時刻は、昼間。欧州のひとつ、ガッシュの恩人の勤める研究所がある国、住宅地の外れにある森の中に俺達は跳んだ。大木の頂点から飛び降りると、街に向かって歩き始める。そういえばチェリッシュとブラゴ、まだ二体の魔物にしか会っていないな。少し気になってゼオンに尋ねてみる。
「さあな。俺の力が強すぎて、誰も彼も躊躇っているのだろう。俺様に挑みにくるなど、自殺行為と大して変わらないからな」
なるほど。魔物には力を感じ取るセンサーのようなものが備わっているのか。彼の解答が終わると、風が静寂を運んでくる。
手持ち無沙汰になり、さきほどの戦いを回顧する。名はブラゴ、黒い本の魔物で、重力を操る術を得意とする。彼の名誉のために言っておくが、彼は魔物の中でもかなり強い部類に入る。魔界でも、その圧倒的な力により大多数から恐れられていると聞く。前の世界では、ガッシュと王位を賭けて最後まで争った経緯がある。
「おい、デュフォー 。聞いているのか」
いきなり声がかけられて、思考が中断される。少し熱中しすぎたな、と謝罪を述べ、再度聞くことにする。今度こそ理解した話をまとめると、金銭面の改善と、ガッシュの記憶についてだった。前者はある程度の対策を練っていたが、後者は未だに迷っていた。考えをそのまま告げる。
「前の俺は記憶を消したのだろう。ならば、今回も消した方が都合がよさそうだと思うが」
彼の意見はもっともだが、いくつか深掘りして考えてみる。記憶を奪った場合と、そうでない場合。ガッシュと清麿は、似た境遇に心を通わせて成長していった。他には、魔界では仲のよかったティオやウマゴンのことを忘れていた。これらに思い出が加わると、出会いにどんな影響を与えるか計り知れない。俺のパートナーへの気遣いのために変化を与えるのは、やはり不味いか。出来れば、今のゼオンに罪を背負って欲しくはないんだがな。雷帝はこちらを一瞥すると、
「俺のことを気遣っているのか。だとしても、それには及ばない。一度は経験しているんだ、今更それが何だと言うんだ」
と、強く言い切る。気付かれてしまったか。俺も以前より感情が出やすくなったのかもな。それも目の前の彼と、これから会う魔物の影響かも知れない。それなら、魔界での記憶は取り上げる方向に決めよう。そう告げると、少年の表情が曇った気がしたが、仕方がないことだ。代わりに、たった今思い付いた案を押し付ける。
「ゼオン、これからガッシュと一緒に遊んでやったらどうだ。記憶は寝た後に消せばいい」
俺の言葉にふと明るい顔を覗かせるが、すぐに眉を寄せこちらを睨め付ける。喜びを隠し切れていないが、こいつは素直じゃないからな。強引に決めてしまうのがいい時もある。俺は別件があるから、と彼の背中を押してやる。照れくさいのか彼は、舌を一度打ち、勝手にしろと吐き捨てる。しばらく背中を眺めてやると、緑の中へ消えていった。
やっと行ったか、あいつは面白い程に素直じゃないな。さて、俺も与えられた課題をこなすとしよう。
……。
「ミスターシルバー。お待ちしておりました。どうぞ、こちらへお掛けください」
迎えの車に揺られること数十分、イギリスの郊外に構える小さなビルの、とある一室に呼ばれていた。用意されていた二人掛けの長椅子に腰かけると、正面では綺麗に仕立てられた黒い背広を着た中年と目が合う。彼はグレーのネクタイを触る仕草を見せながら、話を切り出した。
「早速ですが、あなたが当社の経営を立て直せるとは本当ですか。ぜひ、お力添えをお願い致したく存じます」
そう、俺のやるべき事とは、旅費を稼ぐために奔走することだった。現在訪れている場所は、ここ数年赤字から戻らなくなってしまった零細企業の応接室だ。もちろん俺には、株価も財政も上向かせた経験はない。だが、アンサートーカーという持ち前の能力を使うと、答えが見えてしまう。もちろん、経営を立て直せる答えも。
「ああ、任せておけ。まずは財務諸表を見せてもらおうか」
