◇
「いっつ……。手荒に来るのは想定してたとはいえ遠慮なしか、まったく……」
魔炎魔術の爆発と3階からの落下。それを経てなお、愚痴をこぼす余裕を見せつつ、地面に横たわっていた穂樽はゆっくりとその身を起こした。体は痛むが動けないほどではない。せいぜい打撲だろう、という見当をつけ、荒い呼吸のまま背を壁に押し付けつつ立ち上がった。
「……下手したら死んでたわよ。これ……」
改めて自分が落ちた高さを確認して、一瞬背筋が冷たくなる思いだった。魔炎魔術の爆発を受けて3階と4階の間の踊り場から放り出されたのだ。何もしなければ今意識があったか、ひょっとすると今後戻るかも怪しい状況だっただろう。
だが落下と同時に既に穂樽は対策を講じていた。落下しつつも砂塵魔術によって空中に複数の壊れやすい砂の層を形成させて落下の勢いを殺し、さらに地面にも砂場よろしく砂のベッドを展開させた。これらをクッション代わりに使用したことにより可能な限り落下の衝撃を吸収させ、ダメージを最小限に抑え切っていたのだ。
一度深呼吸する。最初に打ちつけ、今も再度衝撃に晒された背中をはじめ、衝撃を吸収させたとはいえ体のあちこちがまだ痛む。だが我慢できないほどではない。穂樽は自分と共に砂のクッション付近に落下したバッグを拾い上げる。
「多分荷物は大丈夫だと思うけど……。ああ、飛ばされた眼鏡どこかしら」
通常時より少々ぼやける視界で地面を探す。その視線の先に目的のものを見つけ、穂樽はそれを拾い上げた。が、すぐにその表情に苦いものが混じる。
眼鏡は砂のクッションの範囲外のアスファルト部分に落下してしまったらしい。レンズは真ん中にパックリとヒビが入り、フレームも酷く歪んでしまっていた。もはや修理は不可能だろう。少し気に入っていた眼鏡だったのに、と落胆しながらも彼女はバッグの中から別の眼鏡ケースを取り出した。尾行時などに変装用とまではいかないまでも少し印象を変えるために用意している予備眼鏡。今壊れたのが赤のメタルフレームだったのに対して、今度は黒色のセルフレームの眼鏡をかける。ぼやけていた視界が元に戻ったが、そのせいで愛用していた眼鏡の破損状況をよりはっきりと目にしてしまって思わずため息をこぼした。同時にコンタクトで飛ばされていたらここを這って探していた可能性もあったと考えると、やはり眼鏡は気楽でいいとも思うのだった。
とにかく、今の騒ぎでもしかすると野次馬が寄ってくるかもしれない。荷物の中の機器の確認を早くしたかったがまずはここを離れるのが優先と、穂樽は何事もなかった顔をしてその場を離れた。改めてもう視線はないことを感じ、そのまま車へと戻り、今度は運転席に乗り込む。
荷物を取り出し、まずタブレットPCの液晶が無事かを調べる。ケースを用意していたのは正解だった。荷物の中で高価な存在のこの電子機器に異常はないらしい。起動も確認できる。
次にバッグの最も底、今回の肝である機材を取り出し、その状況を確かめた。
「……よし、これなら」
その機材――ピンホールレンズを取り付けられてカスタマイズされたビデオカメラの録画状況を目にして、穂樽は口の端を僅かに上げた。彼女の仕事用のバッグには人目につかない程度に僅かな穴が空けられており、そこから今回の状況を一部始終録画していたのだ。少々不鮮明ではあるものの、穂樽がサングラスを吹き飛ばした相手の顔は映りこんでいる。今川が絡んでいる人間の顔が割れたのは大きいだろうし、これを証拠とすれば相手を魔禁法違反で訴え、そこから余罪追求で聞き出すことも可能になるかもしれない。もっとも、彼女はその程度ではなくもっと有意義にこの情報を利用しようと思っているのだが。
