「入れ替わりの激しい下弦ですから、恐らく穴を埋めるために補充された鬼でしょう」
「まぁそうだとは思った。発破の威力が低かったし」
東京市内を夜な夜な歩き回り、十二日目にしてようやく猫の茶々丸を見つけることができた。
茶々丸の案内で珠世の今の住処へと案内され、採取した鬼の血を預けたのが小一時間前だ。
「愈史郎は?」
「今はお使いに出ています。まもなく戻る頃でしょう。ほら、噂をすれば」
どどどどどどっと、階段を駆け下りてくる音がした。
そして戸がバーンっと開かれ、愈史郎が物凄い形相をして登場した。
「誰だ! 俺がいない時を狙って珠世様に近づく不届き者は!!」
「私だ」
「なんだ夢乃か」
突然興味無さそうにテンションの下がる愈史郎。
「珠世様、荷物を置いてきますね。ついでにお茶にしましょう」
愈史郎の態度がころりと変わる。
笑みを浮かべ奥の部屋へと向かう愈史郎と、夢乃はくすりと笑って見送った。
「相変わらずだな、愈史郎は」
「ふふ。夢乃さんも休んでいかれては? 今夜はこれから雨になるようですし」
「雨なら今しがた、降り始めましたよ珠世様」
声が聞こえたのか、奥から愈史郎の声が聞こえる。
ややして彼がティーセットを手に戻って来た。
「今夜はどしゃぶりだぞ」
と、愈史郎は夢乃にも紅茶を差し出した。
「砂糖は三つだったよな」
「ん」
「お子様」
ぽつりと愈史郎は呟き、淹れたての紅茶に角砂糖を三つ入れた。
かき混ぜ、それから夢乃へと手渡す。
「君に言われたくはないなぁ」
「さ、珠世様」
「ありがとう、愈史郎」
微笑む珠世を見て、愈史郎は天にも昇る気持ちでいる。
そんな姿を見て、夢乃の顔もほころんだ。
(珠世さんが愈史郎と鬼に変えて十八年ぐらいだろうか……あの頃と何も変わらない姿にも、そろそろ慣れてきたのだろうな)
病で長い間伏せっていた愈史郎は、どの医者からも「長くはない」と言われていた。
それでも諦めきれなかった親が、どこからか連れてきたのが珠世である。
彼女を見た時、愈史郎は一目で心を奪われた。
病に蝕まわれ、苦しい思いをし続けるぐらいならさっさと死んでしまいたい──そんな風にも思っていた愈史郎が、生きたいと願ったのはこの時が初めて。
生きて珠世の傍にいたい。
悲しみに満ちた彼女に、笑顔を取り戻させたい。
そう願い、愈史郎は珠世に懇願した。
「俺を鬼にしてください。珠世様と同じ鬼に!」
珠世も最初こそ拒んでいたものの、いつしかそれを受け入れ愈史郎を鬼に変えた。
で、愈史郎は幸せになった。
病で苦しむこともなければ、珠世の傍にずっといられるのだから。
愈史郎が鬼になって数カ月後に夢乃と出会っている。
「うわっ。凄い降りようですね」
「そうですね。夢乃さん、こんな雨ですもの、泊まっていって」
地下室にいても聞こえるぐらい雨の音は大きく、珠世が心配そうに眉をしかめる。
普段であれば無言の「帰れ」コールを送る愈史郎も、流石にこの雨では追い出す気もないようだ。
「部屋、用意してきます」
そう言って愈史郎が立ち上がる。
その後姿を見送り、夢乃は紅茶をすすりながら思い出す。
──二週間以内に戻ってはこれないものだろうか?
