「煉獄。起きろ」
陽が昇り、暫くしてから部屋の前に女中がやって来た。
朝餉の支度が出来た、とのことだった。
杏寿郎はまだ眠っているため、夢乃が起こそうと声を掛ける。
「ん……ゆめ……の」
寝言なのか、それとも起きているのか。
その口から自分の名が出てきたことで、夢乃の胸が熱くなる。
手を伸ばし、杏寿郎の頬に触れた。
温かい。
「煉獄」
再び名を呼ぶ。
「んん」
すると杏寿郎は、自身の頬に触れる夢乃の手に縋った。
なのにまだ眠っている。
「おい、煉獄」
頬ずりする杏寿郎の顔を押しのける事も出来ず。
だが──
ぐぎゅるるるるるるるる。
目の前で眠る男の腹からは、異様な音が響いている。
はぁ──と深くため息を吐き捨て、夢乃がそっと杏寿郎の顔に近づいた。
その耳元で「朝餉」と呟く。
すると杏寿郎の瞳がパっと見開かれた。
「朝餉!」
「お前……寝つきも良ければ寝起きもいいな」
「うむ! 起きようっ。ところで夢乃、俺はいつから君の手を握っていただろうか!?」
「……つい今しがただ。いいから離せ。そして隊士の部屋に行け。そろそろお前が気絶させた隊士も目覚めるだろう」
「分かった。では君の分はこちらの部屋に届けてもらうように頼もう」
布団の脇に置いた日輪刀を手に持ち、すっくと立ち上がると杏寿郎は部屋を出て行った。
杏寿郎が部屋を出て暫くすると、女中のひとりがお膳を持ってやってくる。
朝餉に手を付けながら、夢乃は杏寿郎が向かった隊士部屋の気配を探った。
まだ血鬼術の痕跡は残ったまま。薄れた様子も、そして動いた様子もない。
暫くして朝餉を食べ終わった杏寿郎が戻ってきた。
「俺が眠っている間に、何か動きはあっただろうか?」
その問いに夢乃は答えることなく、杏寿郎に座るよう勧めた。
「動きはない。だが眠っている隊士らから血鬼術の痕跡が出ているのが分かった」
「血鬼術の? いったいどうやって」
「羅刹の状態で集中してみろ。もしかすると鬼である私だから気づいたかもしれないが、念のため」
言われて杏寿郎は目を閉じ、神経を集中させた。
呼吸は深く、常中から羅刹へと移行する。
暫くして、杏寿郎は目を開けると首を振った。
「俺には分からないな」
「そう……。痕跡は宿の東側に続いている。まるで糸のように」
「どこまで?」
「残念ながら、そう遠くはない所で気配が薄まってその先は分からない」
「そうか……念のため、俺が様子を見てこよう。見つけられるようならいいが、ダメなら夜を待つ」
夢乃は頷き、それから杏寿郎は出て行った。
杏寿郎が宿を出て二時間ほどすると、彼は戻ってきて鬼の気配は見つからなかったと答える。
「なら夜だな」
「うむ。昼餉まで眠るので、また起こしてくれるか?」
夢乃が頷くと、杏寿郎はふいに手を差し出した。
「なんだ?」
「うむ。よかったら手を握っていてくれ「断る」よもや……」
夢乃はどんっとつい立を置くと、杏寿郎の視線に入らない場所に行ってしまった。
寂しさを感じながらも、杏寿郎は目を閉じると次の瞬間には──
(ほんっとに……この男の寝つきの良さは異様だろう)
夢乃にすらそう思われるほど、彼の寝つきは最高に良かった。
陽が沈み、杏寿郎と夢乃は宿を出た。
隊士には眠っている者たちの様子を見るよう伝えてある。
宿を出て真っ直ぐ東へ向かい、ときおり夢乃が立ち止まって血鬼術の痕跡を探った。
痕跡は真っ直ぐ東に伸びており、やがてそれは一軒の屋敷へと続いた。
「ここか?」
「あぁ。元の武家屋敷のようだな」
武家屋敷の多くは、明治になって政府に接収されている。
取り壊されず、庭園などが一般公開され観光名所と化しているところも多い。
だがこの屋敷は観光名所という感じではない。
とはいえ、誰かが暮らしている形跡もなかった。
大きな門扉は当然というか、内側から閂(かんぬき)がされており開くことは出来ない。
塀を飛び越え、中に入ると途端に杏寿郎にも鬼の気配が感じられた。
「巧妙に気配を隠したものだな」
「中に入るまで気づかなかった。十二鬼月かもしれない」
上弦ではないが、と夢乃は付け加える。
「君は、十二鬼月が相手では困るのではないか?」
「そうだな。十二鬼月は常に無惨と繋がっているから、見つかる心配がある」
「あとは俺がやるから、君は隠れていてくれ」
「お前がひとりで?」
心配してくれるのか? と杏寿郎が笑みを浮かべて尋ねてくる。
十二鬼月、特に下弦の鬼であれば心配などしない。
杏寿郎は既に下弦の弐を倒せる実力を持っており、あの時からまた実力をつけている。
今なら下弦の壱が相手でも心配ないだろう。
ただ眠っている隊士のことが気になる。
血鬼術に抗えず眠りについてしまったら、いくら実力があろうと関係ない。
「寝るなよ」
「うむ! しっかり寝たので大丈夫だろう」
「いや、睡魔とかそういうのじゃなくて、血鬼術」
やはり心配だ。
気づかれない程度に近づいて様子を見ようと夢乃は決めた。
杏寿郎がひとり屋敷の中へと足を踏み入れる。
実家の煉獄家と比べても、かなり広い屋敷だ。
いくつかの部屋の前を過ぎると、むっとするような異臭が鼻を突く。
「死臭……既に犠牲者が出ているのか」
強く臭う方へと進み、襖を開けた。
薄暗い室内では、中の様子はハッキリとは分からない。
暫くして暗闇に目が慣れてくると、そこで見えてきたものは大きなガラスの容器。
金魚鉢を人の大きさにしたその中には、切り刻まれた遺体が詰め込まれていた。
「酷いことを……許せん、鬼め!」
鬼の気配を辿って奥へと進む。
切り刻まれた遺体の量からして、決してひとり分ではない。
ただ遺体に頭部が一切見当たらず、ここの鬼が偏食家だることを裏付けていた。
自らの気配を隠そうともせず、杏寿郎は正面から鬼の下へと向かう。
いくつもの襖を開いた先に、鬼はいた。
その瞳には確かに文字が浮かんでいる。
下弦──壱、と。
「騒々しい。麻呂の屋敷に土足で踏み入れるとは、なんたる無礼でおじゃるか」
「すまぬな。鬼相手に礼節を重んじるほど、俺も出来た人間ではないのでな」
鬼はその手に、人の頭蓋を持っていた。
ガラス容器内に頭部がなかった理由が、ここにあった。
食っているのだ。
頭蓋の中にあるソレを。
ソレだけを食し、残りはその場に捨てられていた。