自我を失う程に大量の尾獣チャクラを引き出した水月は獰猛な獣の叫びを上げながら刀身が折れて水に沈んだ"首斬り包丁"を踏みつけたまま鬼鮫を殴り続ける。
この戦いに備えて集めた道具も培った技術も何もなく、ただただ暴力を振るう醜い光景に村雨は冷めた視線で眺めたまま立ち尽くす。
先程までの僅かな危機に肝を冷やし、ほんの少しの好転でさえ歓喜が溢れさせていた戦いが嘘の様で、今の鬼鮫を圧倒する姿には心が湧き上がる衝動が何一つとしてなかった。
最早見たくもない有り様だが、それでも水月がこの土壇場で尾獣のチャクラを完全に制御し理性を取り戻すかもしれない──僅かな可能性ではあるが水月ならば掴めるはずだと、そう信じる事だけは諦めずにいた。
「ガアアアアアアアッ!!」
しかしそんな村雨の想いに反して戦いは止まる事はない。
両手で何度も顔を殴り付ける傍らでチャクラを収束して作った三つ目の拳が鬼鮫の腹にめり込んでその身体を遥か後方へと弾き飛ばす。
水切りの石の様に何度も水面を跳ねた鬼鮫はしかしダメージが全く無いのか、平然と立ち上がり血塗れの顔で水月を見つめる。
「成程…大した力だ、だが"鮫肌"と融合した私の身体に触れればそれだけでチャクラを奪われる…確かに一時はダメージは受けますがすぐに回復できる…むしろ私を殴る側の方が消耗するだけ…そんな事、本来の貴方なら分かっていたはずなんですがねぇ」
「グゥゥ…ガァッ!!」
自我を失い、それでも本能的な部分が自らの攻撃が通用していない事、そして先程まで優勢かと思えていた自分の方が追い詰められている事を理解したのか水月は小さく唸ると一気に鬼鮫に向かって駆け出す。
「"水遁・水鮫弾の術"!」
拳を握るのではなくチャクラを研ぎ澄ませた鋭い爪を立て、鬼鮫の首を跳ね飛ばす、或いは心臓を刺し貫く──そのどちらかの一撃で命を奪おうとする水月だったがその胴体を鮫を模る水の塊に喰らいつかれ動きが止まる。
「水の身体を持つ貴方にただの"水鮫弾"程度、通用しないはずなんですがね…己以外の力に縋った結果ただ愚かな獣に成り下がろうとはね!」
鬼鮫の拳が水月の腹にめり込む──更にはその腕に生えた"鮫肌"由来の無数の突起が何本も水月の身体に突き刺さり尾獣チャクラを吸い上げていく。
本来ならばこのまま抵抗の力を失うまで慎重に勝負を進めるところだが、鬼鮫は手早くもう片方の腕の肘から伸びる鰭を刃の様に硬質化させる。
「理性が戻る方が厄介ですからね、その愚かな獣の姿のまま殺してしまいましょうか」
それは鬼鮫にとってはある意味では目の前の獣となる前の少年への賞賛でもあった。
そして何より幼い頃から"七人衆"に憧れ厳しい修行を重ね、村雨との過酷な日々を耐え抜いて遂には自分に迫る程に努力した少年の最期がそれら全てを自ら無駄にし、夢を果たせぬまま死んでいく…この忍世界ではありふれた最期を迎える事への哀れみでもあった。
(──だから本当の夢の世界を貴方も望むべきだった)
誰もが勝者となり、誰もが奪われる事もない偽りのない本当の世界…それを望む事が間違いではないと自分が今から殺す少年がより強く確信するであろうと思いながら鬼鮫は左手の鰭の刃を構え──振るう寸前に水月が背中から伸ばしたチャクラの腕が蠢いたのに気付く。
「ガァアッ!」
突如月明りが影に遮られた事で鬼鮫が頭上を見上げると少し前に"長刀・縫い針"に絡め取られて作られた無数の死体による塊がチャクラの腕に掴まれて振り下ろされた。
「…悪足掻きを──いや、まさか…」
死体の塊に圧し潰されながら鬼鮫はある可能性に気付く。
普通に考えればただその場にあった重量物を使った抵抗の様だが…しかしチャクラを纏う水月自身の身体ではなく既に命を失いチャクラを持たなくなった死体達を使うというのは今の鬼鮫に対する対抗策としては有効だった…それ故に鬼鮫は水月から奪うチャクラはある程度量を調整したつもりだったが理性を取り戻す程に吸収してしまったかと警戒する。
「ガアアアアアアアッ!」
「……やはりただの力押し…か?」
警戒を続けるも水月は変わらずチャクラの腕で死体の塊で自身を圧し潰そうとするだけ──鬼鮫は左手の鰭を更に大きく、そして鋭く変化させ一気に振り抜く。
