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麻楠史文。元最高裁判所長官であると同時に、マカルの重鎮でカリスマ的先導者であった男。そんな相手と直接一対一で顔を合わせるということに、さすがの穂樽も緊張を覚えずにはいられなかった。
今日は調査を始めて5日目、金曜日。今、穂樽は死刑囚が収監されている東京湾に浮かぶ海上拘置所に来ていた。魔法廷で死刑判決を受けた人間は法廷内にある魔術システムによってここへと転送される仕組みになっている。麻楠は逮捕後の弾劾裁判の際、法廷内で魔力を封じる封印錠を破壊し、魔術によって抵抗したためにこの場へと強制転送。その後判決を受けて現在はここに収監されているという経緯があった。
麻楠との面会は今日が最初で最後のチャンスだろう。ここで可能な限りセシルに関する事件、ひいてはもよに関する情報を本人の口から聞き出さなければならない。限られた時間の中でどれだけ話せるかが重要だ。待機中に再び穂樽は考えをまとめなおす。
天刀もよとは何者か。その答えを探し出すことが今回のゲームの目的だ。
まず最初に彼女の経歴を洗った時点で、そのほとんどが詐称されているであろうことがわかった。血縁は当たりようがないが、出身校のアルバムに彼女の姿はなかった。同時にもよ自身が詐称と認めている節もある。また、魔術と思しき力を使ったにも関わらず届出はなかった。
次にその力の異常さ。自身も体験した、魔術と果たして呼べるのか、正体すら皆目見当がつかない力。しかもそれは自分だけでなく、シャークナイトの鮫岡と工白も目撃したことがあるという。だとするなら、彼女が異常すぎる力の持ち主であることを疑う余地はない。
それら2点から見えてくる像とは何か。早い段階で薄々感じつつあった、彼女は人ならざる者ではないか、ということ。そのことを裏付けるように鎌霧は「召喚魔術を使用された際に紛れ込んできた」という可能性を示唆した。あくまで仮説の段階でしかないが、その時に召喚魔術を行使した麻楠本人にそのことを尋ねるのがもっとも的確だろう。いずれにせよもよはセシルに執着しており、この件の中心にもセシルがいるように感じられる。だとするなら、4年前の彼女を巡る事件の首謀者である麻楠の話は重要となるはずだ。
以上から焦点は彼が行使した召喚魔術について。そこになるだろうと穂樽は考えていた。仮に当てが外れたしても、もよに対する仮説を考えれば、今現在使い手が少ないといわれる召喚魔術の話を聞くだけでも何か手がかりは得られるかもしれない。
昨日から幾度と無くまとめた考えを再度頭の中で整理する。ひとつ息を吐いたところで、不意に職員から声がかかり、穂樽は立ち上がった。
通されたのは狭い部屋だった。窓越しに数年ぶりに窺うかつてのカリスマの顔は、当時あった威厳のようなものが剥がれ落ち、少しやつれているようにも見えた。
「……出版社かどこかの人間か? 最近では定期的に来る弁魔士連中以外、ゴシップ雑誌の記者も来なくなって退屈していたところだ。暇潰しにはなるといいがな」
開口一番、挑発気味に麻楠はそう穂樽へと切り出した。威厳を失った、と思えてもなおこれだけの余裕のある口調に、やはりマカルの重鎮という身分を隠して法曹界の中枢まで上り詰めた男なのだと再確認せざるを得なかった。
「こんにちは、麻楠さん。穂樽夏菜と申します。期待を裏切るようで申し訳ありませんが記者の類ではありません。それに、あなたと直接顔を合わせたのも、これが初めてではありません」
「今でこそこの有様だが、かつては多くの人間と関わっていた身でね。すまないが記憶に無い」
「4年前のあなたの弾劾裁判の際、バタフライ法律事務所の須藤セシル、蜂谷ミツヒサと共にあなたを弁護させていただきました。記憶にありませんか?」
穂樽の言葉に麻楠は一度考えたようだった。ややあって、「ああ」と思い当たったように言葉をこぼす。
「……そういえばいたような気もするな。それで、須藤の金魚のフンが私に何の用だ? こんな形でなく、弁魔士の特権を使えばもっと長時間の接見も可能だっただろう?」
露骨な挑発に僅かに穂樽の眉が動く。しかし心を落ち着け、彼と顔を合わせた当時はかけていなかった眼鏡のレンズ越しに鋭い視線を投げかけた。
「あの後私は弁魔士バッジを返しました。ですからこういう形を取らざるを得ませんでした」
