ウィザード・ディテクティブ~魔術探偵ホタル   作:天木武

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Episode 3 インプロパー・リレーション
Episode 3-1


Episode 3 インプロパー・リレーション

 

 

 

「……つまり、奥様が不倫をしているんじゃないか、と」

 

 一見して甘いマスク、併せて少し気の弱そうな印象。だが同時にそこが母性本能をくすぐったりするのかな、とレンズ越しの目の前の依頼人の男性に尋ねつつ穂樽夏菜(ほたるなつな)はそう思った。それに対し、イケメンながらも気の弱そう、という印象を裏付けるかのように控えめに目の前の男性は頷く。

 今回ファイアフライ魔術探偵所を尋ねてきた目の前の男性の依頼は「妻の浮気調査をしてほしい」というものだった。依頼人の名は平山清(ひらやまきよし)、20代後半のウドである。大手会社に勤めており、収入が安定して高い一方、出張が頻繁にあり、家を空けることも多いらしい。そんなある時、妻が自分が贈ったものではない装飾品を身に着けているのを目にしたのだ。一応どうしたのか尋ねたが、「もらった小遣いで買った」と答えただけだったと言う。

 

「ですが、アクセサリーだけで浮気……ひいては不倫ではないか、と判断するのは……。こう言っては失礼ですが、少々考え過ぎではないかと」

「……私が不倫を疑っているのは、それだけが理由ではありません。どちらかといえば、アクセサリーの件は決め手になったというか、薄々そんな気配があったところでより疑念が深まったというか」

「と、言いますと?」

 

 先を促そうとする穂樽だが、平山は躊躇うように一瞬黙った後、ゆっくりと続けた。

 

「妻とは結婚して2年程になります。ですがその……結婚後に性交渉に応じてくれたのは、多くありません。特にここ半年では、1度も」

 

 ははあ、と穂樽は内心で唸っていた。確かにこの手の話は同性の方が話しやすいだろう。普通は女性でも気軽に話せるというメリットの方が強く出るのだが、今回に限っては相手の気が弱そうなのも相俟って穂樽の性別が裏目に出てしまったらしい。

 しかし幸か不幸か、もっと下劣と言ってもいい下ネタは前の職場で嫌と言うほど聞いている。免疫は十分。故に気にする必要はない、という意味をこめて彼女は何の抵抗もなく次の台詞を続けた。

 

「独身で年下の私が言うのもなんですが、今時セックスレスの夫婦はさほど珍しくないのでは?」

 

 この歯に衣着せぬ物言いには、平山も苦笑を浮かべざるを得なかった。

 

「……女性なのに抵抗なくズバッとそういう単語言うんですね。割と言葉選んだのに」

「前の職場で下ネタばかり言う女子の先輩がいましたからね。慣れてるんです」

 

 肩をすくめる穂樽。その様子に遠慮は無用と判断したのだろう、今度は相手方も余り気を使わずに切り出したのがわかった。

 

「まあとにかく仰るとおり、セックレスの状態です。でも、私は子供を望んでいるんです。ところが彼女が『まだ早いから』とかなんとか、いつもなあなあで誤魔化されてしまって」

「そこにアクセサリーの件も合わさったと。確かにそうなると出張の多い平山さんが不在の間、奥様が性欲を満たすために不倫をして、別な男性と肉体関係を持っているのではないか、と疑いになられるのも頷けます」

 

 平山は先ほど同様、苦い表情だった。おそらく「無遠慮に言う人だ」とか思われていることだろう。しかしこちらも仕事だし、第一浮気調査でこの手の話は慣れている。回りくどい言い方で時間をかけるよりは効率的に進めた方がいいと、穂樽は完全に割り切っていた。

 

「……わかりました、全部話しましょう。私と妻が初めて会ったのは、いわゆる合コンです。当時妻はまだ大学生だったんですが、うちの会社の女好きな奴がどうやってかその大学の女子相手にセッティングして。それで私も誘われたんです」

 

 コンパはいい感じに進んだらしい。酒が入って酔っていたということもあり、依頼人の平山も普段より気が大きく、また気分がよくなっていた。そこに現在妻になっている人物に言い寄られ、早い話が誘惑され、理性が抑え切れなかった。結果、出会ったその日のうちに一夜を共にしてしまったのだという。

