ウィザード・ディテクティブ~魔術探偵ホタル   作:天木武

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Episode 7-4

 

 

 調査開始から3日目、水曜日。この日穂樽はまず麻楠史文の面会を取り付けるために動き始めた。さすがに即日、ということは無理だったが、2日後の金曜日に面会を取り付けることにはどうにか成功した。しかし裏を返せば、ここで有力な発言を得られなければ、次に会うことは難しいということに他ならない。

 ならばそれまでに出来る限り彼に聞くことをまとめ、それ以外の情報を集め切るぐらいの考えでいなければならないだろう。現時点では10年前に起こったセシルを蘇らせた召喚の代償の件に焦点を定めている。そこを聞き出し、もよに関連する何かがあればいい。それ以外にも4年前の件に触れる可能性も出てくる。彼がもよを知っていて正体も知っている、などとなれば話は早いが、そんなことはないだろう。

 

 それまでに出来る調査を進めておこうと、穂樽はかつてバタ法にいた老年の元弁魔士、鎌霧飛朗を訪ねようとしていた。名簿を引っ張り出して彼の住所を調べ、既に事前連絡は取ってある。彼は快く穂樽の訪問を許可してくれた。が、その住所を地図で調べたところ、どうもいかにも都内の下町、呼ばれるような場所にあるようだった。

 住所にある家についてまず彼女は唖然とした。町並みからして歴史を感じる景色ではあるが、その中でも飛び抜けて古く見える、かなり年季の入った家屋だった。一体いつからこの街並みを見続けてきたのだろうかという風貌に気圧されつつも、彼女は入り口の呼び鈴を押す。相手は90歳の高齢の老人だ、すぐには出てこないだろう。下手をすれば分単位で待つことも考えていた。

 しかし彼女のその予想はあっさりと覆った。待つこと十数秒、2度目の呼び鈴を鳴らすことなく目的の相手は現れた。相変わらず見た目はヨボヨボで口調もゆっくりではあったが、元気そうな様子が見て取れた。

 

「いらっしゃい、穂樽君。久しぶりだねえ」

「お久しぶりです。急にお邪魔してすみません、鎌霧さん」

 

 頭を下げた穂樽に対し、鎌霧は「ふぇっふぇっ」とでも言うような、独特な笑いを返す。彼なりに再会を喜んでいる、と言ったところだろうか。玄関口で立ち話もなんだから、と上がるように穂樽に伝え、鎌霧は奥へと進む。穂樽もその後に続いた。

 歩行ペースは鎌霧に合わせることになったが、苦ではなかった。むしろ内装を見渡す時間が出来て気にすらならなかった、と言う方が正確かもしれない。外見から予想はついていたが、その内装もかなり歴史を感じる家だった。失礼とはわかりながらも穂樽はあたりを見渡してしまう。

 

「珍しいかい?」

 

 その様子に気づいたらしい鎌霧が、首を半分だけ向けて尋ねてきた。

 

「はい。……これだけ年季の入った建物はなかなかお目にかかれないので」

「僕が生まれたときからずっとあるから、最低でも90年。多分かれこれ100年以上ここに建ってるんじゃないかな」

「100……!」

 

 都内にこれだけ年季が入った家屋があるというだけでも驚きなのに、そこに住んでいたのが知り合いというのもまた驚きだった。歴史を感じる廊下を通り、鎌霧は来客を茶の間へと通した。足が痺れるかもしれないと危惧しつつも、穂樽は久しぶりに正座をして姿勢を正す。

 

「悪いねえ、お茶と適当なお茶請けしかないけど」

「あ、お構いなく。……私は話を伺いに来ただけですから」

 

 そう断っても、彼は独特な笑いを返し、お茶を入れる手を止めようとしなかった。

 

「そうはいかないよ。お客様だからね。それに急ぎすぎても何もいいことはない」

「それはわかっていますが……」

 

 思わず本音をこぼしかけてしまい、気まずそうに穂樽は視線を逸らす。だが鎌霧はそのことに言及しようとはしなかった。

 

「若い子はどうしても急ぎたがる。史上最年少なんて若さで弁魔士になったセシル君は、その極みだったね」

「でも、彼女の場合急ぐ理由がありました」

「そうだったね。まあ、悪いとは言わない。だけど時には立ち止まることも必要じゃないかな」

 

 差し出されたお茶に対して顎を引いて感謝の意図を示しつつ、だが穂樽は何も返さなかった。

 

