ウィザード・ディテクティブ~魔術探偵ホタル   作:天木武

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Episode 5-4

 

 

 食事会は双方の都合を調整した結果、数日後に決まった。穂樽は依頼主がクインであったこと、直接細波に礼をするという名目で食事会を考えており、自分も参加するので複数名同士で行うのはどうかということを提案。加えて、金額はこちらで持つが喫煙さえ可能なら場所はこちらからの希望は特に無い、という旨を細波に伝えた。

 それを受け、相手側は行きつけでいい中華料理屋があるということでそこを薦めて来た。また、鮫岡と工白が同席することに加えて細波の性格から全額は持たせられないと6割を持つという要求だった。クインにそのことを問うと、金額を向こうに持たせることに不満を見せながらも渋々了解してくれた。結局、穂樽は双方の連絡役として橋渡し役を担当したということになった。

 

 そして食事会当日。特にお洒落をするでもなく普段通りの格好でクインは待ち合わせの店の最寄り駅へと現れた。

 

「……いいんですかクインさん?」

 

 いつもとなんら変わらない服装で、いかにも「どうにか早く仕事終わらせて来ました」というオーラを漂わせるクインに穂樽が尋ねる。

 

「何が?」

「これから男口説きに行くのにそんな普通の格好で……」

「だから口説くつもりねえっつーの! ……それにな、いくら上辺だけ慌てて繕ってもどうしようもねえんだ。自然体が一番なんだよ」

 

 それは一理あるかもしれない、と穂樽は思う。確かに自然体なら付け焼刃をするよりもボロを出す可能性は減る。もっとも、それ以前の問題としてクインの自然体では全く男が寄り付かないのではないか、とも思うのだが。

 

「……お前、今あたしのこと『まあどうせいい格好しようが元が元だからどうしようもない』とか思ってたろ?」

 

 しかし直後、不意に言われた一言に思わず穂樽の顔が固まった。それで相手は自分の推測が正しかったとわかったらしく、ガリガリと頭を掻いている。

 

「……すみません、思ってました」

「素直でよろしい。……いいんだよ、格好なんか別に。どうせ礼言ってちょっと飯食いに行くだけなんだから」

 

 言いつつクインは穂樽に先導させて案内させようとする。やれやれとため息をこぼし、穂樽は先に立ち、夕暮れの街を歩き始めた。

 

 結果的に相手側に店やら金額やらは譲歩というか、任せ切りになってしまった気はある。そのことに穂樽は若干の責任を感じてもいたが、聞く限りそこまで堅苦しい店ではないらしい。なら比較的気楽だろうし、穂樽のイメージの中では中華ならフランス料理辺りよりは気張らなくていいという印象を勝手に持っている。せっかくの中華だからおいしくいただこうとも思ったりしていた。

 

 指定された中華料理店はさほど駅からは遠くなかった。決して安そうな店ではないが、比較的入店を躊躇うような店でもなかった。実際、中に既にシャークナイト側が来ているかを確認しようとした穂樽より早く、特に気にかけた様子も無くクインは入って行ったのだった。もっとも、「店員に聞けば早い」という刑事特有の思考からそうしたと言えなくも無いのだが。

 シャークナイト側はもう既に店内に顔を並べていた。事前の連絡にあった通り鮫岡、工白、そして細波の3人。以前穂樽が事務所で話を聴取された時に見かけた海神往は来ていないようだった。

 

「おお、まっこと警部殿ちや。こりゃたまげた」

 

 立ち上がっての挨拶より早く、まず挑発的に独特の土佐弁でそう切り出したのは工白だった。にやついた表情と合わせて完全に茶化しているとわかる。そして気の短いクインは安易にその挑発に乗せられた。

 

「あぁ? うるせーな、あたしが来ちゃいけねえのかよ!」

 

 今にも口論となりそうな空気に、慌てて穂樽は彼女の服の裾を引っ張って落ち着くよう合図を送りつつ口を開いた。

 

