「そう……胡蝶カナエが、上弦の鬼と……」
駒澤村へと戻って来た杏寿郎は、その日の夜、花柱・胡蝶カナエが殉職したことを伝えた。
胡蝶カナエと出会ったのは、ほんの半月ほど前のはず。
あの時もっと強く、鬼殺隊を辞めることを勧めていればよかっただろうか。
それとも脅して、打ち負かして、柱などにいられないほどの屈辱を味合わせればよかっただろうかと考える。
それとも──
夜空を見上げ、そこに浮かぶ輝く星に向かって手を伸ばす。
「あの時……彼女の手を取っていれば、また違った結果になったのだろうか」
空を掴み、その拳を胸に引き寄せる。
夢乃の胸に、悔やみきれない後悔の念が渦巻いた。
「違ったかもしれないし、違わなかったかもしれない。ただひとつだけはっきりと言えることがある」
杏寿郎は焔色の瞳でまっすぐ夢乃を見つめ、偽りのない言葉を投げかけた。
「胡蝶殿は柱だ。柱不在であったなら、被害はもっと甚大なものになっていただろう」
「それでも……もし私がその場にいたなら……彼女を救えたかもしれない」
杏寿郎は目を伏せ、いつぞやの夢乃の言葉を思い出す。
──私はお前のことなど知りたくないっ。関わるなっ。これ以上……お願いだ……もう……関わらないで……。
懇願した彼女の言葉の意味を、杏寿郎は分かった気がする。
(そうか。君もまた、優しすぎたのだな。関わったものの死が堪えられず、だから誰とも関わろうとしなかったのか)
「君は……もしも。もしもだ」
杏寿郎はそう切り出して縁側に腰を下ろす。
それから夜空を見上げ、どこか遠くを見つめてこう言った。
「もしも俺が、鬼に殺されたとしよう。その時君は──ぐっ」
杏寿郎は言葉を最後まで言うことができなかった。
夢乃の手が杏寿郎の口を塞ぎ、締め上げる。
「もしも? もしもだと? 貴様は私との約束を違えるのか? 鬼舞辻無惨を私に代わって倒すと言う約束を! 約束を違えてのうのうと死ぬことなど、許されると思うな!!」
見開かれた瞳には怒りと、そして悲しみが色濃く滲み出る。
滲み出た悲しみが、雫となって杏寿郎の額に零れ落ちた。
それを杏寿郎は指で拭い、それからもう片方の手で自分の口を塞ぐ夢乃の腕を掴んだ。
そっと、彼女の腕が剥がされる。
「すまん」
真っ直ぐその目を見つめ、杏寿郎は謝罪の言葉を口にする。
「すまん、夢乃。泣かせるつもりはなかった」
「!?」
自分が涙を流していることにも気づかなかった夢乃は、言われて慌てて着物の裾で顔を隠した。
杏寿郎も掴んでいた彼女の腕を解放し、それから口元をさすった。
その仕草を見たのか、夢乃がぼそりと「痛むか?」と尋ねてくる。
「はははは。心配無用! 君の細腕で顎の骨をどうこうするほど、この煉獄杏寿郎、軟ではない!!」
「……すまない。怒鳴ったりして」
「うむ! むしろ俺は嬉しかったぞ!!」
「は?」
いつものように、どこを見ているのかも分からない目力いっぱいに開いた眼で杏寿郎は言う。
「君がもしもの話であそこまで怒ってくれるのは、それだけ俺のことを想ってくれているからだろう!!」
「……はぁぁ?」
やや間があって、夢乃は呆れたように声を出す。
「君のその反応は、正直少し傷つく」
「勝手に傷ついていろっ」
「やっ、しかしだ。しかし君はさっきあんなにも怒って、それに泣いていたではないか?」
「ぐっ……な、泣いてない!」
「いや泣いていた。俺はしかとこの目でみたぞ! このギョロギョロ目玉でな!!」
そう言って杏寿郎は、指先で目を開かせじっと夢乃を見つめる。
「ぷふっ。やめろ、それはやめろっ」
夢乃から笑みが零れる。それを見て満足そうに杏寿郎は言う。
「うむ! やはり君の笑顔はとても愛らしい」
──と。
