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クインの依頼を正式に受けることになった翌日、穂樽はまず外堀から埋め始めようと情報収集に取り掛かることにした。「名前を出さない」ということを条件にバタ法へと聞き込みは許可してもらっている。そこを使わない手はないと、かつての職場を訪れ、最初に何でも屋受付嬢の
「細波サンゴさん……。シャークナイト法律事務所のアソシエイトですね。私はさほど直接の面識はありませんが、あまり悪い噂は耳にしません。こういう言い方は合っているかわかりませんが、曲者揃いのシャークナイトの中で比較的おとなしいというか、良識人と言いますか……」
穂樽自身少しは情報を仕入れてから来ている。鮫岡がボスのシャークナイト法律事務所の弁魔士で、高校時代は運動部に所属。身体能力が高く、運動神経は抜群。大会でいい成績を収めたこともあった。しかしそれ以上の印象的な情報はない、というか、周囲に比べて目立つところがない、という感じだった。
そんなイメージで尋ねたところで、どうも抜田から得た情報も似たようなものだったらしいと悟った。今さっき彼女が言ったとおり、シャークナイトは曲者揃い。そこで目立たない、となれば良識人という印象になるのだろう。
「抜田さんもそう思います? 私も軽く調べたんですが、ほんと特徴らしい特徴がないというか……。運動神経がいいらしい、ということはわかったんですが、それ以外ではあまりわからなくて」
「うーん……。これはデータで扱う私よりも、実際に顔を合わせたことのある
「そんな自虐的にならなくても、抜田さん十分魅力的だと思いますよ。……カクテル飲みすぎて酔い潰れなければ、ですけど」
「そ、それは言わない約束で……」
思わず抜田は困った表情を浮かべる。彼女からすれば苦い思い出だろう。
少し前に2人で飲みに行った時、初めて入ったバーで少しはしゃぎ気味だった抜田はジュース感覚でカクテルを飲んでしまい、結果酔い潰れて穂樽が自分の事務所まで連れて帰った、ということがあった。相手が自分だったから良かったようなものの、不心得者が一緒だったら大変なことになっていた、と後で穂樽に言われ、抜田は反省しきりだった。
「とにかく、私より左反さんの情報の方が頼りになるかと」
「ですよね……。やっぱあの人頼みになっちゃいますよね。自分で切り出したけど……気乗りしないなあ……」
そう言って渋い顔を浮かべる穂樽の肩に、ガシッと腕が組まれた。しかもご丁寧に組んだ先の腕は胸を揉んでいる。
「気乗りしないとか口だけで、体は素直なんでしょ、ほたりん? 今日の昼食、そっちからの誘いでしかも代金まで持ってくれるんだし」
穂樽はため息をこぼし、自分の胸を揉んでいる手を払った。
「……確かに昼食を誘ったのは私ですし、食事代も私持ちでいいです。でも胸を揉むのはやめてください。別料金取りますよ」
「おおう、最近の女探偵は体を使って情報を得ることもあると聞いていたけど、それは別途追加料金が発生か……」
「最悪だわ、この人。どこの風俗店ですか」
完全に呆れきった声でそう言われても、左反
「私なんかが色仕掛けしたところで、どの程度通じるのか逆に知りたいところです」
「え、じゃあ何? やる気はあるの?」
「……そこまで露骨じゃなくても、女であることを武器にしたことはありますよ。まあそれっぽいことを利用しようとした時もありましたし」
へえ、と少々わざとらしく左反は驚いた様子を見せる。
「じゃああたしが探偵になったらこのナイスバディで男共を悩殺して情報聞き出し放題ね!」
豊満な胸を自慢げに揺らす彼女を呆れた様子で見つめつつ、その前にあんたには予知魔術という非常に探偵向きな魔術があるだろうと突っ込みたかった。もっとも、迂闊に使いすぎて目をつけられれば魔禁法違反は免れないと思えるが。
とにかく昼食という名目で、主に左反から細波の情報を聞き出そうと思う。しかしこの後もこのセクハラ紛いの内容が随所にちりばめられた会話をしないといけないと思うと、少々億劫ではあった。
◇
昼食には主に話を聞きたかった左反の他に、
「しっかし鮫王子ならまだしも、細波とはねえ……。まあ普通の女ならそうなるか」
