「父上。稽古をつけてくださいませんか?」
煉獄家に帰ってきた翌日。杏寿郎は父の槇寿郎に稽古をつけて貰おうと願いでた。
その願いは恐らく叶えられない。
分かってはいても、それでも一途の望みを託し父の部屋へとやって来たのだ。
──が、
「やめろやめろ。そんなことをして何になる」
「父上……俺は今よりももっと強くなりたいのです!」
「強くぅ? お前も俺も、凡人でしかないんだ。無駄な努力など、止めてしまえ!」
槇寿郎はそう怒鳴ってからすっくと立ちあがり、襖の横に立つ杏寿郎を押しのけ部屋から出ていってしまった。
すれ違う際、槇寿郎からは酒の臭いがした。
(父上はまた……)
杏寿郎の母、瑠火が病に倒れ亡くなってから暫くして、槇寿郎は酒に溺れるようになった。
母の死だけが原因ではないようだと、杏寿郎は考えている。
別の原因がなんなのか、彼には皆目見当もつかない。
(早く立ち直ってくださればいいのだが)
部屋を出た槇寿郎は、その足で屋敷から出ていきどこかへ行ってしまった。
恐らく酒を買いに行ったのだろう。
父が家を出るときは、酒を買いに行く時だけになってしまった。
今でも一応、鬼殺隊に席はある。だが任務に赴いたのは何年前になるだろうか。
朝から晩まで酒浸り。たまに飲んでいないかと思えば書物を読み漁っているだけ。
いったい何の書物をと思っては見たが、覗こうとして父に殴られたことがある。
酔ってはいても炎柱。
その拳で顔が腫れ、視界が半分塞がれて任務に支障が出たこともある。
それ以後、杏寿郎は父の読む書物を見ようとはしなくなった。
ただその書物が、どうやら煉獄家に伝わるものだということだけは分かっていた。
(きっと全ての技の詳細が載っているのだろうな。俺が知る炎の呼吸の型は玖まで。その先は……)
まだ槇寿郎がやる気に満ち溢れていた時に見せて貰った炎の呼吸の型。
杏寿郎はそれをしっかり目に焼き付けており、記憶を頼りに独学で習得したのが壱から伍、そして飛んで玖までの型だった。
だが今現在使いこなせているのは、壱から肆の型まで。伍と玖は今の杏寿郎には使いこなせるだけの力がない。
玖は炎の呼吸の中でも奥義とされる技。
その技を習得しなければ、炎柱になることはできないだろう。
そう思うからこそ父に稽古をつけてもらいたいのだが──それは二度と叶わぬ夢なのかもしれない。
「兄上ぇー」
「む。どうした千寿郎!」
庭先で弟の呼ぶ声がした。
いつもの快活な笑みを浮かべ弟の下へと訪れると、竹刀を持って立っていた。
「うむ、稽古か?」
「は、はい……見てはくださいませんか?」
「よし、見てやろう! 今日は休暇日だ。存分に見てやるぞ千寿郎!」
今日は一日兄がいる。そう思っただけで千寿郎は嬉しかった。
太陽のような笑みを浮かべ、元気に「はい!」と返事をすると、直ぐに素振りを開始した。
「いち! に!」
「うむ! 千寿郎、体が硬いぞ。もっとこう、しなやかに!」
「はい兄上!」
「よし! 兄も一緒にやろう!!」
そう言うと杏寿郎は稽古場から竹刀を一本持ち出す。
そして千寿郎に並ぶと、弟の声に合わせて竹刀を振るった。
「いち!」
「うむ!」
「に!」
「うむ!」
それを百回繰り返すと、今度は基礎体力をつけるために屋敷の周辺を走った。
杏寿郎は途中で千寿郎を追い抜き、そして猛烈な勢いで一周して再び弟と並ぶ。
そんなことを繰り返すうちに杏寿郎の体は火照り、浴衣から袖を脱いで上半身をさらけ出す。
「兄上、寒くはないのですか?」
「寒くない! むしろ暑いぐらいだ!!」
そう話す杏寿郎は、再び駆ける。
千寿郎はその背中を追おうと必死に足を動かすが、既に体力の限界も近く歩く速度にまで逆に落ちた。
すると、これまで以上に兄がすぐ後ろからやって来るのだ。
千寿郎に追いついた杏寿郎は、弟を昨日同様に肩車し、そして走った。
「千寿郎! 俺の稽古に付き合ってくれるか?」
「はい、兄上!」
「よし! なら屋敷の周辺を三百周だ! 数えてくれ!!」
「え……」
百周でも驚くところを、まさかの三百周。
数えるのが大変だと、千寿郎は今から戦々恐々としている。
そんな弟にはお構いなしに、杏寿郎は走った。
途中、父が帰ってきたようだが特に声を掛けられるわけでもなく、二人は屋敷の周りをぐるぐるときっちり三百周するまで止まらなかった。
「ふぅ。さて、次は何をするかな?」
「えぇ!? あ、兄上、まだ何かやるのですか?」
「ん? そうだなぁ……よし!!」
杏寿郎は納屋に向かうと、昨日、千寿郎が持っていた箒を持ち出した。それともう一つ、くま手を手に千寿郎の下へと戻って来る。
「掃除ですか?」
「うむ! 落ち葉を集めるのだ!!」
嬉しそうに、やや頬を染め杏寿郎が言えば、その目的は弟の千寿郎にはすぐに分かった。
「焼き芋ですね、兄上!」
「そうだとも千寿郎!! 集め終わったら芋を買いに行こうっ」
「はい!」
二人は楽し気に落ち葉を集める。
煉獄家の庭は広く、その分庭木も多い。落葉樹もあるので、十月の今なら落ち葉はいくらでもある。
足りなければ通りに出てかき集め、兄弟でせっせと庭へ運び入れた。
「これぐらいあればたくさん焼けるだろう!」
「兄上はいくつ食べますか? 千寿郎は二つ食べます!」
「おぉ! たくさん食べるようになったな。よし、では俺は──」
ここで千寿郎は去年の今頃のことを思い出す。
(そういえば兄上は去年、一度に焼き芋を十個お食べになって、そのあと厠に引き籠っていたような)
「俺は十一個食べるぞ!」
「……きゅ、九個はどうですか? 兄上」
「十一個だ!」
「でも去年十個食べてお腹を──」
「十一個だ!」
これは何を言っても無駄だと悟り、千寿郎は小さなため息を吐き捨て籠の用意をした。
自分の分の二個、兄の分の十一個。
そして父の分が一個。
母の墓前に飾る分が一個。
合わせて十五個の芋を入れるための籠を。