Episode 6-1
Episode 6 ニューカマー・ガール
◇
「失礼します」
そんな理由で訪問した彼女に、案の定、と言うべきか、入り口にもっとも近い位置にいた「何でも屋受付嬢」とも言われる
「あ、穂樽さん、こんにちは。外注分の件ですか?」
「ええ。アゲハさんに頼まれた分まとめてきましたので」
「いつもご苦労様です。……アゲハさーん!」
プライベートでも比較的穂樽と仲の良い抜田は労いの言葉をかけると、事務所の女ボスである
「聞こえてたわ。穂樽ちゃんでしょ?」
それだけでそこそこ長い付き合いの彼女は上がって来い、という意味だと分かった。抜田に軽く頭を下げて一歩を踏み出し、そういえば、とふと右手側に視線を移した。普段なら自分がここに来るとやけにテンションを上げる5つ下のかつての同期、
だがセシルはそこにいないわけではなかった。穂樽の方を向いて軽く手を振ってはいたが、いつものように「なっちー!」などと、彼女の愛称を呼びつつ駆け寄ってくることはなかった。これまたどうしたことだろうかとその近くに目を移すと、見たことのない女性がどこかそわそわした様子で穂樽の方を見つつ頭を軽く下げたのがわかった。年はおそらくセシルと同じ程度、自分よりは間違いなく年下だと彼女は判断する。
鮮やかな栗毛の髪の前方が一部左右にそれぞれピョンと跳ね、後ろの方はツーサイドアップにまとめられている。加えて垂れ目がちに愛嬌のある明るそうな顔立ちではあるが、どこか不安そうな色が見てとれた。その彼女はセシルの袖を引っ張り何かを話しているようだ。
そこでようやく穂樽はあることに思い当たった。以前抜田と一緒に飲んだ時に聞いた話、確か今年度は新人を取る、ということだったはずだ。今日は穂樽にとって年度が変わってから初めてのバタ法訪問である。
となると、彼女がその新人ということになる可能性は高い。そんな新人の前で「先輩らしく振舞う」ためにセシルは普段取る行動を自重し、今日はおとなしかったのではないだろうか。そう思うと、どこか面白さを覚えて思わず笑いがこみ上げてきそうだった。どうにか堪えて階段を上がり、ボスのアゲハの元へと穂樽は足を進める。
「いらっしゃい。悪いわね、毎度助かるわ」
「いえ。私が定期的にここに顔を出したいという思いもありますし。頼まれてた分、こんな感じでいいですか?」
穂樽はバッグの中からクリアファイルケースを取り出し、そこから書類をアゲハへと手渡した。軽く目を通し、「さすがね、ほんとありがたいわ」と賞賛の声を目の前の相手へとかける。
「あとデジタル用に、メモリです」
「ありがとね。振込みはいつも通りで。抜田ちゃんにお願いしておくわ」
「はい。こちらこそ毎度ありがとうございます。……ところであの子、新人ですか?」
それで仕事の話は終わり、と穂樽は声のトーンを切り替えてアゲハに話しかけた。彼女もそのことを承知したのだろう。受け取った資料を机の端に寄せてから、「ええ、そうよ」と彼女の問いを肯定した。
「チラッと噂は聞きました。なんでも、飛び級で20歳で弁魔士になったとか……」
「情報源は抜田ちゃんかな? まあ隠しておくことでもないからいいけど、それはほぼ合ってるわ。ただ厳密には弁魔士になった段階では19歳、つい先日20歳になったばかりよ。年で言えば今はセシルちゃんの1つ下ということになるわね。名前は
「私は『リンリン』って呼んでるけどね。ほたりんもそう呼べば?」
そこで会話に割り込んできたのはアソシエイトの中で比較的年長の
「そうやって左反さんはすぐ人に変なあだ名つけて。そうじゃなくてもセクハラ女王なんですから、新人さんに嫌われても知りませんよ?」
「何よ、セクハラ女王って! 乳揉むぞコラ!」
相変わらずの左反を無視して階下を覗き込み、穂樽はその新人の様子を窺う。今は机に向かってデスクワークをしているようだった。さっき一瞬だけ見せた落ち着きのなさそうな雰囲気はもう微塵も感じられない。
「……もしかして彼女、人見知りとかします?」
「あら、さすが穂樽ちゃん。一目でそれ見抜いたの?」
「さっき私が入ってきた時、なんかすごく警戒されてた雰囲気だったので」
「一度打ち解けてくれると明るく話してくれるんだけどね。初日の顔合わせの時とかガチガチで逆にかわいそうになっちゃったわよ」
それは弁魔士としては少々厄介な癖を持ってしまっているな、と穂樽は思った。弁魔士は弁護する相手と顔を合わせるのが前提の職業だ。その時に相手を警戒してしまうようでは、信頼を損なうことになりかねない。