かつて行きつけだった和食を主に出す食堂で、箸を片手に左反はまずそう切り出した。既に移動中に「依頼人が細波のことを知りたがって依頼してきた」という経緯は話してある。当然その依頼主がクインであることは入念に隠していたが。
「どういう意味ですか?」
「そのまんま。あいつ、女にマメなのよ。それはいいんだけど、あたしから言わせればマメすぎてつまらない。だから逆にあたしはあんまりタイプじゃないのよね。それよか鮫王子の方が大分いいわ」
鮫王子、とは細波が所属しているシャークナイト法律事務所のボス、鮫岡生羽のことだ。見た目が王子っぽいからそんな呼び方になってるだかなんだがで、左反が適当につけたらしい。そんな風にバタ法時代に聞いたことがあった。
「まあ男性経験豊富な左反さんがそう言うならマメっていうのは間違いないんでしょうけど……」
「え!? そ、そりゃ勿論そうよ! セシルっちもそう思うでしょ?」
なぜか一瞬動揺した様子を見せた左反だったが、特に気にせず穂樽は質問を流されたセシルの方へと目を移した。その視線を受けて一度頷いて食べているものを飲み込んでから、セシルは話し始める。
「確かに、今そり姉が言ったとおりマメな人なのは事実だよ。なっち抜けた後だったけど、一緒に食事会あったときにセシルに色々細かく気を使ってくれたし」
「ちょっと待って。それって合コンって事?」
「お? ほたりん残念かな? 抜けた後で悪いね、あたし主催でどうにかこぎつけることに成功したんだよ!」
得意げに笑う左反を冷ややかに一瞥。次いでその視線を穂樽はセシルのほうへも向けた。
「……で、あんたもその合コンに参加した、と」
「う、うん」
「
「あ、あれは
顔を赤くして必死に否定するセシルに対し、あくまで淡々と「ふーん」と相槌を打つ穂樽。
「セシルっちにも出会いが必要だろうと気を利かせたのよ。……今じゃもう男いるみたいだから溜まってもいないだろうけど」
「お、男じゃないし元々溜まってない!」
相変わらずの酷い下ネタだと思ったところで、穂樽はふと気になることに思い当たった。
「というか、よくその時もよさん止めな……うわっ……」
が、言いかけた言葉を途中で切って、露骨に顔をしかめる。もよがケチャラー&ホイラーで、常にケチャップとホイップクリームを持ち歩き何にでもかけることは知っていた。そのため味覚がおかしいということもまたバタ法時代から有名であった。が、目の前で刺身にそれらがかかっているのを見ると、日本人としてはちょっと待てと突っ込みたくなるのが信条だろう。久しく見ていなかったせいもあってダメージは倍増、いや、共に食事をすることの多いセシルや左反まで苦い顔をしているのだから、やはり慣れるものではないと改めて実感する。
「んー? どうしたのなっち? もしかしてお刺身1枚食べたい?」
果たしてそれを刺身と呼んでいいものか。赤と白という本来ありえない物体が上にかかった刺身と呼ばれたものを彼女は箸で掴んで穂樽の方へと向けたが、激しく手を振ってそれを拒絶した。
「いや、そうじゃないんですけど。セシルがシャークナイトとの合コンに行くとかなって、よくもよさん止めなかったなと思って。一緒に行ったんですか?」
「んーん、行ってないよ」
これは珍しいこともあったもんだと思う。大抵この手の話が出るともよは必死にそれを止めようとするし、実際青空の件の後もそれとなく文句も言われていた。だがこれに限ってはどうしてだろうかと思う。
「そり姉は合コンとか言ったけど、要は懇親会みたいなもんでしょ? ライバル事務所とは言っても険悪よりは友好的なほうがいいだろうし。まあ向こうもセシルんをそういう目で見てるわけじゃないだろうから、別にいいかなーって思って口出さなかっただけだよ」
「もよさんは何故行かなかったんです?」
「だってもよよんパラリーだしぃ」
まあ言われてみればそうか、とも思った。やけにセシルにくっついてるし他のアソシエイトとも仲が良く、自分の相談役になってくれたこともあった。だが、本来もよはパラリーガルでアソシエイトとは違うんだったと穂樽は思い出した。
「でも、もよよんもお呼びかかってたじゃん」
