◇
興梠を先導するように先を歩く穂樽は、1階に降りると迷うことなく喫茶店「シュガーローズ」の扉を開けた。来客に気づいたマスターの
「やあ、穂樽ちゃん。こんにちは。ランチかい?」
「こんにちは。そうです」
「2人分かな。後ろの子は多分初めてだね。いらっしゃい」
一見すると怖い外見の浅賀に、案の定興梠は一度は怯んだ様子だった。だが優しい声色で話しかけられ、跳ねた髪を揺らして頭を軽く下げながら穂樽の後に続く。普段通り「指定席」であるカウンターの一番奥に座った穂樽の隣に、興梠が腰を下ろした。
「穂樽ちゃんのところの依頼人さん?」
「いえ、まあアシスタントといいますか……」
「へえ、新人取ったんだ」
「違いますよ。……って私だけ話してちゃダメか」
浅賀が水を置いたのを待って、穂樽は傍らの興梠のほうへと視線を移した。
「興梠さん、こちらはここの店のマスター兼このビルのオーナーである浅賀さん。見た目ちょっと怖いかもしれないけど、物凄くいい人だから心配ないわよ」
「……相変わらず穂樽ちゃんはフォローしてるんだかしてないんだかわからない紹介するね。まあとにかく、今紹介にあった通り浅賀です。よろしくね。それで、僕は状況がいまひとつ見えないんだけど、穂樽ちゃんのところのアシスタントさんなの?」
少し困ったように興梠は考えた後で口を開いた。
「……研修で穂樽さんの手伝いをするように、って言われたんで、アシスタントといえばそうかもしれません」
「その前に自己紹介しないと」
穂樽に促されてようやく興梠はまだ自己紹介すらしていないことに気づいたようだった。「す、すみません!」と慌てて頭を下げてから切り出す。
「えっと、私、興梠花鈴といいます」
「興梠ちゃんね。それとも花鈴ちゃんの方がいいかな。……それで、研修、って言ったけど、じゃあ穂樽ちゃんのところで雇われてるわけじゃないんだ」
「はい。バタフライ法律事務所というところに弁魔士として先日から務める事になったんですが、上司の方からの命令で。しばらく穂樽さんのところで研修ということで手伝ってくるように言われたんです。
私、どうしても人見知りをしてしまうし、そのせいもあって調査関係も苦手なんです。そこで、元うちの事務所で今提携関係にある穂樽さんが探偵ということで、私の苦手なところを直すのにもってこいじゃないかという提案を受けて、研修という形でしばらく手伝わせていただくことになったんです」
思わず感嘆のため息を穂樽はこぼしていた。なるほど、若くして弁魔士になったという実力は伊達ではないらしい。話すこと自体が得意でない、とアゲハは言っていた気もしたが段々慣れてきたからか、最初のおどおどしていた様子が嘘のような、なかなかに筋道の立った説明のように思えた。
「バタフライ……。じゃあ本当はアゲハさんのところで働いてるんだ」
「はい。アゲハさんをご存知なんですか?」
「浅賀さんは昔バタ法に弁護を依頼したことがあるそうなの。その縁あって、私もここの上に事務所兼住居を構えられたって経緯があってね」
へえ、と興梠が相槌を打った。
「じゃあマスターさんもウドなんですか」
「そうだよ。穂樽ちゃんほど全面に押し出してはいないから気づかない人も多いけど」
「……確かに、最初に穂樽さんの事務所が『ファイアフライ魔術探偵所』だという名前と知ったときは驚きました。それ以上に売り文句も驚きですけど」
いつぞやも同じようなことを言われたなと穂樽は苦笑する。
「同胞であるウドを受け入れやすくしたい、っていう私の意向でもあるのよ」
「同胞……ですか。ウドがすなわち同胞だという考え方は、あまりしたことが無かったです」
少し、意外そうに穂樽は興梠を見つめた。彼女は弁魔士だ。それも若くしてそのバッジをつけることを許されている。となれば、当然何かしらの理由はあると穂樽は考えていた。実際、史上最年少弁魔士であったセシルには母親を助けたいという目的があった。そのため青春を捨てて弁魔士になるための勉学に打ち込んだ、という話は聞いている。