「そこまでして私と何を話したいんだ? 君も元弁魔士なら、かつての事務所に頼み込めば私の話などいくらでも聞けるだろう。もっとも、魔道書365が重要証拠として提出された以上、それに触れることすら不可能だからわからんでもないがな」
「かつての事務所を通さずに、あなたから直接話を窺いたいのです。……退屈しのぎとでも思って、あなたの稀有な魔術のお話でもしていただきと思いまして」
ほう、と麻楠は興味深げな声をこぼした。
「稀有な魔術、とは何のことかな?」
「召喚魔術についてです」
僅かに、彼の口の端が釣り上がる。
「……ああ、確かにあれは本来禁忌ともされる、使用者が少ない魔術だ。それに興味を持つか」
「10年前、あなたはセシルに召喚魔術を行使して一度死んだ彼女を蘇らせたはずです。それから、4年前にも使用したはず。それらの時のことを詳しく知りたいのです」
だが穂樽のその言葉を聞くと、彼は興味が削がれたようだった。微笑ともいえた表情を元に戻して吐き捨てるように告げる。
「……くだらん。召喚魔術に興味があるというから禁忌を犯そうとしてるのかと思えば、結局は須藤か。それなら弁魔士を当たれ。今あいつの母親の再審が進もうとしているらしいじゃないか。須藤のために来たのなら……」
「セシルの母親の件は関係ありません。あれはあの子が背負い、解決すべき問題です。私はそこに興味はありません」
「随分と薄情じゃないか。かつての同僚だというのに」
相手が冷やかしているのは容易にわかった。どんなに言い繕っても、結局はセシルのことを聞き出そうとしている、というように考えているのかもしれない。まず相手を話す気にさせるところから始めないといけないか、と穂樽は攻め方を変えることにした。
「……麻楠さん。私が知りたいのは確かにセシルの件に絡んではいますが、あくまで召喚魔術について、です。10年前のセシルの時は成功した。しかし4年前のルシフェル召喚の際には失敗した。……そこの差はなんです?」
「ほう、少しは詳しいようだな。……いや、元弁魔士、しかも仮にも私の弁護の手伝いをしていたのなら、それもわかることか」
「自分でも調べました。4年前には供物としてルシフェルと関連の深い光を奪い取らせる、という形で視力を失った信者も沢山いたと聞きます。それだけの犠牲を払ってなお失敗した。……つまり1度、贄まで用意しておきながら失敗している。ではこう言ってはなんですが、本当に10年前は成功したのか、疑問を抱きまして」
僅かに麻楠の目元が引きつった。プライドが高いと推測できる相手だ、そこをつけば挑発に乗ってくる。穂樽はそう踏んでいた。
「君は召喚魔術自体については何もわかっていないようだな」
「ええ、おっしゃるとおりです。自分で調べても大していい情報にたどり着くことが出来ませんでした。なのでこうしてお話を伺いに来たんです」
「なるほど、そう来たか。切り返しとしては悪くない。……いいだろう、少し話してやろう。そもそもたかが人間1人、しかもまだ潜在魔力が覚醒していない状態の小娘1人の魂を呼び戻すことと、意識体の存在である堕天使ルシフェルを器となる触媒を用意して呼び出すこと。これだけでも話は全く違うとわからないか?」
彼の発言は鎌霧の仮説を裏付ける、と言ってもよかった。スイカの種とスイカの実。その重さは全く異なるという例えが適切であったように思える。
「つまりそもそもの難易度が異なる、と」
「若干の語弊があるが、まあ簡単に言ってしまえばそういうことだ」
「だから難易度を少しでも下げるため、ルシフェルの触媒として『100年に1人の逸材』とまで呼ばれるセシルを選んだ。……手の込んだ事件を仕組んでまでも、ということですか」
フン、と麻楠は鼻を鳴らす。それを気にかけないように、穂樽はさらに続けた。
「セシルの魔力はそれほどまでに優れていたのですか?」
「君自身、同僚なら目撃しているのではないか? 次々に魔力が覚醒し、強大化していく須藤の姿を」
「ええ。ですが、先ほど述べたリスクを犯してまで得る価値があったのか、と問いたいですね。身内にもっと扱いやすい存在がいたはず。なのに敢えてセシルに固執したために、あなたの計画は失敗したように思えましたので」
「待て。……身内とは何のことだ?」
「興梠花鈴。記憶にありませんか?」
