「ちょっと、ムツメちゃん!?」
「はあ……、はあ……」
焦点の合っていない目、半開きになった口、上気したように赤くなる頰、程よくに荒れる呼吸、そして、男を惹きつける香り。
何かのスイッチが入ったかのように、普段は見られない妖艶さを全面に溢れさせている。別人と言われても納得ができてしまう。
「空河、ぁ……、はあ……、はあ……」
喘ぐように途切れる吐息に喉が鳴る。
ムツメちゃんが正気を失っている。
「空河……」
「ムツメちゃん、そんな目で見ないでくれよ、俺……」
倒錯的な思考だろうか。ムツメちゃんは男だ。今は女だけど、元男だ。同性相手にいけない感情が沸き起こる。
正直に言おう、今すぐ口づけしたい気分に————。
「ムツメから離れろ!!」
「ぐあああああぁぁぁぁぁ!?」
突如横から体当たりをされて吹き飛ばされてしまった。
「……なんだ空河か」
「な、何すんねん、われ……」
「下手な関西弁が出たな、初めて聞いたぞ」
この野郎、微塵も悪気がないな。
「少しは反省しろよ!」
「何をだ?」
「俺を突き飛ばしたことだよ!」
「反省する要素がどこにある? ムツメに何かしようとしていた卑劣漢をぶちのめしただけだが?」
…………確かに。
「……えっと、今日はいい天気だな!」
「夕焼けは終わったぞ、永眠するか?」
「物騒だな、おい」
それよりも、なんでこいつはこんな場所にいるんだ?
ムツメちゃんもだけど。
「フハハハハ、好都合好都合」
「なんだ?」
突如奇声が上がり、その方角に目を向けると、ムツメちゃんが魔王に連れ去られていた。
「魔王!?」
「なぜここに!? ムツメを離せ!」
「離す? なぜそのようなことをせねばならんのだ。この好都合な状況を利用しない手などないだろう」
何がなんなんだ。なんでムツメちゃんは正気を失っていて、なんで魔王が王都に潜伏しているんだ!?
空河と言い合いをしていたら、ムツメを魔王に奪われてしまった。
「なぜお前がここに……?」
「愚問だな。この私が勇者という目障りなものを処断しに、わざわざドアをノックでもすると?」
魔王が勇者を暗殺しに来たってところか。ファンタジーのセオリー無視もいいところだぞ。
「1人1人葬っていく予定だったのだがな」
つまり、単独行動をしていた空河が狙われていたということか。そこにムツメが移動し、俺も合流した。予定は狂ったはずだが、好材料を得たから、わざと顔を見せた。その好材料とは奪われたムツメのことか。
「ムツメちゃん!」
「くくく、この小娘が貴様らの要であるのは重々承知、サキュバス化が進行すれば洗脳することなど容易いものよ」
「サキュバス化?」
確か、獣人の発情レベルが5段階目に突入すると……。
嘘だろ……。
ムツメを鑑定すると、発情レベルが5に到達していた。前は3だったはずだ。そんなに一気に進行してしまうなんて……。
魔王はムツメの衣服をめくりあげる。
俺は剣を抜いた。
晒け出されたムツメの下腹部に紋様が刻まれていた。その紋様に手をかざす。魔王の魔力が紋様を紫色に光らせる。
「ああっ、あああああっっ!!」
ムツメの体が空中でビクビクと震えて、舌を伸ばして、状態を仰け反らせている。
ムツメが犯されているようにしか見えなかった。
「てめえっ!」
「おっと、危ない」
空中にいる魔王に斬りかかったが、ムツメを盾に後ろへと退避した。ムツメの肩を抱き、奪い返す。ムツメの焦点が外れていた目が俺を捉える。
「修也ぁ!」
「待て、ムツメ、よせ!」
ムツメが俺に抱きついて、体をまさぐってくる。今日は軽装だ。重厚な防具であれば素肌に触れられることはないのだが、腰回りに手が触れ、衣服の隙間を縫うようにムツメの手が侵入してくる。空中で身動きが取れなくなる。
魔王が翼を広げ、後退から前進に切り替えた。
「それが、仲間を斬り捨てられない人類の弱さだ」
抱きついてくるムツメの背後に、魔王が移動し槍を構える。
ムツメごと、俺を貫く気か。
「させるか!」
「私に気を取られていいのかな?」
「なにっ!?」
ムツメが右手首を掴んできた。剣を動かせなくなる。
「俺を見て。他の誰かに浮気しちゃダメ」
「なっ!? やめろ! このままだと魔王にっ!」
「魔王に浮気?」
「そんなわけあるか!!」
今世紀最大の大声をあげてしまった。
ムツメは操られている。身体能力を完全に奪うのではなく、俺への好意を利用して妨害手段として利用しているのか。
鑑定のスキルで魔王に隷属させられていることがわかった。
ムツメが俺の行動を妨害してくる。守らなくてはならないのに、足枷になる状況だ。魔王が好都合と言うわけだ。
「2人まとめて死ぬがよい」
「くっ」
敵は待ってはくれない。
せめてムツメだけでも————。
「うおおおおお——————!!!」
「空河っ!?」
空河が割り込み、魔王の攻撃を前面から受け止める。
「ぐっ……」
「ぐおおおおおっっ!」
空河っ、お前一切の防具をつけていないのに……。
空河が魔王の攻撃を受け止めた際に、空河に押され、地面へと突き飛ばされたが、ムツメを抱えたままどうにか着地する。
「ちっ、防がれたか……」
「空河っ!」
ムツメを引き剥がし、空河が空から落ちてきたところを受け止める。
「ごふっ……」
「おい、大丈夫か!?」
「敵から、目を、逸らすな」
「————っ!」
空から魔王が飛び込んでくるように追撃の攻撃を仕掛けてきた。俺は剣を突き立て、槍の突きに合わせる。
「何っ!?」
「はあっ!!」
突き合った状態で硬直した槍を払い上げ、魔王を弾き飛ばす。
戦況は切り替えした。空河が重傷だが、これで立て直しはできる。魔王も千載一遇のチャンスを逃したはずだ。
重症の空河には、ムツメをどうにか押さえ込んでもらって……。
重症?