ビデオをバッグに戻し、一服しながら帰るかと思ったところで、煙草はさっき全て吸い切ったことを思い出した。とりあえずコンビニに寄ろうとエンジンをかけようとして、今度は右腕に軽く痛みが走る。他にも痛みがある部分は多い。医者に行くほどではないだろうが、帰ったらニャニャイーに湿布を張らせるなり対処した方がいいかもしれない。寄るところに薬局も追加、そして眼鏡も壊されたと思い出し、眼鏡屋で新しいのを見繕わないといけないことにも気づく。とんだ1日になってしまった。
今日で今川を見つけ出せるかもしれないという当初の目算はどこへやら。いつの間にかこの件には危険で不穏な空気が渦巻き始めていた。やはり今川は何かに巻き込まれている。そのために意図的に八橋から距離を置いたのではないだろうか。
少なくとも今川の周囲を嗅ぎ回っていた自分に対して、相手は何の躊躇もなく魔術を行使してきた、危険な存在といえる。そういう相手なら詳しく知っている組織の人物に心当たりがあるし、情報を得られるだけの対価もある。明日はそっちの線を当たろうと、穂樽は車のエンジンをかけ、数時間ぶりに駐車させ続けていた場所から車を動かした。
◇
「……以上が、今回の事件における現状の報告となります」
空気の重い会議室。その空気同様のどうにも拭いがたい心のまま、
「つまりはどうしても後手に回ってしまう、ということか。犯行グループは魔術使いにほぼ間違いはないな。しかし如何せん連中の正体が全く掴めん。盗難品も捌かれていないために足もついていない。資料にあるこの男が決定的に怪しいとはいえ連中と繋がっているという明確な証拠もない。まず居場所を早急に突き止めた上でもう少し泳がせ、それから一網打尽にするしかなかろう」
それこそが後手以外の何物でもないだろう、とクインは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。警部という自分の立場よりも上の人間の発言にここで噛み付いてもおそらくは相手にされない。彼女としては泳がせる前に捕まえて尋問すれば済むだろうという意見だった。泳がせた結果失敗、などとなれば被害が拡大し、さらには犯人グループの取り逃がしにも繋がりかねない。
だが泳がせる相手が魔術使い、それもそこから辿り着きたい面々もおそらく魔術使い。加えて情報が少ない。さっき言われたとおり、この重要参考人の男が犯人グループと繋がっているという証拠もない。結局は後手に回るしかないのだとクインは自分に言い聞かせることにした。
「では対策会議をこれで終了する。各人気を抜かず情報収集に当たるように」
空気が一気に軽くなり、クインは天を仰いだ。そのまま自分の書類関係を隣の席の人間の方に流し、足早に入り口へと向かう。背後から「あ、警部待ってくださいよ!」という声が聞こえてきたが、彼女は無視を決め込んだ。
そのまま部屋を出て、「宝石店強盗事件対策会議」という文字を目にして小さく舌打ちをこぼす。事件自体は一昨日の夜、昨日丸1日情報収集に当たったのに有力情報はまともに集まらず対策らしい対策も出来ていない。この状況で犯人を泳がせるなど、やはり後手でしかない。次にどの店が狙われそうか見当もつかない以上仕方ないとはいえ、それで何が対策だと、彼女はささくれ立った心を落ち着けようと愛しの喫煙スペースへと足を進めようとする。
「クイン警部! 待ってくださいって!」
だがそんな彼女を呼び止めたのは彼女の部下でもある警部補だった。神経質そうな顔の彼は困った表情を浮かべつつクインの元へと駆け寄る。
「なんだよ? 会議終わったろ。あたしの書類、机の上に置いといて」
「いやそれは構いませんけど……。どこ行くんですか?」
「んなもん一服に決まってんだろうが。どんだけあたしのパートナーやってんだよ?」
「……まだ1ヶ月ですけど」
呆けた風に視線を宙に泳がせ「……ああ、そういやそうだったな」と残し、だが彼女はその場を立ち去っていく。
「ちょっと警部!」
「一服終わって戻ったら話聞くよ。それともお前も喫煙所来るか?」
「僕は嫌煙家なんですよ」
だったら知らんとばかりにクインは目も合わせずに立ち去りつつ、背後へと手で追い払うジェスチャーを見せた。