 まあこれだけのイケメン、さらに大手会社で高収入とくれば女は食いつくだろうなと穂樽は思った。同時に、タイプではないから自分ではそうはならないだろうとも思うのだが。

 

「酒が入っていた当日はよかったです。でも、翌日にはまだ学生である彼女をたぶらかしてしまったような罪悪感が襲ってきました」

「……どちらかと言うとたぶらかされたと思いますけど」

 

 反射的に口走ってからしまったと思ったが後の祭り。依頼人はジロリと穂樽へと一瞥をくれてきた。頭を軽く下げ、謝罪する。

 

「すみません。続けてください」

「……探偵さんなかなかきついですね。まあともかく、彼女とそこで寝てしまったのは事実なわけです。その後、連絡を取ることもあり、何度か会ったりもしました。そして交際するようになって、彼女は大学を卒業したら結婚しようと切り出してきました。出会った日の責任を感じていたのはありましたが、それ以上に私も彼女を愛していた。だからそれを了承しました。ただ、私がウドだということを伝えると彼女は大層驚きましたが……それでも構わないと、その時は言ってくれました」

「ちなみに奥様はウドですか?」

「いえ、違います。互いにそのことは結婚の話が出るまで話題にしたことも無かったです」

 

 一度休憩を挟むように平山はコーヒーを飲む。メモを取っていた穂樽は、おそらくこの流れだとウド絡みでセックスレスになった、という流れかと考えていた。

 親が両方ウドの場合は子もウドになる確率は100%、一方親の片方がウドの場合でも70%。非ウドの人間からすれば、我が子が偏見の目にさらされるのを怖れるために子供を作りたがらない、ということは十分にありうる。実際に妻の方は子作りに乗り気でない、という話を既に聞いていれば、なおさらそう思えた。

 

「結婚してしばらくは、何度か夜を共にしたこともありました。でも元々出張が多く、家を空けることが多い仕事です。さらに幸か不幸か、社内で功績を認められ、より重要な仕事を任せられるようになった。結果、結婚後の方が出張が増えてしまったんです」

「それに対して奥様が不満を?」

「いえ。むしろ出世を喜んでくれました。ただ、先に述べたとおり性交渉の機会は元々少なかったのに拍車をかけるように減りました。私の方から誘っても気分ではない、とか、あまり体調良くないから、とか。そんな折に見かけた買った覚えのないアクセサリーに……もしかしたら彼女は不倫をしているんじゃないか、と思うようになったんです。出張で家を空けることが多い以上、妻が何をしているのかはわかりません。彼女を信用したいと思いつつも、自分の相手をしてくれないのはもしかしたら、とずっと感じていたのは事実です」

 

 唸りつつ穂樽はペンを持った右手を顎に当てて考えていた。確かに臭う(・・)。イケメンで高収入の相手と、大卒と同時に結婚。十分満足できるような相手だったが、惜しいことにウドだった。だが、子供を諦めたとしてもその他の社会的優位性は十分、とも言えるだろう。どうにもそういう気配が強い。

 もっと言ってしまえば離婚して慰謝料をふんだくる、という算段まであるかもしれない。それだけ悪質だと「悪女」という言葉が相応しいとさえ思える。そうなると、先を見越して次の相手を見つけるための不倫、ということまで視野に入ってくる。とりあえず身辺を洗ってみる価値はありそうだ。

 

「……わかりました。お受けします」

「本当ですか!? ありがとうございます。……正直、普通の探偵所に頼むとウドという理由で相手にされないのではないかと不安だったんです」

「そのお気持ちはお察しします。それに、そう思って当事務所を訪問していただいたとあれば、私も『魔術探偵所』という名を出している甲斐があるというものですよ。……では依頼の書類を用意します。あと、可能な限りで結構ですので奥様の情報をいただければと思います」

 

 穂樽はパソコンデスクから書類を取り出し、平山へと差し出した。彼がペンを走らせる様子を見つめつつ、コーヒーを流し込む。シュガーローズの足元にも及ばない味だが、少し渇いた喉を潤すには十分だった。

