ウィザード・ディテクティブ~魔術探偵ホタル   作:天木武

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Episode 7-7

 

 

 調査は終わったと言ってもいい。あとはそれを「依頼主」に報告するだけだ。だがその報告の時間は決められている。動こうと思えばまだ動くことは出来たが、敢えて穂樽はそうしようとしなかった。これ以上は当てが無いし、当たる必要も無い、と思っていたからだった。

 結果、報告までの時間を久しぶりの休養に丸々当てることにしていた。だが、どうにも落ち着かない。気まぐれで相手が動いていると考えられる以上、報告を終えて自分が無事でいられる保証はない。相手の強大すぎる力の前では、匙加減ひとつで砂のように吹き飛ぶ程度の身でしかないということは十分わかっている。場合によってはこれが最後の休養になるかもしれない。そう思うと休もうと思っても休めず、しかしどこかに行こうという気にもなれず、結局土曜日は丸1日部屋の中でだらだらと過ごしていた。

 翌日、日曜日。最終日であるこの日の昼過ぎに、もよからメールが届いた。

 

『なっち、ゲームの方はクリアできそうかな? 今日が最終日だよ! 私が出した問題の答えは今晩24時、バタ法近くの公園で聞くね。まあ広いけど、適当にひと気のなさそうなところで待っててもらえばこっちから見つけるから』

 

 あの公園は途方もなく広い。そこで具体的なエリアを指示せず待ち合わせというのは、通常ではありえないだろう。

 しかし穂樽は何の疑問も違和感も感じなかった。自分が待っている場所に間違いなく相手は来る。それもおそらくはセシルを連れて。それはほぼ間違いない、と思えた。

 その時間までどうするか。最後の晩餐など適当でいいし、今更やるべきことなどもうない。もしもの場合に備えて遺書でも書いておくか、などと不吉な冗談めいた考えを思い浮かべたところで、彼女はあることに思い当たった。

 

 財布だけを持って居住区を後にし、事務所を出て鍵をかける。その足で1階へと降りると、シュガーローズの扉を開けた。

 

「おや、いらっしゃい穂樽ちゃん。ちょっと久しぶりかな」

 

 普段と変わらない、少し強面な顔ながら心を落ち着かせてくれるいい声でマスターの浅賀は出迎えてくれた。それに対してここ数日張り詰めっぱなしだった心が僅かに安心感を覚え、自然と穂樽の顔に微笑が浮かぶ。

 

「こんにちは。そんな久しぶりですかね? ……ランチ、まだやってます?」

 

 時計に目を移せばランチの時間は少し過ぎていた。だが浅賀はどこか困ったような表情を浮かべつつも、彼女の頼みを快諾してくれた。

 

「……特別だよ、穂樽ちゃんだからね」

「ありがとうございます。感謝します」

 

 シュガーローズのサンドは最後の晩餐になるかもしれない食事にはもってこいだろう、と穂樽は思っていた。食べることが出来そうでよかったと表情を緩ませつつ、指定席であるカウンターの1番奥へと腰を下ろす。

 と、そこで浅賀が灰皿を出してくれた。自分は何も言っていないのに、と不思議そうに彼を見つめる。

 

「丁度ランチタイム終わった絡まりで他にお客さんいないから。もし吸いたいなら、どうぞ」

「私そんなに吸いたそうな顔してました? ……でもまあそのお心遣いはありがたくいただいておきます」

 

 上着の右ポケットから白地に緑のラインの入った煙草の箱とライターを取り出す。1本咥えて火を灯すと、メンソールの心地よい刺激が喉に響いてきた。

 煙を燻らせつつ、改めて穂樽は店内を見渡す。昭和レトロな雰囲気が漂う、お世辞にも広いとも豪華ともいえない店内。それでも新天地に身を移してからの彼女にとって、ここは帰るべき家のような安心感と、どこか懐かしさを感じさせてくれていた。

 

「どうかした? うち見渡したりして」

 

 と、その様子に浅賀が気づいたらしい。少しノスタルジックでセンチメンタルな気持ちになってしまっていたかもしれない。そんな心を打ち消すように、努めて明るい声で返す。

 

「いえ。相変わらず狭いお店だなあと思って」

「今更そりゃないよ、穂樽ちゃん」

「そういう意味じゃないですよ。浅賀さんほどおいしいサンドが作れて、コーヒー……は独特ですけど、まあこれだけ客を引きそうな武器があるなら、もっと人が入りやすいところで大きなお店構えてもよかったんじゃないか、ってちょっと思っちゃっただけです」

