元勇者提督 作:無し
ドイツ 病院
綾波
綾波「外の様子は?」
グラーフ「相変わらずだ、包囲されている…だが、動きはない」
綾波「果たしてあの中の何割が深海棲艦なのか、もう3日も経ちましたが実験はまだ完成していません…いや、完成というものは存在しない仕事ですが、一定の成果を出さずにこのままと言うわけには…」
注射器を手に取り、薬液を自身の身体へと注入する
グラーフ「…それは?」
綾波「治験です、私の体内には薬品の毒性を判断する機能を備えてあります、これが危険なものか判断するには私の身体を使う方が手っ取り早いんです」
グラーフ「……そうか、だが…貴様に倒れられては困る、あまり無茶はするな」
綾波「そうもいきませんよ、さて…お仕事の続きをしないと」
グラーフ「…残された患者の面倒か?」
綾波「ええ、点滴を交換したり病院食を用意したり、忙しいですから」
グラーフ「…本来の目的とズレているのではないか?」
綾波「…目の前の命を見殺しにするのは、今の私からすると少し違うかなと」
グラーフ「貴様は本当にわからないやつだ」
綾波「わかりやすいでしょう?あなたの国や、いろんな国に多大なる被害を与えた大悪党って思えばね?」
グラーフ「……今の貴様は、そうは見えん…」
グラーフさんは目を伏せ、私の前から去っていった
綾波「ま、いいや……あと少し、あと2日は踏み込んでは来ないはず」
パソコンを操作し、メールを送る
綾波「……時間は稼げてる、警察や軍が完全に深海棲艦に乗っ取られてなくてよかった、計画が狂おうがなんだろうが、私はやり遂げなくちゃならない…」
目の前の機械に接続された4人を眺める
この人達は、一種の希望だ
深海棲艦と人間の中間の存在…あの時の私
綾波は、一時的に深海棲艦であり、人間である不老不死のバケモノとなった…
それを、その時の力を流用すれば彼女達の命を救えるかもしれないし、深海棲艦になってしまった人間を深海棲艦の支配から解放できるかもしれない
だが、許されることじゃない
彼女達は苦しむ、苦しめられる…私に
胸に手を当て、強く握る
綾波「……地獄がまた少し遠のきましたね、私の目的は地獄に行くことなのに、少数を救う為に大勢を犠牲にしてはならないのに」
といっても、どのみち大勢を救う手段は今はない
彼女達から抗体を採取できるか、それにかかっている
綾波「……お願いしますよ、私の勝手に少しだけ付き合ってください」
離島鎮守府
駆逐艦 春雨
春雨「……どうですか?これ」
敷波「…前よりは、美味しくできてると思う」
あれから、毎日忙しなく料理の勉強や包帯の交換、傷口の確認や体を清潔に保つ為に体を拭いたりと…
春雨「…しかし、若干味が濃い気もします」
敷波「…なんか、甘い匂い…?…味……マフィン…?」
奥のオーブンからタイマー音がなる
春雨「…満潮さん達が作ってたものでしょうか、しかし…今は休憩中のはず…」
春日丸「私のです」
敷波「うわぁっ!?」
春雨「春日丸さん…?お菓子なんか作れたんですね…?」
春日丸「かつて綾波様に振舞っていただいたことがありまして…」
春日丸さんがオーブンからマフィンを取り出す
敷波「…凄く美味し…そうだね、うん」
春雨(因子で味覚を感じ取ったな…羨ましい)
春日丸「お食べになりますか?それなりの数を作りましたので、構いませんよ」
春雨「では一つ…これ焼きたてを食べるものなんですか?」
敷波「焼き立てが1番美味しいって!いただきまー…熱っ!!」
春雨「……バカなんですか?なんで冷まさずに食べ…ああ、まさか味を知ってるから早く食べたくて仕方なかったとか?」
敷波「そうだよ!悪い!?…あぇー…舌ヒリヒリする…」
春日丸「氷水です、どうぞ」
敷波「ありがとう…それにしても、これ凄く美味しいね」
春雨「…本当ですね、優しい味です」
春日丸「綾波様は深海におられる時、暇があれば私に色々なことを教えてくださいました…深海棲艦の身体では、これを食べても胃に収まりませんでしたが…心は満たされました」
春雨(深海棲艦に、心、か…)
春日丸さんが一つマフィンを口に運ぶ
春日丸「…違う、やはり私では…作れないのですね、あの味は…」
春雨「…これではダメなんですか?」
春日丸「……私は、卑しい事ですが、きっと綾波様に作って欲しいのでしょう…私の心は、これでは満たされない」
敷波「…なんか、わかる気がするな……」
春雨「……」
確かに、私たちがどんなに真似をしても…私たちにとっての思い出の味にしかならない
綾波さんにとっての思い出って…なんなのだろう…
春雨「…でも、せっかく作ったんです…食べてもらいましょう」
敷波「珍しいね、春雨がそんなこと言うの…てっきりこれじゃダメだって言うかと」
春雨「……思い出、今の綾波さんに何もないなら…私たちが作れば良い」
春日丸「作る…ですか」
敷波「…らしくないけど、気に入った」
アヤナミ「…ええと…」
春雨「無理に食べろとは言いません、貴方の食が細いのは知っています、食べたいと思う範囲で良いので…食べていただけませんか?」
トレーを置き、そう告げる
記憶のない人間が世話を焼いている人間にそう言われたら…まず断れない、だけどそれでも…
アヤナミ「…栄養バランスがいいですね」
敷波「え?」
アヤナミ「ありがたく頂きます…いただきます」
春雨(栄養バランス…って、そんなことがわかると言う事は知識は消失していない…?)
