白銀 ~sirogane   作:羽山健次郎

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第5話

 

村上銀子は情報屋だった。

 

一口に情報屋といっても、およそ三つの職種に分別できる。

 

情報を得て、第三者へ売るもの。

情報を得て、自らが直接益を得るもの。

そして、情報を作り出すもの。

 

村上銀子は一番最初の情報屋に該当する。

祖父であり伝説の情報屋と呼ばれた村上銀次のコネクションを全て使えば、いずれの情報屋としての領分も満たせただろう。

銀子自身としては、裏世界に関わるリスクと益を天秤にかけた結果の選択だ。

暴力が唯一無二のルールとして幅を利かせる世界で、女性である銀子の単純な腕力など、祖父どころか父である銀正にも及ぶはずもなく。(まあ女性でも男性以上の戦闘力を誇る規格外もぞろぞろいる世界ではあるが)

 

ならばいっそ裏世界に関わらないという選択もあった。

なのになぜ情報屋を志したか?

情報屋としての村上の三代目の血のなせる業か。

いや、これは理由にはならないだろう。なったとしても弱い。

なにせ父である銀正自身、あっさりと裏世界への関わりとは手を切ったのだから。

 

つまり何ら強制された理由は存在しない。

祖父のコネクション自体は、金額に換算できないほど貴重なものであるということを差し引いたとしても、銀子が情報屋をしている理由は―――やはり幼馴染の少年を抜きに語ることはできない。

 

紅真九郎

 

物心ついたころから家族ぐるみで付き合ってきた男の子。

真九郎自身と彼の家族が見舞われた不幸。

奇跡的に生還した真九郎を病室に見舞ったときのことを、銀子は生涯忘れないだろう。

抜け殻。

言われるままに食事を取り、着替え、身支度を整えはする。

だが、目は胡乱なままだ。奥底にあった、少年特有の無邪気さや爛漫といったものが、根こそぎ奪われていた。

 

真九郎は壊れてしまったのだ。

 

幼心に銀子は理解してしまった。

家族を失ったという深い絶望は、生きる希望を駆逐。

むしろなぜ家族と一緒に自分も死んでしまわなかったのか? と懺悔にも似た心の軋みが聞こえてくるよう。

 

村上家に真九郎を引き取り、どうにか治ってほしいと寄り添った銀子だったが、更に忌まわしい事件が幼い二人を襲う。

近所の児童館へ行ったときに巻き込まれた、集団幼児誘拐事件。

結果として紅沢柔香の登場もあり、二人は無事に助け出されたが、なんと真九郎は紅香への弟子入りを直訴。

そのままあれよあれよというまに、真九郎は崩月の家へと内弟子入りし、村上家を去ってしまった。

 

残された銀子を襲ったのは喪失感。

死を願っていた真九郎の瞳が前を向いたことを喜ぶべきなのに。

 

そして嫉妬。

崩月の家にいる一つ年上の少女の姿を見たがゆえに。

 

別に会えなくなったわけじゃない、と自身を納得させようとしたが、丸三日はベッドの上で泣き腫らしたのは揺ぎ無い事実。

寂しさを紛らわせるために、という自分へ向けた口実で、銀次の残したコネクションを使って情報を集め始めたのは、いま思えば一種の破滅願望の裏返しではなかったのか。

手に入れ、理解したのは、揉め事処理屋柔沢紅香の圧倒的な業績。そしてそれを上回る悪評の数々。

裏世界。

この世の理不尽と暴力の跋扈する巣窟。

真九郎が踏み込もうとしているのはまさにその世界。

そしてもはや、それを留めることは出来ない。

銀子の反対する声にも、耳を貸そうとしない。

 

なら―――あたしはなにが出来るのだろう?

 

決断は、情報屋としての自立。

真九郎が得ようとしているものと比肩するための、唯一無二の選択。

なくなりそうな接点を繋ぎ止めるため、といえば健気すぎる。

銀子が選択したのは、共に堕ちていく覚悟。

そのことを、もちろん真九郎自身に語ったことはない。語る予定もない。

自分自身が弁えていれば良いこと。

 

それでも事あるごとに促さずにはいられない。

崩月の修行で凄まじいまでに疲弊している真九郎を目の当たりにしたとき。

裏世界の実情や、裏十三家や表御三家の情報に触れたとき。

揉め事処理屋を始めた真九郎が、何かしらの怪我を負うたびに。

 

いくら忠告をしても揉め事処理屋を続ける真九郎に、自分の出来ることはそれとなくサポートすることだけ。

かといって共依存の関係に陥ることだけは絶対に避けなければならない。

暗がりをおっかなびっくり歩くような真九郎を、表の世界に引き戻すことを諦めたわけじゃないから。

九鳳院の娘との関係などといったしがらみを更に増やしていく姿を見てもなお。

 

それにしたって高校一年生の冬の出来事は極めつけだった。

悪宇商会の最高顧問との一騎打ち。

命を拾えただけでも幸運だというのに、まさか引き分けるとは。

あっさりと事後報告してきた真九郎を、どれだけ叱りつけたか覚えていなかった。

むしろ更なる深みにはまっていくような真九郎の姿に焦っていたからかも知れない。

 

