四谷に到着したのは、まだ夜明け前。
要の案内で向かったのは一軒の宿で、そこで数人の隊士が眠っているという。
「夢乃、君は近くで待っていてくれ。力を借りなければならないかもしれないから」
夢乃が無言で頷くのを見ると、杏寿郎は宿へと入った。
二階の一室に、布団に寝かせられた三人の隊士と、その三人を不安そうに見つめる隊士がひとりいた。
「え、炎柱さま!? 来てくださったのですね」
「状況は?」
「は、はい。自分は三人より遅れて到着しました」
急いで鬼の気配のする方へ駆けると、三人が鬼と対峙しているところだった。
そして加勢しようと飛び出すと──
「突然、この三人が倒れてしまいまして」
「突然? 攻撃を受けたのか?」
「いいえ。いいえ……無傷なんです。ここに運んでから確認もしました!」
だが三人には傷一つついていない。
しかし目覚めもしない。
既に眠った状態で五日も経過しているという。
「血鬼術か。それで、その鬼は」
「五日間、ずっと姿を見せていません」
「そうか……分かった」
そういって杏寿郎は隊士の後ろに立つ。
「では君も少し休みたまえ」
「え?」
隊士はそれだけ言うと、強制的に意識を刈り取られた。
杏寿郎が手刀を見舞ったのだ。
障子を開け、杏寿郎は辺りを見渡す。
「夢乃、いるか?」
「上だ」
返事があると、屋根の上から夢乃が姿を見せる。
瓦の上を歩いているはずなのに、音は一切しない。
「頼む」
杏寿郎の言葉にこくんと頷くと、夢乃はそのまま部屋の中へと入った。
ご丁寧に草履を脱いでから、眠っている三人の首元に触れる。
「脈がやや速いな」
「速いと何か問題があるだろうか?」
「速くていいことなんてないぞ。まぁ常中を維持し続けると、体温が少し上昇して脈も僅かに早くなるが」
だが眠っている三人は、常中の呼吸法を使っていない。
普通に眠っているだけだ。
いや、苦悩の表情を浮かべているあたり、悪夢を見ているのだろう。
「血鬼術に掛かっているようではあるが……悪夢を見せているのか?」
「悪夢を見せる血鬼術か。しかし眠らせるだけで、どうしようというのだろうか」
「眠らせるだけでも、相手を殺すことは出来るぞ。眠ていては、食事も摂れないからな」
「なんと恐ろしい血鬼術だ! 餓死させることが目的とは……ん? 喰らわずに、ただ殺すだけなのか?」
鬼が人を殺す目的は、主に食事だ。
夢を見させて餓死させてしまえば、喰うことは出来なくなる。
いや、死んだ後に死体を貪るというのであれば話は別ではあるが。
「殺すことは出来るが、それが目的ではないだろう。死肉を貪るほど、鬼は優しくないぞ」
死肉で飢えが癒せるなら、そんな平和なことはない。
夢乃はそう言っているのだ。
杏寿郎もそれが分かっているだけに、頷き、そして頭を悩ませた。
だが考えたところで答えが見つかる訳もなく。
「そろそろ夜が明けるな。うむ、夢乃、少し待っていてくれ」
「え、おい、煉獄?」
すたすたと部屋を出て行き、階下へと向かう。
既に起きている宿の者に話をし、杏寿郎は空いている部屋を取った。
出来るだけ陽の当たらない、暗い部屋を指定して。
そうして二階へと戻ると、夢乃に向かってこう言った。
「部屋を取った。君はそこで休んでくれ」
「は? いや、それはマズいだろう」
「心配ない。夜通し歩き疲れて、今日はぐっすり眠るからと伝えてある」
「伝えてって……いや待て。その部屋で休むのは誰だ?」
杏寿郎は夢乃を指差した。
そして自分も指差した。
夢乃は眉間に皺を寄せ、片手で顔を覆う。
気絶させた隊士を、杏寿郎が布団に寝かせると部屋を出る。
くるりと振り向き、手招きをしてまた歩き出す。
夢乃はその後ろを、大きなため息を吐きながら追いかけた。
部屋は隊士が眠る部屋から三つ隣。確かに暗い。そのせいもあって、満室にでもならない限りこの部屋が埋まることはない──と宿の者も言っていた。
部屋に入るや否や、杏寿郎はつい立で部屋を仕切った。
「こっちは俺が。そっちは君が使ってくれ」
「使ってって……いやいや、何故布団を敷く?」
「休むだろう、君も?」
夢乃は呆れたような目で杏寿郎を見る。
鬼は眠らない。
鬼殺隊の者なら知っていて当然だ。
「私は眠らないから、自分の分だけにしろ」
「眠らなくていいのか?」
「いい。私が寝るのは血鬼術で血を多少多めに流した時だけだ」
「ぁ……そうだったな。すっかり忘れていた。では俺だけ眠ることになるのか。それはなんだか申し訳ないな。では俺も起きて──」
「寝ろ。昼になったら起こす」
そう言うと夢乃は刀を下ろし、押し入れから座布団を出して部屋の隅へと置いた。
「出来れば朝餉の時間には一度起こして貰いたい」
「分かったわかった。さっさと寝ろ」
「うむ。ではおやすみ」
つい立越しに杏寿郎が布団に入る音がして、しかし直後には寝息が聞こえてきた。
「は?」
思わずつい立の脇から顔を覗かせると、確かに杏寿郎は眠っているように見える。
そんの一瞬前まで会話を交わしていたというのに、狸寝入りだろうか?
そう思って彼女は名前を呼んでみた。
「煉獄?」
返事はない。聞こえてくるのは杏寿郎の寝息のみ。
鬼殺隊の隊士は、いつどこででも休める方がよいとはされている。
されてはいるが、
(寝付くの早すぎ)
まったく呆れるほどの速さに、夢乃はくすりと笑った。
眠っているのを邪魔しないようにとつい立の奥に引っ込み、それから目を閉じて集中する。
呼吸を沈め、そしてより深く精度を上げていく。
羅刹の鍛錬のつもりで始めたのだが、そこで夢乃は妙な気配を感じ取った。
気配は隊士が眠る方角からあって、宿の外へと向かっている。
まるで糸のように伸びたソレは、血鬼術の痕跡があった。
(もしかして、夢を見させている鬼か?)
血鬼術にはさまざまなものがある。どれ一つとして同じものはないと言うほどに、鬼ごとにまったく違うものだ。
だから「これ」という法則がまったくない。
(どうやらこの鬼は、血鬼術で対象と繋がっているようだな)
それ故に気配を辿ることが出来る。
だが気配は宿の外へと繋がっており、鬼である夢乃が追うことはもうできない。
部屋は暗いが、そろそろ東の空が白み始める頃。
(朝餉の時間になったら煉獄に知らせよう)
ただ知らせたところで、血鬼術の痕跡を杏寿郎が感じ取れるかどうかは分からない。
出来なかった場合、自分が案内する訳も出来ないし、ここからでは痕跡の元まで察知する事も出来なかった。
出来るだけ痕跡を辿ろうと、再び呼吸を深く沈める。
糸のように伸びるそれは、宿を出て東側へと伸びていた。
そこまでは分かるが、距離にして一町半(約一六〇m)ほどで気配が消えてしまっている。
それより先は離れていて辿れないのだろう。
耳を澄ませば杏寿郎の寝息が聞こえてくる。
(暫く寝かせてやろう。どうせ日中は向こうも身動きが取れないのだし)
そう決めた夢乃は、再び集中して血鬼術の痕跡を監視することにした。
動けばかならず分かるはずだと考えて。