ウィザード・ディテクティブ~魔術探偵ホタル   作:天木武

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Episode 6-4

 

 

 翌日、2人は昼前から対象の会社付近へと来ていた。まず外堀を埋める、ということで穂樽は昼休みに休憩に出る会社の同僚を捕まえて話を聞こうという算段だった。

 穂樽の手際は見事だった。同性であり、かつ話が好きそうな女性社員を見つけ、長話にならないよう心がけて話を聞き出す。相手も昼時となれば長く話してはくれないが、一言二言の短時間なら取り合ってくれた。

 以上の自分の点を踏まえ、実際にやってみるよう、途中で穂樽は興梠と役割を交代した。最初は緊張した様子でうまく話せず、時折穂樽に助けてもらった興梠だったが、次第に慣れてきた様子であった。

 

「はぁ……」

 

 しばらく続いた聞き込みを終え、今2人は近くのファミレスにいる。時間のずれた昼食のための注文を終えたところで、気が抜けたようにため息をこぼしたのは興梠だった。

 

「今日も疲れた?」

「疲れました……。やっぱり苦手なことは厳しいです……」

「でも最後の方は私のサポート無しでもうまく話せてたじゃない。昨日も思ったけど、結局は慣れよ。必要以上に苦手意識を持っちゃうから、苦手だと思っちゃうだけじゃないかしらね」

 

 そう言われても疲れるものは疲れる、と言いたげに興梠は苦笑を浮かべていた。しかしそこに苦いだけの色以外のものも浮かんでいると穂樽は気づく。多少は自信がついたのかもしれない、と思うことにした。

 

「……で、対象の梨沢壮介だけど、会社で怪しい噂は無し。優秀で真面目過ぎて面白みすらない。ただし性格は厳しく、常に不機嫌そうであるため接したくない。しかもここ最近は家庭を優先するという理由で重要性の高い飲み会以外ほぼ顔を出していない。……得られた情報を総括するとこんなところね」

「でもウドのはずなのに、普通の人と一緒の職場で勤められるんですね」

「通常はそうよ。会社のお偉いさんがよほど偏見持って無い限りは。……まあ勤めてからの内部の話は、また別問題だろうけど。でも彼の場合、それもなさそうね。ここの職場、比較的ウド多いって話も耳にしたし」

 

 興梠は無言で水を一口飲む。そのままじっと向かいの穂樽を見つめていた。

 

「となると会社での問題という線も薄い。……彼が豹変した理由は家庭でも会社でもない。じゃあ一体どこにあるのか。どう思う、興梠さん?」

「え? えーっと……」

 

 不意に話を振られ、彼女は言葉に詰まった。少し考えてから改めて口を開く。

 

「やっぱり、会社を出てから家に帰るまでの間、そこで何かがあるんじゃないかと思います」

「全く同意見。ちなみに依頼人の杏さんに今朝方電話して聞いたみたけど、やっぱり昨日の帰りは遅かったそうよ。理由を言ってくれなかったところまで一緒。……つまり会社を出てから家に戻るまでの空白の時間、そこに何かが隠されてると考えるのが妥当ね」

 

 そこで注文した食事が届いた。それまで難しい顔をしていた穂樽の表情が明るくなる。

 

「ま、考えても定時の5時まではまだ十分に時間があるわ。腹ごしらえと長めの休憩で英気を養いましょう」

 

 これには同意せざるを得ない、と興梠はナイフとフォークを手にした。チェーン店のファミレスであるが空腹を満たすには十分だろう。いただきます、と一言呟いてから、興梠は目の前のハンバーグにナイフを入れた。

 

 

 

 

 

「……完全に頭に来たわ。本当はとっておきということでやりたくなかったけど、どうやらやるしかないみたいね……!」

 

 不気味な笑みを浮かべた穂樽を見て、隣に座っていた興梠はビクッと肩を震わせる。今は調査開始初日と同じベンチに腰掛け、夕暮れ時、対象である壮介が出てくるのを待っているところであった。