灰色の一閃が死体の塊を真っ二つに切断し、離れた位置の水月の胴体さえも深く傷つける。
鋼鉄以上の硬度となった鰭の刃に右肩から脇腹まで深く斬られ、更には大量のチャクラを奪われて水月はチャクラの衣さえも失い、最早僅かなチャクラで血溜まりになった水面に立つのが精一杯の様子だった。
「うぅ…くそ…」
尾獣チャクラのバージョン2を使った反動で全身に焼け爛れた様な痛みが走り、意識が薄れていくのを必死に繋ぎ止めた水月は何人もの死体を切り裂いた事で夥しい量の血を浴びて全身が真っ赤に染まった、しかしそれを意にも介さずゆっくりと近づいてくる鬼鮫の姿に戦慄する。
「チャクラが尽きて正気に戻ったようですね…私としては幼い頃から知っている子供よりは理性のない獣同然の姿の方が殺す時に気が楽だったんですがね」
水月の目の前に立った鬼鮫はそんな言葉に反し、一切の躊躇いもなく鰭の刃を水月の首へと振るう──硬化した鰭は水月の首に触れた時、肉と骨を断つのではなく峰や鍔に珊瑚を模った三尾の欠片を埋め込んだ方の刀"双魔刀・三巴"に阻まれガキンと重く響く音を奏でる。
「…なるほど、融合した刀は口から吐き出すのだけでなく身体のどこからでも生やせるんですね──それにしても、諦めの悪い」
「ったり前でしょ、忍刀で最も凶悪な"大刀・鮫肌"と持つ"七人衆"最強の忍、干柿 鬼鮫…そのアンタに勝ってボクが歴代最強の"七人衆"になるんだ──"新生・忍刀七人衆"の長である、この鬼灯 水月がね!」
迷いも恐れもない水月の宣言にずっと不満そうに戦いを見ていた村雨も、終わらない抵抗を煩わしく思っていた鬼鮫も息を飲む。
その真っ直ぐな闘志に怯んだのか、ただ勢いを殺された斬撃を再度放つ為なのか鰭の刃を水月の首元から戻し、一度後方に下がろうとした鬼鮫だったが水月の首から生えた"双魔刀・三巴"が刀身から無数の珊瑚を生やし、鍔迫り合いう鰭の刃と共に固めた事でその動きを封じられる。
「これは…三尾の能力か!? しかし私に触れている事に変わりはない、僅かに残ったチャクラを全て削り取ってあげますよ!」
「その前にこの一発でアンタを殺す!!」
鰭の刃と接触している刀身を通してチャクラを急激に奪われながらも水月は腰のポーチから取り出した刃の破片を指先だけを水に変えた右手の人差し指に装填し鬼鮫へと向ける。
「その術は…」
「"斬裂水鉄砲の術"!」
水の弾に混入させた"首斬り包丁"の破片を相手の体内へ撃ち込み、身体の中の血液で刃を再生し内側から切り裂く"水鉄砲の術"の改良版。
以前の戦いでそれを寸前で口寄せ鮫を盾にして免れた鬼鮫だがあの時と違い今は"鮫肌"と融合した自身の身体を直接珊瑚に縫い付けられていた事で印を結ぶ事も出来ずその身に直接弾丸を受ける。
「ッ! 勝──」
「この程度で…舐めないでもらいましょうか!!」
腹部に弾痕が空き、確実に術を受けたことで水月の勝利を確信した村雨だったが鬼鮫は即座に"鮫肌"との融合を解いて人の姿へと戻る。
その右手に握られた鮫肌の口には血が付着し僅かに刀身を再生し大きくなった刃の破片が咥えられていた。
融合していた"鮫肌"に体の中に撃ち込まれた刃の破片が身体を貫くよりも先に摘出させた上、本来の姿に戻った事で珊瑚に絡め取られていた鰭もなくなった鬼鮫は自由になった左手の拳で水月を殴りつけて怯ませたその隙に更に右手の"鮫肌"を頭上に掲げる。
「死ね!」
「──アンタがね!」
「ッ!? 傀儡糸!?」
"鮫肌"が振り下ろされるよりも先に水月を自身の右手を勢いよく後方に引く──その指先から伸びた糸、"新生・忍刀七人衆"の長としていずれはクシナダも扱える様になる為と村雨の提案でサソリに叩き込まれた"傀儡糸"が"双魔刀・三巴"の片割れに接続され、右手の操作に従い水の中から引き寄せられるまま"鮫肌"を握る鬼鮫の右手に突き刺さる。
「ぐぅ!?」
右手を貫かれた鬼鮫の手から"鮫肌"が滑り落ちる──その瞬間に意思を持つ"鮫肌"はすぐに柄を変形させ即座に持ち主の手元に戻ろうとするがそれよりも早く水月の蹴りが刀身に振るわれる。
