「どうだ。ド派手にやってやったぜ」
「ん? ん、んん?」
一般隊士の中にひとりだけ、宇随に匹敵する体躯の男がいた。
黒髪を隠すように白い布を頭に巻き、宇随の額当てを付けられ化粧も施された。
隊服の袖は強引に破られ、張りぼての二本の剣を背中に背負わされる。
「宇随殿……に変装?」
「その通りだ。俺が村に残ってるとバレれば、奴ら下りてこねぇだろうからな」
それはそれでいいと補足する。
「あ、あの……自分が音柱様に変装することで、鬼がこっちに集中するなんてことは……」
「そりゃねーだろ。奴ら、俺を恐れているようだからな。ま、それも仕方のねぇさ。なんたって俺様は柱だからな」
「は、はぁ……」
鬼が柱を恐れる。それだけ柱とは絶大な力の持ち主なのだが。
隊士らは呆れたように口を開け、豪快に笑う宇随を見ていた。
ただひとり、杏寿郎だけは感心したようにじっと見つめている。
(なるほど! 宇随殿に変装させた隊士が山に入れば、恐らく鬼どもは村を襲うだろう。そして山に入った我々は、何事もなく安全地帯に送り出されるという訳だ)
それは宇随が同時に複数の鬼と対峙することになるやもしれない。
それでは鬼殺の隊士として、あまりにも自分が不甲斐なく。
(鬼が村に向かうというなら、その前に──)
仕留める。
杏寿郎はそう決意し、相棒となった隊士と山へ向かった。
村を一望できる場所。
それが切り立った崖の上だった。
崖であれば視界を遮る木もなく、ここを一気に駆け下りればすぐに村だ。
普通の人間では不可能だろうが、鬼であれば崖を下りるなど造作もない。
「鬼殺隊の奴ら、ようやく山狩りに出やがったか。あの異様な気配の男も
崖の上に立つ男は、これから喰うご馳走を思い浮かべて下舐めずりをした。
村の住民はそう多くはない。山を越えればまた別の村があり、ここ十年は二つ三つの村を行き来して、目立たないようにこっそり人を喰らっていた。
が、数年前に別の鬼が近くの山に居つくようになった。
腹立たしいことだが、争ったところで無益。
日輪刀以外の物で頸を斬り落としたところで、鬼は死ぬことはない。
死なない者同士、決着がつかないのだからお互い獲物を横取りしないという約束を取り付けた。
問題は、数カ月前にやってきた鬼だ。
そいつは鬼になりたてなのか、よく喰う。
そして鬼殺隊に目を付けられた。
「斗唆毘の奴さえ来なければ……くそっ。あっち側にも鬼殺の奴がいるし、今夜喰ったら、どっか遠くに移動しなきゃならねぇな」
あっち──とは、山を越えたところにある村のことだ。
巡回する三つの村、そのどれにも鬼殺隊が来ていた。
すぐにでも移動するべきなのだろうが、その為にも腹を満たしたい。
「さぁて、んじゃ行くか」
「どこへ行こうと言うのだ?」
鬼が崖から躍り出ようとしたとき、背後から声がした。
振り向くとそこには、燃え盛る炎のような髪色の男と、やや離れた所から男がもうひとり駆け付けるところであった。
「ちぃーっ。鬼殺かっ。何故ここが!?」
「ここなら村が一望できる。そしてここからなら村まで一直線だ。そのうえ人であればこの崖を登るのは至難の業。だから俺たちと鉢合わせすることもない──と思ったのだろう」
その通りだ。
崖を登ってこないのなら、木々が視界を遮って見えないはず。
そう思ったのだ。
実際、杏寿郎たちが山を登る間、崖に立つ鬼の姿は全く見えていない。
見えていないが、そこにいるという確信はあった。だから見える見えないは関係なく、とにかく時間との勝負だったのだ。
「はっ。だからなんだってんだ! てめーら人間は、どうせこっから飛び降りられねーだろがっ」
まるで負け犬の遠吠えのように、鬼は叫んで崖から身を乗り出す。
「待てっ」
その後を追うように杏寿郎が崖の上に立つ。
そして──
「君は来た道を引き返し、村へ向かえ!」
そう指示を出してから跳ぶ。
「え!? れ、煉獄っ」
「君は来るなっ。まともな道を行けっ」
そう叫ぶ杏寿郎の声は、すぐに遠ざかった。
杏寿郎は崖に立った際、月明かりによって浮かび上がった崖の構造を直ぐに把握した。
同時に明るい時刻に村から見て記憶した景色を思い出す。
どこからどこに跳んで、そこからどう飛び降りればいいか。
一瞬にしてそれを判断し、実行に移したのだ。
(体がいつになく軽い……羅刹の訓練のおかげか?)
