咲-Saki- 天元の雀士 (改稿版)   作:古葉鍵

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東場 第一局 二本場

 

「はぁ……」

 

 旧校舎の屋上にある麻雀部部室のバルコニー。

 塀に背中を預けながら、左手に持った一枚の写真を眺めながらため息をつく。

 写真に映っているのは、去年の秋頃に印象的な出会いをした同年代の女の子だ。

 写真の中でその子はゴシックロリータなメイド服を身に纏い、見る者全てを魅了する艶やかな微笑を浮かべている。

 

「はぁ……」

 

 無意識にため息が再び漏れる。

 この写真の女の子と再会したい。彼女とまた麻雀を打ちたい。そして、強くなったね、って褒めてほしい。

 

 運命的な出会いだった。

 

 それは去年の秋、仕事の都合で別居中の母に会うため、東京を訪れたときの事だ。

 東京見物がてら、宿泊ホテルの近隣を散歩していた私は、たまたま文化祭を開催している地元の中学校を発見した。

 私は人の多い場所は好まない。というか、人ごみが苦手だ。だからいつもの私であれば足が向かなかっただろう。

 けど、そのときは違った。

 母との再会と、旅先という状況で気持ちが浮ついていた事。他校の文化祭への興味。その二つの要因が重なり、私の判断を変えた。

 

 文化祭は大勢の学生と外来客で賑わっていて、盛況な様子だった。

 田舎暮らしではまず体験できないほどの人ごみと人いきれに辟易しつつも、私は一時の非日常を楽しんだ。

 それで何事もなく終わっていれば、旅先で得たごく普通の楽しい思い出、という形で話は終わっていたし、彼女との出会いもなかった。

 

 私はトラブルに巻き込まれた。

 いや、正しくは引き寄せたと言うべきか。

 

 雑踏から逃れて一息つこうと、人気のない校舎裏に入り込んだ直後の事だった。

 道を塞ぐように現れた、複数の若い男性に絡まれてしまったのだ。

 今でこそわかるが、警戒心もなく女一人で行動する私は格好のターゲットだったのだろう。

 私を囲んだ彼らの目的は、いわゆるナンパ行為。

 人生で初めて直面した身の危険を感じる事態に、私は恐怖し、混乱した。

 

 狼狽してまともな受け答えもできない私に、男性たちは矢継ぎ早に話しかけてきた。

 そんな彼らの発言は、私の容姿を褒めそやし、行動の同伴や文化祭の案内を買って出るものだった。

 世間知らずだった私でも、それが善意の申し出ではない事は理解できた。態度や台詞は友好的であっても、やってる事は脅迫に近かったから。だけど怖くて、とても断る勇気は持てなかった。

 もっとも、毅然と対応し、断っていても結果は変わらなかったかもしれない。進路と退路を塞いだ彼らの行動から考えれば、どのみち私を逃がす気はなかったと取れるのだし。そのうえ場所柄、第三者に助けを求めてそれが叶う見込みは薄かった。

 

 会話というには一方的な言葉のやりとりはすぐに終わった。

 たぶん彼らは「言葉で誘った」という事実が欲しかっただけなのだろう。そしてその後なにがあっても、何をしても、「合意の上だった」と嘯くつもりだったに違いない。

 怯えていた私は男性の一人に手首を掴まれ、強引にその場から連れ出された。

 私を囲んで移動する彼らは、校舎裏の更に奥まった場所へ行こうとしていた。

 彼らの申し出に嘘がなければ、文化祭を案内してくれるはず。なのになぜ、さらに人気のなさそうな方へと向かうのか。

 それまでは恐怖を感じていても、身の危険が迫っている実感に欠けていた。心のどこかで、「そこまで酷い事にはならないだろう」という、無根拠な楽観を抱いていたからだ。性犯罪被害に遭う自分、というのが欠片も想像できていなかった。

 

 まさか、という認識が、このままでは、という明確な危機感へと変わった。

 たとえ暴力を振るわれる事になっても、大声をあげるか逃げるかして抵抗すべきだと、遅まきながら決心する。

 