「クインさん、折角の食事会なんですから。落ち着いて……」

「お前も自重しろ。……いきなり申し訳ない、警部さん。今日はそちらからの提案で食事会と言う話です。互いに過去の確執はあるかもしれませんが、今日のところは水に流して、ということでお願いしたい。……なんでも、うちの細波に助けられた礼がしたくてこの件を穂樽君に提案されたと聞きましたが」

 

 さらにそこに鮫岡もフォローに入ってくれた。そのおかげか、2人は言い争うことなく、ようやく話が本題に入るようであった。

 

「……まあな。酔っ払ってフラフラだったときに助けてもらった。本当はあたしが直接礼を言えば手っ取り早かったんだが、さっき言われたとおりかつてはでっちあげでそちらに踏み込んだこともある身だ。どんな顔をして会ったらいいかわからねえから……穂樽を使った」

「姉ちゃん、そいつはとんだとばっちりじゃったなあ」

 

 やはり挑発気味に言ってきた工白に対してクインが一瞥。「やめろ」と鮫岡が再び割って入ることになった。

 

「それでこちらとしても全ての合点がいきました。……ただ失礼ながら、普段の印象を考えるとこういうことに関して奥手というのは少々意外ではありますね」

「悪かったな」

 

 そこまで言ったところで鮫岡は傍らの細波に目で合図を送った。それを受け、クインが礼を言いたいと言った相手は一歩前へと出る。

 

「クイン警部、事情はよくわかりました。でも俺は見返りを求めてやったことではありませんし、過去のことも特に気にしていません。ですので、あまり気にしないでいただければ、と」

「そう言われても……。感謝はしてる。今日はせめて、それだけでも伝えたかった。……ありがと」

 

 少し恥ずかしそうで視線を外してそこまで述べてから、クインは右手を差し出した。一瞬それがわからないと見つめた細涙が、すぐに握手を求めていると気づいてその手を握り返した。

 一瞬、クインの目が見開かれた。その様子と、先ほどの話からこういうのが得意ではないのに握手で感謝の意を示そうとしていると細波は気づいたのだろう。穏やかな声で語りかけた。

 

「感謝の言葉とお気持ちは、ありがたく受け取っておきます」

 

 その言葉に対してか、クインは小さく笑みをこぼした。照れ隠しか、満足したという意味だろうか。穂樽にはそれを把握し切れなかったが、次に細波へと視線を移したクインの表情は妙に清々しかった。

 

「……ま、これで大体満足したわ。折角そっちお勧めの飯屋なんだ、食おうぜ。話は食いながらでも出来る」

「ウマ合わん思うてたが、それには賛成ちや。ここの料理は絶品じゃき」

 

 場の仕切り役である鮫岡が店員を呼び、料理を持ってくるように頼んだ。中華ということで量が多めの豪華な料理が机に並び、紹興酒が用意された。どちらかというと食事のときは洋風を選んでしまう穂樽としては中華は久しぶりであり、話に混ざることを忘れないようにしつつも、ついつい箸が伸びていた。

 

 食事会自体はクインと工白が時折舌戦気味になったり、クインの愚痴大会になりかけたり、弁魔士から探偵へと鞍替えした穂樽に主に鮫岡から質問が飛んできたりと色々あったが、大きな問題もなく進んだ。ただ、クインは恥ずかしがっているのか、あまり細波と話した数は多いとはいえなかった。折角セッティングしたのに勿体無い、と穂樽は思いつつも、相手が「見返りを求めてのことではない」と言っていた以上、脈があまり無いと判断したのかもしれないとも考えていた。

 それでも細波は基本的に噂どおりマメだった。グラスが空きそうになれば率先してお酒を注ぐなり、ソフトドリンクの方がいいか尋ねてくるなりしてくれたし、皿が空いていれば取り分けするか聞いてくるようなマメさだった。途中2度ほどトイレに立ったようだが、「少し飲みすぎたかもしれない」と冗談を交えつつ、丁寧に断って席を立っていた。