そう言った杏寿郎の言葉を。
「珠世さん。やはり帰ります」
「けれど……いえ、貴女の帰りを待ってくださる方がいるのですね」
「ん……い、いや、別に珠世さんが思っているような相手では──」
「ふふ。私がどんな風に思っている、というのかしら?」
艶やかに笑みを浮かべ、悪戯っぽく尋ねる。
余計なことは言うまいと夢乃は決め、立ちあがって愈史郎の後を追う。
「愈史郎、愈史郎! 部屋の用意はいい。もう行くから」
「行く? おい、外はどしゃぶりだぞ。濡れるし、袴も汚れる」
「うん。でも明後日までに戻りたいんだ」
「……ちょっと待ってろ。前に買ったたっつけ袴があるんだが、着ていないんだ。お前にやるから、それに穿き変えろ」
愈史郎が奥からごそごそと袴を持って来て差し出す。
「それよりはまだ濡れる面積が少なくて済む」
「あ、ありがとう……いいのか?」
「いいから着替えてさっさと帰れ」
押し付けるように袴を渡すと、愈史郎は珠世のいる部屋へと行ってしまった。
「それでは気を付けて」
「明日もきっと雨だぞ。運が良ければ日中にも歩けるかもな」
「雨雲が分厚ければな。愈史郎、ありがとう。珠世さんも傘、ありがとうございます」
「いいのよ、気にしないで」
「そうだ! その傘は珠世様には似合わない!! だから心置きなく持って行って、それからぶっ壊してくれ」
愈史郎の様子から、どうやらこの朱色の傘は男の患者からの貢ぎ物かもしれない。
そんな風に考えながら、思わず笑みが零れる。
「じゃあ、次は……年末ぐらいかな?」
「えぇ、その時にはまだここにいると思うから」
頷き、夢乃は珠世から渡された傘を差して一歩外に出た。
降りしきる雨が傘に落ち、激しく音を立てる。
改めて振り返って頭を下げると、夢乃は帰路へと着いた。
さすがにこの豪雨だ。
普段であれば街灯が完備されているここ東京市内では、この時間帯であっても人通りは多い。
だが今、通りを歩く人の姿は僅かでしかなかった。
その雨の中を西に向かう。
(愈史郎に袴を貰って正解だな)
既にたっつけ袴もずぶ濡れ状態だが、普段着の袴に比べて膝下は細くなっている分、濡れる面積は少ない。
普段着の袴であれば、水を吸えば重くなって歩くのもおっくうになるほど。
それでも歩くたびに袴が肌に張り付き、不快なことに変わりはない。
時折雨宿りをしつつ西を目指し、ついには夜が明けた。
が、雨はいぜん止む気配はなく、分厚い雲に覆われた空はまるで夜のようだった。
(うん。これなら日差しを避けて隠れる必要もなさそうだ。雲の流れをよく見ながら歩いて行こう)
鬼になってから、日中に外を出歩くことなどほとんどなくなった。
今日のように分厚い雲に覆われた日であれば陽光も届かず、そんなときだけ外に出ることはあった。
太陽の日差しはなく、暗いことに変わりはない。
だけど日中だというだけで、夢乃の気分は晴れ渡っていた。
そのせいもあったのだろう。
昼前に駒澤村に入ったのだが、近づくまで気づけなかった。
前方からやって来る二人が、煉獄兄弟だったことを。
そして杏寿郎も気づかなかった。
普段と違うたっつけ袴姿に、そして傘を差していたので顔が見えなかったのだ。
真っ先に気づいたのは弟の千寿郎だった。
「ぁ」
呻くような小さな声を上げ、千寿郎は兄の着物の裾を掴んだ。
「どうした、千寿郎」
「いえ、あの……(どうしてこんな時間にあの人が……そうか、日差しが出ていないから出歩けるんだ)」
千寿郎は前から歩いて来る人物が、己を救ってくれた鬼の女だと気づいた。
兄はまだ気づいていない。
でもこのまま進めば確実に気づいて、そして──
(兄上があの方の頸を撥ねてしまう……それは……嫌だ)
「あ、兄上!」
千寿郎はわざと大きな声を出し、前からやって来る鬼の女に気づかせる。
そして千寿郎の願いは叶い、夢乃はその声で傘を上げ、二人の姿を確かめた。
(煉獄……と弟の千寿郎? しまった、これは……面倒ごとになりそうだ)
と思ったが、気づいているのは弟のほうだけだと理解して、慌てて踵を返す。
だが間の悪いことに、杏寿郎がこの時になって夢乃に気づいた。
「ゆめ──」
呼び止めようとしてハっとなる。
隣には千寿郎がいて、その千寿郎が必死な形相で自分の袖を掴んでいるのだ。
「せ、千寿郎」
「兄上! か、買い物忘れがありますっ。戻りましょうっ!!」
「か、買い忘れ?」
「そうです! 今日必要なんです!! 明日は兄上の誕生日ですから、兄上の好物をたくさん作りたいんです!!」
「そ、そうか。う、うむ、分かった。では引き返そう」
弟が必死に自分を彼女に近づけさせまいとしていることが、杏寿郎には分かった。
それは自分と夢乃とが知己であることを千寿郎は知らない。知らないからこそ、鬼殺隊である兄と、鬼である夢乃とを合わせたくないのだ。
そうだと分かっているからこそ、杏寿郎は弟に合わせてやることにする。
千寿郎に手を引かれ踵を返し、それからちらちを後ろを振り返る。
大粒の雨の向こうに、くるくると回転する朱色の傘が見えた。