杏寿郎が鬼の首を刎ねると、彼はパチリと目を覚ました。
今度こそ現実で目を覚ました、という実感は夢乃の悲鳴によって得た。
「イタっ」
「夢乃!? 何故俺の上に!?」
杏寿郎の胸の上に蹲るようにして眠っていた彼女は、杏寿郎が目を開いて起き上がった瞬間に転げ落ちた。
「痛い……」
「はっ!? すまん、夢乃っ。大丈夫かっ」
「大丈夫……。お前、寝つきもいいが寝起きもいいな」
「うむ! 寝つきと寝起きの良さは俺の自慢だっ」
と杏寿郎は胸を張る。
夢乃は軽く打った頭を押さえながら、そして気づいた。
「煉獄」
「うむ。奴が動いているようだな」
奴──公家の恰好をした鬼のことだ。
屋敷の中では微動だにしていなかった鬼が、今は移動している。
「もしや奴は、誰かに夢を見せている間は動けないのか」
「なるほど。ということはだ、今は誰も奴から夢を見せられている者がいないということだな!」
「血鬼術を使った後だ、空腹のはず」
「うむ。ならば急ごう」
神社の納屋から飛び出す。
夢乃は前を行く杏寿郎の背中を見ながら、ふと、夢の中でみた親友の言葉を思い出す。
(あれは、奴が見せた記憶じゃない。深香恵が煉獄のことを知っているはずがない)
正確には深香恵も煉獄を知っている。
だがそれは百年前の炎柱と、その息子で夢乃と同期の煉獄だ。
煉獄杏寿郎ではない。
(ならあれは……上弦の壱が出てきたり、煉獄が……あれは記憶ではない。一番見たくない現実。私がそう願っている)
だったら深香恵とのやりとりは、自分が見たくない──いや、それは違う。
(深香恵ならきっと、ああ言うだろう。きっと、そう言ってくれるはず。あれは、私が望んだもの……なのかもしれない)
きっと誰かに背中を押して貰いたかったのだろう。
ふっと笑みを浮かべ、夢乃は杏寿郎の後を追った。
「煉獄。この感じだと奴の目が鬼舞辻無惨と繋がってはいないようだ」
「なら君の事はまだ知られていないと言う事か?」
「だと思う。ただ奴の血鬼術である夢の中であったし、あまり姿を出したくはない」
だが現実では危険過ぎる。
いつどのタイミングで、あの鬼の目が無惨と繋がるか分からないからだ。
夢乃は初めから無惨の支配を逃れられていた。だから一度も繋がったことはないし、それがどういうものなのかも分からない。
鬼舞辻無惨──と名を口にしても呪いは発動しないということしか分からなかった。
「分かった。君は近くに隠れていてくれ」
「一応言っておくけど、今度こそ気を付けろ」
「う、うむ!」
気を付けろと言われて、先ほどはあっさりと血鬼術に掛かっている。
だが術の引き金となる仕組みが分かった今、杏寿郎が遅れをとることはない。
夢乃は途中の路地で立ち止まり、杏寿郎を追うのを止めた。
鬼の気配は比較的近い。
杏寿郎が角を曲がったそこ先で、
「追いついたっ!」
杏寿郎の声に気づき、鬼が振り返る。
その目には明らかに憎悪の色が浮かんでいた。
「くそっくそっくそっ! なんでおじゃるか貴様はっ。貴様はぁぁっ」
鬼が袂に手を入れる。
が、その手は着物ごと凍り付き、ガラス玉を取り出すことが出来なかった。
「炎の呼吸、伍ノ型──炎虎!」
炎がうねり、鬼の首が舞う。
「ひがっ!? な……ぜ……さい、あくの……蓋をして、おきたい記憶から、逃れ、られるの、だ」
「逃げる? 俺は逃げたりなどしない! 辛くとも、悲しくとも、真っ直ぐ前を向いて生きると、そう決めたのだから」
「逃げずに、真っ直ぐ……まっすぐ……麻呂にも、それが出来たなら……」
それだけ言うと、鬼は塵となって月夜に舞った。
「夢乃。加勢、感謝する」
「また眠られては困るから。それより、宿の隊士たちの様子を見に行ったらどうだ。大丈夫だと思うけれど、念のため」
「うむ、そうしよう。君はどうする? 宿でひと眠りするか?」
「いや、寝るのはいい。血鬼術も使っていないし、疲れてもいない」
下弦の壱が確実に消滅してから、夢乃は現れた。
「あの鬼、あのような恰好をしていたが……本当に公家だと思うか?」
「違うだろ。公家だとしたら、かなり年代物の鬼だぞ? だが下弦の鬼で百年もその座についていた奴はいない」
「ではなぜあのような恰好を?」
「さぁ? そういう身分になりたいという願望でもあったのだろう」
大正のこの時代に、眉を剃っておしろいを塗った公家など存在しない。
夢乃が人手あった頃ですら、そうそうお目に掛かるようないで立ちではなかったのだ。
願望、すなわち夢。
叶えられなかった夢が、己の悪夢だったのだろうかと杏寿郎は思った。
「煉獄」
ふと、名前を呼ばれて立ち止まる。
「どうした、夢乃」
「ん……ちょっと、その……」
夢乃は頬を赤らめ視線を泳がせた後、ふいに杏寿郎の胸に触れた。
「夢乃?」
「生きているか……確認、したかっただけ」
「ん? 俺はこの通り、生きているぞ!」
「うん……分かってる、けど。これは夢の続きで、お前がぽっくり逝くんじゃないかと急に不安になって」
