白銀 ~sirogane   作:羽山健次郎

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第1話

夢破れ、荷津崎ひろ子が上京してきてから数年が立つ。

ようやく都会暮らしにも慣れてきたとは最近では感慨深い。

 

上京当初はそれは酷いものだった。

とりわけ表だった技能も技術も持たない小娘がまともな就職もできるわけもなく。

それでもどうにかアルバイトで糊口をしのぎ、それも厳しいので一念発起し、いわゆる裏の仕事にも従事することにした。

 

夜の仕事の代表格である水商売もその一つ。

始めたばかりのころは昼夜逆転の生活に慣れるのに苦労した。今では酔っぱらった客のいなし方も覚え、現金収入も安定。

自分一人、慎ましく生きていくには何も問題はなかった。

問題はなかったのに。

 

テーブルの上に置いていた携帯電話が振動し、着信音を奏で始める。

ビクッとひろ子の肩が震えた。おそるおそる液晶ディスプレイを見れば非通知。

出ちゃダメという意識と、出なければいう意識がせめぎあい、結局後者が軍配をあげる。

 

「…もしもし?」

 

返事はない。かわりに荒い呼吸音。ひろ子のなかで疑念が確証に切り替わった瞬間。

携帯を叩き切ると同時に、マンションの自室の玄関扉が乱暴にノックされた。

覗き窓から外を見る。真っ暗だった。外からレンズに蓋をされているらしい。

ひろ子はふるえながらリビングへ後退すると、またもや携帯電話が振動。やはり非通知。

 

「………」

 

ドアの叩く音はまだ続いている。むしろ勢いを増す一方。

震える指で通話ボタンを押し、耳を近づける。受話器から聞こえる荒い息づかいと半歩ずれた乱打音。

ひろ子の全身に鳥肌が立った。

いるのだ。このドア一枚を隔てた向こうで、相手は電話をかけているのだ。

 

「…ここを開けろ」

 

低く押し殺した声。

 

「開けろっつってんだよ!」

 

ドアノブがガチャガチャと激しく回転。

怒鳴り声がドアと受話器越しに輪唱で響く。

 

携帯を取り落とし、ひろ子は顔を覆う。

なんで? どうして?

 

歪みそうになる表情を一生懸命押しとどめようとするのに、止められない。

震えた瞳がガラステーブルの上のリンゴに添えられた果物ナイフを見た。

いざとなれば自分の身は自分で守るしかない。

 

でも。

でもでもでも……!

 

震える手がナイフに伸びる。

幾度かためらい、それでも柄を掴もうとしたそのとき。

 

「ぐへっ!?」

 

ドアの向こうで何かが倒れる音。

短い沈黙のあと、軽やかな電子音が響いた。玄関のチャイム。

それでもひろ子が動けないでいると、ドアがノックされた。先程と比べものにならないほど、穏やかでリズミカルな音。

おそるおそるひろ子はドアに近づき、声を放った。

 

「…だれ?」

 

「遅くなりました。揉め事処理屋です」

 

覗き穴をのぞき込む。

レンズを覆っていた何かは取り去られたらしく、見慣れた廊下が映っている。そこには一人の少年が立っていた。

短く迷い、ひろ子はドアの鍵を開けた。念のためチェーンは外さない。

開いたドアの向こうに見えた少年の容姿をひろ子は訝しげに見てしまう。

どこか茫洋とした雰囲気の少年。歳の頃は高校生くらいだろうか?

 

「すみません、ナイロンロープか何かないですか?」

 

「え、ええ」

 

ひろ子がキッチンの引き出しから取り出して手渡すと、

 

「どーも」

 

受け取った少年は、足下に倒れ伏した男の両手両足を縛り始めた。その手際の良さにひろ子が驚いていると、少年は人好きのする笑みを向けてくる。

 

「気絶してるだけですから大丈夫です」

 

絶対に自力で解けない格好でロープを巻かれて昏倒している男の顔を、ひろ子はのぞき込んだ。

やっぱり、と思う。幾度か客として店に訪れていた男だ。

 

「なんかお金を貸しているとか騙されたどうとか言ってましたけど、心当たりはあります?」

 

ひろ子は首を振る。

その様子に、まあストーカーの常套句ですからね、と少年は肩をすくめた。

 

「じゃあ、とりあえず警察に連絡してください」

 

でも、とひろ子は口ごもる。

実害を被ってないストーカー程度では警察動いてくれない。昨今の凶悪犯罪数の増加に、相対的に未然犯罪には対応が甘くなっている現状だ。

ひろ子の内心を察したのだろうか、少年は微笑んだ。

 

「大丈夫です。こいつ、ドアをボコボコに蹴飛ばしていましたからね。ほら、跡がくっきりと残っている。器物破損の現行犯でいけますよ」

 

そのままさっさときびすを返そうとするので、ひろ子は慌てて呼び止めた。

 

「待って、お礼、お礼…!」

 

「あ、忘れてた」

 

なんとも照れくさそうな表情で少年は振り返る。

こんな柔弱そうな外見の子に、大の男を昏倒させる力があるなんて信じられない。

財布を漁りながらそんな感想を抱く。

ひろ子の手から十枚近い高額紙幣を受け取った少年だったが、わずか二枚だけポケットに入れると残りは丸々返してきた。

 

「遅れちゃいましたからね。ドアの修理費に充ててください」

 

そういって少年は今度こそ背中を向けた。

 

―――金さえ出せばあらゆる揉め事を片づけてくれる凄腕の人がいるらしい。

 

職場の女の子に聞いた噂話。

調べたらあっさりと連絡がついて、半信半疑で依頼したけれど、それがまさか高校生くらいの男の子だったなんて。

 

あまりにも予想外の展開に面食らっていたが、そこで唐突にひろ子は思い至る。

ひょっとして彼は、男が器物損壊という決定的なアクションを起こすまで待っていたのではないか?

確証はない。けれども何か胸がいっぱいになってしまい、思わず少年の背中に声をかけていた。

 

「あ、あの、紅くん…!」

 

少年は足を止め振り返った。

ありがとう、と言いかけたひろ子の目前で、少年の顔は大きく歪んでいた。

 

「紅なんて家族をかえりみなかったロクデナシの苗字だ」

 

「…・え?」

 

吐き捨てるように少年は言って、内ポケットから引っ張りだした眼鏡をかける。

眼鏡越しの目つきは一転して険しいもの。

眼鏡を外すと目つきが険しくなるケースは多いが、その逆は珍しいのでないか。

 

「村上です」

 

戸惑うひろ子に、少年ははっきりと名乗った。

 

「オレは揉め事処理屋、村上銀我です」

 

 

 

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