 助けを呼ぶには人気が少ないと考えた私は逃走を試みる。

 幸い、私がここまで大人しくついてきた事で彼らは油断していた。

 私の手首を掴む力が緩んでいたので、全力でそれを振り払い踵を返す。

 

 しかし上手くいったのはそこまでだった。私は最悪なタイミングで持ち前の鈍くささを発揮してしまう。

 無理な姿勢から駆け出そうとしたために足を縺れさせて転倒。そして痛みを堪えて起き上がった時にはすでに彼らに囲まれてしまっていた。

 

 彼らはニヤニヤといやらしく笑いながら、醜態を晒した私を嘲った。

 胸が重いから転んだんだろうとか、お嬢様は運動音痴だな、とかそんな内容だった。

 自覚のある運動音痴の方はともかく、胸についてはまたそれか、と私は怒りよりうんざりする気持ちを抱いた。

 

 自分で言うのも何だけれど、私の胸は大きい。母もかなり胸が大きいので遺伝だろう。第二次性徴を迎えて急激に育ってしまった。

 そのせいで中学生の頃から毎日のように情欲塗れの視線を浴びるようになり、身内以外の男性がすっかり苦手になってしまっていた。

 

 そのような私が人気のない場所で、暴力の気配を漂わせた複数の男性に取り囲まれたのだ。

 あのとき味わった恐怖と絶望感は筆舌に尽くしがたい。

 今でも思い出しただけで肌が嫌悪と恐怖に粟立つほどだ。

 

 逃走が不可能になり、私に残された手段は大声で助けを求める事だけだった。

 しかしそれは彼らに予想されており、先手を打たれてしまう。

 大きく息を吸い叫ぼうとしたところで、背後から手の平で口を塞がれてしまったのだ。

 

 進退窮まった私は絶望した。一体どれほど酷い目にあわされるのかと。

 私はまだ中学生だったけど、やや小柄な成人女性程度には背が伸びていた。

 つまりそれだけ成熟してしまっている。心も身体も。

 子供だと手加減してくれるような希望は持てなかった。

 

 私の両親はどちらも犯罪の裁きに携わる職に就いている。

 その関係で、性的暴行の被害にあった女性の悲惨さを耳にした事があった。

 同じ女として被害者には同情する。しかし、まさか自分がそのうちの一人になるなど想像もしていなかった。

 治安の良い日本とはいえ、犯罪に遭わないという保障などどこにもないと言うのに。

 これまで危機感を持たず生きてきた代償を私は払わされようとしていた。

 

 将来が真っ暗に閉ざされていくような絶望を感じ、涙がとめどなく溢れてくる。

 

 真っ当な良心を持った相手なら、私の涙を見て罪悪感を抱いたかもしれない。

 しかし私を捕らえ、囲む彼らは違った。

 ついに泣き出した獲物を見て、嗜虐心を刺激されたのだろう。男たちの誰も彼もが獣性を剥き出しにした顔で私を見ていた。

 

 私にもう成す術はなかった。身を竦めて無法な暴虐がすぎるのを待つかしかない、と自分の心を殺しかけたとき。

 

 いきなり頭上から人が降ってきた。

 

 あまりの事に心臓が止まるかと思った。

 そして降って現れた人物の姿を見て、さらに驚いた。

 なぜなら、その人物がメイドを思わせる服装を身に纏った、可憐な美少女だったから。

 

「天が呼ぶ地が呼ぶ人が呼ぶ、悪を倒せと轟き叫ぶ! 学園の風紀を正す瀟洒なメイド、お嬢様のピンチを聞きつけここに見参! 悪漢ども、覚悟せよ!」

 

 この場の空気を壊すような明るく張りのある声で宣言し、その少女は男性たちの前に立ちはだかった。

 突然の闖入者に私と男性たちは唖然としてしまう。

 