「まじ、いてえ」
「槍が刺さらん……」
おい、俺の心配を返せよ。なんで無傷なんだよ。
「マジ痛えから、びっくりするほど痛かったから」
「せめて血を流してからそのセリフを吐け」
「ひっでえ!?」
魔王も魔王で見るからに汗が吹き出ている。魔王っていうか、魔族って汗をかくんだな。それもそうか、渾身の一撃を生身で受け止められたのだから焦るのも納得だ。
「形成逆転だな」
「そうだろうか?」
「うん?」
何か妙だな。魔王にはかなりの余裕がある。とんでもないほどに汗をかいているが、まだ余裕がありそうだ。訝しむよりも、鑑定してみればいい。
「くそっ」
鑑定結果は魔力。
つまり、目の前にいる魔王は、魔王の魔力で構成された偽物だった。
俺はすぐさま偽物の魔王を両断する。
先ほどよりも弱体化していたから容易に倒せた。魔力のほとんどをムツメの隷属に費やしたのだろう。
本物は別にいる。
いくら空河が硬いとはいえ、俺とほぼ互角の力量がある魔王の攻撃を、生身の状態で無傷で耐えるわけがないと、すぐに気づくべきだった。
「まずい、奈央香が危ないっ!」
奴の狙いは今1人になっている奈央香だ。
俺はすぐに王宮へと駆け出そうとしたが、服を掴まれていた。
「修也の浮気者ぉ」
「ムツメ!?」
魔王は偽物だった。だが、偽物がムツメを操っていたならその洗脳は解けてもいいはずだ。魔王本体とリンクしているの可能性がある。
まだムツメを正気に戻せていない。だが今は後回しだ。奈央香が危ない。
「離せムツメ!」
「やだっ! やだやだっ! 離さないっ! 修也とえっちする!」
「頼むから正気に戻ってくれ!」
ムツメはがっちりと左腕に抱きついてきた。
むしろ、しっかりと抱きついるなら、このまま王宮へと向かえる。いつぞやの、おんぶの要領で、ムツメを持ち運ぶように移動すれば……。
だが、今のムツメを奈央香に引き合わせるのが怖い。
俺は無理やりムツメを引き剥がそうとするが、華奢な腕を傷つけそうでうまく剥がせない。
「ムツメちゃん、どうしちまったんだ……?」
「今のムツメは魔王に洗脳されている」
「サキュバスがどうとかって?」
「今はムツメのことを説明している暇はない。さっきの魔王は偽物だ。今1人になっている奈央香が狙われている!」
「なんだって!?」
「今すぐにでも王宮に引き返すぞ————」
直後、激しい爆発音に目が引っ張られた。
王宮が、王城が爆発した。
「嘘、だろ……?」
やられた……。
「奈央香あああっっっ!!」
空河の悲痛な叫びが闇夜に響いた……。
…………。
……。
「え? 呼んだ?」
「…………は?」
なんで奈央香が、ここに?
隣にイオーネさんと王様もいる。
「奈央香、なんでここに?」
「だって、あんな急いで出て行ったら何事かって思うでしょ」
俺の後を追ってきたのか?
「————っ」
直感が働いた。
奈央香を守るように剣を突き出し、空河もまた奈央香を守るように体をねじ込んで奈央香の前に立った。
俺が剣で弾いたのは魔法だ。もう見慣れた光の魔法。
目と鼻の先、いや、すぐ真横から放たれた魔法を弾いた。
隣。
俺の左腕にしがみついている。
正気を失っているムツメが奈央香に攻撃を仕掛けていた。
「ム、ムツメちゃん!? なんで奈央香に攻撃を……」
「そういうことかっ、くそっ」
魔王は偽物を囮に時間を稼いだんだ。
奈央香を襲いに行くと判断することも魔王の策略だ。すべては時間を稼ぐためだ。
くそっ、全部見落としてしまっている。俺が、気づくべきだろ。ムツメの耐魔力は俺とほぼ同格だということも。
俺は魔王の掌の上で踊らされていた。
先の王城の爆発の犯人も、操られたムツメだ。
「ふぅ、いくらサキュバス状態といえど、優秀な魔法使いの耐魔力を突破するのは骨が折れる。ようやく勇者の1人を敵視させることができたぐらいか」
闇夜から現れる魔王と同じく、ムツメの目が赤く怪しく輝いていた。
魔王城が最終決戦でなくてもよかろう。
勇者が強いので、こそこそと暗殺しにきた魔王様。
次回も3日後。3/7。
追記:3/8になります。投稿守れませんでした。