 

 そうして気づけば1時間余り。十分に料理を堪能した穂樽はどうしたものかとクインの様子を窺っていた。料理の合間合間に一応相手側に許可を取ってクインは適当に煙草を蒸かしていたが、今のがどうも食後の一服になりそうだ、と感じたからだ。その視線にクインも気づいたらしい。軽く頷き、しばらく煙草を味わって葉を燃やし切ると火を消し、煙を吐いてから話し始めた。

 

「さて……。料理も堪能させてもらったし礼も言えた。冗談抜きにうまい飯だったよ。あんたら、いい店知ってるんだな。……で、あたしは満足してるし、そろそろお(いとま)しようと考えてるんだが、もう少しゆっくりしていった方がいいのかな?」

「それは警部にお任せします。ただ、我々はこの後、事務所内の他の人間とここで飲むという話がありますので。申し訳ないが、出口までしか見送れません」

「まだ食うのかよ。……まああたしらには関係ないか。悪いな、結局割り勘みたいになっちまってよ。あと見送りはいらねえや」

 

 鮫岡の提案を拒否し、クインは立ち上がった。穂樽もそれに倣う。

 

「俺としては、こちらで全額もっても良かったのですが……」

 

 細波のその一言を軽く笑い飛ばし、却下の意思をクインは示した。

 

「それじゃあたしの礼ってことにならねえよ。……とはいえ、店までそっちに任せちまった時点でもうそんなの薄いのかもしれねえけど。……とにかく改めて、前助けてもらったことは感謝してる。もし街中でまたあたしが無様にすっ転んでるのを見かけちまったら、その時はよろしく頼むわ」

 

 そう言って、再びクインは右手を差し出した。どこか困ったように、細波が最初同様にそれを握り返す。

 

「そんな風にはならないようにまず気をつけてくださいよ」

「あいよ。……どうもな。今日は悪かったな。また顔合わせたときはよろしく」

「悪かったなんて、そんな風には思ってませんよ。警部さえよければ、また」

 

 クインは握手を交わしていた細波の手を離すと、そのまま踵を返して店を後にしようとした。すぐに追いかけたい穂樽だったが、さすがに最後の挨拶もなしに、というのはまずいと慌てて鮫岡に声をかける。

 

「鮫岡さん。今日はありがとうございました。クインさんも満足してくれたようですし、セッティングの協力、感謝します」

「何、君とは昔のよしみもあるからな。探偵稼業は大変だろうが、ウドと人との架け橋になるかもしれない。頑張ってくれ」

「ほいだらねー」

 

 改めて3人に頭を下げ、穂樽はクインを追いかけた。

 こうして、「細波に礼を言いたい」というきっかけから始まった食事会は終わったのであった。

 

 

 

 

 

 食事会が終わって店を出てから、クインの口数は少なかった。「ちょっと夜風にでも当たる」と言って先導するように夜の街をフラフラと歩き、已む無く穂樽はそれに続いていた。

 

「クインさん、どこまで行くんですか?」

 

 穂樽の問いにクインは答えない。まだ当人から食事会の感想も聞いていない。出来れば一言二言ぐらいはセッティングした自分に労いの言葉ぐらいあってもいいだろうと思ってもいたが、それ以上に今の彼女の様子が普段、つまりついさっきまで店内にいた時と少し様子が違うことが気がかりでもあった。

 

「あの、クインさん? 聞いてます?」

「聞こえてる。丁度いいとこ見つけた、あそこでいいか」

 

 半分振り返りながらクインが指差した先にあったのはコンビニ前にある灰皿、すなわち喫煙スペースだった。わざわざそこまで行かなくてもさっきの店内が喫煙可だっただろうに、とも言いたかったが、夜風に当たりながら吸いたかったのかもしれない。それにもしかしたら、シャークナイトの面々に聞かれたくないような話をしたいからという可能性も考え、穂樽もバッグから煙草とライターを取り出し、一足先に煙草を咥えたクインの隣に並んだ。