茶色い髪を後ろに流した彼に、自信を持って指示を出す。実際にこういう仕事をするのには、信頼と実績が不可欠だ。出自すら怪しい青年など、本来なら詐欺だと一蹴されるだろう。だが、この経営者には余裕が全くない。加えて、俺が提示した報酬は相場よりも安いときた。藁にもすがる思いとは、正にこのことだろう。一通り書類を見終わり、原因もほぼ理解したが、まだ足りないな。
「そうだな、社員の働きぶりも実際に見たい。今すぐに見学できるか」
……。
こうして、約束の夜まで時間が過ぎていった。この会社は、もう大丈夫だろう。言われたことを確実に実行すればな。通称、妖精の森とも呼ばれる場所の手前の街、そこに車を止めてもらう。謝礼を渡され、何度も頭を下げられる。この企業が無事に成功すれば、同じような境遇の人々から、依頼が殺到するだろうな。
「俺としても最初の実績が欲しかったからな。こちらこそありがとう、結果は保証する」
自ら送迎までしてくれた経営者と両手で握手を交わし、発つ車両を見送る。姿が小さくなると、森に向かって歩き出す。あいつは仲良く走り回っているのだろうか。全く想像できないな。ふと細かく息が吐き出され、俺は笑っていることに気付く。今までになかった自分の感情に戸惑ったが、前向きな変化だと喜んで迎えることにする。
さて、ゼオンが待っているだろうな。木々を観察しながら暫く進むと、よく似た小さな双子を目にした。大きめの声で呼んでやると、頭上に昇る月光にも似た金髪のこどもが駆け寄ってきた。
「ウヌウ、お主がデュフォー だな。私はガッシュ・ベル、よろしくなのだ」
妙な言葉遣いで喋る魔物は、金色の頭髪を持ち、目の下にはロボットのような線が一本引かれている。ゼオンと似たようなマントを羽織っているが、色は緑と少し違う。彼こそが王になった魔物、ゼオンの弟、ガッシュ・ベルだ。人当たりのよい笑顔を向けられ、こいつはいつでも変わらないな、と安心する。自己紹介を返すと、小さな王は元気よく頷く。
「デュフォー 、遅かったな」
そう言って弟の隣に並ぶ雷帝は、普段より幼く感じた。楽しかったかと尋ねると、まあな、と素っ気ない返事が聞こえた。ガッシュにも同じようにすると、機関銃のように言葉が飛んできた。彼は今までこの森で孤独に過ごしていたらしい。誰かに会えたことがよほど嬉しかったんだろうな。俺は散弾を躱しつつ、兄に会えた感想を求める。すると、その兄が慌てふためく。
「おい、やめろ、デュフォー 。余計なことを話すな」
なんだ、まだ伝えていなかったのか。だが、もう遅い。隣の弟が口を大きく開けて放心しているのを認めると、俺は詳細を語り始める。雷帝は頭を抱え、深いため息をついているが、それを無視して言葉を終える。金髪の子が震える声を零す。
「ゼオンが、今まで、知らなかった、お兄ちゃん……。やっと、やっと会えた……。ゼオン、本当にお主は私の兄なのか……」
観念したように首を縦に振る兄、それを確かに見た弟は、滝のような涙を流し、お兄ちゃん、と何度も確かめるように叫ぶ。そのまま勢いよくゼオンに向かって飛びついた。なぜか、俺の瞳からも雫が溢れた。滲んだ視界で二人を見つめると、俺の見間違いでなければ、白銀の子も目の下に水簾を作っていた。
「ガッシュ、今まで済まなかったな。お前は俺の誇りだ。ありがとう……」
腕を背に回し泣き叫ぶ弟と、頭を撫でてあやす兄。背景の自然も相まって、この世のものとは思えないほど綺麗な絵画のように見えた。ああ、なんて素晴らしいんだ。これこそが、穢れなき愛の結晶か……。俺は心を揺らす幻想にしばらく浸っていた。
ふと意識を取り戻すと、可愛らしい兄弟は仲良く眠りに落ちていた。ガッシュを起こさぬように苦楽を共にした彼を軽く揺する。気がついた雷帝に、これからのことを伝える。
「そうか、分かった」
兄は短く告げると、弟の頭上に右の掌を翳す。内心かなり辛いだろうが、これが最善だから仕方がない。純白の彼は静かに目を閉じる。これほど奪うことに心を痛めたことはあっただろうか。そっと腰を落とし、ゼオンの左肩に右の手を乗せてやる。閉じられた眼光から落ちた水滴は、無情にも生い茂る草木に奪われていった。