「初日に遅刻とかはなかったんですか?」
「いやいやほたりん、セシルっちじゃないんだから」
「あれは特別中の特別よね。さすがにそれはやらなかったわ。依頼を取って遅刻を誤魔化す、なんてこともやらなかったし」
「普通に考えたらその発想は出てこないんですけどね。……じゃあ興梠さんでしたっけ、その人見知りが激しいことだけが問題なんですね」
が、アゲハはどこか憂鬱そうにデスクに肘を着き、左反も両手を広げていた。どうやら今の考えは的を外したらしい。
「それがそうでもないのよ。若いというか人生経験が浅いからだと思うけど、人と話すこと自体が得意とは言いがたいみたいでね」
「あとは証拠集めとかも。要するに、デスクワークは目を見張るものがあるし、セシルっち同様若くして弁魔士になった以上、確かに頭の方は優秀なんだけど、それ以外っていうところでちょっと難がありそうなのよ。一応セシルっちとあたしで教育係なんだけど、結構苦労しててさ」
「セシルちゃんにとって初めての後輩だからね。後輩の教育というのを経験させておいてあげようと思って左反ちゃんをサポートにつけたんだけど、2人ともなかなか手を焼いてるみたいで……」
そこまで言ったところでアゲハは何かに思い当たったかのように口を止めた。どうしたのだろうかと表情を覗き込む穂樽だが、次に相手の表情があまりよろしくない笑みを浮かべたことに気づく。
「……アゲハさん、何かよくないこと考えてませんか?」
「いいえ、いいことを思いついたの」
ああ、これは十中八九自分にとってはよくないことだと思わず俯いてため息をこぼす。ずれてしまった眼鏡の角度を直しつつ、あまり無茶な要求でないことを祈りつつ尋ねる。
「で、何を思いついてしまったんですか?」
穂樽の問いに対し、アゲハは口の端を僅かに上げただけだった。代わりに「花鈴ちゃん、ちょっと来てもらえる?」と新人弁魔士を呼ぶ。
アゲハに呼ばれて興梠が事務所ボスのデスクへと近づいてくる。が、穂樽の姿を見ると一瞬戸惑った様子を見せた。
「……呼びましたか?」
「ええ。花鈴ちゃん、こちらの彼女は元うちの弁魔士で今は探偵をやってる穂樽夏菜ちゃん。個人事務所だけどうちと提携関係にあって、不倫問題関係だとか刑事事件関係みたいな証拠集めが重要な場合は外注という形で協力を仰ぐこともあるの。ちなみにセシルちゃんの元同期。これから長い付き合いになると思うから、顔合わせしておいた方がいいんじゃないかと思ってね」
おそらく真の狙いはそこではないだろう、と穂樽は踏んだ。が、警戒されたままというのも居心地が悪い。打ち解けておいた方がいいのは事実だろう。
「穂樽夏菜です。アゲハさんの紹介にあったとおり、ウドに対して弁魔士と別なアプローチというか、間口の広い対応が出来るようにというか……。まあそんなことを考えて、今は探偵をやってるの。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします。興梠花鈴です」
「そんな緊張しなくていいよ、リンリン。ほたりんは見た目きつそうだけど、実は優しくていい子だから」
反射的に左反を一瞥してしまったが、それではより相手に警戒心を植え付けてしまうだけかもしれないと気づいた。先ほど交わした会話ではまだ声に緊張感があったようだったので、ひとまず右手を差し出しておく。握手でもすれば緊張は多少ほぐれるだろう、という考えだ。が、恐る恐る握り返された手は汗ばんでいた。
「……探偵さん、ですか。間口の広い対応って言ってましたが、やっぱり色んな人が来るんですか?」
しかし意外なことに、手を離した次に先に口を開いたのは穂樽ではなく興梠の方だった。
「そうね。基本的にウドのために、と思って立ち上げた事務所だけど、ウドじゃない人も来るわ。……中には冷やかしまがいに来る人もいるけど」
「じゃあ依頼があればウドも人間も分け隔てなく接する、ってことですか?」
「ええ。元々私はそのつもりでいるし。私同様ウドである人の力になると同時に、ウドでない人にはウドに対する正しい理解をしてもらえるんじゃないかって思って。……綺麗事だし所詮理想論でしかないけど、そんな風には日ごろから願ってはいるわ。まあ実際そううまくいくわけないなんてことは重々承知してるけど、願うだけならタダだからね」
「……ロマンチスト、なんですね」
その評価は予想していなかったと穂樽は目を見開いた。傍らではアゲハと左反が笑いを噛み殺している。
「ご、ごめんなさい! ……私、変なこと言いました?」
「いえ、変なことと言うか……」