 慣れた手つきでクインはマッチを擦る。それで自分の煙草に火を灯した後、穂樽の方へとそれを向けた。慌てて咥えてからその火をありがたくいただく。マッチを振って火を消して灰皿へと放り込み、煙を吐いてからクインは切り出した。

 

「今日はありがとな」

 

 まさかまず開口一番に素直な礼が出てくるとは思わず、危なく咥えていた煙草を穂樽は落としかけた。

 

「悪かったな、お前まで巻き込んじまって」

「別に謝ることじゃないですよ、というか来いと言ったのはクインさんです。それに元はといえば私がヘマをしてのことですし、これはクインさんからの依頼ですから。……まあ元々身辺調査はかなり無理はありましたけど」

「いや……。ありゃ、謝らないと気が済まねえよ」

 

 クインは深く煙を吐いた。その目はどこか遠く、街の光でほとんど見えない夜空の星を追っているようにも見えた。

 

「飯はうまかったとはいえ、くだらねえ茶番につき合わせちまった」

「茶番、って……。そんな自虐的にならなくても」

「自虐的ねえ……。じゃあお前、本質的にはあの場に細波がいなかった(・・・・・)とわかっても、それ言えるのか?」

 

 思いもしない一言だった。口に運びかけた煙草の手が止まり、真意を問うように穂樽はクインを見つめる。

 

「何……言ってるんですか? 細波はあそこに確かに……」

「ああ、やっぱり気づいてなかったのか」

 

 2人の様子はまるで対照的だった。狼狽するその相手を意にも介さないように、女警部は悠々と、だがどこか寂しそうに煙草を燻らせた。

 

「ありゃ細波であって、細波じゃねえよ」

「ちょっと、何言ってるんですか!? 私は数日前に彼とシャークナイトの事務所で話してます。あれは細波サンゴに間違いありません。顔を見間違えるはずないじゃないですか!」

「だろうな。傍から見れば、完全に細波サンゴ、その人だろう。お前がそういうなら普通はそう思うはずだ」

「……クインさん、脈無しとかで自棄を起こしたんじゃないですか?」

 

 その問いに、クインの顔が穂樽の方へと向けられる。からかわれたというのに、短気なはずの彼女の目には怒りの色が微塵もなかった。いやそれどころか、達観したような、諦めの色さえ滲んでいた。

 

「まあ脈が無いのは事実だわな。実質的に当人が会ってすらくれないんだ」

「だからさっきから何度も言ってるじゃないですか。細波は確かにあそこに……」

「海神往紗馳。シャークナイトのアソシエイトだ。知ってるか?」

 

 藪から棒に質問が切り替わったと思いつつ、穂樽は煙草の煙を一度吐いてから答えを返す。

 

「……ええ、それは勿論。私が張り込んでるのがばれた時、細波と一緒に顔を合わせましたから。丸刈りでピアスの男性でした。今日はいなかったみたいですけど」

「いなかった? ……何言ってんだよ。ずっといたんだよ。鮫岡、工白と一緒に、向こうの3人目(・・・)として」

 

 指の間に挟んだ煙草から、灰が落ちたことに穂樽は気づかなかった。それほどまでに、今のクインの発言を信じられずに固まっていた。

 

「3人目って……。あれは細波じゃ……」

「ここまで言っても何も気づいてないのか。お前らしくない。……海神往の使用魔術、知ってるか?」

「いえ……」

「ちょいと職権濫用気味だが、前に細波のことを少し調べる時についでにあの事務所連中の使用魔術を調べたんだ。それによると、海神往の使用魔術は……入替魔術」

 

 瞬間、穂樽は目を見開いた。同時に、クインが言わんとしていることを完全に察した。

 

「なあ穂樽。人間の外側と内側、すなわち肉体と精神、それが入れ替わっていた場合……。言ってしまえば、細波の外見をしながら中身は海神往だった場合、それは果たして細波であるといえると思うか?」

