「水の呼吸、漆ノ型──雫波紋突き」
静かな声が夜の闇に響く。それと同時に鬼の頸が舞った。
「来たか冨岡!」
「神社の階段を上るよりも前に女の鬼が襲って来た」
「女の?」
それはもしかして夢乃の事だろうかと、杏寿郎は一瞬不安になる。
「み、神輿行列の参加者は?」
「他の隊士に護衛をさせ、町に引き返させた」
「鬼は?」
「……逃げられた。それを追ってこっちに来たのだが……随分と想定外な状況になっているようだな」
「うむ。よもやこれほどの鬼がいようとは、思ってもみなかったな!」
逃げられたと、唇を噛んで言う冨岡に対し、杏寿郎はほっと胸を撫でおろす。
「ひ、ひぃぃっ。化け物だ。なんで、なんでこんな化け物がっ」
「助けてくれっ。助けてくれえぇっ」
ようやく事態を理解した町人四人が悲鳴を上げ助けを乞う。
彼らの下にも鬼が一匹迫ろうし、それを宇城枝と米田の二人が辛うじてしのいでいた。
二人には浅い傷がいくつもあり、既に鬼を一体、協力して屠っている。
対峙する一体を、どうにかこうにかして首を刎ねるが、背後から鬼が強襲。
「炎の呼吸、壱ノ型──不知火!」
二人の耳に声が聞こえるのとほぼ同時に鬼の頸が飛んだ。
「よく頑張った! 君たちのおかげで、町の人たちは無傷だ!! もうひと踏ん張りだ、共に頑張ろう!!」
そう言って二人を鼓舞し、彼らの前に立つ。
冨岡もすぐに駆け付け一体葬ると、杏寿郎に視線を送って互いに頷き合う。
新米隊士二人の体力は既に限界が近い。その後ろには町の者もいる。
その六人を挟むようにして立ち、二人だけで残りの鬼を退治することに。
「鬼は残り十二。君と俺とで六ずつ! 行けるか、冨岡」
「問題ない」
「よし!」
杏寿郎が刀を構え、真っ直ぐ前を見据えて──不敵に笑う。
それに腹を立てた鬼が奇声を発して襲ってくるが、これをあっさり返り討ちに。
更に踏み込んで突撃の構えをすれば、そうはさせまいと鬼が二体襲って来た。
「炎の呼吸、肆ノ型──盛炎のうねり!」
攻防一体の技で鬼を跳ねのけ、確実に頸を落す。
「残り三!」
「残り二だ」
「よもや!? むぅ、後れを取ったか。はぁっ!」
もう一つ、鬼の頸が舞う。
「ひっ。こいつら……強ぇーっ」
「くそっ。牙羅罵様だ。あの人に助けを──」
悲鳴のように叫ぶ鬼の頸は、冨岡の蒼い刃によって両断された。
それを見て残った三体の鬼が脱兎のごとく駆け出す。
「逃げるかっ」
「待て煉獄っ。(まだ他に鬼がいるかもしれないから)鬼は俺が追う」
「しかしっ」
「(お前より)俺の方がまだ体力も余っているし、何よりあの女の鬼が気になる。あの女……ただの鬼ではない気がする」
それだけ言うと冨岡は逃げた鬼を追って神社の奥、木々が生い茂る山へと駆けだした。
鬼は残り三体。だが最後に冨岡が斬った鬼の言葉にあった
しかもその鬼に助けを求めようとしたあたり、先ほどまでの鬼たちとは別格の強さを有しているはず。
だが、冨岡の言ったことにも一理ある。
(他にまだ鬼が残っていれば、俺がここを離れることで──)
新米隊士は既に立っていられないほど体力を奪われている。精神的にも限界だ。
重症ではないにしても、細かい傷が無数にある。
「くっ」
「私が行く。お前は二人の手当てをしていろ。もうすぐ神輿を引き変えさせていた隊士も到着するだろう」
「夢乃!?」
声が聞こえ、それからぽんっと杏寿郎の頭に何かが乗せられる。
それを手にした時には、夢乃の姿は既に山へと消えていた。
頭に乗せられたのは巾着袋で、中には応急処置用の医療品が詰め込まれていた。
「頼んだぞ、夢乃」
胸騒ぎがする──そう思って、杏寿郎は唇を噛んだ。
「水の呼吸、壱ノ型──水面斬り」
「ひぎゃあぁぁぁっ。が、牙羅罵……さ、ま」
追った鬼の最後の一体を倒した冨岡は、それでも警戒を解くことなく身構えたまま集中する。