と、ここで横から口を挟んできたのは左反だった。これまた穂樽の予想とは大きく違った。さっきの彼女の言いようではてっきり声すらかかっていないものだと思っていたが、それを断ったということになる。しかも普段は男関係、そうじゃなくてもセシル関係となると自分のこと以上に神経質になる彼女が、である。
「本当ですか? それでも行かなかったんですか?」
疑問をぶつける穂樽を気にかけた様子もなく、ケチャップとホイップクリームがたっぷり乗った刺身を食べ終えた後で、もよは答えを返す。
「そうだよ。さっきも言ったけど、もよよんパラリーだから。他のパラリーの皆が呼ばれてないのに自分だけ行ったら、なんか場違いじゃない?」
そこで穂樽はようやく納得した。バタ法のパラリーガルは彼女だけではない。確かに他の面々に比べてもよは若いが、だからと1人だけパラリーガルが行っては浮いてしまう可能性もある。
それよりも、と彼女は思考を切り替えた。そもそもこれは細波の話を聞くための昼食の誘いでもあるのだ。
「……で、その合コンどうだったんですか?」
「なんだ、やっぱり興味あるんじゃん」
「違います! 細波の話ですよ!」
「ああ、そっちか。だからさっき言ったとおりだって。あたしはその前から知ってるけどマメすぎてウマ合わないって印象。もっと好き勝手にさせてほしいっていうか、逆に疲れるっていうか。でもセシルっちみたいな普通の女子からすれば、色々気を利かせてくれる男、ってなると思うよ。それにイケメンなのは否めないし」
クインは面食いではない、と穂樽は思っている。それならかつての部下もかなりのイケメンだったのだから、もう少し女らしい行動があってよかったはずだ。となると、やはりマメという点に惹かれた、ということになるだろうか。
「セシルは、今左反さんに言われたとおりの意見で異論無し?」
「無くはないけど……。やっぱりマメ、っていうのがまず出てくるよ。私が話に入りにくかったときに話をそれとなく振ってくれたりとか、飲み物が少ない時に次どうするか聞いてきてくれたりとか」
「……小田さんとどっちがタイプ?」
「ちょ、ちょっとなっち!」
顔を真っ赤にしたセシルを見て思わず穂樽は笑いをこぼした。が、直後、殺気の篭った視線を感じる。見れば、もよがじっと穂樽を見つめていた。
「じょ、冗談ですよ、もよさん。ちょっとセシルからかっただけですって。だから真顔で見るのは……」
その弁明に、もよは普段通りの笑顔へと戻った。思わず、肩の力が少し抜けたのを穂樽は感じていた。
「わかってるって。なっちがセシルんをからかうみたいに、私もなっちからかってみただけだよ。なっちがセシルんのこと大好きなのはわかってるから大丈夫。……勿論私には敵わないけど」
「い、いや待ってくださいよ。もよさんがセシル大好きなのはわかりますけど、なんで私も入ってるんです?」
「でもなっち、最初は厳しかったけど、その後ずっとセシルに優しくしてくれるじゃない。……素直じゃないよね」
「なんでそうなるのよ!」
言ってしまってから、こうやってムキになるせいで言われるんだと、穂樽は自分で反省することにした。これ以上下手に話すと墓穴を掘りかねない。雑談はほどほどに、昼食を進めようと穂樽は箸を進めた。
とりあえず、今さっきの話からなんとなく対象の像が見えてきた気がした。あとは実際に彼の行動を観察し、それから判断しようと考える。この後は実際に張り込んで対象の動きを観察するのがいいだろう。だが相手に顔が割れている可能性が高いとなると、果たしてどこまでうまくいくやらと、先行き不安な思いを抱えたまま、昼食の時間は過ぎていった。
◇
シャークナイト法律事務所は、バタフライ法律事務所からさほど離れていない距離にある。色々考えた結果、元バタ法という立場を利用し、バタ法の誰かを待っているフリをしてシャークナイトを張り込む、という方法を穂樽は用いることにしていた。かなり苦し紛れの手段ではあるが、いつ出てくるかわからない相手を見張る以上仕方がない。さらに、他人を装って近づいて荷物に追跡装置代わりの砂のセンサーを忍ばせるのも難しいと思える。となれば、基本に則った張り込みと尾行しかない。つまり、対象を見逃したらそこで終わり、ということである。