 

 ああ、とこぼしながらも、彼は作業の手は休めなかった。一度煙を吐き出し、穂樽は灰を灰皿へと落とす。

 

「お客さんとの距離感はこのぐらいが1番いいんじゃないかって思ってるからね。それに……彼女と一緒に始めたここを離れるという考えには、どうしてもなれなくてさ」

 

 今度は穂樽が納得したような声を上げる番だった。彼の奥さんのことを穂樽は知らない。だがこれだけのいい人に愛された女性は、きっと幸せだったのだろうと想像するのは容易だった。同時に、ここにはその彼女との幸せも詰まっているのだろうと感じた。

 

 1本目を吸い終え、特に会話もなく手持ち無沙汰にしていたところでコーヒーが出てきた。普段のように砂糖を2杯入れ、変わらぬ味に満足する。

 

「やっぱり浅賀さんのコーヒーは最高です」

「なんだい急に? でも褒められるのは悪くないね。嬉しいよ、ありがとう」

 

 作業の手を一旦止め、彼は微笑を返してくる。その笑顔に清々しい気分を覚えつつ、穂樽はもう一口コーヒーを口へと含んだ。

 

 ややあってランチのプレートが用意された。いつ見ても変わらない、おいしそうな焼き目のついたホットサンドが並ぶ。

 

「はい、お待たせ。この間穂樽ちゃんに好評だったボロネーゼ風とポテトサラダサンド。つまり……」

「ポテトサラダとミニサラダがダブる、ダブサラの日ですね。ボロネーゼ風もおいしかったので期待です。いただきます」

 

 どうぞ召し上がれ、という彼の声を聞きながら穂樽はサンドへとかぶりついた。おいしい。最後の晩餐になるかもしれない食事としてはもってこいの料理だったと、少し自嘲的な考えを浮かべつつ、料理を食べ進める。

 

 食事中、浅賀は特に何も話しかけてこようとしなかった。穂樽も同様で、無言で味わいながら料理を食べ進める。

 しばらくして食べ終え、コーヒーも飲み干したところで浅賀は尋ねてきた。

 

「おかわりのコーヒー、いる?」

「あ。お願いします」

 

 入れなおされたコーヒーを穂樽が受け取って机に置いた時だった。浅賀はゆっくりと口を開き、静かな声で問いかけてきた。

 

「……穂樽ちゃん、何か危ないこととかに巻き込まれてない?」

 

 薔薇の模様が描かれたシュガーポットへと伸ばしかけた手が止まる。

 

「どうしたんですか、急に?」

 

 内心を悟られまいと、明るく穂樽は返した。

 

「先週、物凄く青い顔をして僕と話してから、ずっとここに来てなかったなって思ってね。今日も……なんだか、思い詰めた、というのとはちょっと違うけど、変な感じだな、ってずっと感じてたから。……それこそ、これから死地に赴くみたいな、ひょっとしたらここに2度と戻って来られないかもしれないと考えてるような、そんな雰囲気だなとか思えちゃってさ」

 

 もしかしたら一瞬顔が強張ったかもしれない。それほどまでに彼は内心を見事に見抜いてきた。本当は治療魔術ではなく、存在するかはわからないが読心魔術とかそういう類の魔術が使えるんじゃないかとさえ思えてしまう。

 だが彼に余計な心配をかけるわけにはいかない。とりあえず笑って誤魔化す、という方法に穂樽は逃げた。

 

「何言ってるんですか? そんなわけないじゃないですか。先週の件は、ちょっと私が疲れてたってだけの話ですよ」

「……穂樽ちゃんは人の嘘を見抜くのはうまいのに、咄嗟に自分でつくのはあまり得意じゃないんだね」

 

 意図せず返す言葉に詰まってしまった。それが今の彼の発言を肯定しているということになりかねない、とわかっていてもなお、うまい返しが見つからなかった。

 

「そんなに危険な依頼なら、断ればよかったじゃない」

 

 どうすべきか。僅かな時間黙り込み、穂樽はため息をこぼした。どうせ隠そうとしたところで彼の前ではうまくいかない。なら、心配をかける形になってしまうかもしれないが、少し話すしかないと考えていた。

 

「……それは出来ません。今回の件、私にとっては避けて通れない道なんです。ですが、それを詳しく言うわけにはいきません。……すみません」

「守秘義務、っていうものかな。まあ無理をして聞きだそうなんてつもりはないよ。穂樽ちゃんが決めたと言うのであれば、僕がどうこう口を出すようなことじゃないってこともわかってる。……でも、命あっての物種だよ。それは忘れないで」