 少女は私と男性たちを順繰りに見回し、剣呑な状況を察したようだった。

 キッと凛々しく表情を鋭くし、長い髪を翻して私の方へと駆けてくる。

 

 速い。

 ほぼ一瞬で数メートルの距離を詰め、少女は私の側へと接近する。

 それはまるで猫のような俊敏さで、私はその動きを目で追いきれなかった。

 そして次の瞬間、信じられない事が起きた。

 

 ズドッ! と鈍い音が聞こえ、私を囲んでいた男性の一人が吹っ飛んだ。

 代わりにその場に立つのは、左肘を突き出した格好で静止している少女。

 恐らくは何らかの格闘技による一撃を見舞ったのだろうと思われた。

 

 まるで映画のワンシーンのような光景に、私は恐怖も忘れてただ見入ってしまっていた。

 男性たちもあまりの事態に呆然としていた。

 その硬直の間に、少女一人だけが動いた。

 

 最も近くにいた男性の懐に潜り込んだように見えた直後、鈍い音と共に男性の頭部が斜め上に跳ね上がる。

 数十センチほど宙に舞い上がったのち、男性の体が後ろに倒れ込む。

 少女の右掌を斜め上に突き出した姿勢からして、どうやら掌で男性の顎を撃ち抜いたみたいだった。

 

 そこでようやく忘我から立ち直った男性の一人が「このアマっ!」と彼女に掴みかかる。

 しかし少女は滑らかな動きで伸ばされた腕をかわし、男性の手首を掴んだ。

 すると次の瞬間、男性がまるで自分から身を投げ出したかのように空中に飛び上がって前転し、強かに背中から地面に落ちた。

 ウグッと呻いた不良の鳩尾を少女は即座にかかとで踏み抜く。容赦の欠片もない追撃だった。

 

 まさに圧倒的という他はない。

 もし4人の男性全員に油断がなく、最初から同時に飛び掛っても軽く一蹴したのではないかと思える。

 それほどに少女は強く、凛とした横顔は美しかった。

 

 瞬く間に荒事慣れした三人の男性を地に沈めた少女がこちらを向く。

 いまだ私の口を掴んでいた男性の体がびくっと大きく震えたのが分かった。

 

 少女が私の方へ一歩を踏み出した時、背後の男性は私の腕を拘束していた方の手を離した。

 そして背後で何やらごそごそと手を動かす気配が伝わってくる。

 少女が地を蹴った。

 

「こっ、こいつガっ!?」ばごん。

 

 背後の男性が何かを言いかけ、頬に風を感じた瞬間、鈍い音がした。

 同時に男性の手が私の口元から離れ、体ごと左の方へと吹っ飛んでゆく。

 一拍遅れて、少し離れたところでカツンと何かがコンクリートに当たる物音が響いた。

 

 後になって少女から教えてもらったが、このとき背後の男性はポケットからナイフを取り出して私に突きつけようとしていたとの事だった。

 恐らく私を人質にして状況を打破しようとしたのだろうと。

 

 気がつけばいつの間にか目の前に少女が立っており、片足で立っていた。

 背後にいた男性の頭を少女が回し蹴りで蹴り飛ばしたのだと、少し遅れてから気付いた。

 少女の動きが速すぎて、ほとんど視認できなかったからだ。

 唯一、私の目が捉えたのは純白のひらひら。

 少女が穿いていた下着は白のドロワーズ。

 ああ、やっぱりメイドさんなんだ、という妙な納得感を私はそのとき抱いた。

 

 不逞の輩たちは全て地に伏せ、もはやぴくりとも動かない。

 校舎裏で、立っているのは勝者である彼女だけ。

 

 どこか非現実的でふわふわした気分を抱きながら、私は少女の姿を見上げる。

 視線が少女の顔までたどり着いたとき、こちらを見下ろす少女と目が合った。

 

「怖い思いをさせて、ごめんよ」

 

 少女はにこり、と私を安心させるかのように笑顔を浮かべた。つい先ほどまで凄まじい戦闘を行っていたとは思えないほどの、たおやかで瀟洒な笑みを。

 

