「という訳で俺が来た」
「はぁ……」
用意した雑炊と魚をひとりで全て平らげた杏寿郎は、ようやく腹も満たされ、自分がこの山に登った理由を話した。
もちろん、夢乃はそんなこと尋ねてもいない。
「ところで夢乃が倒した鬼は、山間の村を襲った鬼か?」
「……村なら方角が全く逆だぞ」
「よもや!? 逆であったか……むぅ」
「だいたい日が暮れて山に入るから遭難するのだ。日が暮れれば鴉の目も役にたたん」
そう言って夢乃は顎で囲炉裏の奥を差す。
籠には杏寿郎の綿入れ羽織りに包まれた、彼の鎹鴉が眠っていた。
「面倒をかけて申し訳ない」
「……お前が追っている鬼と、私が斬った鬼が同じ奴かは知らん。だがたぶん……違う奴だ」
「何故そう思う?」
夢乃は囲炉裏に薪をくべてから二つの湯飲みに茶を入れてから、そのうちの一つを杏寿郎に渡す。
「奴は村とは反対方向から現れた。鬼は基本群れることはない。例外はあったが」
「湯治場の鬼だな。うむ」
「自分の縄張りに他の鬼が入れば、警告をするか、立ち去らなければどちらが力が上かで決着をつける」
「実力行使か。それで夢乃は襲われたのだな。ははははは、馬鹿な鬼だ。鬼殺の鬼を襲おうとはな!」
ずずっと茶をすすり、杏寿郎は笑う。
そして首を傾げた。
「村を襲った鬼ではない……ということは、俺が追うべき鬼はまだ生きている?」
「そうだろうな」
「いかんっ。こうしてはいられない。直ぐにでも村に向かわねばっ」
そう言って杏寿郎は立ち上がる。
空腹も癒え、体も温まったことで体力は回復したようだ。
「馳走になった。ついでで申し訳ないが、村の方角はどっちだろうか?」
「どっちって、お前。今から行く気か? 月は出ていないし、人の目であれば真っ暗で歩けないだろう」
「行かねばならない。小芭内が待っているやもしれぬからな」
小芭内とは鬼殺隊隊士のことだろうかと夢乃は考え、ならば仲間の心配もやむなしと思うが。
それにしたってこの雪の中、月も出ていなければ鬼にとって好都合な条件が整っている。
そんな中にミスミス送り込むのは、元鬼殺隊としては忍びない。
「その小芭内という者も、どこかで暖を取っているだろう。夜明けをま──」
「それでは遅い! 万が一彼の身に何かあれば、それは全てこの俺の責任だ!!」
「ぐ……」
耳はキーンとするほどの大音量で杏寿郎が叫ぶので、思わず夢乃は耳を抑えた。
声が大きいのは癖なのだろうが、ハッキリと意思を伝える杏寿郎らしい癖とも言える。
真っ直ぐな煉獄の瞳が、強い意志を宿して夢乃を見つめる。
夢乃はその瞳が、どうにも苦手でならない。
今はいい。
今は彼女の内を見透かそうとしている瞳ではない。
ただただひたすら仲間の身を案じているだけだから。
「方角を教えた所で、お前の目ではたどり着くのも一苦労だぞ。途中には谷にかかるつり橋もあるし」
「むぅ……。ん? 俺の目ではということは」
立ち上がっていた杏寿郎は、腰を下ろして夢乃を覗き込む。
蒼紺色の瞳は、薄暗ければそれとは気づかないが、黒目がまるで猫のように縦長の形をしている。
これが鬼の目の特徴だ。
元の色が蒼紺というのもあって目立ちはしないが。
「鬼の目は夜目が利く」
「おぉ! それは羨ましい!!」
そう言うと杏寿郎は刀を床に置き、そして彼女に向かって深々と頭を下げた。
「え?」
「頼む! この通りだ。俺を山間の村まで案内してはくれないだろうか?」
「い、や。だからって、何故頭を下げる」
杏寿郎は土下座をし、床につくほど頭を下げていた。
女とはいえ、武士の子として生まれた夢乃にとって信じられない光景が目の前にある。
土下座自体、必要とあればする。
自らが過ちを犯し、それを誠意をもって謝罪するなら自分もそうするだろう。
だが目の前の男は何をした?