 穂樽がこれだけ苛立つのにはわけがある。実のところ、既に調査を開始してから4日目に突入していた。昼休みに聞き取りを行ったのは2日目。しかしその日対象は地下鉄から電車へと乗り換える際、待っていたと思われたホームの逆側の電車へ発車間際に乗るなどということをやったために、またしても見逃してしまったのだ。

 さらに翌日は前日にまかれたホームを攻略したものの、その後人混みの多いデパートを相手が経由したことによって見失うという失態を演じていた。

 

 さすがにここまでいいところがないと、クールといわれるはずの穂樽の頭にも血が上るというものだ。今日を逃すと明日は土曜日、帰宅前を狙えなくなる。それでも休日家から出て行くところをつける、という手はあるにはあったが、アシスタントがいる前でこれ以上の無様な姿は晒せないと考えていた。

 

「ほ、穂樽さん落ち着いてください。……相手に気づかれてるという可能性はありませんか?」

「それはないわ」

 

 キッパリと言い切った穂樽に、「どうしてそこまで言えるんですか?」と興梠から至極全うな質問が飛ぶ。

 

「張りこむ場所は毎日変えて、今日ここを使うのは久しぶりだもの」

「いえ、ここを使うとかの前に、相手に気づかれてるからあんな不審な動きを……」

「逆よ。彼の動きは一貫して不審なのよ。一昨日にまかれた、ホームの逆側で待ってるように見せて発車間際に乗り込む動作。1度見た後から私は習慣的なものと思っていた。実際に昨日は一昨日と同じ方向の電車に、同じような行動をして乗ってきたでしょ?」

 

 興梠は思い出すように考え込んだ後「……そういえば」と続ける。そのため昨日はその乗り継ぎの後までつけることに成功していたわけである。

 

「彼は普段からああいう行動を取っていると考えられる。尾行を避けるため、とも思えるけど、あまりに習慣的になりすぎて、もう知らず知らずの内に行動パターンに刷り込まれている可能性もあるわね。前に『被害妄想な面があるかもしれない』って言ったけど、場合によっては精神を病んですらいることも考えられる。性格が豹変した、という線も踏まえれば、その説もありうるわ」

「じゃあ退社後に移動している先で、壮介さんの精神を病むような出来事が行われている、と……?」

「それはここで議論しても埒が明かない想像ね。あくまで仮説のひとつ、ということ。……実際に彼を追いかけて何をしているのかの現場を確認しないことには、どうとも言えないわ」

 

 穂樽は両手を広げてみせた。それから時計を見てもうじき夕方5時ということを確認する。

 

「そろそろ、か。……興梠さん、一時的に別行動を取るわ。私は先行して地下鉄の駅付近で待つ。彼が出てきたら私の仕事用の携帯鳴らして。数回コール、最悪私の携帯に着信があったとわかるだけいいから。それで地下鉄の改札抜けたところで合流。いい?」

「え? どういう……」

「私の携帯鳴らしたら、適当に間隔空けてこれまで通り彼をつけてくれればいいわ。十中八九これまで通り地下鉄に来ると思うけど、もしかしたら出てこない、あるいは今日はまっすぐ帰るなんてことも考えられるから、一応」

 

 一方的にそう述べてから、穂樽は荷物の中からヘアバンドを取り出して髪をまとめ、眼鏡を今の赤いメタルフレームから黒のセルフレームへと切り替えた。さらに上着を脱いで手に持つ。

 

「えっと……。穂樽さん……? 何をする気ですか?」

「とっておきの手段よ。あんまりやりたくなかったけど、もう背に腹は変えられない。単独で待ち伏せたほうがやりやすいから、先回りするの」

「は、はぁ……」

「確認よ。彼が出てきてたら私の携帯鳴らして今までどおりきっちり後つけて来て。それから地下鉄の改札抜けたところで合流。……わかったわね? じゃ、また後で」

 