全集中の呼吸によって、一般人と比べても身体能力はかなり高い。それが鬼殺隊の隊士だ。
能力の高さは個々によって違いはあるし、呼吸の精度をどこまで上げているか、常中は会得しているかどうかでもかなり違ってくる。
杏寿郎は常中を会得し、その上位である羅刹の領域に近づいている。
その身体能力は既に柱に匹敵するものがあった。
それでも一跳びで崖を下った鬼と違い、何度も足場を伝ったぶん遅れはした。
が、崖を下りきった所に血の跡をを見つける。
「焦って飛び降りて怪我をしたようだな」
その怪我もどのくらいで自己再生するのか。
血痕を追って杏寿郎が走る。
鬼の後ろ姿はすぐに見つけた。
「炎の呼吸、壱ノ型──不知火!」
だんっと加速し鬼へと迫る。
「ちっ」
一直線に迫る杏寿郎を、鬼はくるりと身を翻して躱した──かのように見えたが、それを予測していた杏寿郎は勢いがついたまま体を反転させ、次の技を打ち出す。
「炎の呼吸、弐ノ型──昇り炎天!!」
技の溜めなど一切なく、杏寿郎が放った焔の刃は鬼の頸を撥ねた。
「な……んなんだ……お前はぁ……人間なんじゃ、ない……のか」
「失礼なことを聞くな。もちろん人間だ!」
「なんで人間が……あの崖を」
「鍛錬のたまものだな。俺たち鬼殺隊は、お前たち鬼と対等に戦えるよう、常に自らを鍛え、高めている。弱いからこそ、儚いからこそ。常に強くあろうともがき、鍛えているのだ」
「くっそ……くっそ……あと……あとひとい、喰ったら……ここ、離れ、る……」
そこまで言って、鬼は塵となって空に舞った。
それを見送りながら杏寿郎は
「もし君がここから逃げたとしても、俺は地の果てまで追う。見逃しはしない。人を喰う鬼は必ず俺は倒す!」
聞こえはしないその相手にそう語りかけ、刃を鞘へと納める。
それからくるりと村の方へと向き直り、山を見た。
「合流するべきか、それとも村に向かうべきか」
そう思案した時、村からドーンっと爆音が轟いた。
「宇随殿!?」
仲間を待たず慌てて村へと駆け戻った杏寿郎が見たのは、今まさに塵となって消えゆく鬼の姿だった。
その鬼の周辺がやたらと焦げているのは、火薬を使ったからだろうというのは杏寿郎にも理解できる。今なお、その臭いが辺りに充満しているからだ。
「宇随殿は火薬を武器に?」
「ん、あぁ。俺ぁ元々、忍の出なんだよ」
「よもや!? 宇随殿は忍であったのか!!」
と、杏寿郎が目を輝かせる。
そんな姿を見て、宇随は(ガキかよ)と内心呟いた。
「それでそっちのもうひとりはどうしたんだ?」
「うむ。俺は崖を飛び降りて鬼を追ったので、彼にはちゃんと山道を歩いて下るよう言ったのでな」
「……いやいや、待てよおい。今なんて言った? 崖を飛び降りた?」
「うむ! 崖を飛び降りたな!!」
宇随が呆れたように杏寿郎を見下ろした。
それと同時に、彼が鬼を討ち取ったことも理解する。
「残りはもう一匹か。くっそぉ、逃げ足の速い奴めぇ」
「逃げられたのか?」
「あぁ? 違ぇーし。逃げられたんじゃない。あいつは俺を見るなり、もう一匹の、さっきぶっ殺した奴を囮に走っていきやがったんだよ」
「それを一般的に逃げられたと言わないか!?」
「言わない!!」
「そうか!!」
二人は腕組みをし、お互い視線を合わせないまま声を上げる。
暫くして山に入っていた隊士たちが戻って来た。
「山に入って行った鬼を見てねーか?」
「いえ、見てませんが……え、逃げられたんですか?」
「逃げられたんじゃねー!」
と、宇随は最後まで逃がしたのではないと言い張った。
それから三日間、昼も夜も山に入り鬼を探していた彼らの下に、ここの誰のものでもない鎹鴉が飛んでやって来た。
「コチラカラ逃ゲテ来タ鬼ハ、実弥ガ処分シタゾ」
「ってことは、山向こうの村には不死川が来ていたのか」
逃げた鬼を追うにしても、もし全員で動けば鬼が引き返して村を襲うかもしれない。
動くに動けずにいたところ、あの鬼は山を越えた先の別の村へと逃げていたようだ。
空腹を満たすために、なんの警戒もなく村へと下りたところで呆気なく討伐された。
「かぁー。次の柱合会議で何言われるか分かったもんじゃねぇな」
「ほぉ! その不死川という者も柱なのだな!!」
「あぁ。不死川実弥。この任務に来る前の柱合開始で風柱になった男だ」
「そうか! 先日は水柱も新しく代替わりしたし、頼もしい限りだ!!」
明後日の方角を見つめ力強くそう言う杏寿郎を横目に、宇随は暫く何事か考えた。
そして他の隊士には聞こえぬよう、囁くようにして言う。
「他人の家庭に口出す気はねぇ。ねぇけどな……煉獄、腹をくくる時じゃねーのか?」
と。
「む?」
「む? じゃねーよ。てめーは炎柱、煉獄槇寿郎の息子だろうが。そのド派手な髪と、それに人相もそっくりだ。ま、まだまだ髭の生えねぇお子様だけどな」
「確かにまだ髭は生えてこないな!」
いつもの調子で杏寿郎が答えるので、疲れた様子の隊士たちが一斉に振り返る。
「髭?」
「なんで髭?」
そんな会話が聞こえて来た。
「いや髭はいいから……はぁ、任務が終わったんなら、とっとと解散するぞ。解散!」
「お、お疲れさまっしたっ」
「おう、お疲れさん」
杏寿郎ただひとり、む? と頸を傾げて宇随を見ている。
それに気づいてか、宇随は振り返ってニィっと笑うと「腹くくれ」と一言伝えて、三人の女房らと歩き出した。