「すまぬ、千寿郎」
「いえ、いいんです兄上。それよりも、どうかお気をつけて」
桜の花が満開になろうかというその日、杏寿郎の下に鎹鴉がやって来た。
目的はもちろん、鬼の討伐指示だ。
「なるべく早く終わらせて戻って来る。そうしたら花見へ行こう」
「はいっ。この二、三日は天気も穏やかなんじゃないかって話ですし、きっと散らずに残っていると思いますっ」
「うむ。今度の任務には小芭内も来るそうだ。きっと三日のうちには終わらせて帰って来れよう」
「では、小芭内さんにもよろしくお伝えください、兄上」
「伝えよう。では、行ってくる」
千寿郎は兄の無事を祈って石を打ち鳴らす。
その切り火に見送られ、杏寿郎は東に向かって歩みを進めた。
途中、鎹鴉を呼び寄せ、その足に文を巻きつける。
「夢乃に届けてくれ」
「カァーッ。鬼ィー。鬼ィー。米クレルゥ」
「……しっかり餌付けされおって」
バサバサと舞い上がった鴉は、山林へと向かって飛び去る。
それを見届けて杏寿郎は足早に東へと向かった。
鎹鴉から文を受け取った夢乃は、その内容を見てふぅっと息を吐く。
「柱か……さすがに遠巻きに様子を見て、怪我人の治療を──ともいかないな」
杏寿郎から送られてきた文には、今回の任務に柱が参加している──という内容のものだった。
一般隊士相手なら、先日のように杏寿郎が眠らせて──ということもできようが、相手が柱では杏寿郎の手刀も躱されてしまうだろう。そうなった場合、いろいろと面倒が発生する。
何より、柱がいるのなら杏寿郎の身を案じる必要もない──と、ここまで考えてから夢乃ははたと気づく。
「私は……あいつの身を案じて……いや、奴に死なれては、これまで教えたことも無駄になる。奴には是が非でも無惨を倒して貰わねば。そうだ。それだけのこと……それだけ……」
はぁっとため息を吐き捨て、鎹鴉に視線を向ける。
何やら待っているようで、夢乃はこれまたため息を吐いてから座敷牢を出る。
夜の間にこのあばら屋もあちこち窓を塞いで、日中でも歩き回れるようにしてある。
土間へと向かうと、そこに置いてあった俵から米粒を出して鎹鴉へと与えた。
「煉獄には分かったと伝えてくれ」
「ムグムグ。カァーッ」
食べるだけ食べると、鎹鴉は飛んで行った。
「久しいな、小芭内!」
「相変わらずデカい声だな、杏寿郎」
駒澤村から北東、千駄ケ谷の山村へとやってきた杏寿郎は、見知った顔の伊黒小芭内と共にいた。
他に八名の隊士と、そして柱がひとり。
柱の名は、悲鳴嶼行冥。岩柱である。
「あの方が柱か?」
ひと際体格のいい青年を、杏寿郎は尊敬の眼差しで見つめた。
からし色の羽織に、頸には大きな朱色の数珠を掛けている。手に持つ数珠も同じ朱色の、一回り小さくしたものを持っていた。
「あの方は刀ではなく、鎖鎌ならぬ鎖斧を使うのか」
「らしいな。俺もよくは知らない」
「あぁ? なんだお前たち、悲鳴嶼さんとの任務は初めてか?」
突如、杏寿郎と伊黒の間に、見知らぬ隊士が割り込んでくる。
が、割り込んですぐ、男はしまったという顔をした。
「れ、煉獄か……」
「うむ! 俺は煉獄杏寿郎だが、君とは初対面だと思う!!」
「初対面だよ……なんで炎柱の息子がこんなところに……任務なら、炎柱にくっついてりゃいいだろう」
「いや、父上は今は──」
「任務には関係ないことだろう」
青年隊士の言葉に、素直に答えようとする杏寿郎の言葉を遮り、伊黒が威嚇するように二人の間に割り込む。
左右で色が異なる眼差しは、相手を威圧するには十分な効果があった。
「待った、待った。隊士同士で睨みあうなって。二人は悲鳴嶼さんとの任務が初めてなんだろう?」
もうひとり隊士が割って入り、一触即発状態だった伊黒ともうひとりの隊士を引き剥がす。