 

 答えられなかった。しかし答えは、心の中で出ていた。だが当然相手も同じ答えにたどり着いたと推測でき、結果今のような態度に出ている。そう思うと、口に出せなかった。

 

「あたしは細波の外見に興味を持ったわけじゃない。分け隔てなく接してくれた、その内側、心の方に興味を持った。……この際だ、はっきり言ってやる。その心に惚れちまったんだ。だがな、応対した細波の中身が違うなら、それはあたしからすれば別人、ということになる」

 

 あの間、人の腹の内を見抜くことが得意なはずの穂樽はクインの心を見抜けなかった。いや、あの場にいた人間の心を、誰一人として見抜くことが出来なかった。そのことにショックを受けつつ、同時に気づかせなかったクインとシャークナイトの3人が見事とさえ思えた。だが同時に、彼女の言葉がまだ信じられなかった。

 

「証拠は……。そこまで言うからには何か証拠があるんですよね?」

「んなもんねえよ」

 

 あっさりとクインはそう言い切った。唖然とする穂樽をよそに、彼女は吸い終えた煙草を灰皿に入れ、2本目を取り出して火を灯す。

 

「じゃあなんでそう言い切れるんですか?」

「証拠にはならねえ。でも、あたしは確信できる。……最初に握手したあの時、転んだあたしに差し伸ばしてくれた手とは、同じものでありながら本質的には全く違うと直感した。あの時の手は、もっと優しいものだった。だが今日はそれが微塵も感じられない、表向きは丁寧に接しようとしていたが、その実中身は全く別物だった。その時海神往の魔術を思い出したんだ。だとするなら……こいつは細波じゃない。中身は違う。そう確信した」

「……理屈じゃない、ということですか?」

「そうだな。……でもお前のその顔、こう言いたいんだろ? 『その時あんたは泥酔してたはずだから、本当に覚えてるのか?』ってな」

 

 神妙な面持ちで穂樽は頷いた。そして手元に目を移し、いつの間にか煙草をほとんど灰にしていたと気づいて灰皿へ投げ込む。次のは取り出さず、その先の言葉を待つ。

 

「あたしは刑事だぜ? いくら酔っ払ってても、体感的な情報なら、そのあたりの記憶には自信がある。それに……」

 

 フッと小さく笑ってクインは煙草を蒸かして間を空けた。

 

「……本当に惚れちまった相手なら、触れ合った肌の感覚、繋いだ手の感触ってのは忘れないもんなんだよ。それが印象的ならなおさら、な。これでもあたしも一応女子なもんでね」

「じゃあ……」

 

 やけに声が乾いていると穂樽は自分で感じた。煙草のメンソールのせいではない。ある種の緊張感のせいだった。

 

「じゃあ、クインさんは握手した瞬間から……つまり最初から、細波の中身は海神往だと気づいていたんですか……?」

「まあな」

 

 余りにあっさりとしすぎた答えに、意図せず穂樽は右手を握り締めていた。

 

「わかっていて……なんで言わなかったんですか!?」

「それはお前にすまないと思ってる。茶番につき合わせちまった。さっき謝ったとおりだ」

「私のことなんてどうでもいいです! 最初からわかっていたなら、相手側に言えばよかったじゃないですか! それを何で……!」

「……希望ってものはさ、人間どうしても持っちまうものらしいな」

 

 揺れる穂樽に対し、クインは穏やかだった。まるで普段と逆、2人の中身が入れ替わったようだった。

 

「最初に握手して中身が細波じゃないってわかった時に、向こうの意図はわからなかったが会ってくれない以上、もう脈は無いんだろうなって思ったよ。……そう思ったのによ、認めたくなかったんだ。もしかしたら途中で、それがダメでも最後には本物が現れるんじゃないか、って希望を勝手に抱いちまってな。

 実際、あの短い間にあいつは2度もトイレに立った。ほぼ30分おきだ、魔術の効果期限でかけ直すために奥に行ったってのはなんとなくわかっていた。それで戻ってきたら本物になってた、そう思いたい気持ちもあった」