 ――どくん。

 

 心臓が大きく胸を打つ。

 

「大丈夫?」

 

 彼女はそう言ってしゃがみ込み、ぼうっとしたままの私の頭を優しく撫でてくれた。

 そこで初めて、私は助かったんだと、もう怖いことはないんだと、窮地を脱したことを実感した。

 

 涙が溢れてくる。

 

 嬉しいのか、ほっとしたのか、悲しかったのか、悔しかったのか、あらゆる感情がないまぜになってコントロールできない。

 少女はそんな私をあやすように、優しい手つきで頭を撫で続ける。

 私は彼女の胸に飛び込んで力いっぱい抱きつくと、さらに大声で泣き喚く。

 

「遅れてごめん」

 

 申し訳なさそうな口調で謝罪する彼女の言葉を聞いて、私はとても切ない気持ちになった。

 

 どうして貴女が謝るんですか。

 貴女の責任なんてこれっぽっちもないのに。私を助けてくれたのに。

 そう口に出して言いたかった。

 

 だけど、そのときの私は感情を抑えられず嗚咽しか出てこなかった。

 謝罪できない申し訳なさと自分に対する情けなさで更に泣きたくなる悪循環。

 

「もっと早く発見できていれば、君が本当に怖い思いをする事もなかっただろうから。幸い、被害が出る前に助け出せたけど、きっと心は傷ついただろうからね……だから、ごめん」

 

 まるで私の心を読んだかのように語りかけてくる少女。

 その手はいまだ私の頭をゆるゆると撫で続けてくれている。

 

 かつて幼い頃、私を抱きしめてくれた母と同じような深い母性と慈愛を少女から感じていた。

 

「君を襲おうとした不良共、うちの学校の生徒じゃないんだ。たぶん同じ市内にある、底辺高校の連中……だと思う。ガタイがどう見ても中学生じゃないしさ。君もこの学校の生徒じゃないよね。見覚えないし」

 

 だいぶ落ち着いて涙は止まったが、感情がまだ不安定な私は返事の代わりにこくりと少女の胸の中で頷く。

 

「やっぱり。まあそれはともかく、うちの文化祭を楽しみに来てくれた君みたいな子を怖い目に遭わせてしまったのは申し訳なくて。虫のいいお願いかもしれないけど、できればこの学校と生徒たちを嫌わないでやってほしい。……ダメかな?」

 

 ――そんなことない! 全然ない! 何もかも私の落ち度で、それを貴女が助けてくれたんです!

 

 少女の胸に縋りつきながら、何度も何度も首を横に振る私。

 感謝の気持ちが少しでも届いてくれることを願って。

 

「ありがとう」

 

 礼を言い、少女は無言で私を撫で続ける。5分以上はそうしていたかもしれない。

 しばらくして気持ちが落ち着いた私は少女から身を離した。

 

 頬に残る少女の温もりがすぐに冷めていく。それが酷く名残惜しかった。

 そして今さらになって少女から香る良い匂いに気付く。

 

 これは……クチナシだろうか。

 あまり香水には詳しくない私だけど、この匂いだけはずっと覚えていよう。

 心に強くその思いを刻む。

 

「さてと。落ち着いたみたいだし、怖がらせたお詫びと念のためのボディガードを兼ねて、オレと一緒に文化祭を回ってくれますか、お姫様?」

 

 可憐な見た目とは真逆な、とても男性的な言葉づかいで私に右手を差し出してくる少女。

 そのギャップが可笑しくて、私はクスリと微笑ってその手を取る。

 

「はい……よろしくお願いします」

 

 にやっ、と楽しげに笑う少女。

 

 いや、むしろそれは……まるで悪戯が上手くいった少年の微笑みみたいだと、不思議な感傷に捉われた。

 

 ――どくん。

 

 どくん、どくん、どくん…… なぜか胸がドキドキする。

 繋いだ手のひらから暖かい温もりがじんわりと私の中へ染みこんでゆく。

 もしかしたら、これが私の初恋だったのかもしれない。

 相手は女の子だったけど、それがおかしいことだとはなぜかこのときの私はちっとも考えなかったのだ。

 