気づいていないのは杏寿郎だけで、首をかしげて見ていた。
「悲鳴嶼さんはあの武器だ。だからあの人が鬼と戦闘になったら離れるんだ」
「俺たちが足手まといになると?」
杏寿郎の問いに、あとからやって来た隊士は首を振る。
「そうじゃないんだ。いや、足手まといになるかもしれないが、それよりもあの人が思いっきり戦えるようにするために、俺たちは一定の距離より近づかない方がいい」
「悲鳴嶼さんの攻撃範囲は広い。その範囲内に他の隊士がいては、悲鳴嶼さんは己の武器を自在に振るえないだろう」
「なるほど! 分かった!! あの方が十分に力を発揮できるよう、距離を取っていればよいのだな!!」
ドンっと胸を張る杏寿郎に対し、最初に吹っ掛けて来た青年隊士は「どこ見てんだ」と突っ込む。
そうして陽が暮れ、鬼が活動する時刻に。
だが鬼は出ず、その日は何事もなく終わってしまう。
日中は鬼も行動をしないため交替で休息をとり、再び夜を待つ。
「むぅー……早く帰って千寿郎と花見をしたいと言うのに」
「鬼が出ないのだから仕方ないが……。そうか、桜の季節か」
「いやいや小芭内。桜の季節かって、そこかしこに桜が咲いているではないか。気づかない訳ないだろう?」
「気づかなかった」
「よもや!?」
杏寿郎は驚愕し、伊黒の顔を覗き込む。
世間のことに興味を持とうとしない友が、若干心配になる。
「なんだ?」
「うむ。ではこの任務が終わったら、小芭内、君も一緒にどうだ?」
「……まぁ……付き合ってもいいが」
「よし! なら約束だぞ」
伊黒と花見の約束を取り付けたものの、その夜も鬼は出ず──
三日目も終わり、日付が変わって暫くしてようやく鬼は現れた。
鬼は死体を操り、その死体に噛まれて死んだ者が新たに鬼の傀儡となる。
その血鬼術によって、村の半数が既に犠牲となっていた。
「では俺たちはあの村人を、安らかな眠りにつかせてやればよいのだな!」
「だが杏寿郎、死んだ奴らをどうやって倒すというんだ?」
「分からない! だが血鬼術で動かされているのなら、鬼を倒せば術も解けるだろう! 俺たちは彼らが悲鳴嶼殿に近づかぬようにすればいい。行くぞ、小芭内!」
杏寿郎は駆け、伊黒がそれに続く。
刃を反転させ、峰の部分で死人に叩きつける。
「足を斬り落とせば動けなくなるだろう。その方が早い」
伊黒の言葉に杏寿郎は頷く。だが、
「彼らになんの罪もない。既に生きていない者に、追い打ちをかけるような真似はしたくない」
「はっ。お優しいことだな、煉獄家のおぼっちゃまはっ」
「ぬ?」
初対面で杏寿郎に食って掛かった青年隊士だ。
彼は躊躇なく刀を振るい、死人と化した村人の足を切り捨てる。
それに対し杏寿郎は渋い顔をするが、咎めるつもりもないらしい。
代わりに彼は、他の隊士に村人が切り刻まれる前に動きを止めようと疾駆する。
「肉を断たずとも、腱を斬れば!」
杏寿郎は地を這うように刀を振り、死人の足の腱を切断する。
すると予想通り、死人は体勢を崩して歩くことが出来なくなった。
立ち上がろうとするが、腱を斬られた方の足ではそれも叶わず崩れ落ちる。
「これでよし! 足を斬り落とさずとも、彼らの動きは封じれる!!」
「なるほど。なら俺もそうしよう」
そう言って伊黒が同じように死人の足の腱を断ち切る。
「しかし腱を的確に斬るのも技量がいるな。まぁ実力のない者には無理だということだな。実力のない奴は大雑把に足をぶった斬って動きを止めればいい」
そう言って伊黒はちらりと件の隊士を見る。
隊士は顔を真っ赤にして、それから刀を上段に構える。
「おい、それでは──」
杏寿郎がそう叫んだが、その前に隊士は刀を振った。
その軌道上に死人の頸がある。
「俺たちは鬼殺隊だ! 鬼を狩ることが使命であり、生きている者の命を守ることが最優先だ!! 死人に構ってなど──」