 不安そうな表情を興梠は見せていたが、意にも介さない様子で穂樽は先に地下鉄の方へと歩き始めた。これまで、対象の移動ルートは変わっていない。故に必ず地下鉄を使い、電車に乗り換えて昨日降りた駅までは行く。そしてその先に目的地がある。そう考えていた。

 

 穂樽はさっき興梠に言ったとおり、一足先に地下鉄の駅へと向かった。歩いている途中で携帯が数度震えた音がバッグから聞こえてくる。相手が早足で来てもこちらの方が速いと確信し、そのまま足を進める。

 駅に着き、改札付近で人を待つフリをして、穂樽は手早く準備を済ませた。左手で携帯をいじりつつ、右手の中に「とっておき」を握ったまま、その上に上着を乗せて目標の到着を待つ。ややあって、ここ数日間煮え湯を飲まされ続けている梨沢壮介が姿を現した。何事もないかのように自然な動きで穂樽はその場を離れる。

 事は、改札の列に壮介が並び、その横に穂樽が立った、その一瞬で済んだ。そのまま左手の携帯を改札にかざして通過、壮介がいつもと同じホームに行くのを確認して、人の流れから外れて相棒を待つ。

 

「穂樽さん!」

 

 言いつけどおり、興梠はきっちり後をつけてきたらしい。「ご苦労様」と労いの言葉はかけたものの、説明する時間は惜しいと目で促してホームへと降りる。

 

「あの、何してたんですか? 一瞬隣に並んだように見えたんですが……」

「ええ、並んだわよ。それで仕込みはおしまい。……彼の隣の車両に行きましょう」

 

 丁度電車が入ってきたところだった。穂樽が言ったとおり、2人は壮介のひとつ隣の車両に乗り込む。そこで穂樽は大きくため息をこぼし、上着を羽織ると髪をまとめていたヘアバンドを外した。

 

「ひとまず、これでいいわ。向こうも気づいてないみたいだし。もう人混みで逃がさない」

「そう……なんですか? 何したんです?」

 

 眼鏡を普段の方へと戻しつつ、角度を調整して微笑をこぼす。

 

「大きな声では言えない、グレーな方法よ」

「グレーって……。まさか魔術使ったんですか?」

「そういうこと。……私の魔術は砂塵魔術。さっき横に並んだとき、事前に魔力を込めておいた砂を彼の上着のポケットにそっと忍ばせておいたのよ。即席にして特製の追跡センサー、尾行における私のとっておき」

「そんな便利な使い方が……。でもなぜ最初からやらなかったんですか?」

 

 その問いに対しては、どこか気まずそうに穂樽は視線を逸らした。

 

「……仮にも法律を遵守(じゅんしゅ)すべき弁魔士さんの目の前で魔禁法スレスレ、下手すればアウトなんて方法を取りたくなかったのよ。そして何より……うちで初めてのアシスタントに、魔術を使わないと案件を解決出来ない調査能力ゼロの探偵、なんて思われたくなかったし」

 

 思わず、興梠は吹き出して小さく笑っていた。それを穂樽は少し口を尖らせて見つめる。

 

「笑わないでよ」

「ごめんなさい。でもなんだか、全部完璧にこなせそうな穂樽さんにしてはらしくないというか、意外な理由だなと思って」

「完璧、ねえ……。『当然よ』と返したいところだけど、今回ばかりは散々格好悪いところ見せてるからなあ」

 

 目の前の相手はまだ笑っているようだった。言い返してやりたいところだが、どうも今は分が悪い。何を言っても自分の墓穴になりかねないと、穂樽は恨み言を飲み込むことにした。

 それはともかく、と表情を引き締める。今も隣の車両にいるターゲットの位置はおおよそでわかる。例え人ごみに紛れようとその中を追跡が可能だ。今日は絶対に逃がさないと、揺れる地下鉄の中で穂樽は静かに自らを鼓舞させた。

 

 

 

 

 