 

 すぐに返事は返せなかった。勿論穂樽とてそれはわかっている。だが今回に関しては安請け合いは出来なかった。

 

「当然そのつもりです。……でも私にもしものことがあったら、申し訳ないですが2階の整理、お願いします」

「そんな頼みは引き受けたくないよ。僕にとって大切な人がまたいなくなってしまうなんて、考えたくもない。だから、また僕のコーヒーを飲みに来てくれるって約束してほしい」

 

 やはり即答は出来なかった。代わりに無言でブラックのコーヒーを一口呷る。むせ返るような苦味を味わい、渋い表情で穂樽は口を開いた。

 

「……苦過ぎますよ、このコーヒー」

 

 ポツリと穂樽は呟き、シュガーポットから砂糖を2杯入れ、かき混ぜた。それからもう一口呷って、先を続ける。

 

「なのに砂糖を入れるとマイルドになっていい具合になる。やっぱり不思議です。そして……おいしいです」

 

 カップを一旦ソーサーへと置く。その後で改めて、コーヒーを入れた主へと視線を移した。

 

「この件が片付いたら、また必ず飲みに来ます。約束します」

 

 それで浅賀は納得したようだった。僅かに表情を緩め、小さく頷く。

 

「待ってるよ。その時は、いつもと変わらない僕のコーヒーをご馳走するから」

 

 少し温度の下がったコーヒーを穂樽は一気に飲み干した。そして笑顔と共に立ち上がり、財布を取り出す。

 

「ごちそうさまでした。また来ます」

「お金は、今日はいいよ。今度来た時に受け取るね」

 

 必ずまた来い、という約束のように思え、穂樽は苦笑を浮かべざるを得なかった。だが感謝の気持ちを持って軽く頭を下げる。

 

「……ではツケておいてください。次来た時に払いますね」

 

 ツケ払いなんてやるのは初めてだなと思いつつ、穂樽は扉を開けた。

 

「ありがとうございました。またお待ちしております」

 

 珍しく形式張った挨拶だった。わざとだろうなと思って浅賀の顔色を窺うと、案の定、視線を交わした時にいたずらっぽく僅かに表情を緩める。彼のこの笑顔と、コーヒーを飲むためにまた来る。そう固く心に誓い、穂樽はもう1度少し頭を下げてから、シュガーローズを後にした。

 

 

 

 

 

 日が沈み、満月が昇った夜。そういえば4年前のあの日もこんな満月だったと思い出しつつ、穂樽はもよに指定されたバタ法近くの公園へと来ていた。春には桜が咲き乱れ、花見の名所として多くの人が訪れる広大な公園である。その時期に何度か来たことがあるが、花見の時期は夜であろうと夜桜を楽しみたい人がいるために、ほぼ常時活気に溢れるという場所でもあった。

 だが今は桜も散り、夜も更けたということでひと気はほとんど感じられない。それでも照明が点いている場所もそれなりにあある。その照明に彩られた噴水が目に入ってきた。あの辺りの一角は特に明るい。人がいるようには見えなかったが、「ひと気のないところで待て」という指定から若干外れると判断してそこを避けるように歩き始めた。

 

 そこから少し歩き、公園内の大きな道から1本外れたルートを散策する。メインの通りではないために照明は少なく、ひと気は全くと言っていいほど感じられない。穂樽は足を止めて周囲を見渡し、ここでいいかと歩くことをやめた。

 そよ風によって木々が揺れる音が聞こえる。ところがしばらくの間続いていたそれは、不意に止んだ。本来なら明らかな違和感を感じるはずのこの状況で、しかし穂樽は平然としていた。心を落ち着かせたまま、ただ立ち尽くしている。

 

「ここでいいのかな、なっち?」

 

 そんな中、気配すら感じないままに背後から自分を呼ぶ声を穂樽は聞いた。それでも動じた様子はなく、ゆっくりと彼女は声のほうへと振り返る。が、その声の主が腕に1人の女性を抱いているとわかると、わかっていたこととはいえその顔は僅かにしかめられた。

 

「あれえ、リアクションそれだけ? 急に声をかけてあげてもほぼ無反応だし、つまんなーい。もっと大げさに驚いてくれるものだと思って期待して、わざわざセシルん連れてきてあげたのにぃ」

 

 勝手なことを言い続ける相手にはほぼ視線を移さず、穂樽は抱かれている女性――セシルだけを見つめていた。彼女は気を失っているのかそれとも意図的に眠らされているのか。目を閉じたまま反応はない。