「それでも急ぐ理由がある、か。……聞きたいことっては、なんだい?」

 

 その穂樽の様子を察して、鎌霧は先を促してくれた。感謝しつつ、口を開く。

 

「いくつか聞きたいことはあるのですが……。鎌霧さんは召喚魔術についてどのぐらいの知識がおありですか?」

 

 まだ熱いであろうお茶をすすりつつ、ゆっくりと返事が返って来た。

 

「それほど詳しくはないよ。そもそも本来は禁忌とされている魔術だからね。でも、穂樽君よりは詳しいかもしれないかな」

「ではお尋ねします。4年前のセシルを巡る事件、その際麻楠史文は堕天使ルシフェルを召喚しようとし、しかし失敗したはず。そして召喚の代償として立ち会った信者たちは視力を失った……」

「ルシフェルは光を好む者、とも言い伝えられていると聞いたかな。よって召喚の際の贄として、光を奪い取った、とも考えられるね」

 

 さすがは亀の甲より年の功、といったところか。穂樽は感心した声を上げていた。何故興梠の父をはじめとした信者が視力を失うことになったのかまではわからなかった。その理由がわかるということは、より詳しく何かを知っているかもしれない。

 

「その6年前、つまり今から10年前になるわけですが、セシルは1度命を落とし、召喚魔術によって蘇生したはずです。となれば、その際も代償が必要だったはず。ですが、それがあった形跡が無い。そのことについて、何か思い当たる節はありませんか?」

「……穂樽君、スイカを知ってるかい?」

 

 藪から棒の話に、穂樽は反射的に「は?」と声をこぼしていた。

 

「いや、まあスイカじゃなくて他の野菜でもいいけど」

「……何の話ですか?」

「スイカは大きいじゃない。持とうとすると重い。でも、種の段階、あるいはまだ実が成熟しきっていない時期なら軽い」

 

 それはそうだが、と思いつつ、話の本質が見えないと穂樽は首を捻る。鎌霧は小さく笑ってから先を続けた。

 

「例えるならルシフェルという強大な存在は実が熟したスイカ。一方まだ潜在魔力が覚醒していなかったセシル君は種、と考えられる」

「なるほど……。その考えでいけば、代償は4年前の時より遥かに少ないはず。麻楠の魔力だけで補い切ることもできたかもしれない」

「それからもうひとつ」

 

 茶をすするだけの間を置いて、鎌霧は続けた。

 

「セシル君の蘇生の際、彼女の魂の他に意図しないものまで召喚した、あるいは気づかぬうちに紛れ込んできたという可能性もある」

「……どういうことですか?」

「僕は資料で読んだだけだから詳しくわからないけど、麻楠が一度セシル君の魂を黄泉へと送ったのはその力を異界の者に知らせるため、という説もあるみたいだね。とすれば、その時に誰にも気づかれずに異界の者が紛れ込んで彼女の魂と共に召喚され、セシル君の蘇生を助けた、みたいなことも考えられなくは無いんじゃないかな、と思ってね」

 

 穂樽は目を見開いた。異界から紛れ込んできた者。まさに、超常的な人ならざる力を持つ存在。今彼女が捜し求めている答え、そのものではないかと思えた。

 

「その紛れ込んだ者というのは……」

「さすがにそこまでは見当もつかないね。それにあくまで僕の仮説だから、当たってるかもわからない。……年寄りの与太話とでも思ってくれるといいかな」

「そう……ですか」

 

 小さく息を吐き出したところで、穂樽はまだ用意してもらったお茶に手をつけていないことに気づいた。一口飲み込み、たまには緑茶もいいかなとふと思う。

 

「他に聞きたいことはあるかい? こんな年寄りの回答でよければ、いくらでも答えてあげるよ」

「……鎌霧さんは幻影魔術使いですよね? 幻影魔術で相手を術中に陥れられる限界って、どのぐらいですか?」

 

 鎌霧は固まったまま動かなかった。もしかしたら質問が漠然とし過ぎていたかもしれない、と穂樽は補足する。

 

「例えば、記憶を消す、ということはギリギリ可能だと自分の経験上わかっています。あるいは見せたくない幻覚を見せる、ということも。それがどの程度まで可能かを知りたいのです」