やや間を置き、麻楠は思い出したように声を漏らす。
「ああ、興梠の娘か。確かに優秀ではあった。だが須藤には遠く及ばなかった。……あの娘のことをよく知っているな」
「彼女は今バタフライ法律事務所でセシルの後輩として弁魔士になっています。あなたの逮捕後にマカルは弱体化。彼女はウドである身分を隠しながら検事として法曹界に潜り込むという父親の願いを叶えられなくなり、同時にあなたと共に彼女の父親も逮捕されたことで目標を見失った。それから考えを改め、今はマカルであることを捨てたと聞きました」
窓の向こうの元先導者はその発言を一笑に付した。
「興梠の娘が須藤の後輩? ……笑える話だ。あれだけ私を盲目的に信仰していた興梠の、その娘がな。わかるか? ルシフェルの触媒に自分の娘が選ばれ、元の姿を保てなくなるかもしれないと知っても嬉々としていた、それが興梠という男だ。これはなんとも皮肉な話だとは思わないか?」
「それは思いますね。ですが、セシルが母親を助けようと自らの意思で弁魔士になったのと同様、彼女も父親の束縛から逃れて自身の足で歩き、人とウドの間の新たな可能性を見つけるために弁魔士になったのではないかと私は考えています」
「……青臭い。生ぬるい考えだな。結局魔術使いと人間が相容れることなどありえん。我々のような、選ばれたウドが人を支配すべきなのだ」
「あなたの青臭いという発言に対抗させていただくなら、それこそ愚か過ぎる考えと言わざるを得ませんね。……いつの時代も独裁者は敗れる。力で押さえつけようとすれば、必ず反発が起こる。それが人の歴史でしょう。……もっとも、あなたはその芽すら摘むために中枢に同胞を送り込み、さらにルシフェルを召喚しようとしていたのかもしれませんが」
面白くなさそうに麻楠は表情を歪め、鋭い視線で穂樽をにらみつける。だが彼女はその視線を受けても全く怯むことは無かった。
「所詮はラボネの回し者か。貴様らのような愚かなウドには、我々の崇高な思考などわからんだろう」
「そうですね。確かにわかりませんし、わかりたくもありません。私は人とウドは分かり合える時が来る、そう信じています。でもあなたのように過激な、自分達が正しいと信じて聞く耳を持たないような方達とは、同じウドでありながらもしかしたら永遠にわかりあうことは出来ないのかもしれないとも思って嘆いてもいます。……ですが生憎、私はそのような思想の押し問答をしに来たのではないのです。善悪の彼岸を問いたければ、私以外の誰かとしてください。話を戻させていただきます。私が聞きたいのは、召喚魔術のことについてです」
含むような低い笑い声が響いた。その後で、麻楠はゆっくり口を開く。
「どうしてもその話にいきたいか。……まあいいだろう。埒の明かぬ思想の話とわかっていても、久しぶりにしてみると、なかなかどうして面白いものだな。わかった、話を聞いてやろう。それで聞きたいことはなんだったかな?」
「10年前のセシルの蘇生に召喚魔術を使用した際のことを詳しく教えてほしい。そして、4年前のルシフェル召喚はなぜ失敗したのか。その2点です」
「……1点目の前に2点目から始めよう。その方が説明しやすいだろうからな。4年前の召喚が失敗した直接の理由は息子の
「どういう意味ですか?」
怪訝そうな表情で尋ねる穂樽の前で、彼は自嘲的な笑みを浮かべながら続けた。
「意識体の存在でしかないルシフェルを呼び寄せることは成功した。その器として須藤の体を触媒に選び、一時的に召喚もできた。しかし……その時に奴は直接的に呼び出したこの私、麻楠史文よりも須藤セシルを選ぶと言い出したのだ! ウド同士の争いになど興味は無い、ただ須藤の潜在魔力に魅せられ、奴を見ていること自体が目的だとな!」
初めの自嘲的な様子から次第に思い出したように怒りを表してくる麻楠を、穂樽はただ見つめて話に聞き入っていた。彼はなおも話を進める。
「そんなことなど出来るはずがない。召喚主である私に逆らう意志など持てるはずがない。そのためにあれだけの準備をし、犠牲も払ったのだ。なのになぜ私の召喚魔術で奴を制御できなかったのか。……そこで君がさっき言った1点目の話、10年前の須藤の蘇生の時の話へと戻る。