 

「それは失礼しました。ですがもう驚くのにも疲れたというか、実際に体験した異常すぎる現象と……私がたどり着いた結論を考えれば、特に驚くようなことでもないと思いましたので」

 

 表情ひとつ変えることなく、眼鏡のレンズ越しに冷たい視線を今度は相手に向けて穂樽は答える。その回答に天刀もよは1週間前に穂樽に一瞬だけ見せた表情を覗かせた。彼女らしくない不気味な笑みに小さく身震いをしつつも、投げかけた視線を逸らすことなく口を開く。

 

「確認です。このゲームの目的は、1週間以内にあなたの正体を突き止めること。それが出来れば私の勝ち、出来なければあなたの勝ち。あなたが勝ったらセシルをもらう、私が勝ったらそれを諦める。間違いありませんね?」

 

 不気味に思えていたもよの表情はそこで消え、普段のような表情が戻ってきていた。口の端を僅かに上げてから問いに答える。

 

「うん、間違いないよ。なっちが勝ったら約束は守ってあげる」

「では……」

「でもその前に」

 

 答えを述べようとする穂樽をもよの言葉が遮った。

 

「……なんですか?」

「私もその約束を守るから、なっちも私の約束を守ってほしいなーって思って」

「あなたの約束……?」

 

 穂樽は眉をしかめた。今言った約束以外にそんなものがあっただろうかと記憶を探る。

 

「言ったよね? 依頼人が私であることを言ってはいけない。なっちの事務所で起こったことを私がやったと言ってもいけない。そして……私を調べて経歴が詐称だとわかっても他の人に漏らしてはいけない。使い魔まではセーフだけど、それ以外にはダメだよって」

 

 反射的に開きかけた口を閉じ、穂樽は記憶を探る。確かにそれは言われた。が、破った記憶はない。

 

「……ええ。言われました。ですが、私はそれを破ってはいません」

「本当に? ……木曜日、シャークナイトを訪ねたでしょ?」

 

 一瞬、心が動揺するのを感じていた。やはり行動は筒抜けだった、という思いもある。が、それ以上に自分以外に唯一もよの魔術を見たと明言したのはあの2人だけだった。もしかしたら巻き込んでしまったかもしれない。

 

「待ってください、鮫岡さんと工白さんは関係ありません。私はあの2人には……」

「うん、大丈夫だよ。確かになっちはあの2人に私がやったことを教えてない。2人が4年前に偶然私を目撃しただけだから。……勿論そのことも知ってたよ。でもまあ深く突っ込んでこないならいいかなーって思ってただけ。実際そり姉が合コンの話出した時には私にもお誘いかかったけど、断ったらそれ以上しつこくもなかったからさ。……私が言ってるのはそこじゃないよ」

「そこじゃない? 他には約束を破ったような記憶はありませんが」

「ふーん? そう?」

 

 そんなことを言われても知らないものは知らない。口にこそ出さなかったものの、その表情でもよは心中を察したらしい。

 

「本当に思い出せない? あの2人に私のことを聞き出そうとしたとき、何て切り出した?」

 

 記憶を探ってそのことに思い当たったところで――サッと穂樽の顔から血の気が引いた。

 

「あ、思い出したみたいだね。……そう、なっちこう言ったんだよ。『天刀もよの魔術届出はありません』ってね。だけど2人は私が魔術を使った姿を目撃しちゃってる。これってさ、私の約束の3つ目である『経歴が詐称だとわかっても他の人に漏らしてはいけない』に抵触しちゃってるよね?」

「で、でも! 届出が無いと言った時点ではあの2人がもよさんの魔術を目撃していたかどうかはまだわかっていなかった。だから……!」

「なっち、それは屁理屈だよ? 結果として2人に対して私の経歴が詐称されている、ということがばれた形になったわけじゃない。……ま、確かに元々知っていたという点と合わせれば大目に見てもいいんだけどさ。

 でもなっちは答えにたどり着いてるみたいだし、それじゃあまりに呆気なくてつまらない。ここはひとつペナルティということにかこつけて余興を楽しみたいという気持ちがあるんだよね。ほら、私って気まぐれだから」

「余興、ですって……?」

 

 再び、もよの笑顔が不気味で妖艶なものへと変わった。楽しみでしょうがないというような雰囲気を纏わせつつ、僅かに首を背後へと傾けて「出ておいでー」と声をかける。その声に導かれるように物陰から現れた影に、穂樽は目を見開いた。

