――――やあ、士郎。唐突なんだけど君はどんな大人になりたい?――――
ユメを見ている。
これが夢だと認識できるのは、もう二度と会えるはずのない人たちが目の前で微笑んでいるからだろう。
切嗣、藤ねえ、イリヤ、桜、遠坂、セイバー。他にもたくさんの俺が関わった人たちがいる。
みな一様に俺に視線を向けている。
優しい笑顔で、すべてを許すような、そんな顔で。
――そんな顔で、俺を、見ないでくれ
許さないでくれ。俺は許されるに価する人間じゃない。一生かけて贖罪するから。
この身が朽ちるまで救い続けるのを止めないから。
それでも足りないなら、死後を懸けたっていい。死んでもなお、誰かを助けることを止めないから。
必ず、正義の味方になるから。
だから、だから、俺を、許さないでくれ
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体が痛い。
じくじくと、体の芯を溶かすような熱を感じる。
夢から覚めて一番にこんな思いをするということはまだ生きているということである。
どうやら体は満足には動かないようで、弱々しく拳を握る程度にしかいうことを聞いてくれない。
内に籠る熱を吐き出すように深いため息。そのあとに深呼吸。
ふと、草の香りが鼻を通った。
「…気が付いた?」
唐突に掛けられた声に、士郎は心臓が一瞬止まってしまったかのように感じた。
油断していた。周りを見渡せばここが屋内であることは一目瞭然である。
つまり、誰かが此処まで運んできたということだ。
「あなたは、草原の入り口に倒れていたのよ」
耳に響く女性の声。しかし不思議と士郎はその声に警戒することはなく、あさっての方向に思考を飛ばしていた。
ああ、だから草の香りがしたのか。
などとぼんやりと一人納得した後、声の主の方向へ顔を向けた。
濃緑色の長い髪を後ろで束ね、空のように青い民族衣装を着た少女。
彼女が自分を救ってくれたか。はたまた彼女の家族の誰かか。どちらにせよ礼を述べなければと士郎は重い体を起こした。
「すまない、助かった。えっと……」
お礼をしたいのだが、少女の名前を知らない士郎はどう返せばいいかわからず、口ごもってしまう。
その様子を察した少女は胸に手を当て優しく微笑んだ。
「私はリン。ロルカ族の娘」
「あなたは? あなたの名前を教えて?」
ゆっくりと赤子をあやすような声色で話すリンは、じっと士郎を見つめた。
それが警戒の色なのか、体を気遣ってのものなのか。
体の痛みでまともな思考の出来ない士郎には判断のつかないものだったが、視線をそらすのも悪いと思い翡翠色の綺麗な瞳を見つめ返した。
「ああ、俺は士郎。衛宮士郎」
この見知らぬ世界で果たして日本名が通用するのか不安ではあったが、言葉が通じている以上は可能性があるのではないかとちょっとした期待を込めた。
「エミ、ヤシロウ? 随分と変わった名前をしているのね」
やはりというか、残念だったというか、ここでは理解されて無い様だった。
「……ちょっと違うんだ。士郎が名前で、姓が衛宮だ」
「名より先に姓が来るの? 変わっているのね。もしかしてエレブ大陸の外から来たの?」
聞きなれない地名に首をかしげる。世界中を旅した士郎だが、そのような大陸は一度も聞いたことはない。
彼女の服装や建造物の構造から、モンゴルの文化に近い遊牧民なのかと推測したのだが、会話は日本語である。
何より彼女の顔立ちは東洋人というよりは西洋圏の特徴が色濃く出ている。
「エレブ、大陸? ここはそう呼ばれる場所なのか?」
「? 此処はエレブ大陸の東の大地、サカ草原よ。あなた、此処の事何も知らないの?」
エレブ大陸、サカ草原。聞き覚えのない単語が次々と出てくる。
何者かの手によって並行世界へと飛ばされたと考えていたが予想以上に深刻な問題のようだ。
そもそも並行世界とは合わせ鏡のように無限に連なる、可能性の数だけ分岐する世界の事だ。
そこには必ず、元居た世界の名残がある。同じ歴史、同じ文化、同じ人々。変わるのは実に些細なことで、猫の鳴き声一つの有無で世界は分岐する。
けれど、ここは全てが違う。歴史も文化も時代も、これではまるで異世界だ。
「良かったらあなたの事を話……」