「でも……帰ってきても中身は入れ替わったままの細波だった……」

「ああ、そういうことだった。話しててもそうだったし、最後に改めて握手した時もやっぱり違った。……完全に脈無し、あたしは見事にフラれたってわけだよ」

 

 そう言うと、クインは一気に煙草の葉を燃やし、深く煙を吐いた。どう声をかけたらいいかわからない。穂樽は声を搾り出すように問いかける。

 

「……クインさんは……それでよかったんですか?」

「魔禁法違反を見逃したってか?」

「そんな野暮なことは言いません! ……気持ちがそれで納出来ているのか、と聞いてるんです」

「納得は正直いかないが……。まあするしかねえだろうな。しつこい男は嫌われる。しつこい女も嫌われる。……だから良いも悪いもないのさ。結局、あたしと細波のお話はここまでなんだよ。……そういや、今日の星座占いは割りと上位だったのに、外れるもんだな」

 

 そんな他人事のように言う彼女の目はどこか寂しそうだと、改めて穂樽は思った。自分にはそんな風に割り切ることも、他人事のように振舞うことも到底出来そうにない。だから数年もの間実るはずのない片思いを続け、その相手の正体を知って失望し、最後は直接決別を告げたのだから。

 直接相手の気持ちを告げられていない以上、本当に脈無しといえるかわからない。「希望を持ってしまう」というのなら、まだ諦めるのは早いといえるかもしれない。なのに、クインはもうそのことは諦めきっているようにも感じた。

 

「なんで……そんなに割り切れるんですか?」

「割り切れないと警察なんてやってらんねえよ。ドライ過ぎるぐらいで丁度いい」

 

 2本目の煙草の火を消して灰皿に放り込み、クインは最後の煙を吐く。

 

「それに、この間はお前の方がドライだったくせに……。あたしに言わせれば、お前は背負い込み過ぎだ」

「え……?」

「今回のことだって依頼はしたが、お前の問題じゃない。つまるところはあたしの問題だ。なのにそうやって思いつめたみたいな顔して自分のことのように考えやがって……。依頼人に肩を入れる人情探偵も結構だがな、背負い込みすぎは自分の身を潰すぞ。あたしも刑事なんてやってるからその辺のことはわかってるつもりだ。アゲハさんにそういうことを言われなかったのか?」

 

 思わず目を逸らし、地面へと落とす。ポツリと「言われました……」と呟くのが精一杯だった。

 

「……まあそれを悪いという気はないよ。ただ背負い込み過ぎるな、っては忠告しておく。お前は生真面目だからな。商売と割り切ってやるぐらいが丁度いいのかもしれねえな。……でもま、気にかけてもらってあたしは嬉しく思ってるよ」

「クインさん……」

 

 穂樽が視線を戻した先には、普段と変わらない女警部の顔があった。自分で「フラれた」と言っておきながら、全く気にもしていないような、そんな顔だった。

 だが穂樽にはわかる。普段はがさつで乱暴なクインだが、恋する心はピュアで乙女だった。だから傷ついていないはずなどない。懸命に強がっている。そのために普段と少し違う態度を自分にとっているのだと。そんな彼女にどう慰めの言葉をかければいいか、わからなかった。

 しかし、その必要はないとばかりにニヤリとクインは笑みをこぼし、穂樽の肩へと手を回した。それをきっかけに、普段通りの彼女に戻ったような、そんな雰囲気が出ていた。

 

「……よっしゃ! 穂樽、お前そんなにあたしのことを心配してくれるなら……。あたし持ちでいい、飲み直しに行くぞ!」

「……え!?」

「あんな辛気くせーところで飲んだ酒じゃ酔うに酔えねえよ。あたしのフラれ記念だ、パーッといこうぜ。勿論、とことん付き合ってくれるよな、人情探偵さん?」

 