 これまで通りの乗り換えルートを経て、やはり壮介は昨日同様にデパートの中へと入っていった。相変わらず人は多かったが、今回は位置を把握できる。少し離れた場所からその動向を探り、ここに来た理由を穂樽は察した。

 

「なるほど、弁当か……」

 

 いくら常時周囲を警戒するような動きをしてるとはいえ、ただ素通りするためにデパートの、それも地下まで行くことはないだろうとは思っていた。その予想的中、相手はここで弁当を調達しているらしい。と、いうことは。

 

「愛人と会うわけじゃなさそうね」

「え? なんでわかるんですか?」

「弁当持参で愛人に会いに行く? ……まあ稀な例であるかもしれないけど。普通は彼女の手料理か、どこかレストランが妥当でしょう。それにしても自宅の夕食より優先して弁当……。どういうことかしら」

 

 呟き、解決しない疑問を抱いてはいるが、2人は確実に壮介を追いかけていく。

 デパートの人混みを抜け、駅前から遠ざかり、そして次第にその姿はひと気のまばらなエリアへと進んで行った。距離を詰め過ぎて気づかれないよう、ほとんど穂樽の追跡センサー頼みで尾行を続ける。

 しばらく経ってから、その移動がほぼ止まった。物陰からその方向を探ると、周りからは少々不釣合いな6階建ての雑居ビルが目に入る。が、電灯は最上階である6階以外点いておらず、他はテナントすら入っていないような、実質ほぼ廃ビルのように見えた。

 

「終着地点はあそこの最上階みたいね。……さて、これからどうするか」

「どうする、って……。当然乗り込むんじゃないんですか?」

「1つ目の方法としてはそれね。ただ、どうにもきな臭い感じがする。危険が待ってるかもしれないし、荒事になる可能性もあるわ」

 

 危険と荒事、という単語を耳にして興梠が思わず生唾を飲み込むのがわかった。続けて穂樽は次の案を提示する。

 

「2つ目。ここで彼が出てくるのを待つ。そこでその姿を写真に収めて撤収。あとは家族に任せる。……こちらは消極的案ね」

「それで白を切られたら調査の意味が無くないですか? だったら相手が何をしていたか、そこまで抑えたほうがいいと思います」

「……控えめな印象持ってたけど、大胆な意見ね。でも私も同意するわ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。……人目につかないような、廃ビル紛いの建物の最上階だけについた電灯。どうもよくないことをしていそうな雰囲気がある。何をしているのか、依頼人に詳しく報告するには行くしかないわね」

 

 興梠は重々しく頷いた。余計な言葉をかけなくても、事の重要性と危険性を把握している。そう穂樽は考え、先頭に立って慎重に足を進め始めた。

 

 半廃ビル、ともいえる建物は近づけば近づくほど不気味であった。辺りを確認するが、見張りの類はいないらしい。入り口のドアは半分が壊れているのかガラスが割れているかしているらしくベニヤ板で覆われて固定されており、動くのは残りの半分だけだった。特に鍵はかかっていないことを確認して中に入る。

 ビルの中は静かであったが、さすがに最上階にいるはずの人間の声は聞こえてこない。エレベーターすらないかなり老朽化の進んでいるであろう建物の階段を昇りかけたところで足を止め、穂樽はバッグの中から砂入りの小瓶を取り出し、階段の昇り口辺りにばら撒いた。

 

「……何してるんですか?」

 

 自然と小声になった興梠が穂樽に不思議そうに問いかける。

 

「センサーよ。今度は追跡用じゃなくて、感知用だけど。もし後から誰かが来たとしてもわかるようにしておくの。そうすれば、退路を失う前にそれなりの対処が出来るわ」

 

 興梠は感心しきった声を上げるだけだった。そんな彼女を目で促し、ゆっくりと階段を昇っていく。半廃ビルという表現は正しいかのように、途中のフロアにはテナントが入っているどころか、既に使われなくなった机や荷物が放置されて荒れ果てている。まさに廃墟といっても過言ではない状況だった。