「まあ……一概には答えられないね。この魔術は自然魔術なんかと違って対象者の抵抗の度合いにも影響されるし、使い手の調子も関係してくる。その記憶を消す、という事例は対象が抵抗をせず、かつ使い手がそれなりに優れているなら可能だろうね。それを踏まえたうえで実現可能な範囲としては……相手に死の恐怖を見せ付けるぐらいは出来るかもしれないかな」

「では……本当のことと見分けがつかないほどの、痛みすら実際に感じさせるような幻覚を相手に見せることも可能でしょうか?」

 

 だが穂樽のその問いに鎌霧は首を静かに横に振った。

 

「それはまた別問題だね。通常では痛覚まで支配しようとしても対象の強い拒絶が予想されるから、出来ないと思えるよ。もし出来たとして、現実と見分けがつけられないほどとなると、不可能じゃないかな」

 

 思わず穂樽は生唾を飲み込んだ。幻影魔術かはわからないが、やはり自分があの時体験したものは、人ならざる力に他ならない。そして、さっきの鎌霧の話では、いや仮説と言ったために想像でしかないのだろうが、セシルの蘇生の際に紛れ込んだ来た存在、それがもよの正体ではないかと思えていた。

 しかし仮にそうだとして、その正体を突き止めなければ彼女とのゲームに勝ったことにならない。知識豊富な元バタ法の長老、とでもいうべき存在である鎌霧でも見当のつかないという話だ。それを突き止めるなど、到底無理ではないかと思える。

 

「そんな魔術でもかけられたのかい?」

 

 核心を突くような質問に穂樽はどきりとした。本音をぶちまけたかったが、もよがあの時穂樽にしたことを具体的に言うのは禁止、と言われている。下手なことを言ってペナルティをもらうのは避けたかった。

 

「いえ、あくまで例えばの話です。以前うちを訪ねたクライアントの調査対象が幻影魔術使いで、どの程度まで可能か少し気になりまして……」

「なるほどねえ……。でもその答えは、逃げとしては甘いかな。そんなことでわざわざ僕のところを訪ねてくるというのは、ちょっと分が合わない」

 

 咄嗟の出まかせをあっさり見抜かれたと、穂樽は血の気が引く感覚を覚えた。さすがベテランの元弁魔士、同じ「元」でも自分とはまるでレベルが違うと実感していた。

 そんな穂樽の心を見抜いたかのように、彼は独特の笑いをこぼした。次いで安心させるように声をかける。

 

「図星みたいだけど、これ以上は踏み込まないから安心していいよ。……てっきりセシル君絡みで話を聞きに来たのかと思ってたけど、穂樽君も色々あるみたいだねえ」

「ええ……まあ、そういうことです」

 

 それより他に返す言葉も無かった。気まずい空気が流れ、穂樽はお茶を飲んでその間を凌ぐ。

 

「他には、何かあるかな?」

「えっと……」

 

 聞くべきか迷う。この流れでもよの話を出すのは、話の流れからいって彼女のことを調べに来たとも思われてしまう可能性がある。それでも指定された3点以外なら何をしても言いと言う話だったはずだ、と意を決して切り出した。

 

「大したことではないんですが、今バタ法のパラリーガル、天刀もよさんの身辺調査の依頼を受けているんです。でも彼女、ここ1週間事務所を休んで連絡が取れないみたいで。それで外堀から埋めようかと思っているんですが、鎌霧さんから見て彼女ってどう映りました?」

「天刀君ねえ……。若い子達には慕われているようだったけど、僕からするとつかみどころがないって印象だったかな」

 

 意外に思い、穂樽は「そうですか?」と尋ねる。少なくとも先日の一件まで、疑いの眼差しを向けたことは無かった。

 

「人は誰しも自分を隠して生きている部分がある。彼女の場合……それが特に強く感じられたかな。ま、深く探ろうなんて気はなかったから、あくまで僕の感覚で、だけどね」

 

 もしかしたらこの老人は彼女の正体に薄々勘付いていたのかもしれない、と思えた。それでも明確にはわからない様子でもある。

 

「それにしても、随分とタイミングが悪かったんだねえ。穂樽君のところにそんな依頼が来ると同時に、休んじゃうなんてね」

「え、ええ……。そうですね」

 

 そしてこれでは自分もいつボロを出してもおかしくない。どうもこの相手には全てを見透かされているように感じる。しかしこれ以上突っ込んで聞いてくることがなかったのは救いであった。

 