同時に、ウドでありながら弁魔士になる人間は少なからず同胞のために、という思いがあるだろうとも彼女は考えていた。当然、ウドであることを生かせる職業だから、あるいは収入がいいからといったような理由で目指す人もいるだろうが、彼女自身少なからず自分がウドであるからという理由は持ち合わせていた。セシルの母親の件も突き詰めればそこに行き着く。
「ねえ、興梠さん。もしよかったら、どうして弁魔士になろうと思ったか教えてもらえない?」
故に穂樽は彼女がなぜ急ぐように弁魔士になったのか、興味が沸いた。さっきの言い分では自分が持ったような動機は薄い、ということになる。では、そこまでして弁魔士になろうとした理由はなんだろうか。
興梠はすぐには答えず、一度沈黙を選んだ。机に落とされて忙しく動く視線に、言いたくない訳が何かあるかもしれない、と穂樽は心を読み解く。
「いえ、無理に聞こうというつもりはないけど……」
「あ、そうじゃないんです。なんていうか……。私の場合、多分他の方と違って消去法的に選んでしまったから負い目があるというか……」
「消去法的?」
意味がわからないと尋ねた穂樽に、興梠は重々しく頷いた。
「……実は私、当初は検事を目指していたんです」
その答えに、穂樽が目を見開いた。
「でも検事は……」
「はい。魔禁法六条で魔術使いの公職への雇用は禁じられています。……私の魔術が覚醒したのは4年前……16歳のときでした。飛び級で丁度
どこか言いにくそうに述べられた答えに、ああ、という声が無意識に穂樽からこぼれていた。消去法的、という意味がそれでわかった。
「魔術の覚醒はほとんどの場合11歳までに起こる。でも稀に例外はある。……あなたの場合、それがタイミングの悪いことにその時だった、ということね」
「そうなります。そこで検事への道は絶たれました。だから結果として、已む無く弁魔士への道を選んだ、という目で見られても仕方のないことだと思ってます。……それでどうしても、胸を張って『私は弁魔士だ』と言えないんです」
言い分はわかる、と穂樽は思った。バタ法にも似たような境遇の
「それは……大変だったわね」
「ええ……まあ」
沈黙が訪れる。浅賀は聞き手に回っているのか、黙ってコーヒーを煎れていた。彼からの助け舟も出ないとわかると、穂樽はもうひとつ、先ほど抱いた疑問の残りをぶつけることにした。
「もうひとつ、聞いてもいい?」
「なんでしょう?」
「弁魔士になった理由はわかったわ。でもその前、飛び級までして検事になろうとしたのは、どうして?」
瞬間、明らかに興梠が狼狽したと穂樽にはわかった。触れない方がいい話題だったかもしれないと後悔し、撤回のために口を開く。
「ごめんなさい。言いたくないなら……」
「いえ、大丈夫です。……まあなんというか、父の強い要望、ですかね」
「お父さんの?」
はい、と興梠は頷いた。
「父のことは嫌いではありませんが……。野心……いえ、虚栄心が強かったんです。自分の娘が若くして公務員である検事となれれば親としては鼻が高く、将来も安定している……。そんな風に思っていたみたいです。だから私はその期待に応えるために、懸命に勉強をしたんです」
親の期待。それに応えるために勉強して検事を目指し、だが魔術が発現したことによって弁魔士となった。
果たしてこれだけの若さで弁魔士となった娘を、父はどう思ったのだろうか。虚栄心が強いという話であったが、誇りには思えなかったのだろうか。