 反対側から書類を見つめていて、彼が妻の名前と出会ったきっかけとなった合コンの大学名を書いたとき、穂樽にとって予期せぬ文字を見かけた。意図せず「あ」と声をこぼしてしまう。

 

「どうしました?」

「いえ。……奥様、私と同じ大学のようでしたので」

「そうなんですか? 妙な偶然もあったものですね」

 

 さらにその妻の年齢を覗き込んで小さく唸った。

 

「3つ下か……。ってかあそこ、会社相手に合コンとかやってるとこあるんだ……」

「合コン企画したうちの社員がおかしいんだと思いますよ。なんか色んなネットワーク持ってて、それで大学生相手にも出来たみたいですから」

 

 サークル辺りならOBが顔を利かせれば開催できなくはないか、と穂樽は思うことにした。性が乱れているサークルというものは風の噂で耳にしたことがある。いずれにせよ自分が在学中には縁のない話だったし、卒業した今となっても関係はない。

 もっとも、そういうサークルに所属していたのだとしたら、やはり目の前の依頼人には申し訳ないが妻は悪女か、尻軽女の類ではないかと邪推してしまう。そしてそんな女性が結婚した相手との性交渉を拒むのは、相手に魅力を感じないか肝心の相手が機能不全辺りか。だが平山はイケメンの類だし、当人はやる気(・・・)があるのだから後者の線もない。となると、子供を作りたがる夫とは寝れないために不倫、という理由に行き着くような気がしてならなかった。

 

「これでいいですか?」

 

 そんなことを考えているうちに、依頼人は必要事項を記入し終えたらしい。不足がないことを確認すると、「妻の写真です」と、わざわざプリントアウトしてきてくれた写真を渡してくれた。

 

「明日から5日間、私は出張で家を空けます。妻はその時に何か行動を起こすのではないかと考えています」

「わかりました。ではその期間、奥様を張らせていただきます。……それで、少々心苦しいお願いではあるんですが」

 

 言いつつ、穂樽は砂の入った小瓶を取り出した。相手はそれをしげしげと眺める。

 

「この中の砂を少量でいいですので、奥様が移動時に持ち歩くバッグ等に仕込んでもらえますか?」

「構いませんが……。探偵さん、使用魔術は?」

「砂塵魔術です」

 

 それで相手は察したらしい。「ははあ」と納得した声を上げる。

 

「なるほど、これで追跡するのか。……でもこれ、魔禁法大丈夫ですか?」

「スレスレですね。場合によっては黒かもしれません。十条で言い逃れるには苦しいかもしれませんし……。本来でしたら常時お宅の見える範囲で張りこむのがもっとも正しいやり方なんですが。奥様や周辺住人に怪しまれるリスクや、尾行の際見失わないような安全性を考えると、より確実な方法としてはこれかと。無論依頼人の方に頼むのは先ほど述べたとおり心苦しいですので、無理強いはしません」

「手伝って黒なら私も共犯かな。……ま、やってみます。少しの砂ぐらいなら、知らん顔出来るでしょうし」

 

 ありがとうございます、と穂樽は頭を下げて感謝を示した。これがあるのとないのとでは全然苦労の度合いが変わってくる。理解あるウドでよかったと思っていた。

 

「……それから、ですが」

 

 次いで、少し難しい顔を浮かべつつ、穂樽は受け取った書類のある部分を見て切り出す。

 

「もし不倫が発覚した場合、こちらにそれ以上のことを望まない、と書かれましたが、よろしいんですか?」

 

 平山が頷く。先ほどの表情のまま穂樽は続けた。

 

「僭越ながら意見を述べさせていただきますと、当事務所はバタフライ法律事務所という弁魔士もいる事務所と提携しております。慰謝料関係であまりに不利な条件を突きつけられた場合、民事裁判に対応してくれる弁魔士をご紹介できますが……」

「もし彼女が不倫をしていたとして、その事実を突きつけて反省してくれるというならそれで構いません。……そうでない場合、彼女が私より不倫相手と一緒になる方が幸せだというのであれば、私は彼女の意思を尊重したいと思います」

 