 沈黙が訪れた。だが聞きたいことは粗方聞くことが出来た。そろそろお(いとま)しようかと口を開きかけた時。

 

「穂樽君の聞きたいことは、そろそろおしまい?」

 

 そう先に切り出された。「はい」と返事を返す。

 

「じゃあ代わりに僕のお願い聞いてもらえるかな?」

 

 無論穂樽は謝礼は払うつもりでいた。だがこの言い分、それよりも自分の頼みを聞くことでまかなってほしいとも聞こえる。

 

「えっと、謝礼を考えてはいたのですが、それより鎌霧さんのそのお願いを聞いたほうがいいですか?」

「そうしてもらえると助かるんだけど。いいかな?」

「その方がお望みで、私に出来ることでしたら」

 

 その言葉を待っていたかのように、彼はまた独特な笑いをこぼした。そして立ち上がって近くにあった棚へと歩み寄り、何かを取り出して手渡す。

 

「……え」

 

 渡された紙を見て穂樽は絶句した。そこにはアイドルグループであろうか、可愛らしい女の子達が映った画像と、その下に店のような名前がいくつか並び、その脇に「ポスター」「ブロマイド」などと書かれている。

 

「あの……これは?」

「そのアイドルグループが歌う、今度出るCDのジャケット写真と各店舗特典。大好きなグループだから僕が行きたいところなんだけど、この年だと何店も回るのが結構厳しくてねえ……」

「は……? 同じの複数買うんですか!? 特典目当てで!?」

「そういうものだよ。穂樽君もまだまだ若いねえ」

 

 ふぇっふぇっ、と再び笑いをこぼす鎌霧。唖然として穂樽は手渡された紙へと再び目を落とした。書かれていたのは6店舗、すなわち特典のためだけに同じものを6つ、彼は手にすることになる。

 

「それで穂樽君にお店回って買ってきてもらいたいんだよ。お金は渡すよ。発売日は来週の水曜日。特典が無くなると困るから、朝一で行ってほしいな」

 

 何も言えないと、開いた口が塞がらなかった。目の前の老人は90歳のはずだ。にもかかわらず、相変わらず元気にアイドルを追いかけている。この人こそ人間を越えた何者かではないかとさえ錯覚して、頭を抱えてしまっていた。

 

「ダメかな?」

 

 しかし当人が相変わらずだという呆れの心はあれど、彼の趣味と頼まれたこと自体に対しては特に何と言うことは無い。そもそも来週の話なら、その時に自分とセシルがどうなっているかもわからないというのが本音だ。この状況を切り抜けられて無事来週を迎えられるのなら、喜んでその頼みを受けようと思うのだった。

 

「……それが望みでしたら喜んでお受けします。そもそも私は『御法に触れなきゃ報酬次第でなんでもござれ』がモットーの探偵事務所をやってるわけですから。今日のお話のお礼として、鎌霧さんの代わりに店舗巡りさせていただきますよ」

「いやあ助かるよ。じゃあこれ、CD代だから。特典、楽しみにしてるよ」

 

 お金を渡すはずが、逆に渡されてしまった。そのことに戸惑いつつ、しかし穂樽はヒントとなるかもしれない情報をもたらしてくれたかつての老弁魔士に感謝の気持ちを持っていた。

 

 

 

 

 

 鎌霧の家への訪問を終えた穂樽は遅めの昼食をとろうと、帰り道の途中にある適当なレストランへと入っていた。彼の話は非常に参考になる部分が多かった。少なくとも収穫ほぼゼロのこれまでよりは、少し前に進んだように感じる。

 召喚魔術。おそらくはそれが今回のゲームの鍵ではないだろうか、と穂樽は考えていた。麻楠が使用した10年前と4年前。そしてどちらにも関わっているセシル。もよがセシルに対して異常ともいえるほどの執着心を見せるのは好意という感情の他に何かがあるのではないか、と予想を立てている。

 つまり今回の件の中心にもまたセシルがいる、と思えた。つくづくトラブルメーカーだと思いつつ水を呷る。注文した料理が来るまでもう少し時間がかかりそうだと判断した彼女は、暇潰しに携帯でもいじろうかとした、その時。

 

「……え?」

 

 突如として周囲の喧騒が水を打ったように静まった。同時に、今呟いたはずの自分の声も出ていなかったと気づく。そして携帯を操作しようとしていた指は動かず、いや、全身も動かないまま、意識だけははっきりとしていた。