言われた本人は一瞬にして顔を赤らめ、それから言った本人の顔も赤く染まった。
「う、うむ! もしもの話は終いにしよう。そうだ! 鍛錬だ!! 常中の羅刹のこつを、なんとなく掴んだ気がしてな!!」
「え、掴んだのか?」
「うむ。心を燃やす。心といっても、心の臓のことで──そこに炎を宿す感じなのだろう? 炎を……この熱き煉獄の正義の炎を、燃え上がらせる!! で、いいのだろう?」
「……いや、たぶん全然違う」
「よもや!?」
しゅんっと落ち込む杏寿郎に対し、夢乃はため息を吐きながらぽんっと肩を叩く。
「とにかく常中の精度を上げて、あとは心の臓に気を集中させろ」
「むぅ……」
「それとも今夜は打ち込みの訓練でもするか?」
「よし、そうしよう!」
パっと表情を変え、杏寿郎が鞘から刀を抜く。
使うのは鞘のみ。
夢乃も同じように刀を抜き、鞘のみを手にする。
「明日は道場から竹刀を持ってこよう」
「開いているのか?」
「いや、うちに道場があるだけで、門下生がいるとかそういうのではない」
道場という言葉を聞くだけで、夢乃は懐かしさを覚える。
それを知ってか知らずか、杏寿郎が「見に来るか!」と尋ねて来た。
「断る」
「何故だ!」
「お前、自分の父親が柱だということ、忘れたのか?」
「父上は確かに柱だが、最近は任務にも行かれていない。ずっと家で酒を浴びているだけだ」
鞘で打ち合いながら、二人の会話は続く。もちろん二人ともに全集中の常中を使った状態だ。
「酒浸りか……だが柱であれば、こちらの気配にも気づくだろう」
「そうかもしれないな!」
「日輪刀を持っているだろう?」
「うむ! 父上は日輪刀を持っているな!」
そこまで言っても、杏寿郎にはまだ理解できていなかった。
それが歯痒く、笑っているような口元が余計に夢乃を苛立たせる。
「それがどうした!」
「お前は私に、頸を斬られに来いと言いたいのか!!」
と、思わず夢乃は鞘を投げつけ、杏寿郎はそれを顔面で受けた。
すこーんっと小気味良い音がして、杏寿郎の額からつつぅーっと血が滴り落ちる。
「痛いぞ夢乃」
「知らん!」
「血鬼術」
「知らん!」
ぷいっとそっぽを向いてしまうと、夢乃は鞘を拾ってそこに刀を納める。
したたり落ちる血を杏寿郎は手拭いで乱暴に拭き取り、それから呼吸を整えた。
止血するためにだ。
「ふぅーっ……」
「血鬼術──治癒再生」
呼吸を整えて止血しようとしたところへ、夢乃が自身の刀で傷をつけた手を差し出す。
流れ出る血が霧となって杏寿郎の額にまとわりつくと、一瞬にして血が止まり、痛みもなくなった。
「やってくれるのであれば、もう少し早く……」
「次はやらない」
「君は……意地悪なのか、それとも優しいのか、どっちなのだ?」
「ふんっ」
つんっとそっぽを向く彼女を見て、杏寿郎の顔が緩む。
(本当に君は……愛い人だ)
「夢乃、続きを所望する!」
「……そろそろ一本取れるようになれ、煉獄」
「杏寿郎と呼んでくれ!」
「断る!」
「なにゆえ!?」
打ち合いながらも、その顔は自然とほころぶ。
だがふと、夢乃の視線が杏寿郎の左半身に注がれる。
何合目かの打ち合うのあと、夢乃は手にした鞘を降ろす。
「煉獄。お前は癖があるな」
「む?」
それから左腕を指差し、「左が弱い」と短く伝える。
「利き手一本で振る時はいい。だが左手を添えて刀を握ると、右腕の握力が強すぎて左に振り負けている」
「……否定は出来ないな。確かに左に振りきる時、少し浅くなりがちだ」
「腕力のある奴ほどありがちな癖だが……煉獄、これから私との鍛錬の時には、左で刀を握れ」
「左……分かった。では左で行こう!」
が、利き手ではない方の手での打ち合いは思うように行かず、この日、杏寿郎は十打ち合って十打ち負かされることになった。