牙羅罵と呼ばれた鬼が、すぐ近くまで来ていることを肌で感じた。
ピリピリと刺さるような気配に、冨岡が喉を鳴らす。
「はぁん。一般隊士か? ちっ、しけてんなぁ。柱を連れて来いよ、柱ぁ」
音もなく現れた鬼は若く、神主が着る装束を身にまとっていた。
「お前があの神社の神職の者か」
「あぁ? 俺が神職かって? んな訳あるか。神主は喰っちまったからな、誰も変わりがいないんじゃかわいそうだからよぉ。ケヘヘヘ」
つまり神主は既に鬼に喰われたあとだった。
「んで、お前は一般隊士だろ? 知ってるぜ、俺。十二鬼月を倒せば、確か柱になれるんだっけ?」
「……」
鬼が目を見開くと、そこに『下禄』という文字が見えた。
十二鬼月、下弦の禄。それがこの鬼の正体だ。
「じゃあさ、お前が俺を倒せば、めでたく柱になれるってことだ」
「俺は……柱に相応しい人間ではない」
(煉獄のような男こそ、柱に相応しい……俺は……ただ生かされているだけで、強くなどない)
仲間を気遣い、励まし、勇気づける。そんな煉獄杏寿郎こそ柱に相応しいと思った。
自分にはないものを持つ男こそ。
だが今目の前にいる鬼を、だからといって彼のところまで連れて行き、さぁ首を刎ねろという訳にもいかない。
「俺は柱に相応しくはない。だがお前はここで──斬るっ」
「はっはーっ。やれるもんならやってみろ! 血鬼術──鬼爆葬送!」
鬼が手を伸ばし、何かを掴むように拳を握った。
どんっと、冨岡の胸元が爆ぜる。
「がはっ──」
「ひぃーっひっひ。痛いだろう? 苦しいだろう? 俺の可愛い虫たちが発破となって、お前を襲うんだぜ」
「虫?」
冨岡は胸を押さえ痛みに耐え辺りを見渡す。
ぶぅーんっと翅虫が冨岡の周辺を飛び交う。見た目はただの虫だが、飛び肩が不自然だ。明らかに冨岡の周りをぐるぐると回っている。
幸いなのは隊服が凌いでいることだろう。多少のほころびはあるだろうが、破れてはいない。
(殺傷能力は低いのか。それとも──)
術の威力も自在なのか。
痛みに耐え、冨岡が刀を構え呼吸を整える──が、僅かに動いた途端、ぼんっ、ぼんと爆ぜる。
「くはっ」
「ぎゃははははははは。お前が動けば可愛い虫たちに飛び込むよう命令してあんだよ!」
虫は小さく、数も多い。
その動きを完全に把握するのは難しい。目の前の虫を避けようとすれば、別の虫が飛び込んでくる。
攻撃しようと動いても、結果は同じだ。
集中砲火を浴びれば、ただでは済まない。
(それならそれで……俺はいい。奴の頸さえ撥ねられればそれで)
死をいとわず、生きることになんの執着もない。
それが冨岡義勇という男だった。
自分が死んでも、代りになる者はいくらでもいる。むしろ自分こそが死ぬべきだったのだと、あの日、最終選抜が終わりを迎えた日からずっと思い続けていた。
ここで下弦の鬼を倒して死ぬのなら、少しは彼らのためになるだろう。
(それとも、この鬼は煉獄のために残しておくべきだったか?)
そして一歩、踏み込む。
ぼぼぼんっと何匹もの虫が冨岡に触れ、爆ぜる。
鬼殺隊隊服は特殊な繊維で作られており、弱い鬼の斬撃程度は防ぐことができる。
翅虫の爆発威力もそれに等しいのか、隊服を破るほどではない。
が、爆破の衝撃は確実に冨岡へとダメージを与えていた。
更に隊服で守られていない部分には傷をつくり、頬に血が滲む。
それでも冨岡は気にせず鬼へと跳躍し──
「水の呼吸、捌ノ型──滝壷」
「ハッ! 正面から突っ込むとはなぁっ。血鬼術──鬼爆大葬送!」
鬼の右手がぱっくりと開き、そこから
小さな翅虫の何十倍もの大きさの蝗。それが全て爆弾であるならば──
(奴の頸に届けばそれでいい。それで……)
光を失くしたその瞳を鬼に向け、冨岡は刃を振るう。
その刃が鬼へと肉薄する直前──
「氷の呼吸、祇の型──氷柱一閃!」
凛とした声を共に、冨岡と鬼との間に氷柱が出現した。