 

 

 

 

更に季節は流れ、忘れもしない高校二年生の初秋。

新聞部で日課を終えて、いつもと同じく一人での下校途中。

 

「あ、村上さん」

 

路地裏から声をかけられた。

クラスメートの男子の川嶋。

 

「ちょっとこっち来てくれない?」

 

警戒色を滲ませる銀子に頓着する様子もなく、いきなり腕を掴んできた。

とっさに反応できなったのは、耳に聞こえてくる弱々しい猫の声も一因だ。

引っ張ってつれていかれたのは、路地裏にある側溝。

鉄蓋の隙間から、その声は聞こえてくる。

 

「どうもこの隙間に落ちちゃったみたいなんだよね。でも、俺の腕だと狭くて入っていかなくて…」

 

つまり、この中の猫を助けようと奮戦中らしい。

普段の銀子であれば一顧だにしなかっただろう。

しかし、子猫らしい衰弱した声に、川嶋の心底困ったような表情に主張を変節させることにする。

川嶋という生徒に特に強い印象はない。クラスでも会話を交わした覚えはなかった。

ただ、中肉中背の凡庸な容姿が、少しだけ幼馴染の姿とダブって見えた。

 

「…この中に手を入れてみればいいの?」

 

「ごめん、悪いけど頼むよ。ほんと可愛そうで」

 

哀れむ視線は本物だった。少なくとも銀子にはそう見えた。

地面に膝をつくまえに、もっていたハンカチを敷いてくれたのには少し見直したほど。

恐る恐る隙間に手を入れる銀子。

警戒した猫に噛まれるかも知れないが、それでも構わない。

指が側溝の中を探る。思ったより浅い中で、何かが手に触れた。

 

「…?」

 

柔らかいものではない。硬い手ごたえのそれを摘みあげると、猫の声のオクターブが上がった。

ICレコーダー。

そう認識するより早く、川嶋の声が降ってきた。

 

「本当にごめんね」

 

頭部に衝撃。

意識を失う寸前に気づく。

さきほど川嶋が向けていた哀れみの視線は、側溝の中でなく自分に向けられていたことに。

 

 

 

気がつくと、薄暗い場所にいた。

頭がズキズキと痛む。

冷たい床から身体を起こし、特に衣服に乱れがないことに胸を撫で下ろす。

淀んだ空気はほこりっぽい。普段はあまり使われてない場所であろうことを推察。

 

突然、電気がついた。

思ったより広い空間。

高い天井は骨組みがむき出しで、巨大な照明だけが幾つも括り付けられている印象。

壁も床もコンクリートの打ちっぱなしで、窓と思しき一面は鉄板で塞がれている。

 

「銀子ちゃん、気がついた?」

 

分厚い扉を開けて入ってきたのは川嶋。

思わず自分を抱きかかえてしまったのは、他人の口から「銀子ちゃん」などと呼ばれる嫌悪感から。

 

「ごめんね、初めてだったから加減わからなくて。こぶ程度で済んでいればいいんだけど」

 

川嶋の背後から数人の男が入ってくる。全員がバラバラの高校の制服を着ていた。

 

「………」

 

銀子は沈黙を守る。下手にうろたえたり感情を出せば相手の思う壺。

今はただ状況把握に努めるのみ。

 

「へえ、騒がないんだ? どうして拉致られたのかって不安でもない?」

 

沈黙して表情にヴェールをおろす銀子に対し、川嶋はますます愉快そうな表情になる。

 

「まあ年頃の男が女の子を拉致ってすることっていったら一つでしょ?」

 

不快な笑い声に、他の男子生徒たちの追従笑いが続く。

予想通りといえば予想通りの反応。

認めたくないが、どうやら銀子は彼らの御眼鏡に叶ってしまったらしい。

 

「それに、銀子ちゃん、処女でしょ?」

 

動揺をしないように、必死で感情を押さえつける。せいぜい冷たい目で見返せば、相手は薄ら笑いを浮かべていた。

 

「その反応、やっぱりそうなんだね? ははっ、賭けは俺の勝ちだわ」

 

背後の男子生徒たちと笑いあっている。「実際に剥いてみなきゃわかんねーだろー」という下卑た声に耳を塞ぎたくなったが必死で我慢。

 

「とまあ、ぶっちゃけるとさ、銀子ちゃんみたいな純潔? ってーの? そんな奥手の美少女たちの初体験動画コレクションを作ろうって盛り上がっちゃってさ」

 

下衆極まりない話を要約すれば、男子生徒たちはインターネットのチャットで知り合った同士だという。

それぞれがそれぞれの高校から、対象の女生徒を物色。

改装した廃ビルの一室に拉致監禁してレイプ。

その映像を撮影共有するのが骨子であり趣旨。

 

「まあ身内だけでまわす動画だからさ。ネットには漏れないから安心して」

 

男子生徒の数はおよそ十人。

それだけいれば漏洩するのは確実。

仮に流出すれば、被害者は更なる恥辱を受けることになる。

 