話を遮るように木材が壊れる乾いた音が響く。それに続き遠くから男の野太い声が聞こえる。
なにが、と士郎が言う前にリンが窓の外を睨みつけた。
「! 外が騒がしい……ちょっと見てくるからシロウは、ここにいて!」
「なっ! ちょっと待ってくれ! ……ぐうっ!」
振り返ることなく玄関を飛び出していった彼女を追おうと体を動かすと、激痛に襲われベットから地面へと不恰好に倒れ込む。
あの時リンが見せた表情は良く見知っている。憎悪だ、相手の存在にあらん限りの憎しみをぶつけた目。先ほどの優しい雰囲気など微塵もなかったかのような。
あんな表情、戦場だけだと思っていた。いや、平穏そうに見えるようでこの窓の外では戦火が飛び交っているのかもしれない。
色々な考えが頭をよぎるが今は振り払うべきだ。荒い息を整えて玄関へと向かう。
「くそ、彼女一人じゃ。このおんぼろめ」
傷口を手で押さえ、這いずるように歩を進める。
そこであるものが士郎の目に入った。
「! ……あれは」
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「ベルンの山賊どもが山から下りてきたのね」
無人の集落跡を漁る山賊たち。物陰から睨みつける彼女の目は冷酷そのものだ。同じ人に向ける視線ではない。
そっと息を殺し、腰に携えた鉄の剣に手を添える。
「――――させない」
一息深呼吸を済ませ、一直線に二人の山賊の本元へと駆け出す。草原の草は滑りやすい、無造作に進めばたちまちにバランスを崩してしまう。
しかしリンは、そんな悪路だということを感じさせないほどの速さで二人の背後に近づく。音もなく自身の間合いに入ったことを確認すると、迷いなく剣を横なぎに振るった。
「はぁっ!」
一瞬のうちに振るわれた鉄の剣はそのまま円の軌跡を描き、山賊の首を切り裂く。勢いよく吹き出す血しぶきが草原に散る。
男の巨大な体が地面に倒れる姿を確認するまもなく、もう一人の山賊に切りかかる。
しかし、すでに相手は反撃の態勢に移っており、奇襲は一人を倒すのみに終わった。
大振りで振るわれる斧を避け、反撃に出るが思う様に相手に届かない。
最初は焦りを見せていた山賊も次第に冷静を取りもどし、リンの剣捌きに対応し始めていた。
「はん、威勢のいい女だな。しかし、なかなかの上物だな。美味そうだ」
リンの姿を視界に収めた山賊は、色情を隠そうともしない下卑た視線を向けた。
「っ……汚らわしい」
ぶるりと身を震わすような寒気を感じながら一歩後ろと離れるが、間合いを開けさせまいと男が詰め寄る。
力の差は歴然だ。斧其の物の重さに男の腕力が合わさればリンの細い鉄の剣など容易くへし折ってしまうだろう。
その結末を考え、注意をそらしてしまったのがいけなかった。生まれた隙を見逃さなかった山賊が嬉々とした表情でリンの細い腕を掴みあげた。
「へへへ、女子供が俺ら男に腕力で勝てると思って……――んっが!」
離しなさい! と叫ぼうとした瞬間、突然男が大きくのけ反った。倒れたのち、びくりと一度大きく痙攣した山賊はそのまま絶命した。
何事かと掴まれた腕をさすりながら、山賊の顔を覗き込むと矢が眼球を貫き串刺しにしていた。この深さならば脳にまで達しているだろう。
誰がと思い振り返ると、弓を杖代わりにして引きずりながら歩いてくる士郎の姿が見えた。
「……はあ、はあ。隙だらけ、なんだよ」
荒い呼吸をしながら呟くように死体に語りかけると突き刺さった矢を抜き、手を顔の前にかざし瞼を下ろす。
リンは苦しそうな表情をする士郎をみて、それが傷の痛みによるものなのか、人を殺したという事実に心を痛めているのか判別できないでいた。
「シロウ! どうしてきたの、あなたはまだ安静にしてなくちゃいけないのに」
「女の子が一人で戦っているのに、ゆっくりできるわけないだろ」
”女の子”という言葉がリンには差別的な意味に聞き取れた。
女は戦うべきではない、女が意見すべきではない。この時代では男尊女卑が未だ根強く残っている。
目の前で苦しそうに息をする白髪の青年も、結局はそういったリンが軽蔑する人間と同じなのかと思うと無性に腹が立った。
「!! 女かどうかなんて関係ないわ! 私だってロルカ族の戦士なのよ!?」