 一瞬驚いたような、呆れたような。そんな表情が穂樽に浮かんだ。だが一度顔を背けて小さく笑った後で、笑顔と共にクインを見つめなおす。

 

「……ええ、無論ですよ。クインさんが音を上げるまで、付き合ってあげます」

「お? 言ったな? その言葉、絶対後悔させてやるからな!」

 

 互いに笑みを交わし、コンビニの前を離れていく。自分では、こういう方法でしかクインを慰めることが出来ないかもしれない。それでも、少しでも傷を癒すことが出来るのだとしたら、喜んで相手の気の済むまで付き合おう。そう穂樽は心に決めた。

 女探偵と女刑事、その2人が夜の街の中へと消えていく。夜はまだまだ、長く続きそうだった。

 

 

 

 

 

 穂樽、クインと食事会を終えたシャークナイトの3人はまだ店内に残っていた。この後「事務所内の他の人間」と合流して仕切りなおす、と先ほど述べたことを証明するように、3人は席を立とうとしなかった。

 

「終わりましたかね?」

 

 そこへ1人、近づく影があった。丸刈りにピアス、一見してシャークナイト法律事務所のアソシエイト、「海神往紗馳」とわかる。

 

「見ての通りっちゃ。無事帰ったがね」

 

 ようやく事が片付いたとばかりに工白は両手を広げてそう述べた。が、その表情とは対照的、鮫岡は険しい表情のまま、眼鏡の角度を直す。

 

「果たして無事、と言っていいものか。……推測でしかないが、おそらく警部は気づいていたようだ。穂樽君はわからないがな」

「でしたら想定の範囲内です。仮に気づかれたとして今回のように文句もなく帰ったのであればそれでよし。文句があった場合は……まあその時はその時ですね」

 

 そう「海神往」は肩をすくめながら述べた。そんな彼にため息をこぼしてから「細波」が声をかける。

 

「ともかく終わったんだから俺の体(・・・)を返してもらうよ、サンゴ(・・・)君。やっぱり自分の体の方が落ち着く」

「了解。俺も同感だ」

 

 頷いた「海神往」を見つめた後で、「細波」が指を鳴らす。次に細波は自分の両手を見てから動かし、不思議そうな表情を浮かべていた。

 

「……紗馳君の魔術を体感したことは何度かあるけど、やっぱり慣れないな」

 

 小さく鼻を鳴らして得意げに笑ってから、海神往は3人の向かい側、先ほどまでクインが座っていた場所へと腰掛けた。

 

「で、だ。俺の魔術を使って中身を入れ替えて、慣れない気配りなんぞしながら、どうにか俺がサンゴ君としてあの警部に接したわけだが……。さっき鮫岡さんに言われた通り気づかれてた可能性は高い。でもそれでよかったのかい?」

 

 肉体と精神、共に細波に戻った彼は僅かに頷く。

 

「ああ。俺の予想通りあの警部は見た目は乱暴だが中身は相当に乙女だった。脈が無いとわかればおとなしく身を引く、その読みも当たったわけだ」

「しっかしこがな面倒なことする必要あったが? 断れば済んだことと思うわ」

 

 工白は椅子の背もたれに体を預け、どこか不満そうに尋ねる。実際、彼は事前にこの話を聞いた時、常に否定的であった。

 

「それはもう説明したはずだ。女性にマメな彼なりの気遣い、というものだ。そうだろう?」

 

 鮫岡のフォローを受けて、細波が説明を始める。

 

「ええ。……俺に礼をしたいという彼女の気持ちはわかります。しかし俺は彼女と付き合う気は全くなかった。そもそも弁魔士と刑事、しかも相手は元々ウド嫌いの気のある方です。ウドを嫌っているとうことに対し残念だと思う気持ちはあれど、それをどうこう言うつもりはありません。が、かといってそんな関係にある2人がうまくいくとも思えません。なら、最初から断ればいい。確かにそうですが……。折角感謝の気持ちを述べたいという向こうからの申し出を無下にするのも気が引けました」