「そんで銀子ちゃんは栄えある一回目ってわけ。大丈夫やさしくするから~」

 

最後の声音はわざと女性の声を真似ている。

気持ち悪さにさすがに銀子も後ずさる。

しかし、状況は相変わらず絶体絶命。

そのとき、川嶋の携帯が着信音を奏でた。

 

「もしもし~? いまいーとこなんだけど? それよか早く来て…って、はあ!? マジかよー」

 

おいどうした? という周囲の声に、川嶋は携帯を仕舞いながら苦笑い。

 

「撮影機材持ってくるやつが今日は持ってこれないってさ」

 

「じゃどーすんのよ? ここまできて生殺し?」

 

「しゃーないべ。初体験動画は一回勝負だもん」

 

交わされている会話の内容は最悪だが、どうにか窮地は免れそうだ。

表情に出さず安堵する銀子の内面を見透かしたのか、川嶋の笑顔はこの上なく邪悪。

 

「…ま、楽しみは明日にとっておこうよ。肉も、少し寝かせると美味しくなるっていうしさ」

 

鳥肌を立てる銀子を名残惜しそうに一瞥し、次々と出ていく男子生徒たち。

 

「あ、忘れてた」

 

戻ってきた川嶋が、床にビニール袋を置く。

ペットボトルや何やらが入っているのが見える。

どうやら兵糧攻めをするつもりはない様子。

 

「とりあえず撮影は明日に延期するからさ。今日はゆっくりと休んでね?」

 

ふざけんじゃないわよ!

銀子はそう怒鳴りたかったが必死で抑制。無言でにらみ付けたのはせめてもの抵抗だ。

厚い扉は閉ざされた。ガチャリと重そうな鍵のかかる音が続く。

濁った空気にも関わらず、銀子は深呼吸。

立ち上がろうとして、腰は抜けていた。

今頃になって手足が震え始める。

 

…まさか、裏世界も情報屋も関係ないことでこんな事件に巻き込まれるなんて。

考えてみれば、それは別に驚くに値しないのではないか。

この世界は、理不尽と不条理に溢れている。

日々、誰かが事件に巻き込まれている。

その順番がたまたま自分へ回ってきただけ。

それが宝くじよりも当たりやすい確率で巡ってくるのは、いまの世の中の道理だ。

ゆえに警察はあてにならず、揉め事処理屋などという非合法な存在が許される。

 

真九郎―――。

 

銀子は強く思う。

強く強く想う。

 

自分が行方不明になったら、きっと一も二もなく探してくれると信じている。

確信がある。

望みはある。

 

だけど、間に合うの?

 

当然のように携帯電話は奪い去られ、閉ざされた空間に時間を知らせるものはない。

先ほど引き上げていった川嶋たちの会話から察するに、まだ日付は変わっていないだろう。

特に連絡もなく家に戻らなければ、両親が気づく。まっさきに連絡するのは真九郎のところに違いない。

そして真九郎はどうするか。

学校からの銀子の足取りを辿るはず。

しかし、川嶋と出会ったことまで突き止めることが出来るだろうか?

下校途中からあの路地にいたるまで、誰か他人の目についた覚えはない。

 

栄えある一回目だと川嶋は言っていた。

銀子にとって最悪極まりない展開と言える。

なぜなら大半の事件は発覚してから、捜査、対処されるもの。

殺人事件は死体が発見されたからこそ。

連続殺人事件は、続けて殺人が犯されたゆえ。

つまり、起きたと第三者にはっきりと認識されない限り、それは事件ではないのだ。

何度も繰り返されるほど事件の存在そのものが漏れやすくなる。

まだ起きてもいない連続レイプ事件が漏れるはずもなかった。

 

真九郎は、銀子が拉致されたと理解はできるかも知れない。

だがそれ以上の悪意の存在までは理解できまい。

想像は出来ても、現実を突きつけられるまで、何が行われようとしているのかまでは決して理解できないだろう。

そしてそのときには、銀子は最悪の展開を迎えているはず。

 

「真九郎…」

 

幼いころに真九郎と誘拐されたときの記憶が突然浮かびあがってきた。

あのときは、いまと同様に恐怖と不安に包まれていたが、傍らに真九郎がいてくれた。

でも、いまここに真九郎はいない。

 

立ち上がり、恐怖に抗うように部屋を調べ始めた銀子だったが、ますます絶望が深くなるのを感じる。

窓の鉄板はご丁寧にリベットで埋め込まれている。

空調のダクトは手の届かないほどの高みにある。

コンクリートの壁に亀裂などもちろん存在せず、出入り口は唯一厚い扉があるのみ。

川嶋たちが手足も縛らずに放置していった理由もこれだ。

 

時として、もてあます時間が想像を呼び、恐怖を加速する要因となる。

銀子はビニール袋を開けて中身を物色。サンドイッチにペットボトル飲料は、念のため未開封であることを調べてから口をつけた。

いま出来ることは体力の温存。

真九郎に一縷の望みを託し、銀子は長い時間に備えるしかなかった。

 

 

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