思わず声を張り上げていた。女の金切声は良く通る、下手をすれば敵に自分たちの位置が特定されてしまう危険がある。それでも、叫ばずにはいられなかった。
それを聞いた士郎は目を丸くしてリンを見上げた。
士郎には彼女の気持ちが理解できた。昔に再三と注意されてきたことだったのに失敗するとは情けない。そんな愚かしい自分の心に叱咤して頭を掻きつつリンへと向き直った。
「ごめん確かにそうだ。でも、だからって一人で行くこともないだろう? リン。こんなボロボロの俺だけど頼ってくれてもいいじゃないか」
女の子が、なんていうものは関係なく困っているのなら力になりたい。ただ純粋に、ただそれだけの想いでこの場所へと赴いたのだ。
真直ぐに、リンの目を見つめる。この立ち位置は何というか、遠い過去の夜の事、彼女と初めて出会った日を思い出す。
「あ、う、うん。ごめんなさい、ついカッとなって怒鳴っちゃったわ」
士郎は気にしないと首を横に振る。
リンの顔が朱に染まる。それが、士郎という男性に見つめられたからか、激情していた自身に恥じてかはわからないが。
兎に角リンは平静を取り戻していた。士郎の安心感のある声は確かに効果を発揮していた。
「それと、ありがとうシロウ。さっきは助かったわ。それで――」
そこまで言うとリンは目を瞑り、ゆっくりと息をのんだ。
軽率な発言は許されない。自分の発言はこれから彼を死地に送り込むことになるのだ。
だからこそ、自分の偽りのない言葉を士郎に伝えたかった。
「――私に力を貸して。あの山賊を止めないと近くの村が襲われるの。黙って見過ごすなんてできないわ!」
「ああ、お安い御用だ」
挨拶でもかわすように、何の気負いもなく、彼は笑顔でそれに応じた。内に灯る確かな信念を隠して。
物陰に隠れつつ移動すると一際大きな建物を漁る山賊を見つけた。
距離にして約50メートル。建物の周り以外には隠れられる遮蔽物は何もない。
つまり、ここから先は敵に気付かれてしまうということだ。
「西にある古い【ゲル】にも山賊がもう一人、いるわ」
「あ、ゲルっていうのは私たち遊牧民の住む円形の住居のこと」
「俺のいた所にも似たような建物があったよ。それよりも作戦を立てよう。相手は警戒しているのかゲルのそばから離れていない」
士郎が全快ならばこの程度の距離だろうと問題なく射止める事が可能だが、今は満身創痍のみだ。
弦を引き絞るだけで、傷が痛む状態では動き回る標的に狙いをつけるどころか威力も心ともないだろう。
先ほどは、相手がリンに夢中になっていた隙をつくというチャンスが訪れたが故である。二度あるとは思えない。
「そうね。それで、シロウは何か具体的な案を思いついているの?」
「ああ、建物の近くというだけあって遮蔽物が多い、相手も大振りで武器をふるうことも出来ないだろう。充分に間合いを取って敵の攻撃が当たらないギリギリのところにいてくれ」
「それじゃ相手を倒すことも出来ないんじゃないの?」
リンにも士郎の状態が立っているのも精一杯だとわかっていた。弓を引くことだってかなりの無茶であることは把握しているのである。
それでも、二人が無事に敵を倒すには士郎の協力が不可欠だった。
「近接武器なら不可能だが、間接武器なら話は別だ。そこは俺の腕を信用してもらう他ないな」
「それなら心配ないわ。さっきの一射は見事なものだったもの」
迷うことなく断言できる。相手の隙をついたとはいえ眼球を射抜くなど達人でも至難の業だ。
それを迷いなく一射で成功させた彼の腕は背中を預けるに足るものだった。
「けど俺は今満足に動くことが出来ない。射撃の体勢に入ったら隙だらけだ。ましてや止めを打てるかも怪しいだろう。だから、俺が囮と牽制の役割を兼ねる」
士郎はリンに二本の矢を見せる。彼が所有する最大本数であることを示していた。
「なるほど、相手の隙をシロウが生み出した瞬間に私がとどめを刺すわけね?」
「よろしく頼むぞ、リン!」
「こっちこそ! 背中預けるからね、シロウ!」
短い激励を開始の合図とし、二人は左右へと一斉に駆け出した。
リンは遮蔽物と死角の多い場所へ、士郎は矢の軌道を遮らない開けた場所へ。