チェーンスモーカーでもあるクインは腕は立つものの少々過激、部下の扱いも荒いと評判のキャリア組女警部だ。ついでに必要以上にゲンを担ぎたがるのも面倒な特徴である。実際彼女のパートナーにつく相手は基本的に長続きしなかった。今の相手は先ほどの言葉通り1ヶ月の付き合いだが、この数年間、1番長くて半年、最短では1週間で音を上げた相手もいた。
そうやって考えると、かつての相棒であった
最終的には不幸な運命に振り回され命を落とした静夢のことを考えると、殺されかけたとはいえクインはどうにも彼を憎み切れなかった。愚痴をこぼしつつも自分についてきてくれたし、真実を知ったこともあって恨む気持ちは不思議と沸かずにいる。魔術使いを嫌悪していたはずの自分だが、その悪態を聞いていた相手が実は魔術使いだった。ウドは公職に着けないという前提が破られているわけではあるが、一方的な偏見とわかった上で文句を言っていた相手がその対象では、彼は腹に据えかねたものがあったのかもしれない。
そのことを謝り、向こうの言い分も聞いた上でちゃんと和解したくとも、彼はもういない。それが少し、寂しく感じることもあった。
よくないな、とクインは頭を掻いた。かつてのパートナーのことを思い出し、どうにも過去に引き摺られている感じを覚える。先ほどの対策しきれてない対策会議から考えが後ろ向きになっているせいだろう。もうすぐ彼女にとっての安息の場である
だがその思いは見事に裏切られた。よりにもよってこのタイミングで喫煙所は清掃されている。利用など出来そうにない。
「……もしかして、吸えない?」
「申し訳ありません。外の喫煙所なら多分大丈夫だと思います」
「外遠いのわかるでしょ? 1本だけでいいんだけど」
「勘弁してくださいよ」
続けて文句をつけてもいいが疲れるだけだ。再び頭をガリガリと掻きむしり、そういえば今日の運勢は12星座中最下位だったとクインは思い当たった。まったく嫌な日だと思い、言われたとおり外の喫煙所を目指すことにする。
幸い外の喫煙所は誰もおらず、問題なく一服できそうだった。大きくため息をこぼしてクインは懐から煙草を1本取り出して咥えた。続けてマッチを取り出そうとケースの蓋を開けたところで、再び今日の運勢のことを思い出すこととなってしまった。
マッチが1本も無い。バッグに予備こそあるものの、今この場では火が無い。魔術使いならここで火でも起こせたか、などとあまり好ましく思っていない存在のことをふと考えてしまう。
つくづく今日はついてない。再びため息をこぼし、諦めて彼女が煙草をしまおうとしたところで、不意に目の前にライターが差し出された。本来はマッチの香りを楽しみつつ最初の煙を味わうのが彼女のスタイルなのだが、この際背に腹は変えられない。素直に好意を受け、ライターの火をもらって煙を肺に流し込んだ。
「どうも。助かっ……」
煙を味わって吐き出してから、改めて火を貸してくれた相手に礼を述べようとしてクインは固まった。火を差し出した相手はそんなクインの様子を気にも留めず自分の煙草にもそのライターで火を灯す。そうしてから煙を吐いて営業スマイルと共に、黒色のセルフレーム眼鏡のレンズの奥にある視線を合わせて軽く頭を下げた。
「こんにちは、クイン警部。奇遇ですね」
白々しくそう言われた台詞に、名を呼ばれた警部は顔をしかめるしかなかった。
「やっぱ今日は運が悪いらしいわ。……また何か情報がほしいの、元バタ法の探偵さん?」
「穂樽です。名前、覚えてくださいよ。それともいつもと眼鏡違うんでわかりませんでした?」
「はいはい。んで、何の用?」
「いえ、たまたまこの辺りを散歩していたら、たまたまクインさんが火が無くてお困りのようだったので」
「よく言うよ、ったく。どうせあたしを探して中に入ろうとしたら丁度ここに来て火がなかったのを見かけた、ってとこでしょ?」