鈍い音と共に鋭利な棘により水月の足から血が飛び散るがその衝撃は"鮫肌"を大きく後方へと跳ね飛ばす。
鬼鮫の手元から完全に"鮫肌"を引き離す──遂に果たした形勢逆転に微かに笑みを浮かべた直後、突如ドボンッと鈍い水音が周囲に響いた。
水月の両足は水に沈んでいた。
「そん…な…」
限界寸前までチャクラを奪われた後に"水鉄砲の術"の発動、傀儡糸の操作、そして再び"鮫肌"への接触──度重なるチャクラの消費の果てに遂にチャクラが完全に尽き、水面に立つ事さえ維持出来ず膝先まで冷たい水に飲み込まれた、そのあまりに無情な結果に村雨は声を震わせた。
そして水月の正面に立つ鬼鮫も目の前の相手の身に起きた異変に対し、その足元に視線を向け――紅い月が揺らめいているのが目に映る。
刃に貫かれ自らの掌から噴き出した血が水に落ちた事で出来た紅い月──それはまだ霧の里に所属していた頃オビトから"月の眼計画"を明かされ彼に協力すると決めた時からずっと、そしてオビトに裏切られ彼を斬った今でもずっと追い求める世界を思い起こさせ、鬼鮫の感情を掻き立てる。
「私は…そこに…紅い月が照らす偽りの無い世界へ行く…いい加減邪魔を、しないでもらいましょうかァ!!」
普段は決して表に出さない感情を剥き出しに、鬼鮫は右手に突き刺さる"双魔刀・三巴"を勢い良く引き抜き鮮血を飛び散らしながらその刃を水に足を捕られ動けない水月の心臓へと容赦なく走らせる。
瞬間、水面に反射した紅い月が真下から噴き上がる水の柱に掻き消された。
水の中から跳ね上がった──否、水月によって水底から彼の頭上まで蹴り上げられた鋼鉄の塊が水飛沫と共に鬼鮫が突き出した"双魔刀・三巴"を弾き飛ばす。
その何かを目で追った鬼鮫は、そして村雨は月の光を受けて輝く鋼鉄の塊の正体に自身の目を疑い、驚愕と共に叫ぶ。
「バカな…その刀は!?」
「──"首斬り包丁"!?」
尾獣チャクラで暴走した水月が鬼鮫への攻撃で諸共へし折ったはずの"断刀・首斬り包丁"が完全に修復された状態で水月の手に握られる。
「うぉああああああああああッ!!」
既に力を使い果たし意識を朦朧とした水月は握り締めた"首斬り包丁"の重さに導かれ倒れ込むような勢いで、しかし尾獣チャクラを纏っていた時よりも力強い雄叫びを上げ鬼鮫の脳天へその刀身を振り下ろす──武器もなく、手を負傷し印も結べない鬼鮫はその太刀筋に自らの敗北悟り、受け入れると同時に理解する。
(…私と水月の、いや…この戦場で散った数多の忍達の大量の血が大鮫弾の水に混じり──その刀は水の底で密かに水に溶けた血を吸収し再生していた、という事ですか)
振り下ろされた"首斬り包丁"の刀身──その"峰"による重い衝撃を受け、鬼鮫はゆっくりと前へと崩れる。
その最中、彼の視界に再び月が揺らぐ。
水に落ちた血を"首斬り包丁"に吸収され本来の青白い輝きを取り戻した水面の月を見て以前、月について語った少女の言葉を鬼鮫は思い出す。
空に浮かぶ月をただ見上げるだけではどれだけ綺麗でもつまらない。時に小さく揺らぎ、小石を1つ投じれば激しく波打つ"水に浮かぶ月"を見ている方が楽しいと、そう語った少女の気持ちを今になって理解する。
他人に好き勝手振り回されてぶつくさ文句を言いながら結局付き合わされて、その癖愚直に本人の夢に執着し遂には自分を倒すに至った苦労性なのか楽観的なのか分からない少年…その成長ぶりは見ていてさぞ楽しい事だろうと鬼鮫は薄れゆく意識の中で微かに笑いながら水の中へと墜ちていく。
(──それでも…例えつまらない世界であろうとも…私は、そこへ行ってみたかったんですよ…オビトさん)
計画を共にし、遂に成就が近づいた寸前に反故され──自らの手で斬る事になった同胞を思い出す。
彼はまだ"月の眼計画"を阻む為本当のうちはマダラと戦っているのか、最早それを確認する術もないが──同胞を殺し続けた果てに"偽りのない世界"を夢に見て、計画を共にしたはずの同胞に裏切られ、結局またその同胞を斬り、かつての同郷の者達に敗れ、死んでいく…同胞を殺し続けたろくでもない人間には相応しい最期だと嗤い、鬼鮫は水の中で意識を失うのだった。