本音を言えば、もっと興梠のことを穂樽は知りたかった。だがこれ以上この件を尋ねるのは少し躊躇われた。「肉親のために」という、きっかけこそセシルと同じでありながらも、能動的と受動的というある意味で真逆な弁魔士になった理由。この華奢な肩に、どれだけの親の重圧を受けてきたのかと考えると、その話題に触れたいと思えなくなっていた。同時に、彼女から父に対してあまり良い感情を読み取れない気配を感じ、また過去形で話したことにもしかしたらもう既に他界しているのではないかという考えも生まれていた。
「お待たせ。ブレンドです。……興梠ちゃん、うちのは物凄く苦いから、よろしくね」
そこで浅賀がコーヒーを差し出してきた。すっかり興梠との話に夢中になり考え事をしていた穂樽は、彼がコーヒーを煎れ終わったことに気づかなかった。
「あ、興梠さん。今浅賀さんが言ったとおりだから、甘めの方がいい場合は砂糖を3杯ぐらい入れるといいわ」
「……私苦いのは苦手だって言いましたよね」
「そこを差し引いてもここのはおいしい、とも言ったわよ。砂糖入れて飲んでみなさいって」
疑い深い表情の興梠を無視し、穂樽はシュガーポットから砂糖を2杯、コーヒーへと入れた。それから口へと運び満足そうな表情を浮かべる。それを見て興梠も砂糖をこちらは3杯、それから同じように液体を飲み込み、意外そうに目を見開いた。
「ね? おいしいでしょ?」
得意げに尋ねられた穂樽の問いに興梠は神妙に頷く。
「私、コーヒー苦手なはずなんですけど……。これは全く気にならずに飲めます。すごくおいしいです」
「ありがとう」
浅賀は軽く微笑み、ランチを作る手を進める。少し忙しそうかな、と思った穂樽は彼の代わりとばかりに口を開いた。
「ここのコーヒーね、ブラックで飲むと物凄く苦いのよ。まあ浅賀さんのポリシーらしいけど。でも砂糖を入れるとここまで変わる。苦いものが飲めない人からすると砂糖を入れるというのは仕方なく、という選択かもしれない。だけど結果としてそっちの方が口に合うこともある。……だから、消去法的選択、なんて負い目は感じなくてもいいと思うわよ。あなた自身が弁魔士になってよかったと思えれば、それだけで弁魔士になった答えとしては十分でしょうから」
興梠はじっと穂樽を見つめていた。その視線を少しむず痒く感じ、照れ隠しにコーヒーを一口呷った後、苦い顔の浅賀を見つめつつ追加する。
「……って、多分浅賀さんなら言ってくれると思うわよ」
「え……?」
「穂樽ちゃん、僕の役割を取らないでもらえるかなあ。今考えてたところだったのに、それがうますぎるからもう口を挟む余地がなくなっちゃったじゃない」
さすがに顔を合わせるようになって3年目ともなると相手の癖はよくわかってくる。つまるところ――。
「浅賀さんは自分のコーヒーをだしにしてアドバイスをしたように見せて、自分のコーヒーの苦さを正当化しようとするのよ。だから今日は私が先にそれっぽいことを言ったという話よ。……もっとも、さっきの話は私の本音でもあるけど。今の私の仕事は時に割りに合わないと思うこともある。弁魔士を辞めてまでやることか、弁魔士の方が収入も環境も安定してたんじゃないか、なんてよく言われるわ。でもそこを差し引いても余りあるものを得られていると、私は思っているから」
そうは言ったものの、自分のような若輩者と年配者の浅賀では、言ってる内容が同じでも重みが違うかもな、と言い終えてから穂樽は思っていた。それでも多少は前向きに考えられるなら、それに越したことはない。
「……今穂樽ちゃんが言った通り。僕のセリフ全部とられちゃったけど、あまり負い目なんてものは考えなくていいと思う。その若さで弁魔士さんっていうのは、すごいことなんだろうから。……はい、ランチお待たせ。今日はタマゴサンドにちょっと変り種、試作品のボロネーゼ風サンドだよ」
2人の前にランチが差し出された。その「変り種」と言われた方のサンドを穂樽が手に取って眺める。
「ボロネーゼ風? また変わったものに挑戦したんですね。じゃあそっちからいただいてみます」