 思わず言葉を失った。つまり彼の言い分だと、「不倫相手の方をより愛しているなら、離婚してもいい」と言っていることに他ならない。

 

「では法廷で争う気もない、と」

「穏便に済ませたいと思います。その方が双方のため、特に、彼女のためによりいいでしょうから」

 

 これ以上何かを助言しようと言う気にはなれなかった。この男性は優しい、を通り越して人が好すぎる。いや、それさえ通り越しているとさえ思える。

 おそらくこの件はいい結果とはならないだろう。そんな予感を、穂樽は密かに抱いていた。

 

 

 

 

 

「今回の依頼人、お人好しを通り越してただの馬鹿だニャ」

「ニャニャイー、あまり悪く言うのはやめなさい。……私だって思ってても言わなかったんだから」

 

 翌日、平山の家付近の駐車場。そこに張り込み用に車を止めてマニュアル通り後部座席に座りつつ、穂樽は煙草を蒸かし、連れてきた使い魔のニャニャイーと他愛もない話をしていた。

 実のところ、ここから家の様子は窺えない。が、平山は渡した魔力をこめた砂を妻の何かしらには仕掛けてくれたらしく、動いたらその反応を追えばいいために直接見張る必要はないと判断していた。

 家を直接見張り続けなくていいというのは比較的気楽だ。さらに、適当に車を移動させて待機していれば平山に述べたとおり怪しまれるリスクも、尾行に移った際に見失う可能性も減る。

 

「それより反応動いてないんでしょうね? 一応私も気づけるようにはしてるけど」

「ぬかりはニャいニャ。私は主人に似て優秀だから心配無用ニャ」

「全くその通りだわ。反論の余地無しね」

「……でも最近その煙草のせいで本当に優秀か疑わしいニャ」

 

 使い魔の抗議を無視し、穂樽は煙草をなおも蒸かす。使い魔である以上、ニャニャイーもある程度は穂樽と魔力を共有している。そのため追跡センサー代わりの砂が移動すれば両者とも感知できる。よって、長期戦になったら交代で休憩できるよう、彼女は使い魔同伴で張りこみに望んでいた。通常は数名でシフトを組むこともある長時間の張り込みを、個人単位の事務所でやろうとするが故の苦肉の策でもある。無論、暇つぶしの話相手がほしいという側面もあるわけだが。

 

「それにしても、さっきのあなたじゃないけどお人好しが過ぎるわよね、今回の依頼人」

 

 煙草を咥えたまま、タブレットPCを操作してまとめた調査対象のデータを呼び出す。

 平山清の妻、名は平山朝子(あさこ)、旧姓は北條(ほうじょう)。穂樽と同じ大学で学年は3つ下。より調べてみると、さらに意外なことにゼミまで被っていたらしい。直接の面識はないが、仮にいたとしても、思えばあのゼミは当時から人気で人数の多かったからわからなかっただろうと思い出す。そのため、いろんな人がいてもなんらおかしくはない。

 

 そこで意図せず、穂樽は舌打ちをこぼしていた。大学時代のゼミ。思い出したのは言うまでもなく、彼女が片思いをして、不倫紛いの恋になっていたかもしれない教授のことだった。未だ諦めきれず引き摺りつつある思いを忘れるよう、忙殺するように仕事に身を置いているはずが、その教授という共通点があるなんとも皮肉な巡り合わせ。そんな気持ちを打ち消すように、穂樽は深く煙草の煙を吸って吐き出した。

 

「ゲホッゲホッ……! 穂樽様、煙いニャ、煙草臭いニャ!」

 

 咳き込み、使い魔が抗議の声を上げる。さすがにこれはよくなかったと彼女も思った。

 

「……ちょっと今のは蒸かし過ぎた。ごめん」

 

 思わず感情的になってしまったと反省する。素直に謝罪の言葉を述べてから最後の葉を燃やし、煙草を揉み消す。次いで煙と一緒にため息をこぼし、背もたれに深く寄りかかった。

 