肯定も否定もせず、穂樽は煙を吐き出した。その様子にクインが舌打ちをこぼす。
「で、用事は何よ。あたしも暇じゃないのよ」
「一服する暇はあるのに、ですか? ……まあおちょくっても話進まないし本題に入ります」
穂樽は携帯を取り出し、画像を映してクインへと見せた。
「この人、知りません?」
「あのなあ、警察が誰でも知ってると思ったら……」
咥え煙草のまま言いかけた言葉をそこで切り、彼女は穂樽の携帯の画面に見入っていた。あまり特徴らしい特徴もない、見た目パッとしないどこにでもいそうな青年の画像。だがそれを凝視しているクインから明らかな動揺を感じ取り、すかさず穂樽は畳み掛ける。
「知ってるんですね?」
「……あんた、こいつのことどこまで知ってる?」
質問を質問で返される形になったが、気にせずに穂樽はその問いに答える。
「今川有部志、21歳のウド。都内のある大学の2年生。ただし少し前から授業に顔を出さなくなり、同時にアパートにも不在の模様。現在行方不明。私の依頼の対象です」
「依頼の対象? こいつ探してるのか?」
「ええ。少々まずいことに巻き込まれてそうなんで。実際私も彼を訪ねたら結構危ない目に遭いましたし。クインさんなら何か知ってるんじゃないかと思ったんですが、ビンゴだったみたいですね」
クインは深く煙を吐いた。次いで難しい表情のまま呟く。
「……まずいどころの話じゃないわよ」
「やっぱり……。何があったんですか?」
「こいつ、うちで最重要人物としてマークされそうになってる。今足取り追ってるとこ」
「最重要……!?」
ゆっくりとクインは頷いた。
「一昨日の夜、都内の宝石店で強盗事件あったのわかる?」
「ニュースで騒がれてますよね。確か、閉店直後の宝石店に不審者数名が侵入。店内の宝石がほとんど強奪された事件だとか。……一方で店内にいた店員に被害は無く、警備員1人が軽傷を負っただけで、店員は事件があったことすら曖昧という不可解な点もある」
「そう。ご丁寧に犯人連中は全員顔を隠し、さらに監視カメラを破壊していった。その上今あんたが言ったとおり、襲われた警備員以外からは『盗まれたことすら気づかなかった』とまともな証言もなくて、証拠もほとんど挙がっていない。さらに盗難品も捌かれていないために足もついておらず、あたしらもお手上げ状態。……でもひとつ有力な情報が挙がっている。閉店間際、1人の男が店に入り、店内をやけにうろついている不審な行動が記録に残されていた。それが……」
「今川だった……。それなら線が繋がる……。なるほど、そういうことか……」
唸るように呟いてから、穂樽は煙を吸い、吐いた。
「何が線が繋がってそういうことなのよ? 思い当たる節でも?」
「ええ。今川を探してほしいと言って来た依頼人、今川の彼女ということになってる人物なんです」
「恋人が下手すりゃ容疑者か。そりゃ災難……ん? 『ということになってる』?」
「記憶がないらしいんですよ。彼氏のことだけ、すっぽりと。だから『いたはずの恋人を探してほしい』という曖昧な依頼をしてきました」
遠まわしな物言いだったが、クインはそれで何かを察したらしい。灰を灰皿に落とし、口を開く。
「あんたよくそれで依頼受けたな。んで、その女もグル?」
「それはありえません。彼女が嘘をついているようには見えませし、状況的にも非常に考えにくいです。ちなみにウドでもありません。私は今川が幻影魔術使いで、彼女の記憶を消したと思っています」
「……そこまで推理出来てるか。なら特別に教えてやるよ。……お前の言うとおり、魔術の届出登録を調べたら今川の使用魔術は幻影魔術だ。それはこっちで調べがついてる」
「やっぱり……。だとすると、彼女の記憶の欠落も、その強奪事件の説明も可能かと」
「そう、その通り。彼女の記憶の件は置いておくにしても、あんたの言いたいことはわかる。こう言いたいんでしょ?」
煙草を口元まで持って行き、吸う直前でクインは話をまとめた。
