「反応が遅い! 腕力に頼り過ぎるなっ」
「痛っ」
「弟子が出来たからと言って自惚れてはいないか!?」
その日の打ち込みはいつになく激しく、そして杏寿郎の脳裏には沢での一件が焼き付き集中力が乏しくなっていた。
それを知ってか知らずか、夢乃は容赦なく竹刀を叩きつける。
「常中で身体能力が上がっているというのに、それを腕力に全振りするな!」
「承知した! ところでこれは八つ当たりというやつだろうか!?」
そう言われて夢乃の動きが止まる。
ぎろりと光る眼。
「八つ当たりじゃない! お前が悪いお前が悪いお前が悪い!!」
「アイタタッ。分かった! すまん! 俺は何も見ていない覚えていない!!」
「だったら集中して打ち込め! 集中できていないだろうっ」
夢乃は竹刀をぶんぶんと振りまわすが、その顔は耳まで真っ赤になっている。
「……すまん」
と、杏寿郎も顔を赤く染めて頭を下げた。
「……もう……いい……打ち込み!」
「うむ!」
この時期になると汗を流すのも、沢へと下りて行水を行う方が多くなる。
日付が変わる前に鍛錬を終え、今日も川の水で汗を流す。
「──まずは素振りと、基礎体力をつけるための走り込みをやらせては見たが。どうだろうか?」
「まったく剣術を学んだことのない娘なのか?」
「うむ。商家の出でな。特にご家族が鬼に襲われたとか、そういうのではないのだが」
濡らした手拭いで体を拭きながら、甘露寺という弟子について杏寿郎は話す。
大岩を挟んで反対側で足だけを川につけて涼む夢乃が首を傾げる。
「何故そんな娘が鬼殺隊に?」
「彼女は特異体質の持ち主で、常人の八倍の筋肉密度を持っているそうだ。腕の細さは君とそう変わらないが、腕力でいえば君を遥かに超えているぞ」
「また随分と変わった体質を持って生まれたものだな」
「それを役立てたいと、彼女はそう言っているのだ。ご両親も納得済みなようでな」
「よく親が許したな。鬼殺隊に入るための最終選抜ですら、生きて戻れる者のほうが少ないというのに」
藤の花が狂い咲く山──藤襲山。
鬼殺隊を目指す者が最後に行われる、言わば入隊試験である。
藤の花の牢獄に閉じ込められた鬼が巣食う藤襲山で、七日間生き残るだけの試験。
だが生存率は志願者の一割もあればよい方で、夢乃にしろ杏寿郎にしろ、同期は片手で余るほどの人数しかいない。
夢乃は杏寿郎の祖先である当時の煉獄家長男ただひとり。
杏寿郎の同期は二人。それも初任務にして命を落としている。
夢乃は家族を鬼に殺され、復讐のために鬼殺隊になった。
杏寿郎は代々鬼狩りの家系にあり、物心付く頃からそうなるよう育てられている。
その先祖はやはり鬼に一族を食い殺され、それ故に悪鬼滅殺を悲願とする一族だ。
夢乃や杏寿郎とも違う、鬼に恨みもなければ不自由のない暮らしをしてきた娘が鬼殺隊になるというのは、どうにも夢乃にとって理解しがたい考えだった。
百年以上もの間、鬼殺隊となった若者の死を見て来たからこそ、死と無縁で暮らせる者はそうするべきだと考えているから。
「大丈夫なのか? その娘は」
「ずぶの素人にしては筋がいいと俺は思っている」
「そっちの大丈夫かではなく、精神的なものだ。鬼というものの恐ろしさを知って、最終選別で心を折る者も少なくはない」
彼女の言葉に杏寿郎も頷く。
「心配はある。だが! 彼女が決めたことだ。俺がどうこう言う権利はない。だから俺は、甘露寺の心が折れないように、彼女が鬼に負けぬ強さを持てるように鍛えるだけだ!」
大岩を挟んでいるため、杏寿郎の姿は夢乃には見えない。
だがその声で今彼がどんな顔をしているのか、想像するのは容易い。
清々しいまでに屈託のない笑みが、そして決して甘露寺蜜璃という少女を死なせまいとする意志が現れているのだろう。
そう思った瞬間、夢乃の中にもやもやとした感情が芽生える。
(なんか……嫌だ。これは……なに?)
胸に何か痞えているような、そんな感覚に襲われる。
「ん? 夢乃、どうした?」
「ど、どうもしない! それよりも、明日もどうせ早朝から鍛錬なのだろう? さっさと帰れ」
「いつもいつも、君はすぐ帰れという。そんなに俺がいては迷惑か? 迷惑だというなら……」
迷惑だと言われれば、ここへは通わない──と言いかけて言葉を飲み込む。
言ってしまったとに、本当に迷惑だと言われればここには来れなくなってしまうから。
来れなくなるということは、会えなくなるということでもある。
それは嫌だ。
というのが杏寿郎の素直は気持ちだ。
「別に……。ただお前は人の身なのだから、眠らなければならない。放っておけばいつまでも鍛錬を続ける気だろう?」
「むぅ……反論できないのが歯がゆい」
「やっぱりか。私が言わなければ徹夜で鍛錬する気だろう!」
「一日二日寝ずとも平気だ!」
「寝ろ! 今すぐ帰って寝ろ! 寝ない奴に稽古なんて付けてやらん!!」
ぱしゃぱしゃと水の跳ねる音がして杏寿郎が岩から顔を覗かせると、草履を手に斜面を登っていく夢乃の後ろ姿が見えた。
その後姿に笑みを浮かべて杏寿郎が後を追う。
「心配してくれているのか夢乃!」
「してやらん!」
「してくれているではないか!」
「してないから帰れ!」
「心配してくれていないのであれば朝まで鍛錬を付き合ってくれ!」
夢乃は立ち止まり、ぐっと拳を握る。
どうしてこの男は、ここぞというところで嫌な反論の仕方をするのだろうか──と腹立たしくなる。
「心配してやるから帰れ……」
「うむ! では帰って休むとしよう!!」
勝利した杏寿郎は、満面の笑みを浮かべて斜面を駆け上がる。
その際、夢乃の手を引いて一気に駆けた。
「お、い」
「はははははははは」
包み込むような大きな手は、剣だこでこつこつしていながらも温かく、触れていることが心地よい。
一瞬、その手を握り返そうとして夢乃は思いとどまる。
掴んではならない手。
温もりに縋ってはならない。
自分は鬼で、杏寿郎は人なのだから。
今彼と共にいるのは、鬼舞辻無惨を倒すという、ただその悲願を達成させるため。
この呪われた悲しみの連鎖を断ち切るため。
自らが解放され、穏やかな死を迎えるため。
ただその為なのだと言い聞かせた。
ぼろ屋敷へと到着してその手が解かれると、夢乃は黙って背を向ける。
「おやすみ、夢乃」
杏寿郎の言葉に頷いて見せただけで返事はしなかった。
血鬼術を使って体内の血液が不足でもしない限り、夢乃は眠らない。眠る必要がない。
鬼だから。
無言の背中が悲し気に見えたのか、杏寿郎は彼女をじっと見つめた。
それから、
「また明日。いや、もう今日だな!」
そう声を掛けた。
夢乃の肩がぴくりと反応する。
ほんの少しだけ、肩越しに振り返った彼女は「ん」とだけ短く返事をして戸口を潜った。
それを見て、杏寿郎は満足気な笑みを浮かべて帰路へとつくのだった。