「どう考えたってこの女、イケメンで高収入だから擦り寄った口でしょ。きっかけが合コンだし、いきなり寝てるわけだし。ところがいざ結婚しようとしたらウドだった。旦那の顔も収入もよくて社会的優位性は十分、でも子供を産みたくともウドの確率は7割と高い。それで自分まで冷ややかな視線を受けるのはゴメンだから旦那とは寝ない。代わりに不倫して別な男と寝る。不倫がばれて詰め寄られたら慰謝料請求してはいさようなら、って手口じゃないのこれ」

「異論ニャし、ニャ」

「だとしたらどうしようもない悪女よ。『少しでも勝ち目があれば依頼を受ける』と豪語してるバタ法だって弁護を諦めるほどにね」

 

 もっとも、依頼人の平山は全くそんな風に思っていないようである。あくまで彼は彼女を愛していて、彼女からも愛されていると思っている。そしてお人好しを通り越すほどの考えでもって、自分より不倫相手といる方が幸せなら離婚をもいとわない。

 勿体無い男だと思う。もう少し年がいっていたら自分のタイプに当てはまるだろうに、とも思える。あるいはいっそバタ法の男好きアソシエイトに紹介してやった方が、よっぽど幸せじゃないかとさえ考えてしまう。

 願わくば、不倫をしているかもしれないというのは依頼人の思い過ごしであり、さっきの話も全部考え過ぎで、このまま何もなくニャニャイーと5日間車で話してるだけなら、と思わずにいられない。何もなければそれでいいのだ。

 

「ニャ。穂樽様」

「……ええ」

 

 しかしそんな彼女の淡い希望はもろくも打ち砕かれそうだった。ニャニャイーも感知した以上、間違いない。調査対象、朝子が動き出したのだ。長期戦になるかもしれないという考えと裏腹。張り込み始めてまださほどでもない。よってまだ夕食には随分と早い。どこかで少し遊んで夕食を食べてから、本当の夜遊びと洒落込むのだろうか。

 運転席へと移動しつつ、穂樽はさらに異常を感じていた。センサーの移動速度が予想以上に速い。明らかに人の足のペースを越えている。

 

「穂樽様、この移動速度は……」

「タクシーか! これだからセレブ気取りの女は……! 都内で比較的駅近の超優良物件なんだからちょっとは歩いて公共交通機関使いなさいよ!」

 

 文句を漏らしつつも急いでエンジンをかけて車を発進させる。同時にナビを起動させ、大まかに自分の位置と相手の位置の照合作業も行う。

 

「ニャニャイー、運転に気を使うから細かい追跡とナビゲートお願い」

「了解ニャ」

 

 やはり使い魔を連れてきて正解だったと思いながら、彼女は車を走らせる。ナビは使い魔に任せればいい。運転に専念し、穂樽はタクシーに乗ったであろう対象を追い始めた。

 

 

 

 

 

 反応を追った結果、首都高へと乗ることとなった。そこで穂樽はうまく距離を詰め、目視でもタクシーを確認。あまり近づき過ぎないようにしつつ、後をつける。

 それからやや走った後で対象を乗せたタクシーは繁華街の付近で首都高を降りた。しばらく後ろを走ってからその行き先を悟り、穂樽は思わずため息と愚痴をこぼす。

 

「……これ行き先完全に駅じゃないのよ。ほんと、どうせ駅行くなら公共交通機関使えっての。首都高使ってるしタクシー代結構なはずよ?」

 

 駅に向かっているということはそこで不倫相手と合流し、その後繁華街を歩き回る可能性が高いと彼女は踏んだ。なら走りにくい都内でこれ以上車を使うよりも降りた方が自由が効く。仮にその読みが外れたとして、タクシーを捕まえればいい。適当なコインパーキングに車を停め、あとは車なしで追うことにした。

 

「ニャニャイー。車停めるけど、このまま車に残るのと窮屈だけどバッグに入ってるの、どっちがいい?」

「どっちも嫌ニャン! サポートするからバッグ以外にしてほしいニャ!」

「じゃあバッグね」

 

 有無を言わせず非難の声を上げる使い魔をバッグの空きスペースに入れ、穂樽は車を降りた。センサーが動いていない。どうやらタクシーが駅付近の渋滞に巻き込まれたらしい。ある程度予想はしていたが、これで距離を離されることもない。同時に、もうそこからなら降りて駅まで歩けとも彼女は思いつつ、足早に駅へと向かう。