「そのあたりのサンゴ君のマメさには頭が下がるよ」

 

 向かいの席から飛んできた海神往の言葉に軽く笑みを返し、細波は続ける。

 

「ですがさっきも言ったとおり付き合う気はなかった。だから変に期待を持たれたくなかった。ではどうするかと考えた時に……」

「外見が同じでも中身が違えば、この場にいることにならない、という考えにたどり着いた。結果は、見ての通りだ。警部は礼を済ませ、表向きは文句無く帰っていった。思い描いたとおりか?」

「ええ、まあ」

 

 鮫岡の言葉を肯定しつつも、細波は浮かない表情だった。

 

「なんじゃ、よういったならもっとええ顔しちょきや」

「……確かに表向きはうまくいった。彼女は事情を察してくれただろうし、俺も形だけとはいえ礼を受け取った。だが……。ウドと人間の共存を望むはずの我々『ラボネ』が出した答えとしては、果たして正しかったのだろうか。俺は……それはわからない」

 

 場に沈黙が訪れた。「ラボネ」、それは「人間を憎まずに共存の道を探す」という方針のウドの派閥であり、鮫岡達がそうである。かつては、対立する「自分達を虐げてきた人間を憎み、ウドの支配下に置くべき」という過激な方針のウドの派閥、「マカル」と争いを起こしたこともあった。

 そのラボネとして、本来共存の道を探すべき自分が結局はウドではない相手との関係を拒否してしまった。女性に対する己の信念であるとはいえ、複雑な思いを細波は抱いていた。

 

「男と女、弁魔士と刑事、そしてウドと人間……。ウドの中だけさえも我々ラボネと対立するマカルという構図もある。……まったく、ままならないものだな」

 

 ポツリと呟いた鮫岡の一言に、全員が口を噤んだ。異なるもの同士が相容れる。口で言うのは簡単であっても、実際はそうはいかない。そんな思いが込められた言葉のようだった。

 

「……よっしゃ! やめちゃ、やめ!」

 

 と、そんな空気を打ち払うように工白が努めて明るい声で、手を叩きつつそう切り出す。

 

「んなことすぐ答え出るようなことがやない。今更考えてもしょうがないことちや」

「……確かにな。その通りかもしれん」

「そうと決まりゃあ仕切りなおしちや! ほれ、飲み足りなくないんが?」

「やれやれ。……だがその意見には賛成だな。いつものメンバーで飲むほうが気楽で良い」

 

 鮫岡が店員を呼ぶ。とりあえず机の空いた皿類を下げてくれと頼んでいる間に、細波は2対2で向かい合えるよう海神往の横へと移動していた。

 

「鮫岡さん。それに皆も。今日は俺のためにわざわざありがとうございました」

 

 僅かに顎を引いて感謝の意思を示す細波。だが他の3人は特に気にしていない様子で笑顔を見せていた。

 

「水臭いこと言うちゃあない」

「そうそう。困った時はお互い様。そうですよね、鮫岡さん?」

「ああ。……そして打算的に言えば、これで警部のうちに対する印象もまた少し変わるだろうからな」

 

 最後の鮫岡の一言にはさすがの細波も苦笑を浮かべざるを得なかった。やがて机の上の片付けが済む。先ほどと同じ店内で、今度はシャークナイト内での仕切り直しが始まろうとしている。やはり、夜はまだまだ続きそうだった。

 

 

 

 

 

クイーンズ・スキャンダル(終)

 

 




海神往の使用魔術は公式設定です。原作で魔術使用シーンはありませんでしたので、効果も使い方もイメージでやってしまっています。
なお、舞台にした中華料理店は5話冒頭でシャークナイトの面々が食べていた店をイメージしています。確か中華っぽい店内の様子だったと思ったので。

クイーンズ・スキャンダルは以上で完結となります。元々は原作で尺の都合もあってあまり出番が多いとは言えなかったクインとシャークナイトにスポットを当てようという考えから生まれた話でした。

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