ちょっと失敗しただけよ!」
「いつもお前の使う魔法は失敗じゃないか!!」
「そんなこと無いわ、わたしだって……」
「そうやってもう、何年失敗し続けているくせに!!」
散々に笑われ続けても、その少女は尚もめげずに叫び続けた。何年も失敗しているという言葉に、彼女は驚かされたのだ。
眩しい。
いつかに似た気持ちを思い出す。あの時ほどの感動を覚えるものでは無かったが、その生き様に今、彼女は少なからずそう感じていた。
「ミスタ・コルベール! やり直しを要求します!!」
「それはできない、この春の使い魔召喚の儀式は神聖なものだ。好む好まざるにかかわらず、そこの少女は偉大なる始祖の導きによって選ばれ、君のもとへやって来たのだ。」
「ですが、人間を……ましてや平民を使い魔にするなんて話は、聞いたことありません!」
儀式と、選ばれたという言葉に少女の心臓が跳ねた。
負け犬の自分が何に選ばれるのかと思う反面、誰かに必要とされたというその言葉が心に染み渡る。三人の中から二人を選ぶ儀式に敗れ、誰にも必要とされなくなって死んだ彼女には、麻薬にも等しかった。
「でも……え?」
気がつけば、彼女は桃色の髪をした少女の手を取っていた。
「お願い、します。」
「あ、あんた?」
「どうか、私にその儀式を。」
出来ることならこの桃色の少女のように、もう一度と、もう一度自分もあの儀式をと願う。しかし、もうそこに自分の居場所はないのは解っている。何もない空っぽな彼女の心は飢えていた。
「私を、必要としてください。」
少女から一粒の涙がこぼれる。その必死な瞳に、コルベールと呼ばれた男と、桃色の髪を持つルイズは息をのんだ。
「彼女もこう言っているのだ、ミス・ヴァリエール。さあ契約の儀式であるコントラクト・サーヴァントを唱えたまえ。サモン・サーヴァントだけできても、この儀式を完成させねば君は落第ですぞ。」
「……わかりました。」
そうしてルイズは膝を折ると、少女と目と目を合わせた。
「あんた、名前は?」
「……クロエ。」
名を問われ、クロエがルイズに返したものの、ルイズはそれに興味があったわけでは無いようだ。使い魔となるものが何者なのか、ただ確かめたかっただけなのかもしれない。
「自分から使い魔になりたいだなんて、変な人ね、クロエ。」
だが、クロエの方は違った。名前を呼ばれただけで笑みがこぼれる。薄く、薄く、その瞳と唇が細められていた。そんなクロエの肩にルイズの持つ小さな杖があてられると、騎士の儀式のように彼女は目を閉じた。それが自然なことだと感じられたからだ。
「感謝しなさい、平民が貴族にこんなことをされるなんて、他じゃありえないんだから。」
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン、この者に祝福を与え……我の使い魔となせ」
「んっ」
少女二人の唇が一瞬だけ重ねられ、直ぐに離れる。
「これが、儀式なのですか?」
「そう、これでお終いよ。」
「そう……んんっ!」
特に儀礼も舞台も無いことにクロエがあっけにとられていると、突然彼女の手の甲に痛みが走った。彼女の手の甲が光り輝き、ゆっくり一字ずつ、不思議な文字が刻まれていく。
「こ、これは……。」
「落ち着きなさい。コントラクト・サーヴァントの魔法で、私の使い魔としてのルーンを貴女に刻んでるだけだから。」
クロエは驚いた。何も変哲のないキスがどうしてこのような結果をもたらすのか、それがわからなかったからだ。
しかしそんな疑問は直ぐに消えた。それ以上に、刻まれていくその印が愛おしかった。自分を必要としてくれた結果であり、証だったから。
やがて証が完成したのか、光が消えて焼き印のように文字だけが残る。その手の甲を、大切なものを扱うようにクロエは撫でていた。
「やや、これは珍しいルーンですな。」
そんな彼女の幸せな時間を邪魔する禿頭の男に、クロエは手を隠すようにして身構えた。彼女の予想外の態度に、コルベールは事情を説明し始める。
「いや、突然すまないね。私はこの儀式の監督を務めている教師なのだよ。だから申し訳ないが、そのルーンを見せてはくれないか。儀式の完了を確認せねば、ミス・ヴァリエール……君の主である彼女に合格を授けられないんだ。」
そう言われたクロエは、しぶしぶといった顔でコルベールへルーンを見せた。読み方は彼もわからなかったらしく、さらさらとスケッチをしつつ、ルイズへ合格を言い渡すと周りの人間たちへ解散を命じた。
「教師、合格……周りの人間は、生徒だったのですね。」
ここが学校だということを知ったクロエは、周りを見渡す。大きな塔、澄み渡る青空、そして、昼でも薄く見える二つの月。
「え…?」
最後の信じられない光景に、細い目を開いた。学校にこそクロエは通ったことはないが、彼女は決して教養のない人間ではない。それがどれほどおかしなことか理解している。
ちらほらと耳にした魔法という言葉が脳裏によぎる。視線を地に戻してみれば、今度は人が空を飛び始めていた。生徒と思われるちぐはぐな格好をした少年少女たちが、空を飛びながら大きな塔へと帰っていく。恐らくそこが学校なのだろう。
「まるで、本の世界みたい。」
きっと、今自分が経っている大地は地球ではないのだ。しかし、クロエにとってはここがどこでも良かった。そんなことは、自分には関係がない。
「あんた、
「田舎……そうですね。私は、田舎者です。」
そう言って笑う。まだ笑える。また笑えた。
「これからよろしくお願いします、ルイズ。」
彼女は飛ばなかったルイズと共に、その学院へと歩き出した。