「穂樽ちゃんのことをリアリストとかドライとか言う人は結構いたし、蝶野もそう思ってたけど、まさかロマンチストと評する人がいるとは思ってなかったわ」
「ほたりんがロマンチスト……。ない、ないわぁ」
左反は笑いのツボに入ったのか、まだ笑っている。呆れの気持ちで、もうこの人は放っておこうと咳払いをひとつ挟んで、穂樽は弁明する。
「アゲハさんが今言ったとおりなだけ。初めて言われたから、驚いただけよ」
だがそんな彼女の意思と裏腹、気まずそうに興梠は俯いた。責めてるつもりはまったくないのだが、そう捉えられてしまったのかもしれない。
「それで花鈴ちゃん、穂樽ちゃんの探偵のお仕事とか、興味あったりしない?」
と、不意にアゲハはそう切り出した。直感的に、穂樽は嫌な予感を覚える。
「ないわけではないですけど……」
「さっき言ったとおり、穂樽ちゃんの個人事務所とは提携関係なの。証拠集めみたいなものはこちらから依頼することがあるし、逆に浮気調査の結果法廷に持ち込むってなったら依頼が来ることもある。そして、共通してる部分もあるわ。今言った証拠集めみたいなものは、弁魔士でもやることよね」
「そうですね。私は得意とは言い難いんですが……」
「そこで、なんだけど」
そう来るか、と穂樽は先を予測して頭を抱えた。嫌な予感的中、ほぼ間違いなく次の展開が予想できたからだ。
「花鈴ちゃん、穂樽ちゃんのところでしばらく手伝いながら研修してみない?」
「……え?」
◇
また厄介ごとを抱えてしまった、と穂樽は頭を悩ませた。アゲハの言い分はわかる。確かに荒治療ではあるが、聞き込みなどなら自然と人と接する機会が多いために、人見知りを慣らすことはできるかもしれない。また、足で稼ぐ探偵業なら、証拠収集の実践としてはもってこいだろう。
しかしだからといって入所してさほど経っていない新人を、いくら提携先とはいえ畑の違う自分の仕事において手伝いという名目で研修させるというのはいかがなものであろうか。
穂樽は無理だろうとわかっていながらもアゲハに異を唱えた。しかし相手は彼女にとって師と仰ぐ人物。舌戦が得意な穂樽ではあったが、さすがに勝ち目はなかった。今現在穂樽の手元に火急の依頼はないこと、当然研修費としてバタ法から報酬を出すこと、何より後身の育成のためになるから、と言われれば、もう反論の理由としては自分の都合だけとなってしまっていた。
結局うまいこと言いくるめられ、丁度いい具合に明日バタ法に不倫を疑って離婚問題を抱えた依頼人が来るということで、その案件の証拠収集を興梠同伴で行ってほしいという話となった。そしてその証拠集めを含めて、2週間程度研修という形で興梠を預かることとなってしまったのだった。
ちなみに、可哀想なことに興梠には上司命令ということで反論の余地すら与えられなかった。途中でセシルも援護にやってきたが、アゲハ側には左反もついていたため、意見はあっさりと却下された。彼女としては折角の後輩がしばらくいなくなってしまうことが寂しかったのかもしれない。最後には「なっち、どうかリンちゃんをよろしくね」と、言われた人物が言った人物になったものの、いつぞやの空港であったようなやりとりを経て、セシルはかわいい後輩を送り出していた。
「……パワハラでアゲハさん訴える?」
とりあえず穂樽の事務所であるファイアフライ魔術探偵所に彼女を案内したはいいが、これからどうするかを考えないといけない。事務所の応対用の椅子に互いに腰掛け、まずは親睦でも深めようかと穂樽はそんな冗談から切り出した。が、相手はまだ打ち解けきれないらしい。ここに来るまで話しかけてもほぼ相槌程度だった彼女は、元々の人見知りに加えて急な状況変化についてこられないようでもあった。
「いえ……。アゲハさんは信頼できる方ですし、きっと私のことを思ってのことだとはわかってます。……でもいくらなんでも急すぎますけど」
案の定というか、ジョーク交じりの質問に返って来たのは真面目過ぎる答えだった。ため息をこぼし、話を切らさないように続けようと努力する。
「そうよねえ……。嫌なら嫌って言った方が……って、相手が有無を言わせてくれなかったか……」
一瞬前の努力もむなしく、そこで会話は途切れてしまった。とても続きそうにない。「打ち解ければ明るく話してくれる」とアゲハは言っていたが、そこに行くまで先行き不安過ぎると穂樽が頭を悩ませていた、その時。
「穂樽様帰ったのニャ? 依頼人かニャ?」
奥の彼女の居住スペースからひょっこりと使い魔のニャニャイーが顔を出した。それを見て、興梠がずっと漂わせていた緊張感に満ちた雰囲気が少し薄れた気配を穂樽は感じていた。