もう間もなく17時、かつて自分が定時上がりをしていた時刻となる。そうなれば目的の細波が出てくるかもしれない。見落とすことは許されない。適当にカモフラージュする用の小説を広げ、対象が現れるのを待つことにした。
穂樽自身、そうそううまくいくとは思っていない。場合によっては数時間ここで待ちぼうけ、ということもあるだろう。しかしそれもやむなしとも思う。本来なら煙草を吸いたいが、ここいら一帯は禁煙地区。我慢も仕事の内だと自分に言い聞かせる。そうして1時間ほど経った頃だっただろうか。
突然、背後から肩を叩かれた。この付近の店の人に不審がられてしまったかもしれない、と思って振り返った彼女は、より状況が悪いことを悟った。
「よう、姉ちゃん。あんた、元バタ法のアソシエイトじゃろ? 誰か待っちゅうかえ?」
独特の土佐弁と共に話しかけてきたのはシャークナイト法律事務所の弁魔士の工白志吹だった。シャークナイトの正面からは誰も出ていないはず。裏口から出てきたのだとしたら、明らかに自分に対して疑念を持っての接触だろうと思わず顔から血の気が引く。が、冷静を装って彼女は返事を返した。
「ああ、工白さん。どうもこんにちは。ちょっと、この後バタ法の人と約束があったんでここで待ってまして……」
「ほほう、なるほど、そうかそうか。俺はてっきり……うちの事務所でも見張っちゅうかと思ってたわ。ちょいとうちの側に寄った場所におるしなあ」
ますます内心では焦りを覚えるが、表情だけはどうにか笑顔を貼り付け続けられた。怪しまれないよう、咄嗟に言い訳を考える。
「まあ……あまり事務所の目の前で、ってなると早くしろって圧力かけてるみたいになってしまいますし。それはちょっと申し訳なく思って……」
「確かに。……ただ、1時間もそうやって待ってるっちゅうのは、どうも効率悪そうじゃきんな。連絡ちゃんと取った方がええんじゃないかや?」
「え、ええ……。そうですね。でも、どうも仕事が押してるみたいです」
笑顔は貼り付けているが、言い訳が苦しいかもしれない。そろそろ勘付かれかねない。大声でも上げて逃げるべきか。いや、それでは今後の活動に支障をきたす可能性もある。では、どうするべきであろうか。
そんな考えを懸命にめぐらせる彼女をあざ笑うかのように。実際不敵に微笑を浮かべ、顔を近づけて声量を落とし、しかし追い詰めたといわんばかりに工白は切り出した。
「……姉ちゃん、声震えとらんか?」
「い、いえ。そんなことは……」
「俺の魔術知っとるか? ……言霊魔術やき、相手の言葉には敏感でな。動揺はようわかるんちゃ」
まずい。直感的にそう判断した彼女から貼り付けていた笑顔が剥がれた。反射的に上着のポケットへ右手を入れる。手をかけたのは砂入りの容器。そこから砂を撒き散らし、目をくらませて逃げる。そう算段を立てたが――。
ポケットに右手が入ると同時、その腕は相手に掴まれた。かくなる上は大声を出してどうにか手を払って逃げるしかないと、声を上げようとした、その時。
「穂樽君、だったかな。すまないが、揉め事は起こしたくない。こちらも手荒な真似はしないと約束する代わりに、少し話を聞かせてはもらえないだろうか」
いつの間にか近づいてきていたのだろうか。前方から聞こえてきた声に、手詰まりだと穂樽はため息を大きくこぼした。立っていたのはシャークナイトのボス、鮫岡生羽。こうなってしまってはもうどうしようもない。観念して左手をホールドアップ。降参の意思を見せて口を開いた。
「……わかりました。答えられる範囲で、事情をお話します」
「懸命な判断だ。コーヒーぐらいは用意しよう」
「ついでに灰皿も用意していただけると嬉しいです」
鮫岡は少し口の端を上げ、踵を返した。ついてこいという意味だろう。工白も手は離してくれたが、背後をしっかりと固めている。逃げ出せそうにない。
まあこうなってしまったらクインに平謝りするしかない。元々無茶があったのだから仕方ないだろうと、穂樽は自分に言い聞かせ、かつての職場のライバル事務所へと足を進めた。
細波の設定である「女性にマメ」というのは公式設定で、人物紹介のところに書かれています。というか、それしか書かれていません。
ですのでこの話はそこから膨らませた話になります。
ちなみに文で書いただけでもケチャップとホイップの乗った刺身というのは破壊力がある気がします……。