 最上階が近づくにつれて男のものと思われる声は次第に大きくなっていった。人数はわからないが結構な数と推測できる。時折笑い声も聞こえてきた。

 5階と6階をつなぐ踊り場で穂樽は足を止めて振り返った。この場所からでも、不明瞭な部分は多いが「魔術が……」や「まあふっ飛ばせばいいんだけどよ……」といったあまりお世辞にもよろしくないような単語はなんとなく聞こえてきていた。そこを踏まえて、穂樽は顔を興梠の耳元に寄せ、囁くように話す。

 

「集音マイクとレコーダー持って来てるから、入り口前でそれを使って会話を録音するわ。依頼主に提出すれば、態度が変わったことの原因究明に繋がるかもしれない。そして……よからぬ内容なら警察沙汰になった時、良くも悪くも証拠になる。適当に録音したら、ばれる前に帰るわよ。いいわね?」

 

 言いたいことだけを言って興梠に確認を取るでもなく、穂樽はバッグの中からマイクとレコーダーを取り出した。6階入り口の扉付近に陣取り、マイクを手に彼女自身も耳を済ませる。

 

「……で、お前最近会社の調子はどうなんだよ?」

「そっちはボチボチ。家庭がめんどくせえな」

「ああ、わかるわかる。別れてもいいけど慰謝料とか取られるとたまったもんじゃねえ。よう、お前らも結婚するときはちゃんと相手選べよ?」

「なーに先輩面してんすか。……いやまあ実際人生の先輩っすけど」

 

 聞こえてくるのは世間話の延長線上のような内容だった。よからぬことがあるだろうという事前の穂樽の予想と裏腹、普通すぎる話題に肩透かしを食らった感じを覚える。しかし聞こえてくる声と内容から察するに、ほとんど、あるいは全員男ではあるが、年はかなり上下しているということがわかった。

 今の年上側と思われる男の発言は壮介であろうか。仮にそうだとすると、家庭に不満を持っているようにも感じられる。

 

「大体結婚とかめんどくさいだけでしょ?」

「これだよ、若いのは。だから少子高齢化が進むんだよ。それに家庭持つといいこともあるにはあるぞ?」

「家に帰れば嫁さんとヤりたい放題!」

「んなもん金払って風俗でいいじゃねえかよ。元が元な上に年と共に劣化してくんだぞ。あんなの相手じゃ俺の自慢の息子も拗ねちまうよ」

 

 次いで聞こえてきた下卑た笑い声に、穂樽は軽く頭を抱えた。これでは本当にただの飲み会の品の無い話ではないか。どうもアルコールが入っているような雰囲気もあり、なおさらそう思える。だがそうだとするなら、調査対象の壮介がここに来るのと豹変したこととは何の関係もない、ということだろうか。

 

「若いうちにいい女見つけとけ。それが、人生の先輩からのありがたいお言葉だ」

「そんな簡単に見つかったら苦労しませんって。それに見つかったらここ来なくなるかもしれませんよ?」

「おう、それは困る。ただでさえ人減ってきてるのが問題なんだ。んじゃあ理解ある女見つけて一緒に来ればいいだろ」

「ぜってー冷やかすでしょ? あとその前にいませんって、そんな女」

 

 これは自分の考え過ぎだったかもしれない。調査対象の壮介は会社でも家庭でもない別なところ、あるいはそこで知らず知らずのうちにストレスを溜めてしまっていたかで、ここで愚痴って憂さを晴らしている。穂樽はそんな気がし始めていた。男達の繋がりこそ疑問だが、もうしばらく粘ってこの調子なら今回は自分のカンが外れたということになるだろう。

 そんなことを思って、半分諦めの心が生まれてきた矢先。

 

「そもそもそれってウドの女が最低条件、しかもその上でうちらの思想じゃないとダメってことじゃないっすか?」

「いや、そこまでラボネ思想に染まってなけりゃ問題ない。洗脳しちまえばいいんだよ」

 