 

「……あんまりニャン。こんな扱い、酷いニャン……」

 

 歩く彼女のバッグの中から悲痛な声が聞こえてきた。少々かわいそうと思い、それなりに機嫌を取っておくことにする。

 

「はいはい。後で一緒にお風呂でも入ってあげるから、機嫌直しなさい」

「ニャ!? それなら今回は特別に大目に見るニャン」

「変なところだけ女子なんだから、ほんと……。誰に似たのやら」

 

 そのぐらいでこの不当な扱いを許してもらえるなら安いものだろう。どうにも最近ニャニャイーを困らせていることはわかっている。たまにはサービスも必要だし、労ってやらなければいけないとも思う。

 

 そんなことを考えながら駅に着くとほぼ同時、追っていたタクシーもようやく駅に着いたようだった。そこから対象の女、朝子が姿を現す。ここまでセンサーとタクシーを目視で追って来たため、朝子の格好を見るのは初めてだった。その風貌に思わず穂樽は眉をひそめる。

 お世辞にも上品とはいいがたい。はっきり言ってしまえばけばけばしい。どこかの社交会やパーティにでも行くのかと言うような格好だった。ファーがあしらわれた上着に、下は膝上のタイトなスカート。赤い派手なハイヒールに生足といかにもな風体である。依頼人は妻がこういう格好をしているのを知ってるのだろうか、それともこういうのを好んでいるのだろうかと思わず考えてしまう。

 

 朝子の相手はまだ来ていないらしい。少し距離を離し、穂樽はそれとなく観察しつつ、バッグの中のニャニャイーに指示を出してデジカメを準備させた。相手が現れたらまずその顔写真を抑える。その後尾行、あとは決定的瞬間、要するにいわゆるラブホテルに入る瞬間を撮影できれば証拠として十分だろう。

 視界の隅に相手を入れながら、無関係を装って待つ。煙草を吸いたかったが喫煙所は近くにない。それに相手がいつ来るともわからない以上、目を離すわけにもいかなかった。

 

 ややあって、朝子に近づく男が現れた。彼女もそれに応じようと返事をしているらしい。使い魔の名を小声で呼び、デジカメを受け取る。ばれないように相手の男の顔を液晶の画像に映し出してシャッターを切ると同時――。

 

「……えっ」

 

 決定的なタイミングであるにもかかわらず、穂樽は次以降のシャッターボタンを押せなかった。デジカメの液晶から目を外し、彼女自身の目でその男性を見つめる。その顔は液晶に映ったものと全く違わなかった。少し白髪の混じった髪、若干皺が見えつつもこざっぱりとして凛々しい顔。その男性は朝子と軽く抱き合い、ほぼ間違いなく不倫相手であると推測できる。

 しかし穂樽は固まったまま動かなかった。いや、動けなかった。

 

「そんな……。嘘……どうして……」

 

 うわ言のようにそう呟き、呆然と朝子の「不倫相手」である男を見つめる。しかしその光景は、穂樽が望むような嘘でもなんでもなく、現実だった。見間違えるはずのない相手のその顔に、驚愕と絶望の入り混じった声が零れ落ちる。

 

「……先生(・・)

 

 調査対象の朝子と抱き合った中年の男性。それは紛れもなく穂樽が今述べた「先生」、すなわち、兼ねてから彼女が片思いを続けていた、家庭があるはずの大学教授に他ならなかった。

 




この話のテーマがテーマですので、R-15タグをつけさせていただきます。
タイトルは「インプロパー・リレーション」、直訳すれば「不適切な関係」。浮気・不倫を連想する言葉としては有名かと思います。
本文中、基本的に不倫という単語を用いてますが、「結婚している場合不倫、交際レベルの場合浮気」という感覚で使っています。が、「浮気調査」に関しては「不倫調査」よりも一般的らしいのでそっちを用いています。

ちなみに穂樽が妻のいる大学時代の教授に片思いをしているというのは公式設定で、原作7話で語られています。
また、「子がウドになる確率は、両親がウドなら100%、片親なら70%」というのは、BD1巻ブックレットに書いてあった公式設定になります。

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