隣で戸惑った様子の興梠のことなど気にもかけない様子で穂樽はサンドイッチを頬張る。次いで感嘆の声を漏らした。
「おいしい! パスタのトマトソースみたい。トマトとひき肉の相性がばっちりです、これいけますよ。正式に日替わりに入れてもらいたいです」
「本当? そこまで喜んでくれるならちょっと手間がかかるけど考えちゃおうかな」
「ほら、興梠さんもぼーっとしてないで食べなさい。バタ法は『先輩が箸をつけるまで食べるな』なんてめんどくさいこと言わないだろうから、こういうときは食べちゃっていいのよ」
「じゃ、じゃあいただきます……」
彼女はベーシックなタマゴサンドから食べ始めたらしい。だが一口食べたところで表情が変わった。
「こんなおいしいタマゴサンド始めてかも……」
「ありがとう。いやあ嬉しいね、若い子2人にこんなに喜んでもらえると」
「私もうそんなに若くないですけどね」
自虐気味に言った穂樽に対して「またまた」と浅賀は軽く受け流す。
食べ始めるとついおいしさのあまり黙々と食べてしまう。それでもいいが、せっかくだし何か話そうかと穂樽は適当な話題を探す。そこでさっきのバタ法の話題に思い当たった。
「興梠さん、所属早々こっちに来てるのにこういう質問が適切かはわからないけど……。バタ法の空気にはもう慣れた? 多分こんな風に食事に誘われることもあると思うけど」
咀嚼していたものを飲み込んでから「そうですね」と返事が返って来た。
「勤め始めてすぐに須藤先輩ともよよんさんに近くの食堂に連れて行ってもらいました。……そこでもよよんさんの食べ方にドン引きしましたけど」
意図せず顔に苦笑が浮かんでいるのを穂樽は自覚した。バタ法のパラリーガル、
「もよさんのあれは慣れててもきついわよね。……ところで、なんでもよさんは『もよよんさん』なのにセシルは『須藤先輩』なの?」
「えっと……。私、最初皆のことどんな風に呼んだらいいかわからなくて、須藤先輩みたいに『先輩』づけで呼ぼうと思ってたんです。でもそれはやめろって言われて。ついでに勝手にあだ名つけるからこっちもそれで呼んでもらって構わないって」
「……あそこの連中、私のこと『ほたりん』だの『なっち』だの勝手に呼んでくれてるもんね。ほんと勝手にあだ名つけるのが好きなのよね」
思わず文句をこぼしてタマゴサンドを一口。同時に、相手の話の腰を折ってしまったかもしれないと気づき、「ごめん、先続けて」と促す。
「だけど須藤先輩だけは……なんだか『セシルっちさん』とか『セシルんさん』っても呼ぶのも気が引けたというか、下の名前で呼ぶのに抵抗があったというか。当人も『先輩』と呼ばれたときに少し嬉しそうな顔をしていた気がしたので、こっちもその方が気楽でいいから須藤先輩でいいか、と許可を貰ったんです」
「そうか。あの子、先輩後輩って関係を経験したことあんまりなかったのか……」
セシルの経歴は異質だ。故に普通なら経験してるであろう、学校生活における委員会やクラブ活動などの「先輩後輩」という関係に触れたことは少なかったかもしれない。そうなれば、「先輩」なんて呼ばれたのを喜んだとしてもおかしくはないだろう。
「それで、セシルとはうまくやれてる?」
「はい。かつて史上最年少で弁魔士となった経歴は本物だと日々痛感してます。私とほぼ1つしか年が変わらないはずなのに、すごくしっかりしてて」
「しっかり、ねえ……。まだまだ子供に見えるけどなあ」
バタ法を抜けてからも何度かセシルと顔を合わせたことはあるし、共に仕事をしたこともある。それでもやはりかつての印象から変わらない、と穂樽は思っていた。
「アゲハさんをはじめとして周りが甘いっていうところに原因があると思うのよね」
「でも本当にすごい方ですよ。私も風の便りでは聞いたことあったんですが、連日感心しっぱなしでした」