敵が気付く前に射撃体勢へ、弦を引き絞るたびに体が悲鳴を上げる。リンが丁寧に巻いてくれた包帯は傷口が開くたびに赤く染まる。
それでも、士郎はやめなかった。煩悶がないわけではない、山賊と言えども人なのだ。先に一人殺したとはいえ、もう一人殺したところで同じだとは思えなかった。
此処で殺さなければ、殺されるのは自分とリンだ。頭の中に渦巻く葛藤を押さえつけ、矢の軌道だけをイメージする。
矢を放つ。狙うは頭部、それも最もやわらかい後頭部と首の付け根の部分。此処ならば、威力が足らずとも即死にすることが可能である。
イメージ通りの軌道は確かに山賊の後頭部に向かっていた。
しかし、山賊が唐突に前にかがむことによって、その未来は回避された。
頭部を通り過ぎた矢は奥の柱へと突き刺さり、コンッと乾いた音を立てる。
「んぁあ?」
山賊は間抜け面を矢の方へ向け、そして後ろへと振り向いた。
大方、何かを拾い上げようとして屈んだのだろうが山賊にとっては幸運だっただろう。いや、もしかすれば自身の不幸ゆえか。
どちらにせよ相手はこちらに気付き、士郎は矢を一本失い敵にばれた。走って逃げ切ることは不可能だろう。
「なんだぁ? おまえ! このバッタ様をなめるなよ!」
大きな声を張り上げたバッタという山賊がこちらに向かって走ってきた。
右手に斧を持ち、左腕は頭部を庇うように前に突き出していた。おそらくは致命傷を避けるためだろう、前かがみになっているため心臓も狙いにくい、以外にも戦闘慣れしていた。
矢をつがえて引き絞り放つまでに一秒と掛からないが、どこに狙いをつければいいか。
――足、だめだ覆う防具を貫通できるか不安が残る。股間、同様に防具に覆われいるし的が小さい。胴、致命傷にならない足止めもできずに殺される。どこか――
一瞬で思考が駆け抜けていくが、そのどれもが有効策になり得ない。
焦りに唇をかみしめたとき、視界の端に何かが映った。
草原に溶け込む青い民族衣装。長い髪を揺らし、一目散に敵へと向かう姿。
彼女は、背中を預けると士郎に言った。出会って大した時間も過ごしていない人間に命を託したのだ。
その信頼に応える必要がある。彼女が士郎を信頼したように、己の命をリンに託す覚悟が。
狙いは定まった。今までの混濁した考えはきれいさっぱりなくなっていた。今は只、彼女の道を切り開くのみ。
弦から指が離れた。一直線に向かう先は右手首。敵の武装を排除し丸裸にすることが、士郎の役目だった。
目論見は成功した。手首を打ち抜かれたバッタはうめき声と共に斧を手放す。
これ以上ない無防備な状態。リンはその隙を見逃さなかった。
「フッ!!」
短く息を吐き、渾身の力でバッタの首へと剣を振る。
避ける術がバッタには無かった。呪詛の言葉を吐く暇すらなく、怨嗟を想う間すらなく、彼は地面に倒れ伏した。
「はぁ……助かったわ、シロウ!」
乱れた呼吸と頬についた髪を剥がしながらリンは士郎へと向き直った。
「いや、俺の方こそ助かった。リンが飛び出してくれていなかったら間に合わなかったかもしれない」
「ふふ、じゃあおあいこね」
微笑んだ彼女につられ笑うものの、意識はうっすらと遠のいていく。
「でも、本当に、ありが、と――」
立ち上がることの出来なくなった体が、糸が切れたように地面へと倒れこんだ。
「シロウ!! ちょっと、だいじ……ぅ――――」
遠くなる彼女の声を最後に士郎の意識はプツリと消えた。
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カチャリとした音に士郎は目を覚ました。
「あ、起こしちゃった?」
音の原因はどうやらリンが持っていた食器の音のようだ。
あれからどのぐらい眠っていたのかはわからないが、体の重みは以前とそれほど変わらないので長く寝ていたわけではなさそうである。
「いや、気にしないでくれ。寝過ぎは体に毒だしな。どのぐらい寝ていた?」
「そんなに。一日もたっていないわ」
そうか、と呟くと食欲をそそる美味しそうな香りが部屋に充満していることに気付いた。
「そうそう、食事の用意をしてきたの。消化にもいいものだからよかったら食べない?」
差し出された食べ物を受け取る。器が二個あることから、寝ていても声をかけてくれるようだったと推測した。
