どれくらい時間が過ぎたことだろう。
不意に空気が動く。
複数の人の気配が、扉から入ってくるのを感じる。
身構えたときには、すでに周囲を男子生徒に囲まれていた。
正面にはニヤニヤ笑いの川嶋。
寝入ってしまった自身の迂闊さを呪っても、あとの祭りだ。
「銀子ちゃんって結構神経太い子? こんな状況で眠れるなんてさ」
下卑た声。
「てっきり楽しみで眠れなくているんじゃないかと心配したんだけどねー」
睨み付けるも、川嶋は微動だにしない。
周囲の男子生徒が淡々とライトを配しカメラをセッティングする様子が銀子の恐怖をそそる。
弾かれたように銀子は立ち上がった。
そして渾身のダッシュ。
全力の逃走は、あっけないほど簡単に取り押さえられて終わった。
「そうそうそれくらいイキが良くなくっちゃ面白くない」
川嶋が上着を脱ぎ始めた。
銀子は動けない。
両腕、両足のそれぞれを違う男子生徒たちに押さえつけられてはロクな抵抗が出来るはずもなく。
「…あんたたち、最低ね」
それでも自然と口が動いた。
「うん、自覚してるよ」
ブレザーの前を肌けられ、ブラウス越しに胸を弄られる。
唇を噛んで、銀子は堪えた。
川嶋をにらみつけ、そこを最初に触らせた幼馴染の姿を想い浮かべ嫌悪感に耐える。
スカートをまくられ、太ももを撫でる感触もやり過ごす。
「なんだよ、反応なくてつまんねーじゃん」
「いやいやこう必死で耐える様子が萌えるんだよ」
「それにしても銀子ちゃんだっけ? なんかパッとしないねー」
「いまどきの処女なんてこーゆー根暗な女が大半だろ?」
好き勝手をいう外野の声を受け、満面の笑みを浮かべる川嶋。
「みんなそう思うだろ? でもさ、こうやると」
「止めて!」
顔の前に手が来て、相手の意図を理解した銀子は初めて声を荒げた。
そんな反応に気を良くしたらしい川嶋は、一気に眼鏡を取り上げてくる。
晒されたのは、完全に無防備となった銀子の顔。
「ほら、こうすっと結構美人さんなんだぜ、銀子ちゃん♪」
止めて。
口だけが動き、声が出ない。
心理上の最後の防衛線。
幼馴染にしか見せることのない素顔。
それすら剥ぎ取られ、銀子の瞳に涙が盛り上がる。
歪む視界に、もはやあふれ出てくる嗚咽を止める術はない。
「止めて…っ! 止めてよう…っ!」
嫌だ。
こいつらに素顔を見られるのが嫌。
こいつらに好き勝手にされるのなんて嫌。
こいつらにあたしの最初を渡すなんて死んでも嫌!
ヒューっと誰かが口笛を吹く。
やっぱこうでなくちゃねー、と誰かが歓声を上げる。
川嶋の指がブラウスのボタンをはずし、別の誰かがスカートのホックを外してずり落とそうとしているのに、銀子は必死で身をよじる。
無駄な抵抗だ。
そして抵抗することが連中を昂ぶらせることを理解してなお、銀子にはそれしか出来ない。
否。
もう一つだけ。
たった一つだけ出来ることがある。
それは、信じること。
涙にまみれた顔をゆがめ、乱れる呼吸を飲み込み、銀子は力を込めて叫ぶ。
魂の絶叫。
「真九郎ーーーーーーーっ!」
ドカン! とまるで大砲の炸裂するような音がすぐ近くで弾けた。
分厚い鉄板が、床の上でぐわんぐわんと回転している。
ぶち抜かれた壁から斜めに差し込むオレンジ色の陽光。
もうもうと埃の立ち込める光の中に佇む中肉中背のシルエットは、人にあらざる器官を右肘から生やしている。
その姿を認め、銀子が再び真九郎と叫ぼうとしたときには目前に覆いかぶさっていた川嶋の姿が消失していた。
半瞬遅れて濡れ雑巾が壁にたたき付けられるような音が響く。
「お」
おまえは誰だ? と言いかけたに違いない名も知らぬ男子生徒は、驚きの表情そのままにロケットのように垂直上昇。そのまま落下してくる気配はない。
銀子が上体をおこしたときには、室内にいたであろう十人にも及ぶ男子生徒たちは、残らず壁際に転がっていた。