「閉店間際に店に入った今川は店員に幻影魔術をかけ、その後の出来事を認識出来ないようにした……。まあ白昼夢か集団催眠状態、ってとこね。そして強盗集団が入ってきて監視カメラを破壊後、店員の目の前で堂々と宝石を強奪、しかし幻影魔術影響下になかった警備員に目撃されたために魔術を行使して怪我を負わせた。それが事件の顛末だ、と。……もっとも、今川と犯行グループを繋ぐ決定的な証拠はまだないんだけどね」
そうまとめ終えると最後の分の葉を燃やして煙を吐き出し、クインは火を揉み消した。もう1本吸うかという意味を込めて穂樽がライターを構えるが、それを手で制する。
「やっぱマッチの火の方がうまいわ。ま、助かったよ」
「どういたしまして。……それよりもし犯行に加担したというその線でいったとなると、今川もまずい状況ですよね?」
「犯人連中との関わりあい次第。最悪実行犯で1人怪我させた以上強盗傷害、事情があってやむなく協力だとしてもよくて窃盗
一瞬黙り込み、穂樽は煙草を燻らせる。そうしてから、ゆっくり口を開いた。
「……もしも私が横から彼を確保しようとしたら?」
「警察にケンカ売ることになるかもよ? 場合によっちゃあんたも公務執行妨害でしょっぴかれかねない。確かにバタ法ってかアゲハさんとは長い付き合い。さらに静夢の一件以来、セシルにも母親の再審に関する情報提供の協力してる手前、元同じ事務所で今は煙草仲間のあんたも贔屓にしてるけどさ。そうなったらこっちも擁護できないかもしれないってことだけは頭に置いておきな。……今上層部は今川の足取りを掴み、泳がせて犯行グループを一網打尽にしようとしてる。まあ、んなことするより今川とっ捕まえて証言得た方が手っ取り早いとあたしは思うけどさ」
「あら。じゃあ私と利害は一致してるじゃないですか」
穂樽も煙草を揉み消しつつ、平然と言い放った。クインは露骨に眉をしかめる。
「……あたしは手伝わないよ。本当ならこうやって、煙草吸いながら独り言をぼやいてるのもまずいんだろうから」
「はいはい。独り言ですよね。わかってます。感謝してますよ。……でも今川は私が確保して説得します。私には彼が自主的に犯行に参加してるとは思えない。……思いたくない、と言い替えた方が正確かもしれませんけど。とにかく、主犯格の連中に脅迫辺りされてのことではないかと考えています。その状況に加えて自首となれば、幇助と魔禁法違反ぐらいなら無罪まで視野に入るかなりの軽い刑で済むんじゃないかと考えていますから。……一審で決まる魔法廷じゃなきゃ、そこまでの無茶するつもりはないんですけどね」
「その物言い……。さっき、依頼人の恋人の記憶消されてるとか言ったっけ? あんたは今川が、自分が危険に巻き込まれそうだと察したから自分との関係を切って恋人の安全を確保するために記憶を消した、とか考えてるわけだ」
「よくわかりましたね。そうです。でもやっぱりこれもそう思いたい、かもしれませんが。……だから、依頼人とその対象のためにも、私は自分でベストだと思う行動を取らせてもらいますよ」
「勝手にしな。ヘマしてもあたしは知らないからね」
そう言うと、今度こそクインは穂樽に背を向けようとする。だがその背を穂樽は呼び止めた。
「何よ? まだ何かあんの?」
「頼みがあるんですけど。これ、映ってる人物解析して警察のデータベースに照合データがないか調べてもらえません?」
穂樽が摘んでいたのはUSBメモリ。それを見て反射的にクインは抗議の声を上げた。
「ハァ!? なんであたしがわざわざそんな頼み受けなくちゃいけないんだよ!?」
「もし映ってる人物がさっきの強奪事件の主犯格の1人、だとしてもその台詞言えます?」
瞬時にクインの表情が変わる。穂樽の傍へと近づき声のトーンを落として問いかけた。
「……その話、本当か!?」
