鬼滅の刃if~焔の剣士と月の鬼   作:うにいくら

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第壱〇参話──悪夢の記憶:陸

「あなたのような、強く優しい子の母になれたこと、私は嬉しく思います」

 

 女そう言って息子の体を抱きしめた。 

 

「あとのこと、頼みましたよ。杏寿郎」

 

 その言葉に息子は応えることが出来ず、ただ涙を堪えることだけに務めた。

 息子──杏寿郎が瞬きをする。

 すると先ほどまでの光景が一変し、夜を迎えていた。

 

「は……はうえ」

 

 布団の上には、誰かが横たえられていた。

 顔には白い布が被せられ、誰なのかは分からない。

 だが、黒く艶のある髪が母のそれと同じだということを、杏寿郎は気づいた。

 

 死んだのだ、母は。

 

 そのことに気づかず、幼い弟の千寿郎は母の遺体の傍で眠っている。

 

 父はいない。

 鬼殺の任務に出ていて、妻の死に目には間に合わなかったようだ。

 

 どうすればいい?

 母は亡くなった。

 父はいない。

 弟は眠っている。

 

 自分はどうすればいい?

 

「あぁ……そうだ。千寿郎、お腹が空いただろう?」

 

 眠っている弟は応えない。

 母は昼少し前に息を引き取り、そこから二人は何も口にしていなかった。

 一時期は千寿郎が泣き喚いたが、杏寿郎はそこから一歩も動くことはなく。

 そうするうちに千寿郎は眠り、そして陽が沈んで夜になった。

 

 なにか食べさせなくては。

 自分は母上に、あとのことは頼むと──そう、言われているのだから。

 

 ふらりと立ち上がり、土間へと向かう。

 バンっと音がしたかと思うと、どたどたと足音が聞こえた。

 

「杏寿郎っ」

「あ、父上……お勤め、ご苦労さまでした」

「きょ……瑠火は……瑠火……は……」

 

 隊服に代々受け継がれて来た羽織を纏い、蒼白な面持ちの父、槇寿郎がそこにあった。

 

「母上は……昼前に息を引き取りました」

 

 杏寿郎はそう説明したが、全て聞き終える前に父、槇寿郎は駆けだしていた。

 先ほどまで杏寿郎がいた部屋に向かって。

 

 杏寿郎は一歩も動かない。

 だが背後の部屋から父のむせび泣く声が聞こえてきた。

 

「瑠火、瑠火ぁぁぁーっ」

 

 父の声に気づいたのだろう。ついで千寿郎の泣く声も聞こえてきたのだ。

 恐らく本人は母の死を知らない。いつものように眠っているだけだと、そう思っているに違いない。

 だが嗚咽交じりに叫ぶ父の姿を見て、驚き、怯え、父と一緒に泣いているのだ。

 

 背中でそれを聞き、杏寿郎は拳を握る。

 

(俺は泣かない。泣いてはいけないのだ。俺は、母上と約束したのだからっ)

 

 ぎゅっと瞳を閉じ、開いた時には湯呑が飛んで来た。

 条件反射でそれを躱し前を見れば、わなわなと震える父の姿が。

 

「稽古、稽古だと? そんなものやってなんになる! お前も、俺も、ただの凡人にすぎぬのだぞ!!」

「しかし父上。俺は鬼殺隊士になるため、もっともっと鍛錬が必要なのです」

「うるさい、黙れ!」

 

 今度は茶碗が飛んでくる。

 これでいくつ目だろうか。湯呑も茶碗も、お皿さえも。ここ最近の父はなんでも投げて、息子の杏寿郎に当たった。

 あとどれくらい繰り返せば──

 

『壊れるでおじゃろうか?』

 

 杏寿郎は諦めたように立ち上がり、ふっと目を閉じた。

 そして次に開くと、

 

「杏寿郎。母がこれから聞くことを、よく考えて答えるのですよ」

 

 体を起こし、自分を真っ直ぐ見つめる母がそこにはいた。

 布団の脇では幼い弟の千寿郎が眠っている。

 

 強く生まれた者の責務。

 諭すように、母、瑠火は息子に語った。

 

「私はもう、長くは生きられません」

 

 ──あぁ、俺は母上を何度看取ればいいのだろうか。

 

「あなたのような、強く優しい子の母になれたこと、私は嬉しく思います」

 

 瑠火そう言って、息子の体を抱きしめる。 

 

「あとのこと、頼みましたよ。杏寿郎」

 

 ──母上はまた、逝ってしまわれるのか。

 

 母の死を看取るのは初めてであるはずなのに、杏寿郎には不思議と「何度目」という思いがあった。

 

『まだか? まだ壊れぬか?』

 

 瞼を閉じ、再び開けば辺りは暗闇に包まれており、布団には白い布を顔に掛けられた母の遺体があった。

 千寿郎は眠っている。

 母を呼んだが、当然動くことも返事をすることもない。

 

 しばらくして、千寿郎に何か食べさせねばと口にする。

 ふらりと立ち上がって、次の瞬間──

 

「その千寿郎はお前の記憶の中のものであって、本物ではない」

 

 突然、杏寿郎の耳に女の声が聞こえた。

 振り返ると、黒髪の少女が立っている。

 

 知らない者だ。

 

 いや、知っている?