あれは間違いなく成功だった。須藤の魂を一度黄泉へと送ることでその潜在魔力の強大さと存在をルシフェルへと教える。同時に奴の潜在魔力が覚醒しやすいよう、歯止めが効かないようにする。目的はその2つだ。実際に須藤は次々に魔力を覚醒させていき、全ては成功しているようにも思えた。……だがその触媒をもってしても、ルシフェルを呼び出して我が下に置くことは叶わなかった。なぜか?」
自分に問いかけているのかもしれない、とも穂樽は思った。しかし鎌霧の話を受けて薄々予想を立てていたことはあれど、敢えて何も答えずに無言を貫くことで先を促す。麻楠も答えられるなどとは考えていないのか、小さく鼻で笑ったような仕草をはさんでから再び口を開いた。
「ルシフェルは私にこう言ったのだ。10年前に須藤の魂を呼び戻した際、私に気づかれずにこの世界に紛れ込んだとな! それなら4年前の失敗も納得がいくし辻褄も合う。本来なら、この私が失敗などするはずがないのだ!」
穂樽は背筋に冷たいものが走るのを感じていた。鎌霧の仮説は当たっていた。「異界の者が紛れ込んだ可能性はある」、それが答えだったのだ。そして穂樽自身も、もよの正体とは人ならざる者ではないかという考えに至っている。さらにセシルがマカルに誘拐された時、すなわちルシフェルを呼び出そうとしたときに見たというもよの夢。これらの話に今の麻楠の話を総合すれば、おのずと答えは浮かび上がってきた。
「……10年前にルシフェルが既にこの世界に侵入していたというのは、確かなんですか?」
「それを確認する術などない。奴が言ったことを信じるならば、の話だ」
「では……今でもルシフェルはこの世界に存在している、と?」
「さあな。それは私の知ったことではない。仮に存在していたとして、人間の魔術程度ではどうしようもないだろう。潜在魔力を覚醒させてその力が強大になった須藤が相手であったとしても、だ。……もっとも、たとえどうなろうと私にはもう興味はない。どうせここで尽きる命運であろうからな。ただ、私をここから連れ出してくれるというのであれば、その対処法を考えてやらなくもないぞ」
声をこぼしつつ、狂気をはらんだような笑みを麻楠はこぼしていた。確かに彼からはかつて放っていたであろうカリスマ性や威圧感を感じることはあった。が、この獄中生活で精神に異常をきたしはじめているようにも穂樽は感じていた。しかし同情の心は沸いてこない。セシルの母を陥れ、彼女の人生を狂わせ、そして実の息子である静夢を殺めた。さらにはその他のことまで含めれば彼の背負うべき罪、受けるべき罰は枚挙に暇がないだろう。そんな男には当然の報い、いや、これでもまだ生ぬるいとさえ思える。
だがそれでも、召喚魔術について詳しく聞くことが出来たのは僥倖だった。おそらく答えにはたどり着けた。その点だけは、感謝しなければならないだろう。
「時間です」
穂樽が礼を述べようとした丁度その時、無機質な声がそうかけられた。やれやれ、と言葉と同時にため息をこぼして麻楠は立ち上がる。穂樽も腰を上げた。
「話せて楽しかった。いい暇潰しになった」
「こちらこそありがとうございました。……最後にひとつ。ルシフェルがこの世界にまだ存在し続けるとして、なぜ行動を起こさないと思いますか?」
職員に腕をひかれながらも、麻楠は足を止めて振り返って答えた。
「知らんな。さっき興味も無いと言っただろう。悪魔の気まぐれとでもいうものではないか?」
「なるほど、悪魔の気まぐれですか。面白い考え方ですね。……ですがその気まぐれにあなたは結局振り回された。身の丈を超えた力を欲するものは、その力によって滅する。つまるところ、あなた
言い捨てて、穂樽は入り口へと体を向けた。背後から不愉快そうな舌打ちが聞こえてきたがそれを無視し、部屋を後にする。
部屋を出たところで、大きくため息をこぼした。腐っても元法曹界、そしてマカルのカリスマ。相手にして精神的に少し疲れてはいた。しかし有力過ぎる情報を得ることは出来た。
人間にしては強大な力を持ちつつも、ルシフェルの力を制御できなかった麻楠。彼もやはり、
メンソールの刺激が恋しい。行き着いた結論を真正面から見据えるだけの心の落ち着きがほしい。期限の日まであと2日。それまでに心の整理をつけ、覚悟を決めないといけないと考えつつ、穂樽は海上拘置所を後にしようとしていた。
原作時点では麻楠は拘置所に強制転送されただけでしたが、おそらくそのままあそこを出ることはないだろうと想像したので、こういう形を取っています。