 

「なっ……! 興梠さん!?」

「あ、やっといい反応してくれた。そうそう、そんな反応が見たかったの」

 

 嬉しそうに言うもよを無視し、興梠の様子を窺う。表情に色は全く無く、目は虚ろでどこを見ているのかわからない。もよがなんらかの力によって支配している状態にある、という予想は容易に立てられた。

 

「何で興梠さんを巻き込んだの!? 彼女は関係ない!」

「そうかな? ……彼女の父親はマカルで麻楠の強いシンパだった。そしてマカルはセシルんを誘拐しちゃったわけで。だとするとその娘は、何の関係もない、なんて言えると思う? ……もっとも、あの事件におけるマカルの動きなんてのは想定の範囲内で、私も利用するだけさせてもらおうとしてたわけではあるけど」

 

 ギリッと穂樽は歯を鳴らす。「全部知ってて……」という声が漏れた。

 

「当然知ってるよ。だからリンリンに向けてた目にはセシルんとくっついてるからっていう嫉妬の意味もあったけど……セシルんを酷い目に遭わせた連中の残党ってことで少しは悪意も篭っちゃってたかもね。でも私はリンリンも嫌いではないんだよ? ただ、これからの余興にはこの子が適役だと思ったから抜擢した、ってだけ」

「……余興余興とさっきから言ってますが、結局のところ私と興梠さんに何をさせたいんですか?」

 

 もはや相手は不気味過ぎる笑顔を隠そうともしなかった。妖しげな雰囲気を漂わせたまま、楽しげな口調で告げる。

 

「決まってるじゃない。なっちにはリンリンと戦ってもらうの。勿論私がなんとかするから人目には絶対につかない。だから心配しないで思いっきりやっちゃっていいよ。それでなっちが勝ったら約束を破った件についてはなかったことにしてあげる。でも負けたら私がセシルんをもらっちゃう。……どう? 面白そうでしょ!」

「面白そう、ですって……!?」

 

 拳を握り締め、穂樽はもよを睨み付けた。だが相手はそんな視線など意にも介さない様子であった。無邪気な子供のように一旦笑い声を上げてから、その笑顔を貼り付けつつ問いかけてくる。

 

「拒否するなら拒否でいいよ。それならなっちもリンリンも危険な思いはしない。その代わり無条件でセシルんは私のもの。……でもなっち言ったよね? セシルんを私には渡さないって。だったらその覚悟、是非とも行動で見せてもらいたいなぁ。……かつてはマカルの重鎮にすら一目置かれたという魔力を秘めた炎使い相手に、砂使いはどう挑むのか。さあ、せいぜい足掻いて私を楽しませてみせてよ、穂樽夏菜!」

 

 頭に血は上っていた。無関係といってもいい興梠まで巻き込まれた怒り、相手の自己中心的で勝手な言い分に対する憤り、そしてこれだけ言われてなお、言った張本人に牙を向けることすら敵わない自分の無力さへの嘆き。それらが入り混じり、感情を昂らせている。

 だがそこで穂樽は一度大きく深呼吸して心を落ち着けようとした。人ならざる者が相手なら勝ち目はない。しかしいくら優れているとはいえ、興梠はセシルほどの例外的存在ではない。自分と同じ、魔術を使えるという程度の人間だ。

 選択肢はない。意識さえ奪えれば、多少彼女を傷つけることになってしまったとしても、このゲームは終わるだろう。ここで反抗的な態度を取って相手にまた気まぐれを起こさせるより、敢えて踊った方が相手も自分の約束を守ってくれる可能性が高いと踏んだ。

 

「……上等よ。受けて立ってやる。その代わり私が勝ったら最終解答権をよこしなさいよ。それでこのゲームを終わりにしてやるわ!」

 

 荷物を放り投げ、穂樽は静かに吠えた。その様子に、もよは愉快そうに声を上げて笑う。

 

「アッハッハ! いいよそれ、なっち最高! ……それじゃ見せてもらおうかな。穂樽夏菜対興梠花鈴の、魔術対決一本勝負!」

 

 格闘技の審判よろしく、楽しげな声でもよは高らかに開始の合図を告げた。

 

「レディー……ゴー!」

 

 




「バタ法近くの公園」は具体的には上野公園をイメージしています。バタ法が存在する設定のアメ横からも近く、実際原作でも何度も登場しています。
実は今年の桜の時期に行ってきたのですが、桜が咲き乱れて物凄く綺麗でした。

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