 

 

 さて、そんな成り行きで出会い、その後は楽しく文化祭を堪能できた私だったけれど、彼女には何度も驚かされた。

 

 何がといえば、そう……沢山あったけれど、一つは彼女がとても人気者だったことだ。

 

 男子生徒とすれ違えば、

 

「シロー、そのカッコでナンパとかシャレにならんぞー。ってうぉい、すっげえ可愛い子じゃんか!」

 

 などと気さくに声をかけられ。

 女生徒とすれ違えば、

 

「シロせんぱーい、メイド服すっごい似合ってますよ! あ、隣の子って彼女ですか? うちの子じゃなさそうだけど、超カワユス!」

 

 なんて後輩の子が嬉しそうに寄ってくる。

 また、先生ですらも、

 

「おーいシロー、頼むからうちの学校の評判貶めるような風紀にもとる行為は控えろよー」

 

 と、言葉とは裏腹の信頼と親しみを篭った笑顔を向けてくるのだ。

 

 彼女は周囲の人たちから大きな信頼と友情を寄せられていた。さもありなんと、それが我が身のことのように嬉しかったのを覚えている。

 

 また、彼女がとてつもなく強い雀士だった事も驚きだった。

 その実力は一線を画しており、私がかつてインターミドルで戦った数多の強豪、ライバルたちの誰よりも強いと思わせた。

 

 麻雀は1、2回卓を囲んだ程度では実力差など測れない、運の要素が強い競技だ。

 しかし、彼女は私と同じ合理性を追求したデジタルな打ち方だったため、その実力を把握できた。

 

 いや、それは正確ではない。

 私にわかったのは、彼女が私より強いという一点の事実だけなのだから。

 さらに言うなら、彼女が全力だったという保証もない。

 

 私はインターミドルチャンピオン、一応は女子中学生で最も強い雀士だ。

 その私が、半荘数回の勝負とはいえ、全力で打って一度も勝てなかった。

 間接的に自分を褒めるようで何だけど、これは本当に凄いことだと思う。

 

 世の中は広い。私以上の打ち手はまだまだいる。

 

 インターミドル王者なんて肩書きを手に入れて、知らず私は天狗になりかけていた。そのことを気付かせ、高くなる前に鼻を折ってくれた彼女には心から感謝したい。

 

 彼女と回った文化祭は、楽しい事や新しい発見で満ちていた。

 とはいえ、不愉快な事が全くなかったわけではなかった。

 

 その最たるものが、彼女が私につけた愛称だ。

 一緒に文化祭を楽しみ、お互いそれなりに打ち解けた頃、彼女が突然「おっぱいちゃんって呼んでいい?」なんてことを言い出したのだ。

 

 あの申し出には唖然とした。

 いくらなんでも人が気にしてる身体的特徴をそんなふうにあげつらうなんて許せません!

 一瞬カッとなりかけたが、よくよく考えれば彼女が今さら私に嫌がらせをしたり、からかったりする動機がない事に気付いた。

 それに、そうした陰湿さを好む性格だとも思えない。もしそうであったなら、危険を顧みず私を助けたりはしなかっただろうし、母性と言えるほどの包容力を感じる事もなかったはずだ。

 

 そこまで考えて、これは彼女なりの好意の示し方なのだと私は思う事にした。

 

 はっきり言って、私は同性にそれほど好かれる方ではない。

 嫌われる、排斥されるとまではいかないが、一定の距離を置かれがちだった。

 なので、親しい女子同士の、俗っぽい言い方をすればベタベタした感じの付き合いを経験した事がない。

 そのため私が知らなかっただけで、ごく近しい女子同士なら「おっぱいちゃん」という愛称で呼ぶくらいは普通にある事なのかもしれなかった。

 

 だから私はつい、「ん……貴女がそう呼びたいなら、構いません」などと了承してしまったのだ。

 