その瞳が僅かに潤んでいることに、杏寿郎は今更ながら気づいた。
「もしや……奴が見せた悪夢で、俺が死んでいたのか?」
「ん……私を殺した……いや、正確には死んではいないが、とにかく奴が、上弦の壱が、お前を……」
「上弦の鬼を、俺は知らない。夢乃にも、そんな記憶はないはずだろう?」
「お前が言っただろう。作り話の方がよっぽど怖いだろうって」
なるほど、と答えてから杏寿郎は首を傾げる。
作り話の夢を見せられていたのは分かった。
だが何故そこで自分が殺される夢を見たのだろうかと。
「夢乃。君は俺が死んで、恐ろしいと感じるのか?」
心臓の鼓動を感じるかのように、杏寿郎の胸に手を乗せていた夢乃がハっとなる。
その顔は一瞬で真っ赤に染まり、彼女はパッと手を離す。
顔を見られまいと俯き、それから頷いた。
「怖い……」
ぼそりと呟いた声は、杏寿郎の耳にしっかりと届く。
それを聞いて杏寿郎は嬉しく思った。
「そうか。恐れてくれるか」
そう言うと、杏寿郎は両手を広げて夢乃を抱き寄せた。
突然のことに抵抗する間もなく、夢乃のかおは杏寿郎の胸へと押し付けられる。
「どうだ? 俺の心臓は動いているだろうか?」
「心臓……あぁ。聞こえる。ちゃんと、ちゃんと」
聞こえてくる鼓動は、少しずつ早くなっている気がする。
自分からそうしておきながら、杏寿郎は今、恥ずかしさでいっぱいなのだ。
「約束、して欲しい」
「約束? 俺に出来ることなら、なんだってしよう」
「守ってくれるというなら、私は……」
──今を大事にして。
そう話した親友の言葉が脳裏に浮かぶ。
もちろん、実際に深香恵が語った言葉ではない。
それでもあの言葉は、きっと親友が自分を心配して言ってくれた言葉だと信じている。
「煉獄。鬼舞辻無惨を倒してくれ」
「もちろ……」
言いかけて、杏寿郎はそれを飲み込んだ。
無惨を倒すのは鬼殺隊の悲願。それは何百年と続いてきたことだ。
煉獄の者として、炎柱として、そして人として、それは必ず果たさねばならない悲願でもある。
だが、そうすることは、腕の中にいる女性の命が絶たれることにもなる。
鬼の始祖無惨の死は、血を分け与えられた鬼の死をも意味していた。
悲願の成就と、愛しい人の死が同じ道にある。
倒したい。死なせたくない。
どちらかを選べば、どちらかは達成することが出来なくなる。
「煉獄。私はもう、十分生きた。だからといって死にたい訳じゃない。目的を達し、その結果そうなるとしても悔いはない。むしろそうならないことの方が悔やまれる。ずっと、悔やみ続けて生きてきた」
「夢乃……」
「お前と出会えたこの時代で、終わらせたい」
「俺と出会えた、この時代で」
夢乃は頷く。
「無惨を倒すその時まで──」
杏寿郎の鼓動を耳にしながら、夢乃は穏やかな気持ちになっていく。
今が幸せなら、それでいい。
「私がお前を、守ってやる」
杏寿郎の胸から離れ、彼の顔を見上げる。
その目は穏やかで、以前の人との繋がりを絶とうとしていた頃とはまったく違っていた。
だから。
「鬼舞辻無惨は必ず倒す。約束しよう」
杏寿郎も、覚悟を決めた。
ただ──
「俺は君に守られる方なのか?」
「は?」
杏寿郎は首を傾げる。
「俺は君を守りたいのだが」
「……守られる必要がない。日輪刀以外なら、例え首を斬られたって死なないのだから」
「いや、そういう意味ではなくって。俺は君を──」
「お前が死にさえしなければ、血鬼術でいくらでも再生してやれるぞ、私は」
「ぐっ」
確かに、夢乃の血鬼術があれば重傷だろうと、元通りに治癒出来る。
それを言われては、杏寿郎もなんの反論も出来ない。
「うむ! 分かった。俺は君に守られよう!」
「ぷはっ。ぜひそうしろ」
夢乃は声を出して笑い、それから二人の視線が合う。
「ぁ……」
二人は抱き合ったまま。
途端に全身が茹で上がり、夢乃は杏寿郎の胸を押しのけた。
「終いだ! 話は終い!! お、お前は早く、隊士の様子を見に行け」
「君は?」
「私は夜明け前に戻る。急げば太陽が昇る前に、駒沢に着けるかもしれないし」
「そうか。では向こうで会おう!」
夢乃は頷き踵を返す。
それを見て杏寿郎も宿の方へ歩き始めた。
が、数歩進んだところで立ち止まり、くるりと振り返る。
そして遠ざかる夢乃の背中に向かって、杏寿郎は言葉を掛けた。
「夢乃! 俺は君のことが、好きだ!」
その声に夢乃は立ち止まるが、振り返りはしない。
ただ肩を震わせているのは、杏寿郎から見ても分かる。
その震えが止まった。
そして夢乃が振り返る。
「声が大きいっ。ひ、人に聞かれたらどうするんだ!」
「聞かれて困ることは言っていない! 俺は君が好きだ!!」
「ぅぐっ。う、うるさい! そ、そんなもの、何度も聞いた! 改めて叫ぶな恥ずかしい奴めっ。もう、帰るっ」
言うが否や、夢乃は踵を返して駆け出す。
「む! おい夢乃っ、逃げるのか!? 全集中の呼吸を使ってまで逃げるのか!?」
その声は夢乃には届いていない。
彼女は既に、視界から消えるほど遠くへ去っていた。