「絶対、とは言い切れませんが。ただ、さっき昨日今川のアパートを訪ねたときに危険な目に遭った、って言いましたよね? ……今川の周囲を私が嗅ぎ回ってる、とわかったら問答無用で魔術で襲われたんですよ。そんな人間が今川と無関係、とは言い切れないと思っています。まあおかげでお気に入りの眼鏡壊されましたが。私も魔炎魔術の爆風で3階から叩き落されて重傷か、場合によっては死んでた可能性もありましたよ」
「ああ、それで眼鏡いつもと違ったのか。……ん? じゃああんたも魔術使ったのかよ? 魔禁法違反だろ」
「正当防衛です、十条扱いで見逃してください。あと形式的にでも私の心配もしてくださいよ。
……それより、襲ってきた男は3人。風使いと炎使い、もう1人は不明です。全員顔を隠していましたが、風使いの男だけは反撃したときに顔を晒してくれました。あまり映像状況よくはありませんが、隠し撮りしてたカメラにバッチリ収まってます。その時の映像データのコピーと、男の顔が見えやすいように切り取った画像がここに入っています。そいつと今川との接点があればさっきの警部の話通り、十中八九こいつらは宝石店襲撃の犯人と見て間違いないでしょう。……これ、そういうものなんですけど、いります?」
完全に鬼の首を取った様子で、穂樽はUSBメモリを掴んで見せびらかせていた。対照的にクインは完全にやりこめられたと恨めしそうにその記録媒体を睨み付けている。
「……そいつを受け取る条件は?」
「この男の情報がわかったら、私に情報添付してメール送信してください。ついでに出先の可能性が高いんで携帯も鳴らしてもらうと助かります」
「……わかった。集められる限りで集めてやる」
「ありがとうございます。こっちは今川の身柄を確保したいだけですから、捜査の邪魔は極力しないようにいます。……もっとも、保障はしかねますけどね」
フン、ともぎ取るようにクインはUSBメモリを受け取った。数歩足を進めたところで振り返らずに続ける。
「……このメモリに入ってる奴については、裏取ってから動くように、ギリギリまで報告を遅らせてやる。だが遅くても明日になったらこっちも全力で動き出すから、本気で今川を確保したいなら早いうちになんとかしな。あたしは宝石店の主犯格連中さえ捕まえられればそれでいいからね」
言葉にはしなかったが、心の中で穂樽は感謝する。離れていくその背中を見送った後で、彼女もその場を離れて歩き始めた。
事は一刻を争う状況になった。もし犯行グループが次の行動を起こしてからでは、状況が今川に不利に働く。クインに言ったとおり、その前に彼を見つけ出し説得するのが、もっとも今川に、そして依頼してきている八橋に有利となるだろう。さらに明日には警察も本気で動き出すとも付け加えられた。
「どうせ説得するとしても、自首するとなったら最終的に弁護は必要になる……。人手も必要だろうし魔術使用案件が関わってくる以上、もうこの際形振り構ってられないか……!」
小さく溢し、穂樽は奥歯を噛み締めた。もしウドの今川が被告となってしまった場合、魔法廷での案件となり、弁護は今の自分の範疇の外、あとは弁魔士の仕事となる。提携しているバタ法に頼むのが妥当だろう。
また昔の仲間に頼り切りになるのを少し後ろめたく感じつつも、きっとアゲハならいつものように「困ったときはお互い様」と言ってくれるだろうという甘い考えも頭をよぎる。だが他人に頼りっぱなしで自分は何も成長していないのではないかと、穂樽は眉をしかめて小さく息を吐いた。
兎にも角にも協力を仰がなくてはならない。そう自分に言い聞かせ、穂樽はバタ法の番号を呼び出した。
やりかったことの1つ、穂樽とクインの煙草を吸いながらのやりとり。
実は2人の声を担当する真堂圭さんと井上麻里奈さんは近年の梅津作品の常連キャストだったり。
ガリレイドンナでも共演してますが、その前のカイトリベレイターでは2人はそれぞれ従姉妹で一緒に暮らす親友、という役を演じています。なのでそこにあやかっての組み合わせでもあります。