沈丁花に祝福を   作:佐藤れい

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第八話 :『退屈』

「あー…クソ」

 

 

高専の中を歩いていた私は再び不快感に襲われて舌打ちをする。

ただでさえ暑くなってきて不愉快な時期だというのに、先程の出来事がさらに今日の私の苛立ちを加速させた。

 

 

 

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朝から少し過ぎたくらいのことだ。

今日は五条からの頼みで恵たちのトレーニングに付き合ってやることになっていた。ちなみに、言うまでもないがこの取引は条件付きだ。この後あいつには人気店のフィナンシェを買ってきてもらうことになっている。

 

話を戻すが、そのために高専の中を歩いている時だった。

 

橋を渡りかけた時、向こう岸から杖のつく音が聞こえた。

 

 

「これは随分と久しい顔じゃのぅ」

 

 

忌々しい声が先にいる老人のから発せられる。

私はそこでようやく思い出した。五条から頼みとともに今日、京都からこの目の前の老いぼれが訪れることを。

 

 

「……………お久し振りですね。楽巖寺先生」

 

 

“この”私にわざわざ話しかけてくるなんて、きっとろくなことを考えていないはずだ。反射的に身体が強張る。

 

 

「強くなったようじゃが…その勇姿を蘆屋家の者に見せられないのは誠に残念じゃろうな」

 

 

手入れがされていない長い眉毛の下から鋭い視線が向けられる。

 

 

「えぇ、そうですね。貴方方があの化物をしっかりと管理していらしていればあの惨劇も起こらなかったでしょうに」と言って、私は鼻で笑った。

 

 

楽巖寺の後ろに立つ水色の髪の少女が、私と彼のぴりぴりしたやり取りにごくりと唾を呑み込む音が聞こえた。

 

 

「…何とでも言えばいいじゃろう。所詮、貴様はどんなに強くなろうがあの愚鈍の娘なのじゃからな」

 

 

“愚鈍”。そう言った彼の顔を私は思いっきり睨んだ。しかし相手は満足そうな顔をして、ゆっくりとした足取りで私の横を通って行った。

 

 

 

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正直に言えば、私はあの人がどんな人だったか、具体的に思い出すことがもうできなかった。

 

___“朗らかで、芯が通っていて、誰よりも優しい女性”。これが覚えてる全てだ。

 

私が涙を溢した時、彼女はいつも「泣きたい時は思いっきり泣きなさい」と言って優しく背を撫でた。

私が悪いことをした時、彼女はいつも「人の痛みが分かる人間になりなさい」と強く叱った。

 

今考えてみれば、感情的になったり感受性が豊かになることも、母が教えてくれたものは呪術師にとって不必要なものだった。呪術師の家系に生まれた私を、何も知らせぬまま光を浴びた明るい世界に送り出すつもりだったのだろう。

 

そんな人の顔も、心も忘れてしまった私は彼女の想い描いた人間像からかけ離れているに違いなかった。

 

 

目の前から生暖かい風が顔に吹き付ける。

母が死んでからもう何度夏が来たことだろうか。沢山のものを持ち合わせていた過去を振り返るのが辛くて、いつの間にか数えることをやめていた。

 

もしも蘆屋瀰が生きていたら、もしも奴が現れなかったら、___もしも蘆屋道満がこの世にいなければ。

 

そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

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自販機のある場所を通りかかると、何やら言い争う声が聞こえた。

ほとんど一般人の訪れないこの場所で騒がしいとなると恐らくは高専生だろう。となれば恵たちがいるかもしれない。私はその場所に急いだ。

 

 

「…これはどういう状況だ」

 

 

どういうわけか、真希の前で釘崎が真希の双子の妹である真依に組技を食らわしていた。

釘崎は制服がどうとか言っているので余計に理解ができない。

 

 

「京都の奴らが来てて一悶着あったんですよ」

 

 

真希を一瞥すると、彼女は怠そうに答えた。

東京の人間が京都に行く機会があるなら是非、と答えるならば逆も然りだろう。ましてや真新しいものばかりが目立つ東京となれば、良く言えば趣があり、悪く言えば古臭い京都の人間は来たくなるのも当然の理だ。

 

どちらが先に手を出したのかは知らないが面倒なことは確かだった。私は先に行ってるから落ち着いたら来てくれ、と頼んでその場をすぐに後にしようとした。

 

が、しかし。

 

 

「おお!!ユリウス!久々じゃないか」

 

 

後方から、どでかい、一番会いたくなかった人物の声が聞こえてきてしまった。

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