 聞こえてきたその言葉に一瞬にして穂樽の顔が強張った。同時にこの年齢に差のある集団の繋がりも見えた気がした。そう、彼らを繋ぐものは――。

 

「確かにおっしゃるとおりか。我らマカルに繁栄を、ってね」

「女の1人ぐらい大した問題でもないだろ。去年にはテロ紛いのことをやらかしたんだしな」

「しかし4年前のあの件以来、先導者不在状態だ。でかいことを起こすにはさっさと俺達が台頭して、まとまりきれていないこの現状をなんとかしないと、マカルの繁栄どころの話ではなくなってしまう」

 

 マカル。かつてセシルを巡る一連の事件の時に黒幕であった、麻楠史文(まくすしもん)を先導者としていたウドの派閥。その思想は過激で、「自分達を虐げてきた人間を憎み、ウドの支配下に置くべき」というものだ。しかし今部屋の中からも聞こえてきた4年前に、セシル絡みの事件が起こる。それによって先導者を失い、また多数の逮捕者を出したことで弱体化の一途をたどっていたと聞いていたが、どうやら彼らはその残党だったらしい。

 同時に、壮介の異常についても腑に落ちたように穂樽は感じていた。依頼人である彼女の話によると、確か夫の異常は4年前からという話だった。つまり、先導者の麻楠をはじめとして多くのマカル信者を失ったことにより、壮介は自分が信奉するマカルが消滅するかもしれないという焦りと、いつか自分にも捜査の手が伸びてくるかもしれないという不安を覚え、今のようにこれからのマカルをどうするか集会に頻繁に参加するようになった。あるいは、この集会を心の拠り所としていた。そのため、家庭を顧みないようになったのではないだろうか。

 

 調査対象の豹変の理由は、おそらくその辺りで間違いない。違ったとして、何かしら関係していると見るのが妥当だろう。少なくとも、妻は夫がマカルであるという事実を知らないはずだろうし、会社での勤務を終えた後に自宅に帰る前にここを経由しているというのは、今確認した揺るぎない真実だ。

 ならもう調査は十分過ぎる。ここいらが潮時だろう。幸い下の砂のセンサーに反応は無い。今から階段を降りれば、自分達の存在に気づかれること無くビルを脱出できるはずだ。

 そう考えをまとめてからの穂樽の決断は早かった。レコーダーを止めて集音マイクをしまい、背後の興梠に目で促して撤退を指示しようとした。が、彼女は俯いていて穂樽の視線に気づかないようだった。

 

「興梠さん、帰るわよ。情報は十分過ぎるほど集まった。これ以上ここにいると見つかるリスクも高まる。そうなる前に退きましょう」

 

 耳元で囁くように声をかけ、階段を降りようとする穂樽。だが、直後に聞こえた「ごめんなさい」という一言に、その足を止めた。

 

「……興梠さん?」

 

 振り返った穂樽は、これまで見たことが無いほどに興梠が深刻な表情をしていることに気づいた。

 

「彼らは、道を踏み外そうとしています。いえ、聞く限りもう踏み外してしまっているのかもしれない。……私は、そんな同胞を黙って見過ごすことは出来ません」

 

 何か決意のようなものと共にそう告げた彼女は、階段を降りるどころか、逆に一段昇った。嫌な予感が穂樽の脳裏をよぎる。それを証明するかのように、興梠はドアノブへと手を伸ばしていた。

 

「待っ……!」

 

 穂樽が制止しようとする声を投げかけるより早く。

 興梠は躊躇い無く狂信者が集う部屋の扉を開いた。

 




麻楠逮捕によってマカルが衰退したかはわかりませんし、4年も経てば再建できる気もしないでもないのですが、密かに最高裁長官にまで上り詰めた人間が失脚したとなれば一気に弱体化するのではないか、と考えて今作ではそういう設定を取っています。

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