「そんな矢先に私のところで研修して来いって命令が出た。……なんだか申し訳ないわね」
茶化し気味に口先だけで謝りつつ、穂樽はコーヒーを流し込む。「あ、いえそんなことは」とそれを否定しつつ、興梠は続けた。
「あと、穂樽さんの言うとおり甘い……というより、皆に愛されてるというのは感じます。特にもよよんさんとか」
「もよさんはなあ……。セシル大好きだからしょうがないのよ。私と彼女が話してるだけでも、嫉妬気味な視線送ってくることもあるし」
「それは感じます。でも嫉妬気味、というのともまた違うようなもののようにも思えて……。もよよんさんは私と須藤先輩の担当パラリーガルなんです。すごくいい人だって思ってますが、時折……殺気のようなものを感じることがあるというか、怖いと思うときもあるというか……」
「だからそれが嫉妬なのよ。セシルの紆余曲折あった昔の恋人を探して引き合わせたときも、後から文句言われたし」
タマゴサンドを食べ終えたところで話題が途切れたかな、と穂樽は思う。が、視線を興梠の方へ向けるとその目がやけに輝いていることに気づいた。
「な、何?」
「穂樽さん、須藤先輩って彼氏いるんですか!?」
「彼氏……なのかしらね? 私は2人を引き合わせただけでその後のことに干渉してないから今どうなってるのかは知らないけど」
「どんな人なんですか!?」
やはり興梠も女子というわけだろうか。こういう話への食いつきは非常によかった。普段の人見知りやら控えめな態度が嘘のように思えてくる。
「……一応元依頼人だからあまり詳しいことは言えないけど。男性にしては線が細い、って印象だったわよ。もう返したけど幼いときのセシルと写ってる写真見せてもらったときはより中性的だったというか……」
そこまで話して、ふと穂樽は言葉を止めた。そういえば、あの時なぜ気づかなかったのだろうか。自分の目の前にいた好青年は線が細いにしても男性としての顔立ちだったせいか。彼女の記憶の中で幼少期の写真の彼は、さっき話題に出たもよがもし幼かったらどこか似ていたのではないかと不意に思えてきた。
「それで、その元恋人さんの紆余曲折っていうのはどんなだったんですか?」
だがそんな穂樽などお構いなし、興味優先らしい興梠は次の質問をぶつけてきていた。答えようかと迷ったことで前の考えは思考から排除され、返答を考える。
「……それは悪いけどセシルから直接聞いて。元依頼人の話を興味本位であまりぺらぺら喋るのは感心できないことだから」
「あ……。そうですよね。ごめんなさい……」
一息をついて穂樽は目の前のサンドイッチを食べ終えた。さらにコーヒーを口元へと運ぶ。
「おかわり、いる?」
浅賀の申し出にありがたく穂樽はそれを受けることにした。戻ってきたカップに砂糖を入れつつ、横目に興梠の様子を窺う。当初自分にあった時より大分緊張はほぐれたようだった。既にほぼ打ち解けたと思うが、もう少し話せばなおいいだろう、と判断する。
「セシルともよさん以外はどう? ……特に下ネタ女王とか」
相手がサンドを食べ終えた頃を見計らって穂樽は尋ねた。苦笑交じりに興梠は返す。
「そり姉さんですか? ……下ネタとセクハラがひどいです。須藤先輩もよく顔真っ赤にしてますし。確かに色々教えてもらって助かってはいますけど」
「
「そう……ですかね? つのみんさんには『コスプレ似合いそう』とかいきなり言われたんで、ちょっと困ってるというか……。ハチミツさんは……ちゃんと話したことないんでわからないです。なんだかいつも怒ってそうだし……」
今度は穂樽が苦笑を浮かべる番だった。「つのみん」こと
「角美さんは趣味を押し付けてくることと、コスプレしてるときになり切りすぎることさえ除けばいい人よ。蜂谷さんも怖そうだけど、別に怒ってるわけじゃなくて普段からああなだけだし、本当は優しい人だから」