何もしていない。
ただただ仲間のために、無茶をしようとしているだけだ。
煉獄家とて元々は武士の家柄のはず。
それを──
杏寿郎は他人のために簡単に頭を下げる男なのだ。
(ここまで真っ直ぐな男なのか……今どき……いや、江戸後期の武士ですらここまでの男はそうそういなかった)
夢乃は頭を抱える。
これ以上人と関わりたくない。
だが男が頭を下げているというのに、それを無下にしてよいのかと。
人であった時は短くても、彼女も武士の子。
心の中の葛藤は、いつまでも頭を上げろうとしない杏寿郎の姿によって決着がつく。
「はぁ……手は貸さん。案内するだけだからな」
「それで十分!」
パァっと笑みを浮かべて杏寿郎の顔が上がる。
まだ幼さの残る少年のような笑みだと、夢乃は思った。
「よし、ではさっそく」
「待て。そのままではまた途中でバテてしまうぞ」
夢乃はそう言うと、囲炉裏の脇に置いた石を手拭いで包む。
それを杏寿郎に向かって差し出した。
「懐に入れておけ。熱すぎたら軽く雪に触れさせればいい」
「なるほど! これは暖かいな」
夢乃は同じものをもう一つ用意し、そちらは自身の胸元に突っ込む。
「鴉は置いて行け。連れて行ってもどうせ見えないのだから」
「そうだな……この寒さではあまり動けぬだろうし」
眠っている鴉を起こさないよう、杏寿郎はそっと抱き上げ綿入れ羽織を取り出した。そこに夢乃が別の敷物を置いてやる。
「すまん」
「いや……行くぞ」
囲炉裏と蝋燭の火を消し、二人は星の見えぬ夜の闇へと出ていく。
「しっかり着いて来い。言っておくが、手は繋いでやらないからな」
「ぬ? それは残念だ」
「はぁ?」
「はっはっはっは。冗談だ。しっかり着いて行くから、心配するな」
ずんずんと先を進む杏寿郎の背を、慌てて夢乃が追う。
追いついて、そして半歩先を行く。
一時間半ほど歩くと沢のせせらぎが聞こえて来た。
「少し待て。私が先に行ってつり橋の上の雪をどかしてくるから」
「いや、それならば俺の炎の呼吸で──」
そう言って刀を抜く杏寿郎に、彼女は冷たい視線を投げかける。
「お前、橋を燃やす気か?」
「……そ、そうであった。よもや、俺は遠回りを迫られるところだったな」
「はぁ……まぁいい。呼吸か。確かにその方が早そうだ」
「ぬ?」
代わりに夢乃が刀を抜く。
そして腰を低くして突きの姿勢になると、
「水の呼吸、漆ノ型──雫波紋突き」
一気に橋の上を駆け抜け、上に積もった雪を舞わせた。
「水の呼吸? 氷の呼吸の使い手ではなかったのか」
「氷は水と風、両方を合わせた派生の呼吸だ。いいからさっさと来い」
「うむ! なるほど。どうりで使い手が滅多に現れない訳だ」
きしむ橋の上を杏寿郎が渡り終えると、その時には再び夢乃が歩き出す。
「二つ、いや三つの呼吸を使えるという訳だな、夢乃は」
「風は壱ノ型しか使えない」
「それでも大したものだ! 俺は炎の呼吸しか使えぬからな!」
「使えても、実践では使わない。威力があまりないからな」
「ふむ。いいことばかりではないのか」
ざっざっと雪を踏みしめ、夢乃は迷いなく歩いて行く。
時折周囲の景色を確認するように首を振るが、杏寿郎にはほんの二間(約3.5メートル)ほど先までしか見えなかった。
「こっちだ」
「うむ! 夢乃がいてくれて助かる」
「……」
「夢乃。鬼殺隊としての階級はなんだ? かなりの使い手のようだし、甲乙のどちらかだろう。俺は戊だ! 階級を示せっ」
杏寿郎の手の甲に浮かび上がった文字は戊ではなく、丙。
ここ数カ月の任務で階級が二段階上がっていた。
「おぉ! 戊とばかり思っていたが、いつの間にか丙に昇進していたようだ。はははははは」
「……」
夢乃は黙ったまま何の反応も示さなかった。それどころか歩く速度を増して、杏寿郎は遅れ始める。
追うのはたやすい。既に夢乃が道を作っているので、杏寿郎としては歩きやすかった。
そのことに少し罪悪感を抱きながらも後を追う。
「夢乃! どうした、急に黙り込んで」
「……」
「夢乃?」
「……やすく呼ぶなと……気安く名前を呼ぶなと、前に言ったはずだ」
名前を呼ばれるたび、胸が痛む。
人との繋がりを持てば、それに縋りたくなる。
鬼であることを忘れ、人としての生を望むようになる。
それは決して叶わない夢。
そして叶わないからこそ、人との関りを持つべきではないと夢乃は考える。
人は死ぬ。いつか必ず死ぬ。
だが自分は日輪刀で頸を落されない限り死ねない。
心を許せば、その分別れが辛くなるだろう。
それは敬愛する産屋敷家の者の死を耳にするたびに実感してきたこと。
誰もが夢乃を置いて死ぬ。それが当たり前だからこそ、その死を認識しなくても済むよう、彼女は人とのかかわりを断った。
それなのに──
「何故、名で呼んではならないのだ? お前のその名は、親から授かった大切なものだろう」
「くっ」
「夢乃。何故避けようとする」
「うるさい」
「何故俺を見ない?」
「うるさい」
「俺はもっとお前のことを知りたい。鬼であろうと、お前は鬼殺の者だ」
「うるさい!!」
くるりと振り返った夢乃の瞳は、雪のように白く光っていた。
「夢乃……」
「呼ぶな。私の名を呼ぶな! 私はお前のことなど知りたくないっ。関わるなっ。これ以上──」
「夢乃」
真っ直ぐ自分を見つめる焔色の瞳は、そこに鬼化した自身の姿が映る。
「お願いだ……もう……関わらないで……」
鬼化した自分の顔を隠すように右手で顔の半分を覆うと、夢乃はくるりと背を向け前方を指差した。
「真っ直ぐ進め。三十分も歩けば村に到着する」
「夢──」
「ここまでだ。もう、お前とは関わりたくない」
「……すまない。俺の独りよがりだった。お前にそこまで嫌われていようとは……は、はは。穴があったら入りたい」
胸をぐっと抑え、杏寿郎は指示された方角へと歩いて行く。
すれ違いざま、ちらりと見た夢乃の瞳に光るものを見た。
だがら本心ではないのではと思った。
「ゆめ──」
「行け!」
俯きそう声を上げた夢乃は、くるりと踵を返して元来た道を駆けだす。
追いかけようとしたが、自らに課せられた使命を思い出す。
(そうだ。俺は伊黒と──小芭内と合流せねば)
気持ちを切り替えろ。
そう言い聞かせ、それでも頬を伝う冷たい何かを感じた。