湯治場──療養を目的として長期間滞在する温泉地である。
もともと街道から近かったこともあり、江戸時代以前からここは湯治場として親しまれてきた。
それは大正時代になった今も変わらず、つい数カ月まで間では賑やかな温泉街であったのだが。
賑やかとは無縁となった湯治場を、杏寿郎は真っ直ぐ前を見据えて歩く。
峠ということもあって、一歩外に出れば木々の生い茂る山。
(さて、鬼が潜伏しているのは山か、それとも町の中か)
日中であれば陽の当たる所で鬼は活動できない。
この時間であれば町は安全だろう。
そう思って杏寿郎は山を歩くことにした。
特に山道を行くでもなく、適当に茂みを掻き分け入っていく。
山を切り開いて作られた湯治場だ。その山は巨木が生い茂り、陽の光の届かない場所がいくらでもあった。
「この分だと、昼間でも出てきそうだな」
そう言いつつ山の中をどんどん進んでいく。
暫く歩くと木々の向こうに、白い湯けむりを見つけた。
「こんな山奥にも湯場があったのか」
湧き立つ温泉のすぐ脇には小屋があり、どうやらそこが脱衣所になっているようだ。
杏寿郎は温泉にでも入ろうかというのか、小屋に向かって歩き出す。
その表情から笑みは既に消えていた。
彼は何かを感じ取ったようだ。
歩きながら右手は左の腰に差した刀の柄に伸びている。
そして戸口には僅かに血の跡があり、杏寿郎は確信した。
「生きているか!?」
バンっと戸を開き、中にいるであろう者に声を掛ける。
鬼でないことは気配で既に分かっていたが、生存しているかまでは分からなかった。
開かれた小屋の中には、血まみれで倒れる黒い隊服姿の鬼殺の者がいた。
杏寿郎の呼びかけに答えることも出来ない隊士はただひとりだけ。
辛と己の隊士は合わせて五名。残り四人の姿はない。
見れば隊士は腹から血を流していたが、その血はまだ乾ききっていなかった。
(襲われて間もない? ならここまで必死にたどり着いたのだろう)
小屋の周辺は僅かに開けており、鬼が襲うには一度陽の当たる場所を通ることになる。
だから襲って来ないのだろうが、周囲に鬼の気配はすでになかった。
どうせ死ぬだろうからと、放っておかれたのかもしれない。
杏寿郎は素早く隊士の首元に手を添えた。脈はまだある。
背負った荷物袋から応急手当用の包帯と手ぬぐいを取り出し、傷口に当てがってぐるぐる巻きにする。
「頑張れ! すぐに医者の所へ連れて行ってやるからな!!」
「う……うぅ」
杏寿郎の声が聞こえたのか、隊士は僅かに唸った。
彼を背負い、杏寿郎が小屋を出る。
すると、木々の中にある者の気配を感じて動きを止めた。
距離としてはまだ遠い。だから杏寿郎は大きく息を吸い、そして叫んだ。
「刀を返すぞ!」
それだけ言うと杏寿郎は歩き出す。
暫く歩くと前方の巨木の後ろから鬼の女──氷月夢乃が現れた。
「右の腰に差してある。今手が離せない故、悪いが引っこ抜いて行ってくれないか」
「……何故返すなどと言っている」
「異なことを言う。これはお前の刀だろう?」
異なことを言っているのはお前だろうと夢乃は思った。
誰から奪ったのか──そう紙に書いて木に張り付けたのはどこのどいつなのかと。
ぐぐっと握った拳を何とか押さえ、夢乃はキっと杏寿郎を睨んだ。
「き、貴様が奪っただのなんだのと書いていたのではないか!」
「ん……おお! そうだったそうだった。はっはっは。すまぬすまぬ!! 謝罪しよう!」
「んぐっ……」
なんだこの男は──と夢乃は思った。
眼をぎょろりと見開き、真っ直ぐ前を見据える姿に悪意はなさそうに見える。
むしろ表裏の無い表情に、少しドン引きすらした。
「どうした? 刀を持って行かぬのか夢乃」
「え? な、何故私の名を」
「うむ! お前が当時のお館様に送った文を、今のお館様から拝見させていただいたのだ! あ、今のは誰にも内密にしてくれ」
何故現当主がこの男に自分が出した文を?
と思うと同時に、何故文を出した本人が内密にしなければならないのか。そして内密にしなきゃならないことをポロっと言ってしまうのか。
夢乃は眉間を指先で押さえ、それから考えるのを止めた。
止めたのには理由がある。
杏寿郎が背負っている鬼殺隊士の出血量が酷いため、その血の匂いがぷんぷんとしているからだ。
「死ぬぞ」
「うむ。急いで山を下りねば」
「そこまで持たないだろう」
「それでも行く!」
「途中で鬼が出れば、その男を背負ったまま戦えまい」
「鬼なら既にいるぞ!」
杏寿郎は真っ直ぐ夢乃を見据えてそう言った。
再び夢乃は眉間を抑えた。
間違ってはいない。自分は鬼なのだから。
しかしどうにも腑に落ちない言われようだ。
「そうだ! 刀は刃こぼれが酷かったのでな、お館様が刀鍛冶の里に出してくださったぞ」
「え? 研いで、くださったのか?」
「うむ! お館様に感謝するのだぞ!!」
今代の当主のことを何も知らない夢乃であったが、きっと自分が知る当主と同じく優しい方なのだろうと思った。
杏寿郎とすれ違いざまに自身の刀を彼の腰から引き抜き、それから実際に抜刀して出来上がりを確認する。
刃こぼれしているという自覚はあった。だがどうすることも出来ず、夢乃はずっとこの状態で使い続けていた。
(これでまたしばらくは鬼を屠れる……私は……どっちを望んでいるのだろう)
死ぬことか、卑しく生き続けて鬼を葬り続けるのか。
どっちを望んでいるのか、既に彼女自身にも分からなかった。
「待て、煉獄。その男、町に行ったところで助からないぞ」
「いや、助ける!」
「ならそこで下ろせ」
「なに?」
夢乃がやってくるのが分かり、杏寿郎は振り向く。
純白の刀身で自身の手を斬りつける彼女の姿がそこにあった。
真っ白な、雪のように白い日輪刀が、赤い血を滴らせる。
「傷口を見せろ」
「何をする?」
「……私の血鬼術は、それを受ける者の寿命を前借して傷を再生させる術だ」
「おお! では頼む!!」
そんな素直に信じていいのかお前は──とでも言いたげに、夢乃は杏寿郎の目をじっと見つめた。
見つめてこの男が自分を信じ切っていると実感する。
自分の素性を知ったようだが、それで本当に信用していいのか? と問いたい。
問うたところで「うむ!」とか言うのだろうと、何故か夢乃はそう思った。
「じゃあ傷を見せろ」
「分かった!」
杏寿郎は背負った隊士をその場におろすと、自分でぐるぐる巻きにした包帯を取り除き隊服を脱がせ、腹の傷を見せた。
「血鬼術──齢譲再生」
夢乃が手を差し出すと、したたり落ちる血が霧となって隊士の傷にまとわりつく。
それと同時にぱっくりと開いていた腹の傷が、すぅーっと閉じていった。
*煉獄さんの炎の呼吸。
六から八の型は出て来ていませんよね???
どこかで情報はないものか。それとも伍→玖なのだろうか???