「穂樽さんの……使い魔ですか?」
「ええ、そうよ。名前はニャニャイー。……この子は依頼人じゃないわ。アゲハさんが研修という名目で人材教育を私に押し付けてきた、まあアシスタントみたいなものよ」
少し嫌味が混じっていたかもな、と言いつつ穂樽は自覚していた。だが興梠はそこに気づいた雰囲気は無く、いや、それ以前に言われたことを聞いてすらいるか怪しい様子だった。
「ニャニャイーっていうんだ。私の使い魔もネコなの。アビシニィって名前で」
「ニャ? それは会ってみたいニャ」
「でもあの子も私と一緒で人見知りするから……。基本的には留守番を任せてるの」
「じゃあバタ法の使い魔の集会にも出てないの?」
バタ法には各アソシエイトの癖のある使い魔が集まるスペースが存在する。主人が勤務中はそこに集まって使い魔同士親睦を深めていたこともあった。
「はい。あの子もあまり望んでいないみたいだったので、まだ連れて行っていません」
「まあベースがネコだとね……。気まぐれだし」
「穂樽様、それニャンか私のことを馬鹿にしてるみたいでひどいニャ!」
そんなつもりはあまりなかったのに、と穂樽はため息をこぼす。が、一方で興梠は小さく笑っていた。
もしかしたらそれが2人きり、いや厳密はニャニャイーもいるので3人と言った方が正しいのかもしれないが、ともかく初めて見た笑顔だったと、ふと感じていた。
ついさっきは先行き不安と思ったが、言われるほど人見知りが激しいわけではなさそうだ、と穂樽は思い直す。そもそも、自分は他人からきつめに見られることも多いとはわかっている。だから余計に警戒されていた可能性もありえた。それなら、やはり要は慣れの問題だろう。知らない人と接してうまく話せるという機会が増えれば、その分自信がつくか、あるいは苦手意識を克服していけるのではないかと考えた。
「興梠さん、お昼食べた?」
となれば、まず話しやすさという点ではうってつけの人物がすぐ近くにいる。利用しない手はないと、穂樽は興梠にそう問いかけた。
「いえ、まだですけど……」
「じゃあ外行きましょう。ここの1階、ランチがなかなかおいしいのよ。ニャニャイーも来る?」
「あそこコーヒー臭いニャ、遠慮するニャ」
「コーヒー臭い、って当然でしょ、喫茶店なんだから」
穂樽は立ち上がり、既に行く気は十分である。が、目の前の興梠は戸惑っているのが手に取るようにわかった。
「え、え? あの……」
「ご飯食べに行かない? マスターはいい人で話しやすいから、あなたの人見知り改善に一役買ってくれるかもしれない。それに、殺風景なここよりは私との会話も弾みそうだし」
そこでようやく興梠は自分のために気を使ってくれていると気づいたようだった。慌てて財布だけを持って立ち上がる。
「あ、でも喫茶店ですよね? 私コーヒーとか苦いの苦手で……」
「大丈夫よ。無理強いはしないけど、下のはおいしいからきっと飲めると思うわ」
苦笑を浮かべたものの興梠は反論しなかった。押しに弱いタイプかな、と穂樽は判断する。しかしそれなら自分ペースに持ち込みやすいだろうし、そうすれば段々打ち解けていってくれるんじゃないだろうか。
そううまくいけばいいかなと楽観的に考え、穂樽は興梠をつれて事務所を後に、1階へと向かうことにした。
エピ4でチラッと話題を出したバタ法の新人、興梠花鈴の話です。オリキャラです。
苗字はバタ法の方式に則って昆虫のコオロギから取ってます。ちなみに調べてみたら興梠さんという苗字は結構いるみたいです。実際有名人でも見かけますし。バタ法の人達の苗字ってほぼ見かけないものばかりなので、それが理由で採用されなかったのかな、とも思います。なお他にも軽く調べたところ、1番多そうと思っていた蝶野より蜂谷の方が多かったです。
当初は何も考えずに髪型をバタ法にいない感じでいいか、という程度でサイドポニー辺りを考えてたんですが、デザインワークスによるとキャラの名前と髪型をかなり意識してあるみたいで。実際左反は前髪がハサミ、アホ毛が尻尾でサソリに見立ててあるとあって物凄く驚きました。
ですので、興梠の場合は前髪の跳ねた部分、所謂アホ毛が左右にある形か触角と呼ばれる部分をコオロギの触角に、ツーサイドアップの後ろ髪を後ろ足に見立てているつもりで描いています。
タイトルの「ニューカマー・ガール」ですが、そのまま新人の女子ということで興梠を指しています。なぜ敢えて「ニューカマー」を使ったのかは、後々後書きで書こうと思います。