れんげですくい口に運ぶと、もう止まらなくなっていた。元々の味もおいしかったのだが、空腹は最高のスパイスというのは本当だったと痛感する。
あっという間に食べ終わし、リンの方を向くと手で口元を隠し笑っていた。
「お気に召したようでよかったわ。おかわりもあるから遠慮なく言って!」
「悪い。あまりに美味しかったから思わず夢中になっちまった」
照れくさそうに頭を掻いた士郎を見て、リンはまた微笑んだ。
士郎がおかわりをし、一緒に食事を楽しんでいるとリンは食事を休め、真摯なまなざしで士郎を見つめた。
それが、そういったものなのかはわからないが向き合うべきだと判断した士郎は、姿勢を正してリンの言葉を待った。
「ね、シロウ。ちょっと話があるんだけど、いい?」
黙って士郎はうなずいた。
「昨日の感じ、ここの大陸の人間ではないのでしょう?」
「ああ、此処とは全く別の場所から来た。漂流、みたいなものかな」
「シロウは、これからどうするの?」
「具体的な目的は決まってない。そうだな、エレブ大陸中を旅してみるのもいいかもしれない」
今までも似たような繰り返しだったのだ。世界中を渡り歩き、困っている人がいたら助ける。
シロウはそれ以外に、時間の過ごし方がわからなかった。
「そう、なんだ……」
ぼそりと呟言くとリンは空になった食器を見つめる。
ゆっくりと目を閉じ、リンは何かを決意したのか士郎へと向き直った。
「その旅、……私も、一緒に行っちゃだめかな?」
「え?」
その言葉に一瞬士郎は呆けたが、彼女の言葉が本気だとわかると一息ため息をついた。
この目は非常に身に覚えがある。思い返せば自分の関わってきた人物はこんなのばかりだ。頑固でまっすぐで、覚悟ができている人ばかり。
「家族はいいのか? 心配するだろう」
心配、という意味では士郎も同じ思いだった。愛娘を誰とも知らない他人、それも男との二人旅など許しはしない。それどころか、激情に駆られた父親に殺されるかも。
冷や汗が士郎の頬を伝う。
そんな心配とは裏腹に、リンから帰ってきた言葉は簡素なものだった。
「大丈夫、家族はいない。父も母も……半年前に死んだわ」
かけていい言葉が思い浮かばなかった。士郎にも家族と呼べる人は残っていないが、心情は彼女のものとは全くの別物だ。
わかった気にしかなれないのならば、気休めにもならない同情を抱くことは許されない。
「私の部族、ロルカ族は本当はもう存在しない。山賊団に襲われて……部族はバラバラになっちゃった」
だから、あんなにも山賊を嫌悪していたのか。
家族を奪った憎い相手。それはすでに襲った個人ではなく、山賊というカテゴリそのものに対象を伸ばしていた。
復讐、そんな言葉が頭をよぎったが、その感情を理解できない士郎には彼女の言葉を聞く事しか出来なかった。
「私は、父さんが族長だったこの部族を守りたかったけど……こんな子供、しかも女に誰もついてこなかった」
この世界でも根強く男尊女卑は存在しているらしい。
むしろ、こちらの世界の方がそれは顕著に表れることだろう。人間としての不完全さはどこに行っても消える事はない。
女である、ただそれだけのことで周りの環境は彼女にとって過酷そのものだったことだろう。
「えへへ、ゴメン。ずっと一人だったから……」
「うーん、ダメだ。もう泣かないって決めたのに……」
「いいんじゃないか、泣いても。それは弱さじゃないだろう」
頬を伝う涙を見たとき、士郎は黙っていた口を閉ざすことができなかった。
今は泣くべきなのだと、そう伝えたかった。堪えることが強さではないと、伝えたかった。
リンの涙は止まらなかった。今まで溜め込んでいた思いをすべて吐き出すように泣いた。
そばに士郎がいるだけで、自分の弱さを受け止めてくれる人がいるだけで、心は素直になれた。
「ありがとう。大丈夫、落ち着いた」
「シロウ、私、父さんたちの敵を討つためにも強くなりたいの! あなたと一緒に旅をしたらきっと強くなれる。だからお願い!」
考える時間はあまりかからなかった。
士郎はゆっくり頷くとリンの目を見つめた。
「こっちこそよろしく頼む。リン」
「うん! よろしく、シロウ!」
交わした握手は暖かかった。