「それはわかってるつもりなんですけど……。この人見知りの性格とあわせてどうしても壁感じちゃって。そうなると、あそこで気軽に接することが出来るのって須藤先輩と、あとアゲハさんとセセリさんの姉弟ということになってしまうんです」
確かにそれなら蝶野姉弟がもっとも普通、となってしまうのかとは思う。とはいえ、姉でボスのアゲハの方はそれは表向きで、実際はかなりのやり手、穂樽は師と仰ぎつつもそのやり方には時折呆れるようなこともあるほどだ。弟のセセリは色々と口やかましくはあるが、彼女にとって足りないとわかっている社会常識や経験不足を補ってくれるために教えてくれている、と捉えればよき上司という感想を持つであろう。
なんとなくの興梠のバタ法の面々に対する印象はわかった。特にこれといって大きな問題があるわけでもなさそうだ。アゲハも厄介払いとか嫌がらせで研修を言い渡したわけでもないとわかる。結局彼女のためのことを思ってだろう、という結論にたどり着いた。
あの個性的なメンバーを相手に多少馴染めているのなら、自分に打ち解けてくれるのはさほど難しいことでもないだろう。今も浅賀とそこそこ話せていた、と思うことにする。そんな風に前向きに考え、穂樽はコーヒーを口へと運んだ。
◇
「……まあ基本的な話はこんなところね。あとは明日昼頃にバタ法に依頼人が来るらしいから、一緒に話を聞きに行きましょう」
昼食を終え、その後事務所に戻ってきてから、穂樽は雑談も交えつつ証拠収集の基礎やら、弁魔士と探偵の異なる点やらを話していた。生憎今現在事務所にはパソコンが1台しかない。居住区に行けば若干型落ちではあるがプライベート用が一応あるものの、仕事用は仕事用で分けておきたいために、2人同時に事務作業とはいかないのが現状だ。タブレットPCもあるにはあるが、ほぼ携帯用と割り切っている。留守番を任せつつ事務作業をさせ、自分は外に出るのが効率としてはいいが、それではアゲハに頼まれたことを行っているとはいえない。よって非効率的ではあるが、2人で同じ作業をするのがいいだろうと判断していた。
「はい。よろしくお願いします」
「じゃあ……。今日は17時回ったし、帰っちゃっていいわよ。明日、何時に来られる?」
「え? えっと……そういうの、決まってないんですか?」
「そこが個人事務所の強みなのよ。私は職場まで徒歩0秒だからね。その気になれば始業も終業もその日次第、臨時休業もあり。……それに人を雇わない前提で私はここを立ち上げたから。まあ基本的に9時から10時の間ぐらいまでに来てくれればいいけど、大丈夫?」
興梠の顔には困ったような表情が浮かんでいた。それでもその表情を見せてくれるということは、今日1日だけでここまで打ち解けたことに他ならないとも穂樽には思えた。
「バタフライより乗ってる電車の時間は短いんですけど、ここ駅からの距離はちょっとあるんで……」
「そうよね……。それだけネックなのよね。まあ最悪の場合うちに泊まってもいいけど、それも嫌でしょ?」
「嫌ではないですが……。非常時はそうさせてもらいます。じゃあ9時には着くようにしますね」
「……多少遅れてもいいわよ。期間2週間の急ぎの依頼なわけじゃないから。明日もここからならバタ法までそんな時間かからないし。そもそも9時着だと私も今日より早めに起きることになるのよね」
その言葉に、目の前の彼女は笑いをこぼした。
「……意外です。穂樽さんしっかりしてると思ったのに」
「してるわよ。この稼業やってると生活リズムなんてものが無くなるから、不規則になってるだけ」
「じゃあそういうことにしておきます。それでは明日は9時……頃にまた来ますので。明日からもよろしくお願いします」
「こちらこそ。今日はお疲れ様」
お疲れ様でした、という挨拶を残し、興梠は事務所を後にしていった。無意識の内にため息をこぼし、穂樽は居住区へと移動する。
