時計の針が零時を指す。月が真上に昇った頃、辺りは静まり返っていた。
最後の電車が駅を出発してしまえば、都会といえどそこは墓地のように寂しい場所と変わり果てた。
居酒屋の明かりも消えて街が寝静まる。遠くの方からはサイレンの音が聞こえたが、千鳥足で歩く酔っ払いの男にはそれがパトカーなのか救急車なのか、はたまた消防車なのかは判断できなかった。
「あぁ、クソ!電車も行っちまったし皆帰っちまった」
男は細い路地裏に入っていく。側にひっそりと置かれていた水色のごみ箱に痰を吐きかけた。
「仕方ねぇ、タクシー呼ぶか…」
男はポケットを探す。二回ほど宙をかいた後、やっとポケットに手を突っ込みスマートフォンを取り出そうとした。
「…あ?」
男はポケットをひっくり返す。しかしポケットからはコンビニで買った昼間の弁当のレシートしか落ちてこなかった。どうやらどこかで落としてきたらしい。
「クソ!」と、大声で叫んだ男は痰をつけたごみ箱を思いっきり蹴飛ばした。中からは野菜や果物の生ごみなどが飛び出す。男は頭を掻き毟った。
「ねぇ、そこの人」
誰かが、少し離れたところから男に声をかける。男は振り返った。声の高さからして相手も男だろう。
「なんだテメェ、今俺はむかついてるんだ。どっか行け!」
男はしっしっ、と手を振った。しかし声をかけた男は少しずつ近付いてくる。
「僕、今人を探してるんだ。この人のこと知らない?」
男は、闇からすっと差し出された腕に握られたスマートフォンを見る。その画面を見て、男は「いい女だな」といやらしい笑みを浮かべた。
「知ってる?」と、男は聞く。
「知らねぇがこんな美人がいたらやるよなぁ、お前もそう思うだろ?」と、男は返す。
酔った男はそこでようやく気付いた。
そのスマートフォンが自分のもので、それを握る手は不気味なほど白いということに。
男は背筋が凍るような心地がした。一刻も早く逃げなければ。生存本能がけたたましく警報を鳴らしている。酔いが醒めた男が後退りしようとしたその時、もう片方の腕が影から伸びてきて男の首を掴んだ。
男の喉がひゅーひゅーとか細く鳴る。
「そうだよねぇいい女だよね。僕も早く僕のものにしたいんだ」
月の光が路地裏の闇に差し込み、男の腕から先が露わになる。男はその正体に目を見張った。
それは決して恐ろしいものではなかったが、“恐ろしく”感じられた。男の目からは涙が溢れる。喉からも胃液が迫ってきていた。
「本当ならすぐにでも飛んでいけるんだけど、それじゃつまらないでしょ」
男はスマートフォンを地面に投げつけて思いっきり踏み壊す。そして突然燃え始めた。
男は捨てることで空いた片手を開いたり握ったりする。首を絞められている男は、正常に動かなくなってきた頭でそれを不思議に見つめていた。
そして次の瞬間、男は微笑んだ。
「僕が彼女を愛している以上、彼女も僕を愛してくれなきゃ困るからね!」
男が最後に見たのはその男の美しく、人間離れした感情を浮かべる男の顔と、自分の目に迫ってくる彼の指だった。
_____まもなくして、さっきまで遠くで鳴っていたサイレンがすぐ側で聞こえた。