「兄上……ご存じ、だったのです……か?」
杏寿郎は全てを話した。
約一年前の任務に赴いた際、自分より先に鬼の頚を落した者がいた。
その者は重傷を負った隊士の命を救った。
だがその者は人ではなく鬼であることは、杏寿郎にも直ぐに分かった。
一度は殺し合ったが、月明かりの下で鬼の姿を見て、一瞬で心を奪われたこと──
何度となく出会い、その度に救われたこと──
そして、
「炎柱となるために、俺はもっともっと強くならねばならない。その為に、彼女に頼んで稽古をつけて貰っている」
「じゃ……じゃあ、あのお化け屋敷に匿っているというのは」
縋るような目を向ける千寿郎の問いに、兄は笑みを浮かべて頷く。
「本当に……本当に……あの方なんですね?」
「あぁ、そうだ。ほら、ここのひと房だけ真っ白な髪をした、それ以外は黒髪の美しい女子であろう?」
「はいっ。はいっ。その方です。少し上背の高い、とても意思の強そうな凛とした方です」
「意思というか、確かに気は強いな。ははははは」
快活に笑う兄とは対照的に、千寿郎は未だに信じられないという様子で狼狽えている。
それに気づいた杏寿郎が、「ならば行くか!」と弟の背中をぽんっと押した。
「い、行く?」
「うむ。今はいないが、数日のうちに戻って来るだろう」
「お出掛け、なんですか?」
「あぁ。彼女がいないうちにやりたいこともある。手伝ってくれるか、千寿郎?」
こくりと頷く弟を見て、満足気に兄が笑う。
それから準備をし、二人でお化け屋敷と呼ばれる煉獄家の元別荘へと向かった。
「ここと土間だけ綺麗に片付けられているんですね」
「その二つしか使っていないからな!」
「あちこち穴が開いているようですが」
「俺が開けた! 不甲斐ない!!」
視線を逸らして元気に答える兄を見て、千寿郎はどうしてこうなったのかが想像できた。
使われなくなって百年以上は経っている。傷んでいない訳がない。
そこに来て兄がどすどすと歩いたのだろう。
「使わないからといって、この状況は……」
「うむ。俺もそう思うのだが、夢乃が必要ないと言ってな」
「夢乃……。夢乃さんと仰るんですか?」
「む。そうだな、どうせなら本人の口から聞きたいだろうと思ったのだが。彼女の名前は夢乃という。それ以上は本人から聞くといい」
「はいっ」
嬉しそうに返事をした千寿郎は、直ぐに真剣な面持ちで屋敷の中を見渡す。
「確かに、屋敷内の全部の畳を張り替えるのは大変ですし、お金も掛かります。だけどせめて隣接する部屋ぐらいは……いやでも」
うんうんと唸る千寿郎は、あることを思い付く。
「兄上。先日、客間の畳を新しい物にしたのです。だけど実は今まで使っていた物が裏返しをしていないものでして」
「ん?」
「ニ、三年後に兄上と俺の部屋の畳を張り替えないといけませんから、その時に使おうと思って裏返しだけしてもらって納屋になおしているんですよ」
「畳があるのか?」
「はい!」
二人で顔を見合わせぱぁっと表情を明るくする。
そしてすぐに二人は駆け出した。
雪の積もった道を家に向かって。
近所から荷車を借り、父に見つからないよう静かに畳を運び、それから日曜大工道具の一式も乗せ再びあばら家へ。
杏寿郎が荷車を引き、千寿郎が押す。
雪道だろうと、二人はお構いなしだ。
だがさすがに山林入口からは畳を抱えて進むことになる。
杏寿郎が運ぶ間に、千寿郎は屋敷内の張り替える畳を剥がして引きずって庭へと出す。
「兄上。床下の材木も一部腐っていますね。このまま畳を敷いても、板の方が重みで落ちてしまうかもしれません」
「張替えが必要か?」
「いえ。これなら同じ長さに切ったものを添えるだけでいいと思います」
そこで杏寿郎は周辺から手ごろな太さの木を倒し、長さを測ってノコで切っていく。
床下にそれを並べて板を張り、それから畳を並べていった。
気づけば太陽が沈み、二人は慌てて帰宅する。
夕餉の用意を簡単に済ませ、食事を終わらせると父に見つからぬようにこっそりと抜け出す。
まるで秘密基地を作っているような気分になって、走りながら千寿郎は思わず噴き出す。
「どうした、千寿郎?」
「ぷふ。なんだか面白くって。兄上とこうして何かを一緒にやるのは、久々な気がして……楽しいです」
「千寿郎……よし! 今夜は徹夜で頑張るぞ!!」
「はい!」
夜の森に金槌で釘を打つ音が鳴り響く。
日付も変わり、月が沈もうかという時刻に──
「か、完成」
「うむ! 畳十二枚の張替え完了だな!」
座敷牢から土間まで続く部屋の、一部の畳だけを張り替え、床下の補強を済ませた。
ついでに破れていた襖も張り替え、見た目だけでも小綺麗に見えるようにもした。
汚れてみすぼらしい壁には、適当な掛け軸を掛けて見えないようにもしてある。
「これで少しは見栄えも良くなっただろう!」
室内を見渡して杏寿郎がそう言うが、反応がない。
「ん?」
杏寿郎が視線を落とすと、そこには疲れ果て眠る弟の姿が。
ふ……と笑みを浮かべ、それから杏寿郎は座敷牢の隅に畳まれた布団を敷いた。
千寿郎をそっと抱き上げ布団の上へと寝かせると、自分は壁を背もたれにして目を閉じる。
直ぐに意識が薄れ──
(どうして……)
太陽が昇る前にと、夢乃が急いで戻ってみれば、屋敷の中に人の気配がする。
音を立てず中に入ると、明りの灯った座敷牢で眠る煉獄兄弟を見つけた。
杏寿郎はいいとして、千寿郎がいることには流石に驚く。
(話したのか。というか何故この二人はここで眠っているんだ?)
はぁっと大きなため息を吐き捨て、それから辺りを見渡すといつもと違うことに気づく。
一部の畳が綺麗に張り替えられ、手をつけていなかった襖も……やや素人感があるものの綺麗になっている。
壁の汚れの目立つところには、自然を描いた掛け軸がいくつか掛けられ小綺麗になっていた。
(二人でやったのか。随分遅くまで掛ったのだろうな)
こうなっては怒るに怒れない。
夢乃は壁に掛けてある綿入れを手にすると、それを杏寿郎に掛けた。
「ん……ゆめ──」
杏寿郎が目を覚ますと、人差し指を口元に立てる夢乃の姿が見えた。
布団に寝かせた千寿郎はまだぐっすり眠っている。
「寝ていろ」
夢乃は小声でそう言うと、立ち上がって竈のある土間へと向かった。
杏寿郎は言われるがまま再び目を閉じると、直ぐに夢の中へ。
次に目を覚ましたのは、魚の焼ける香ばしい匂いに吊られてからだった。