綾波さんは少しずつ食事を食べ進め、時折こちらに笑いかける
私達を安心させようとしているのが見てとれた
私たちより、ずっとか弱い相手に…気を遣われている
別に不愉快なわけじゃない、ただ…この人がどんな人だったのかを改めて理解しただけ…
春雨(…やはり、あなたは…悪い人じゃないんだ、だから私はあなたを信じたいと思えた…)
敷波「…綾姉ぇ…」
アヤナミ「…ごちそうさまでした、美味しかったです」
春雨「…お粗末様でした、まさか全部食べてくれるとは…」
綾波さんは普段からほとんど食事を摂らない
一食が普通の半分以下なのに…私たち3人が用意した量は一食分をゆうに超えている
アヤナミ「私のために作ってくださったのなら、それを残すなんてとてもできません、とても美味しかったです」
春雨(…無理をさせたか、いや、わかってたはずなのに…もっと注意を払うべきなのに目先の欲求で行動してしまった…悪い癖だな…せめて、綾波さんに過ごしやすい環境を用意しないと…)
春雨「…ん?」
食堂の入り口で固まり、こちらを見つめるアメリカ人達…
春雨(…そういえば綾波さんのことは知られてるのか、まずいな…)
ワシントン「ね、ねぇ…それ…
ガンビアベイ「…ベーイ…」
春雨「別人です、この方はこちらで保護している艦娘で、艦種こそ同じですが別人です」
アトランタ「そんなコト通じると思ってんの?」
春雨「私の患者に手を出すなら」
籠手から刃が飛び出す
春雨「容赦は一切ありませんよ」
アトランタ「ジャパニーズはすぐに暴力に訴えるんだ?」
春雨「警告ですよ、私はただの医官、戦闘員ではありませんから……しかし、患者は私が守ります」
敷波「っていうか、初対面の相手にそんな明らかに不名誉な渾名で呼ぶのどうなの?ねぇ」
アトランタ「ハッ、こっちからすれば…」
ワシントン「やめて、アトランタ」
ガンビアベイ「ご、ごめんなさい、そんなつもりじゃ…えーと…わ、ワシントン…」
ワシントン「…どうしても確認したかっただけ、別人だと言うならそれ以上拘るつもりはない…だから許して」
春雨「……」
腕を持ち上げ、切先を向ける
春雨「いいですか?…私は弱いです、ですから…守るためなら何でもします」
ワシントン「…わかった」
春雨(それにしても、アメリカ連中は綾波さんをどう思ってるんだか…)
アヤナミ「…悪魔の、科学者…」
敷波「気にしないでよ綾姉ぇ、綾姉ぇの事じゃないんだからさ」
アヤナミ「…はい…」
ドイツ 病院
綾波
綾波「へっくし!……流石にこの辺りは日本より北なだけあって寒いですねぇ…」
グラーフ「呑気なことを言ってる場合か?今すぐ患者を解放しないと突入すると外の部隊が呼び掛けて来ているんだぞ…!」
綾波「まあまあ、これをつけてみてくださいよ」
グラーフにVRスキャナを改造したものをかけさせる
グラーフ「な、なんだこれは…?貴様の身体が透けて見える…」
綾波「えーと、簡単にいえば深海棲艦を見分ける装置です」
グラーフ「何?」
綾波「ただし電力消費が激しくて…30秒しか使えないんですよ」
グラーフ「それでは意味が…」
綾波「外の部隊、全員深海棲艦です」
グラーフ「……どう言うことだ」
綾波「さてはて、深海棲艦というのは海を支配する怪物だったのに…今度は人の姿になり、さらには陸にまで…となると」
コーヒーを口に含む
綾波「……深海棲艦の進化速度が爆発的に早まっている…」
グラーフ「進化だと?深海棲艦が…」
綾波「そうです、さてはて…」
ソーサーを指でなぞり、思案する
殺すのは簡単だ、だが薬品を今作成中…あと20分もあれば試せる…
グラーフ「…まるでドラキュラの様だな」
綾波「それよりタチが悪い、全てが母体なんですから……いや、違うな…本当に母体がいるのなら…」
その母体が進化しているなら、全ての抗体をそれから取れる?