そこまで行って、青年隊士はぎょっとなる。
今しがた首を斬り落とした死人が──彼を襲った。
「ぐあぁっ」
死人の爪が隊士のを手を掴み、その腕に爪を立てる。
そこへ杏寿郎が駆け付け刀を一閃。
両足の腱を斬られ、首なし死体が崩れ落ちる。
と同時に伊黒が怪我を負った隊士の襟を掴んで後ろに放り投げた。
「ふぅーっ、ふぅーっ……君……」
杏寿郎は怒りに震えたような鋭い視線で隊士を見ると、それから日輪刀を彼の腕に出来た傷口に突き立てた。
「痛っ──」
「我慢しろ! 死人に噛まれて死ぬのは、恐らく毒によるものだ! 爪にそれがあるかは分からないが、万が一のことを考えて血を出すべきだ!」
「ど、毒……」
杏寿郎は片手で傷のある手を掴み、もう片手では彼の脇の下に滑り込ませて止血の準備をする。
ある程度の血が流れ出ると、止血をはじめ、伊黒が包帯を巻いて行く。
手当を伊黒に任せると、杏寿郎はすぐに戦場へと戻ろうとする。
「お、俺もまだやれる! この程度の傷──」
「小芭内! 彼についてやってくれ。元はと言えば、君が焚きつけたのだろう」
「……はぁ。分かった」
「お、俺はまだやれる!」
そう反論する隊士に、杏寿郎は鋭い眼差しを向けた。
「それはダメだ。もし死人になる条件が毒ではなかった場合、もし毒だったとして、まだ抜け切れていなかった場合……君はどうなると思う?」
「うっ」
「君は言っただろう。生きている者の命を守ることが最優先だと。同感だ!! だから俺は君を守りたいし、他の隊士も守りたい!! 血鬼術であれば鬼を倒せば術は解けるはず。今は悲鳴嶼殿の邪魔をしようとする死人を、彼に近づけさせないことを最優先とする」
それと同時に、もし間に合わずに隊士が死んだ場合のことを考えて、前線には連れていけないと話す。
乱戦中に死人にでもなられたら、他に犠牲を増やすかもしれないからと。
自身が死人になるかもしれない。そう思った時、隊士の顔から血の気が引いた。
その彼の肩に、杏寿郎がぽんっと手を置く。
「大丈夫だ! 君を死なせないために、この任務を早く終わらせよう!! 君は全集中の呼吸で、少しでも毒の巡りを遅らせるのだ! 毒があるか分からないがな!!」
快活な笑顔を浮かべ、杏寿郎は
その笑顔は不思議と安心感を抱かせる。
離れた場所で鬼と対峙する悲鳴嶼に、ただのひとりの死人も近づけまいと、杏寿郎は奮闘。
やがて岩柱、悲鳴嶼の鎖斧が鬼の頸を撥ねると、生者に群がっていた死人はその場に崩れて動かなくなった。
その様子を見ていた杏寿郎は、全ての死人が動かなくなったのを確認してから負傷した隊士の下に駆け出す。
隊士は木の根元に座り込み、その脇には万が一にと抜刀した状態で伊黒が立つ。
杏寿郎の姿を確認すると、伊黒は頷き、そして隊士は軽く手を上げた。
「うむ! 死人にはなっていないようだな!!」
「……おかげで……助かった」
「気分はどうだ? どこもおかしなところはないか?」
「傷が痛むぐらいで、他はなにもない」
「そうか! 思い切って傷口を広げたからな、痛むのは仕方ない!」
そんな話をしていると、杏寿郎は背中が温かくなるのを感じた。
振り返ると、背後の山に朝陽が昇り始めていた。
「朝だ! 今日という一日が始まるぞ!!」
快活に笑うその姿を、負傷の隊士は「まるで太陽のような男だ」と思った。
杏寿郎の太陽のような笑顔につられ、隊士の顔にも笑みが零れる。
そんな彼らの会話を耳にし、悲鳴嶼行冥は涙する。
(あぁ、若者たちの友情はなんと美しいことか。煉獄杏寿郎……炎柱の槇寿郎殿のご子息だったはず……そうか。彼が次の……)
そう遠くはない未来を予測して、悲鳴嶼は再びだばだばと涙を零した。
この男、とにかく涙もろい柱である。
何故か最後がコメディになってしまった・・・