 もっとも、私が本心では歓迎してないということを察してくれたのか、結局その呼び名を使ったのは別れの挨拶のときだけだったが。

 それも別れが湿っぽくならないよう、冗談のつもりで言ってくれたんだと、今にして思う。

 

 そして、やはり彼女は人の心に聡い、優しくて素敵な人だということも。

 

 

 

 そんな、忘れがたくも切ない想い出に浸っていたためつい油断してしまった。

 

「あれ、のどちゃんそれ誰の写真だじぇ?」

「な、なんでもありません。これは……お友達の写真です」

 

 私が写真を眺めて物憂げにしていた所を目敏い優希に見つかった。

 咄嗟に写真を背中に隠す。

 

 まずい、優希は悪い子じゃないんだけど、好奇心旺盛だ。

 間違いなく写真のことを詮索される。

 

「ま、まさかそれは! 女子高生の憧れ……即ち彼氏の写真というやつか!? 親友の私を差し置いて高校入学後すぐに彼氏ゲットとは、やるなのどちゃん! とゆーわけでそれを見せて欲しいじぇ」

 

 まるでそれがさも当然のように、両手のひらを差し出してくる優希。

 

 全くこの子は……

 

 私は小さくため息をつく。

 

「どうしてそういう結論になるんですか…… それに何度も言いますが、これはお友達の写真であって彼氏のものではありません」

「ほっほーぅ。そういう割には、さっきののどちゃん、すっごい切なそうな顔をしてたじょ。まるでもう会えない恋人を思いだしているかのようだったじぇ」

 

 うぐ。優希はいつも余計なところで鋭い……

 

「そ……そんなことは……ありませんよ…… 優希の思い違いです」

「のどちゃん往生際が悪いじょ!」

「きゃあ!」

 

 いきなり飛び掛ってくる優希。

 突然の行動に仰天した私はバルコニーの床にしりもちを突いてしまう。

 そんな私の目の前を、ひらり、と紙のようなものが横切る。

 

 あの人の写真だ。びっくりしてうっかり手放してしまった。

 まずい、優希に渡すわけにはいかない!

 

 私にしては珍しいくらい機敏に反応したと思うのだが、運動神経に恵まれた優希の俊敏さはさらにその上を行った。

 

 私の目の前で舞い落ちる写真を空中で素早く掴み取る優希。

 一瞬の早業だった。

 

「さてさて、私の嫁であるのどちゃんを奪ったにっくき男の顔、拝ませてもらうじぇー」

「あああ……」

 

 もうダメだ。優希にバレたら最後、部長や染谷先輩、須賀君にまで話が伝わっちゃう……

 

「うおおおおおおおお! これはだじぇ!!」

「きゃ!」

 

 写真を見た優希が突如大声を出して、私はまたびっくりしてしまう。

 

「どうした優希! なんかあったのか!?」

 

 異変を感じた須賀君がバルコニーに飛び込んでくる。

 ああ……来なくていいのに……

 

 やっぱりトラブルメーカーの優希が関わると、事態がどんどん悪化してゆく。

 その予定調和のような展開に、私はため息をついて肩を落とした。

 

「おお、京太郎よ、良いところに。お主も見るか?」

「え、何々? 何かあんの?」

「そのとーぉり。これを見よ! のどちゃんの大事な人が映ってる写真だじぇ」

「な、なんだってー!? ま、まさかのどかの彼氏?」

 

 当事者である私を置いてきぼりにして、優希と須賀君の二人は盛り上がっていた。

 

 この部活で知り合って以来、優希と須賀君はよくお喋りしている。

 傍から見てると、まるで数年来の友人のような親しい関係に見える。

 優希は元々、私のように人見知りはしない子だけれど、それだけではないだろう。

 ウマが合うとでも言えばいいのだろうか。それとも相性か。

 いずれにせよ優希は須賀君にだいぶ心を開いているようだ。

 