 金縛り――まず真っ先にそれに思い当たる。しかし睡眠時にかかることは何度かあったが、こんな意識がはっきりしている状態でかかるなどありえない。加えて、周囲の時がまるで止まったようになっていることの説明もつかない。

 声を出すことも、動くことも出来ない。そんな混乱する彼女の耳に、静寂を破って無邪気ともいえる声が飛び込んできた。

 

「やっほー、なっち。頑張ってるみたいだねえ」

 

 もよさん、と言おうとしてもそれは叶わず、相手の顔も確認出来ない。しかし当の彼女は、どうやら穂樽の向かいに座ったらしかった。

 

「きりじぃに話は聞きに行くかなーって思ってたけど、まさか麻楠の面会まで取り付けるとは、なかなかいい着眼点、そして行動力だよ。さっすが探偵さん」

 

 茶化し気味にそう言ってから、携帯から目を離せずにいた穂樽の視界の隅を、何かが横切った。おそらくもよの手、目の前にあったコップを取ったようだった。

 

「あ、水全部飲んじゃった。ごめんね」

 

 特に悪いと思う様子も無くもよはそう言うと、どうやらコップを元の位置に戻したらしかった。

 何がしたいのか。尋ねたくても穂樽の声は出ない。だがもよはその様子を察したように声をかけてきた。

 

「何で私がここに来たのか、って思ってるのかな? ……特に理由は無いよ。なっちの頑張りを褒めてあげようと思ってね。着眼点としてはいいところをついてるよ。何より、今のなっちの態度が答えに近づいてる証明に他ならないから」

 

 どうすることも出来ないこの状況で態度も何もあったものでないだろう、と穂樽は思う。しかしやはり心を読んだように、目の前にいるはずの彼女は答えた。

 

「だってなっち、今現在自分が置かれているこの現状を受け入れてるじゃない。抵抗しようとする気配が無い。それはつまり……私がこの原因で、しかもそれに対してもはや疑惑を持っていないということ。それは答えに近づいてるよ」

 

 やはりこの相手は人ならざる者なのだ、と穂樽は改めて思っていた。答えに近づいている、だがそう言われても、まだ彼女の真の姿は霧の中で見えないようにも感じていた。

 

「ちょっと長居しすぎちゃったかな。ま、この調子だとなっちは答えにたどり着いてくれるんじゃないかな、って思ってるよ」

 

 目の前で立ち上がる気配を感じる。遠ざかろうとする背に、穂樽は懸命に声をかけようとした。が、案の定声は出ない。

 

「じゃあね。また気が向いたら声を聞かせてあげるかもしれないかな。頑張ってね、なっち」

 

 待って。お願いだから待って。

 届かぬ声を絞り出そうとする間に、気配は遠ざかっていく。

 

「待って!」

 

 ようやく穂樽がその言葉を発せられた時、先ほどまでの店内の喧騒が戻っていた。周囲の人々が何事かと視線を移してくる。

 

「あ……えっと……」

 

 気まずそうに視線を泳がせる。その様子を不審そうに見た店員だったが、机の上を見て表情を元に戻した。

 

「お水ですか? 今お持ちいたしますね」

 

 ハッとしたように机を見れば、確かに水はなくなっていた。さっきもよが飲んだと言ったのは嘘ではなかったという事実を突きつけられる。

 着眼点としてはいいところをついている、と彼女は言った。それがどこまでか範囲はわからないが、先ほど鎌霧から聞いて立てた自分の仮説は案外間違えてはいないのではないか、と思う。

 店員が水を注いでくれた。感謝の気持ちをこめて軽く頭を下げ、それを飲みつつ考えをまとめる。

 自分の仮説が正しいとすれば、セシルが鍵を握っている。10年前と4年前の事件の中心におり、今回もよが目的としている人物。彼女ともよの間に自分の知らない関係がある、もしくは何か気になることが無いかを直接尋ねるのもいいかもしれない。

 

 考えをまとめた彼女の前に、注文していた料理が届いた。お腹は減っていたはずだが、正直今の一件で食欲は失われている。とはいえ、腹が減っては戦は出来ない。これを食べ終えたらセシルにメールを飛ばして明日にでも話を聞こう。そう思いつつ、穂樽は目の前の料理へと目を移した。

 

 




鎌霧の家は想像で書いています。確か原作に出てきていなかったはず……。

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