「あの子の方が、穂樽様よりしっかりしてる気がしてきたニャ」
そして部屋に入って早々、いきなり使い魔に文句をぶつけられたのだった。話が聞こえていたのだろう。
「気のせいよ。あの子、やっとお酒が飲める年になったばかりだから」
「それとこれとは話が別ニャ」
「だとしても、人見知りは結構なものだから、弁魔士にとってはマイナス要素に違いないわ。今日1日でようやくあそこまで話せるようになったんだし。最初とかぎこちなくてしょうがなかったもの」
ソファに腰を下ろし、今日かなり我慢してきた煙草に火を灯す。さすがに研修という名目で興梠が来ている以上、あまり居住区に移っての煙草というのも気が引けたからだ。久しぶりのメンソールの刺激が喉に響く。
「……でも彼女、煙草は吸わニャいからきっといい子ニャ」
「それとこれとは話が別よ」
「とにかく、今日1日で大分心開いてくれたんじゃニャいかニャ?」
「ええ。……まあ、そうでしょうね」
そう返しつつ、穂樽は表情に僅かに影を落としていた。どこか鬱屈した様子で煙を吐き出す主人に使い魔が気づき、訝しげに尋ねる。
「どうしたのニャ? 引っかかるところでもあるかニャ?」
「いえ、大したことじゃないんだけど。……なんで弁魔士になったか尋ねた時、彼女の様子がどうにも引っかかって」
「嘘でもついてたかニャ?」
「それは……多分なかったと思うわ。でも……何かを隠そうとしてたような……。表面上は彼女の言うとおりなのかもしれないけど、裏ではもっと何か抱えてるものがあるような……」
そこまで言ったところで穂樽は煙草を蒸かして「……やっぱりなんでもない」と煙と共に吐き出した。
「ニャ?」
「……考え過ぎみたい。彼女は本当は検事になりたかったけど、魔術の覚醒によって消去法的に弁魔士になった。飛び級までして検事を志した理由は父の強い要望だと彼女は言ったわ。……己の虚栄心のために娘を検事にさせようとした父は、その道が閉ざされたと知ったときに、果たして娘と比べてどっちがショックを受けたのか、それともこの世にもういないのか、なんてことを考えてしまったのよ。でも本来そこは、私が踏み込む範囲の話じゃないわ」
隠そうとしている何かは、家庭内のことだろう、と穂樽は推測した。彼女は父のことは嫌いではない、と言ったが、何か確執があったように思えてならない。それを隠そうとしている、そんな風に感じたのだ。
「……ま、うちが始まって以来のアシスタントだからね。加えてアゲハさんのところの将来を担う逸材だし。丁寧に扱わないと」
葉を燃やし切り、煙草の火を消す。明日からは自分も経験したことのないような日々が始まるかもしれないと思うと少し億劫なような、しかしどこか楽しみに思うような気持ちも浮かんできたのだった。
前話のアゲハの説明を補足する形になりますが、興梠は誕生日が4月頭、という設定にしています。
15歳で飛び級で法科大学院に入学、未修科コースを3年で終了。18歳で司法試験をパス、1年間の研修を終えて19歳でバタ法入所、直後に誕生日で現在20歳という形を取っています。
現時点で年はセシルの1つ下ですが学年でいうと2つ下、となります。しかし本作中でセシルは既に4年もキャリアを積んでるということを考えると、この設定でもそこまでぶっ飛んではいないんじゃないかと思えてくる不思議。
なお興梠は2022年度入所にしているつもりです(セシル、穂樽は2018年度入所)。なので「新年度」としか書いておらず劇中で明記してませんが、この時点で2022年、以前のエピソードから年度が変わって、原作4年後ということにしています。
この辺り指折って足りない頭絞って確認したつもりですが、おかしいのに気づいた方いらっしゃいましたらご指摘してください。最悪の場合、興梠を4月1日の早生まれという設定で学年1つ上げるのも考えるので……。