 

「だ、れですか」

「私が誰なのか、自分で思い出せ」

「俺を、知ってる? 俺も、知ってる?」

 

 少女──夢乃は頷き、床を指差した。

 そこには母の亡きがらがある。眠っている千寿郎もいる。

 

 母の死を見たくない。

 杏寿郎は瞳をぎゅっと閉じ、それから「見ろ」という声が聞こえて恐る恐る目を開いた。

 

「杏寿郎。そこへお座りなさい」

 

 凛とした声は、確かに亡くなった母のもの。

 

 夜であったはずなのに、今は昼。

 

「え……どう、して」

 

 杏寿郎は戸惑う。

 この母は、数日前のあの母なのだとすぐに分かった。

 強き者の責務を教えてくれた、あの母なのだと。

 

「繰り返すだけだ」

「くり、返す? なにを」

「術に掛けられた者にとって、一番辛い記憶」

 

 だから夢乃にとって家族が失った時のことなのだろう。

 恐らくあのまま悪夢に捕らわれていれば、次に見せられるのはあの日──上弦の壱、黒死牟によって一方的に打ちのめされた日の記憶を見せられる。

 そうなれば、夢乃が鬼であることが知られてしまうかもしれない。

 が、長い間ずっと見続けていた悪夢が、今さら彼女の心を壊すことはなかった。

 

「思い出せ。自分が何者なのか」

「俺が…‥俺は──俺は──」

 

 杏寿郎の頭の中は、霞がかったように記憶がはっきりしない。

 だがその霞が、少しずつ晴れていく。

 

「お前は誰だ?」

 

 自分より少し年長に見える少女が、そう問いかける。

 俺は誰だ。俺は誰だ。

 彼女は──

 

「俺は、炎柱煉獄杏寿郎!」

 

 自分が何者で、何故ここにいるのか。

 目の前の少女が誰で、自分にとってどんな存在なのか思い出した。

 

「小さい炎柱だな」

「よもや!? 何故俺はこんなに小さいのだ? それに君も」

 

 杏寿郎の姿は、母を亡くした十歳の頃のものだ。

 辺りを確認すると、先ほどまでいた母と、眠っていた千寿郎の姿もなくなっている。布団すらない。

 

「俺の記憶……あの鬼は悪夢を見せると言っていたが」

「夢じゃない。完全な記憶だ。術を受けた者の記憶の奥底に眠らせている、最も嫌な物を思い出させているだけだ」

「何故そんな面倒なことを? 作り話の方がよっぽど恐ろしいものが作れるだろうに」

 

 小さくなった自分の体を確認するように、手をぐーぱーし、それからぴょんぴょんと跳ねた。

 

「作り物より、本物のほうが本人にとってはよっぽど堪えるだろう。そうじゃなかったか、煉獄?」

「む……そう、だな。ん? いや、待て。何故君がここにいる?」

 

 杏寿郎がそこまで言うと、夢乃は彼の頭に手刀を見舞いする。

 

「痛い。夢の中なのに痛いな!」

「そうか、それはよかった。私が何故ここにいるのかと聞いたな?」

 

 夢乃は杏寿郎の頬を掴み、ぐいぐいと引っ張った。

 

「お前がぁー、あっさりとぉー、血鬼術に掛かって、眠ったからだろうがあぁぁっ」

「うああぁぁぁー、ひひゃい、ひひゃいゆえのぉ」

「あはははははははは。お前柔らかいな。はははははははは」

 

 夢乃の手がぱっと離れる。

 すぐに杏寿郎は頬を押さえて痛みに耐えた。

 

「君は! 幼い子供をいたぶる趣味でもあったのかっ」

「幼いお前をいたぶる趣味はあったようだ」

「嫌な趣味だな! 俺は優しくされたい!」

 

 そう言うと、今度はゲンコツが飛んできた。

 

「むぅ」

「さて、ここからどうやったら目が覚めるのか」

「目を覚ます? どういうことだろうか、夢乃」

「はぁ……」

 

 ため息を吐き、それから夢乃は見聞きしたことを杏寿郎に伝える。

 

「なるほど。眠っている者同士が触れると、夢の中で同居することになるのか」

「そうらしい。鬼の言葉と照らし合わせると、目覚めるようなのだが……」

「うーん、今のところその気配はないようだが……いや、待てよ」

 

 夢──いや記憶の中で、あの時には耳にしなかった何かが聞こえていた気がする。

 そう思って杏寿郎は思い出そうとした。

 

 繰り返される母の死。何度目だったか、確かに聞こえたのだ。

 まだ壊れぬか、と。

 

「もしやあの鬼。俺の夢の中にいるのやもしれぬな」

 

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