 そんな優希を見ていると、少し羨ましい。

 屈託なく友人の懐に飛び込める優希の純真さと明るさが眩しく思える。

 私も優希のように素直な気持ちで振舞うことができていたら、中学生や小学生の頃の友達と今でも縁が続いていただろうか。

 

 穏乃や憧は今頃どうしているかな……

 

 写真について隠すことを諦めた私は、なかば現実逃避気味に追憶に浸る。

 

「ふふふ、見たいか京太郎?」

「見たい! ぜひ見たい!」

 

 そんな私を一顧だにせず、完全そっちのけでさらに盛り上がる二人。

 

「よかろう! ならば私に今度学食のタコスランチを奢るのが条件だじぇ!」

「なにぃー!? 交換条件かよ!」

「当然! タダで物を恵んでもらおうなぞ甘すぎるじぇ京太郎!」

 

 タダも何も、その写真は私のであって優希にあげた記憶も貸した覚えもないのだけれど……

 

 二人のやり取りを眺めていると、なんだか色々なものがどうでもよくなってくる。

 

「ランチは高い! せめてタコス1食分に負けてくれよ優希!」

「ほほう、京太郎よ。お主にとってのどちゃんの秘密はその程度の価値しかないものなのか?」

「い、いや、そういうわけじゃ……」

 

 優希と須賀君がちらちらとこちらに視線を寄越してくるのが少々わずらわしかった。

 

 何でもいいから早く終わらせて写真返して……

 

「さぁ、どうするのだ京太郎。見るのか? 見ないのか?」

「あぁー、もう! わかったよ! 見ますよ! 見たいですよ! タコスランチもってけドロボー!!」

「よくぞ決断した。商談成立だじぇ」

 

 ようやく話がまとまったのか、私の写真を須賀君に手渡す優希。

 須賀君は興奮した面持ちで、受け取った写真をまじまじと見つめた。

 

「おい、優希……この写真に映ってる子、めちゃめちゃ可愛いな。しかもメイドとか」

「うむ。すっごい美少女だじぇ」

 

 ええ、そのとおり。とても美しい心と身体の持ち主で、私の大切なお友達。

 

「で、一つ聞きたいんだが……このどっからどう見ても完璧な美少女にしか見えない女の子の、どのあたりがのどかの彼氏だって? 話が違うじゃねーか!」

「何を言っているか京太郎。私はその写真の子がのどちゃんの大事な人だと言っただけだじぇ。それをどう解釈したかはお主の勝手よ!」

「ぐぬぬ……間違ってないだけに言い返せない……」

「そもそもだな京太郎。お主、本当にその写真にのどちゃんの彼氏が映っていた方が良かったのか?」

「あ、いや、もちろんそんなことはないぞ、ははは……」

 

 私に彼氏がいてもいなくても須賀君には関係ないことなのに、それを知りたがるのはどうしてだろう。

 ただの興味本位なら止めてほしい。

 

「だからその写真に映っているのは私のお友達だと最初から言っているでしょう。乗せられた須賀君はともかく、優希は私の話をちゃんと信じてください」

「ごめん、のどちゃん。ちょっと悪ノリしすぎたじぇ」

 

 私の気持ちを察して、そうやって素直に謝ってくれる優希だから、私はこれ以上怒れないし、叱らないのだ。

 まったく仕方のない子。こういうところが彼女の憎めないところで、だから私は優希が好きなのだ。

 

「ええ、それはもう許します。とりあえず、用が済んだのであれば写真を返却していただいてよろしいですか、須賀君?」

「あ、ああ。すまんのどか。俺もちょっと騒ぎすぎた」

「気にしないでください。別に見られて困るものでもありませんでしたから。問題ありませんよ」

 

 そう、問題はない。

 けれど、だからといって誰にでも見せるほど安い写真ではない。

 

 優希はともかく、須賀君は……まぁ、本人に罪はさほどないし、今回は仕方ないと思って忘れよう。

 だけど折角だし私も学食のAランチ、須賀君に奢ってもらう約束を取り付ければよかったかな?

 

 

 

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