綾波「目標は決まったけど、今果たすべきはそこじゃない、明日より今日…今日を乗り越えるには……」
ベッドに横たわる4名に目をやる
綾波「……まだ目を覚ましてくれないか…何が足りない?いや、器になれなかったのか…私の様に深海棲艦の上位個体だったからこそあの様な力を手に入れられたのだから…」
いや、無茶な手段ならある
確実で、無茶な手段
カートリッジを一つ、取り出す
これは、改二のカートリッジ…
世界を滅ぼすことすらも容易にやってのける力…
それを四等分にし、それぞれに送り込めば…或いは
綾波(……うまくいく保証はない、それにこれは、破棄するべきもの…)
どうしたらいいのか、この4人が目を覚ますには…
グラーフ「おい」
綾波「…なんですか?」
グラーフ「これをみてくれ」
綾波「……おや…」
自然と口角が上がるのはいつ振りだろうか…
綾波「糸が、繋がった…」
朧「やぁぁぁぁッ!!」
リシュリュー「退がらないと吹き飛ばすわよ!!」
タシュケント「ザラ!東の入り口を抑えるのを手伝って!瓦礫が吹き飛ばされてる!」
ザラ「東!?そっちには患者さんが…!」
通路をものすごい勢いで艦載機が通り抜ける
朧「今の…よし、援軍が来た、アタシは西に行きます!」
リシュリュー「これで、より堅固な防御になるわね…!」
グラーフ「
カツカツと靴音を鳴らし、通路を歩く
綾波「準備完了ですか…ふむ……それでは…さあ、実験を始めましょうか?」
入り口を突き破り、入ってきた兵士の横っ面に回し蹴りを叩き込む
綾波「リシュリューさん、患者を屋上に避難させてください、政府に回収を要請しています、屋上なら安全です」
リシュリュー「大丈夫なのね…!?」
綾波「それと、周囲の電子機器を一斉にシャットアウトします、小規模なネットワーククライシスを起こすので通信はもう使えませんけど大丈夫ですか?」
朧『朧了解!こっちは問題ない、片がついたら避難誘導に合流するよ!』
ザラ『屋上ですね!了解です!』
タシュケント『タシュケント
綾波「最終合流地点は正面入り口です、殺さなければいい、暴れてください」
通信を切る
綾波「2人とも、急いでください、グラーフさんも避難の護衛に」
グラーフ「
リシュリュー「こっち!」
2人を見送り、すぐそばの兵士に薬液を注入する
兵士が悲鳴を上げ、もがき苦しむ
綾波「ごめんなさい、痛みや苦しみを取り除く余裕はなかったんです、でも絶対に良くなりますから…ごめんなさい」
入り口に固まった兵士がこちらは銃口を向ける
綾波「…マズイですね」
もがき苦しむ兵士を急いで物陰に押しやる
綾波「私には当たらなくてもこの人には当たるかもしれないんですよ!危ない事しないでください!!」
銃弾がまるで私を避けるみたいに、すり抜ける
綾波「……ああ、やはり地獄は私を嫌っている…」
艤装は今はない、朧さんが使っている…
となると素手での格闘戦…
綾波「…また地獄が遠のく、艤装がないせいでより痛く苦しい思いをさせてしまう……ごめんなさい」
右手を振り上げる、空気が一瞬ピリつき、兵士達の無線がショートする
綾波「…ごめんなさい」
兵士達に近づき、格闘戦で制圧していく
綾波「撃つのをやめてください、味方に当たりますよ」
体を捻り、的確に意識を奪う様な蹴り…
膝を胸にくっつけるほど引いてから放つ突くような蹴りを叩き込む
そして体を捻り、腕を鞭のようにしならせ、全身の勢いを手先に集めて手刀を放つ
距離を殺し、的確に関節を叩き壊す
綾波「正面完全制圧…」
兵士達の落とした拳銃を一つ手に取る
綾波「…スナイパー…か、片目…いや、指?何処にするべきか」
スナイパーの肩を拳銃で撃ち抜く
綾波「ごめんなさい…あなたが深海棲艦かはわからないけど…」
倒した兵士達に薬液を注入する
綾波「……何で、私はこんな…どうして…」
こめかみに銃口を当て、引き金を引く
ガキッと音がして弾が詰まる
弾詰まりを解消し、もう一度引き金を引く
今度は弾が出ない…
綾波「……そうですよね、役目を投げ出してはいけませんよね…ごめんなさい、でも逃げたい…私…」
拳銃が手から落ちる
綾波「……おえっ……おええええ…っあ…はぁ…はぁ………ごめんなさい…頑張るから、逃げたりしないから、逃げられないから…」