「真九郎…」
見上げた幼馴染の顔は、いまだ興奮冷めやらぬようで、苗字と同じ色に染まっていた。
怒っている。
これだけ怒りをあらわにした真九郎を見たのは銀子は初めて。
そしてこれが本気を出した真九郎の力なのか。
「…真九郎!」
もう一度強く声をかけると、ようやく真九郎の目つきから険が消えた。
「だ、大丈夫か銀子どこも怪我してないか!?」
早口で焦る真九郎の姿は、銀子が知っているいつもの姿。まるで憑き物が落ちたよう。
「…どうにかね」
銀子はそこでようやく衣類の乱れに気づく。
真九郎に背を向けてもらって衣類を整え、無事だった眼鏡を装着し、どうにか周囲を観察する気力が出てきた。
床に転がった分厚い鉄板が大きくひしゃげていた。まるで外からダンプカーが衝突したみたいに。
これが崩月に伝わる剛力。
男子生徒のほとんども一撃で昏倒したらしいが、全員死んではいない。
きっと窓をぶち破って室内に飛び込んだ直後に、戦鬼の角は収納したのだろう。
戦鬼の力を行使すれば連中は五体満足で済まなかったはず。
「…遅くなってごめん」
と、背を向けたまま真九郎。
「…本当、遅いわよ」
悪態を返しながらも、銀子の内面は嬉しさで満たされていた。
レイプ寸前を救われた安堵はもちろんある。
それよりも真九郎が助けに来てくれたことが嬉しかった。
自分のことで真九郎が怒ってくれたことが、何よりも嬉しかった。
銀子は川嶋たちのことを警察に訴えはしなかった。
それなりに実害は被ったが、警察と関われば、調書やなにやらと面倒なことになる。
それに公権力が動くとなると、いくら隠したところで不名誉な噂が立つのは避けようもない。
ならばなかったことにする方が幾分かマシと考えたのだ。
だがそれはあくまで合法的な、という意味において。
銀子自身、その悪質さに対し容赦しようとは思わない。
川嶋はしばらくの入院生活のあと、ひっそりと自主退学。
しかしその後の動向は、銀子は情報屋の技能を駆使し、逐一把握済み。
いつ警察がやってくるのか怯えた生活を送り続けるのが相応しい。
「今度何かしたら殺してやる」
真顔で真九郎がそう呟いてくれたこともあり、銀子の溜飲は下がってしまっている。
また、銀子を見つけるために真九郎がとってくれた手段も、心臓に通う血を熱くしてくれた。
銀子の所在が不明としらされ、その行方を探る真九郎。
しかし、銀子以外、ろくに裏世界にコネを持たない上に、行方不明なのは当の銀子。
ならば、と真九郎がとった行動は、悪宇商会―――ではなく、九鳳院紫に頼ること。
紫経由で騎馬に頼み込み、軍事衛星の使用を申請。
最新技術の衛星は、屋内にいる人間すらピンポイントで判別できるという。
その情報を元に、間一髪真九郎は間に合った次第。
念のためと連れていかれた病院で、これまた念のためと検査の一泊入院。
病室でもひたすら侘び続ける真九郎にさすがに鬱陶しくなった銀子だったが、ようやくその理由に気づく。
銀子が行方不明になって丸一日以上が経過しているのだ。
銀子にしていれば真九郎が間一髪のところで来てくれたことに間違いはないのだが、真九郎にとっては異なる。
丸一日の空白。
その間に、銀子は何かされたのではないか?
自分にも言い出せないような酷いことをされたのではないか?
本来、それは真九郎は後ろめたく思うことではないのに。
ゆえに銀子は困り果ててしまった。
大丈夫よ、といったところで真九郎に虚勢と見なされればそれまで。
そのことを証明するには―――。
「本当に大丈夫だったのよ」
銀子は、このとき、一生分の勇気を振り絞ったかも知れない。
「…だから、今晩はずっと一緒にいて…?」
真九郎は応え、銀子は与えた。
さすがにその結果までは予想していなかったのだけれども。
村上銀子は情報屋だった。
そして現在。
紅銀子は二児の母にしてラーメン屋である。