夢乃が足早に赤坂の町を通り過ぎようとしていると、血の臭いが漂って来た。
人間二人分と、そして鬼の血だ。
もっとも鬼の血の臭いは既に消えかかっている。
(鬼殺隊が処分したのか)
なら人間二人分の血の臭いは、鬼殺隊の到着が遅れて犠牲になった者のだろう。
行ったところで鬼殺隊と鉢合わせになると面倒だ。
特にここ最近は、鬼殺隊の派手頭と遭遇するせいで面倒なことが多々起こっている。
だからさっさと行ってしまおう。
そう思っていながら、足は自然と臭いのする方へと向かっている。
夢乃自身にも何故そうするのか分からなかった。
誰かが呼んでいる。
そんな気がしてならなかった。
路地を抜け、角を曲がった先にあったのは、焔色の派手な髪の男だった。
「煉獄?」
あの派手な髪の色は煉獄家の者以外にあり得ない。
だが同時に、あの男が血にまみれて倒れている姿もあり得ないと思った。
足早に駆け寄り脈を確かめる。
そこは確かにとくんとくんとかすかに脈打っていた。
杏寿郎が握りしめたままの刀で自身の掌を傷つけ、それから彼の体に手を翳す。
「血鬼術──齢譲再生」
彼女の血が霧となって杏寿郎の傷に降りかかる。
次第に傷はすぅーっと消えてゆくが、隊服が邪魔で全ての再生には至らない。
仕方ないと、夢乃は杏寿郎の隊服を脱がせ再び術を発動させる。
上半身の傷がすっかり再生すると、次は袴──に手を伸ばすのは躊躇った。
「……あとは放っておいても死なないか?」
そうであって欲しかったが、出血が思いのほか多い。
足にも傷がいくつもある。これを放っておけば、隠が到着するまでに出血死する可能性もあった。
「いったい何故こんなにぼろぼろなんだ。煉獄の者が情けない」
自分はこの男を過大評価しすぎただろうかと首を捻りたくなる。
「迷惑な奴だ。ほんと、迷惑だ」
などと愚痴りながら、彼女は顔を真っ赤にして杏寿郎の袴に手を伸ばした。
(嫌だ嫌だ嫌だ)
呪いの言葉のように呟きながら袴の紐を緩める。
「待て。血まみれで女に……襲われる趣味は、ない」
「はぅ! れ、れれ、煉獄!?」
「俺のことは、杏寿郎と呼べと言ったはずだ」
ぱちりと目を開いた杏寿郎は、体を起こして体の傷を確かめる。
上半身はどこも痛くない。だが下半身は痛む。
「そうか。君の血鬼術か。それは助かった! ふははははぐっ──」
「お前は馬鹿か……いいから足。出せ」
「う、うむ……」
袴を脱ぐべきかと思ったが、傷を曝せばいいのであればと杏寿郎はたっつけ袴の足の脹脛部分を結ぶ紐を緩めた。
そして裾を捲り、足を出す。
「どうだ! ぐっ」
「いちいち大きな声を出さなくていいだろう。大きな声を出すから傷が痛むのだと、お前は分からないのか?」
「面目ない! うっ」
これでは埒があかないと、夢乃はツッコムのを止めにした。
「血鬼術──齢譲再生」
針ほどの小さな傷は、直ぐに塞がっていく。
すっかり元通りになると、杏寿郎が嬉しそうに笑みを浮かべてすっくと立ちがった。
「はははは。よもやよもやだ。凄いものだな、夢乃の血鬼術──うっ」
勢いよく立ち上がった杏寿郎だったが、流れた血の量は少なくはない。
ぐらりと視界が揺れ、足に力が入らなくなる。
「やっぱりお前は馬鹿か」
崩れそうになる杏寿郎を支えたのは夢乃だった。
「これだけ血を流していれば、貧血では済まない状態なのだぞ」
「むぅ、面目ない」
「とにかく移動するぞ。ここにいては警察に怪しまれる」
「分かった」
夢乃が杏寿郎を支え、二人はその場から離れた。
(まずい……あまり長くこの男の傍にはいられない。血が……血鬼術で血を流し過ぎた。その上……)
杏寿郎は血の臭いをぷんぷんさせている。
鬼となっても普段は血肉を求めることのない夢乃であったが、血鬼術によって自身の血を流し過ぎた際には別だった。
それでも理性を保ち、堪えることができる。
放置すれば人を襲うかもしれないと、だから彼女は動物の血肉で飢えをしのぐ。
だが今は血に染まった杏寿郎が隣にいた。
理性では啜りたくないと思うも、本能ではその血を求めようとする。
「どうした、夢乃?」
「……」
「夢乃?」
歩みが遅くなったことで杏寿郎は心配になり、夢乃の顔を覗き込んだ。
「顔色が優れないぞ?」
「……血鬼術を使うとこんなものだ。別にどうということはない」
「俺の目を見て言え」
「!?」
言われて思わず杏寿郎の目を見る。
淀みのない焔の瞳は真っ直ぐ夢乃を見ていた。
見透かされているようで、夢乃は焦りを感じて目を背ける。
「何故俺の目を見ない?」
「……怖い」
「何故怖い?」
考える。
夢乃はこの場をどう誤魔化すか考えた。
考えて、そしてもう一度だけその目を見た。
真っ直ぐ、愚直なまでに真っ直ぐと
ただ……
「ギョロギョロして……怖い」
「あぁ……すまない……」
そして二人は歩き出す。歩きながら、先に堰を切ったのは杏寿郎だった。
「ふははははははは。ギョロ目だというのは、幼いころからよく人に言われたな。だがこれは遺伝だ。俺のせいじゃないぞ。はははは」
「あぁ、そういえば……煉獄は確かにギョロ目だったな。炎柱様もそうだった」
「父上が? 知っているのか、夢乃」
「……お前の父なぞ知らん。私が言っているのは──」
百余年前の話。
「そうか! 君が鬼殺隊だった頃の炎柱のことだな。なるほど!! うっ」
「傷が塞がったからと言ってそんなに大きな声を出せば、血の気のない頭に響くぞ」
「そうだな。ぐるぐる目が回るようだ。いや、ギョロギョロか?」
「ギョロッ──ぷふっ」
杏寿郎の眼がぐるぐる回る様も想像し、思わず夢乃は噴き出した。
一度笑いだすと止まらず、堪えていたもののことすらすっかり忘れてしまっていた。
「はははははは。止めろ、その、その目でこっちを見るな」
「いや見る。見るぞ俺は! 夢乃がそうやって笑ってくれるのであれば、いつまでも見続けよう!」
「は──……お前……馬鹿だろう」
「お前ではない。杏寿郎と呼ぶがいい。ん?」
杏寿郎がこてんと首を傾げ、夢乃を見つめる。
その目に見つめられると、夢乃の心を覆った氷が解け始める。
同時にほのかに香る血の臭いに喉の渇きを感じた。
刹那、夢乃は杏寿郎の体を突き飛ばす。
ふいのことだったのもあって、杏寿郎はふらつく足で踏ん張ることも出来ずすとんと地面に尻を着いた。
「夢──」
「隠が来た。あとはそちらに頼れっ」
それだけ言うと、夢乃は駆けだす。一刻も早く彼の下から、血の臭いから遠ざかるために。
呆然と夢乃が立ち去った方角を見つめる杏寿郎を隠の者が見つけたのは、一刻を過ぎてからだった。