「カナエ姉さん。何かいいことでもあったの?」
しのぶは蝶のように舞う姉を見て、そう声を掛けた。
「ふふ。わかる? あのねしのぶ。私ね、あの人となら絶対にお友達になれると思うの」
「あの人?」
嬉しそうに微笑む姉を見て、同年代の隊士と仲良くなったのだろうかと考えた。
姉に友人が出来るのはいいことだ。
少し寂しくは感じるものの、人としてそれは喜ばしいことだとしのぶも理解している。
だが──
「彼女なら──鬼であろうと、きっと仲良くなれるわ」
鬼。
確かに姉のカナエはそう言った。
「彼女はね、私のことを助けてくれたのよ。私のこと、心配もしてくれたわ。鬼殺隊を辞めろって……」
「ね、姉さん!? 何を言っているのっ」
「ふふ。その人はきっと、私が隊士に向いてないって思ったのね。周りの人からもそう言われること、あるもの」
「鬼って……姉さん、鬼と友達になるって、まだ言ってるの!?」
しのぶの言葉に、カナエは少し寂しそうに目を伏せた。
だがすぐにまた笑みを浮かべ、「えぇ」と肯定する。
「だって出会ったんですもの。話の出来る鬼に。きっと彼女、嫌々鬼になったんだわ。それできっと、これまで誰も食べずに、生きてきたのよ」
「鬼が人を喰わずに、生きていられる訳ないじゃない!」
「そんなことないっ。そんなことないわ、しのぶ。あなたも彼女に会えば、きっと分かる。きっと……」
分かりたくもない。
その時はそう思っていた。
幻想を抱いたばかりに、姉はその後すぐ死んだ。
鬼に殺されて。
「ん……」
胡蝶しのぶは肺を圧迫されたような痛みで目を覚ました。
「目を覚ましたか? なら暴れるなよ」
と、しのぶの後ろから声がする。
「なっ──」
「暴れるなっ。こっちもいっぱいいっぱいなのだから」
しのぶは女に脇の下から抱えられていた。
そして足場がない。宙にぶら下がった状態だ。
「な、なんなんですか、これはっ」
「何って、お前が血鬼術の施された紙に触れ、別の場所に飛ばされただけだがね」
「血鬼術? あの紙が……って、その血鬼術を掛けたのは、あなたじゃないんですか?」
自分を抱える女が鬼であることを、しのぶは気配で察知している。
自分はまんまと捕まってしまったのか?
だがそうだとすると、意識を刈り取られる寸前に聞こえた「それに触れるな」というのはどういうことなのか。
考えずとも分かる。
分かるが理解をしたくなかった。
「紙に血鬼術を施したのが私だとして、ならこの状況はなんだろうな?」
「……さぁ、なんなんでしょう。まぁ、あなたでないことは認めます」
周りの状況を確認しようにも、今しのぶは鬼の抱えられた状況だ。
それにここは真っ暗で、ほとんど何も見えない。
分かっているのは足場のない、宙に浮いた状態だということ。
何故浮いているのか。
女の鬼がしのぶを抱きかかえているからだば、では鬼はどうしているのか?
しのぶが見上げると、上から僅かに漏れる光で状況が掴めた。
「何故私を助けているのです?」
「ここでそれを聞くのか?」
「聞かれて困るものでもないのでしょう?」
鬼は刀を持っていた。その刀を壁に突き刺し、掴んでいるのだ。
ただそれだけ。
「特に理由はない。とりあえずお前から見て右手側に飛ばすから、うまく着地しろ」
「え? 飛ばすっていったいっ」
「高さはおよそ二間。真下は竹槍が埋め込まれているから、注意しろ」
「や、槍!? ちょ、ちょっと待って──」
言われて下を覗き込むと、おぼろげな方何かのシルエットが浮かび上がった。
細長いものが何本も地面からこちらに向かって伸びている。
それが全て竹槍だというなら、そのまま落下すればハチの巣になることは間違いない。
ぞくりと身震いしたしのぶの体が揺れる。
「ひぁっ」
「飛べ!」
「無理に決まっているでしょう!」
右に飛ばすと言われても、どこまで飛べば竹槍のない安全な地面に下りれるのか分からない。
分からないからしのぶは抵抗した。
ただでさえ、しのぶを振り子のように揺らしたのだ。
壁に突き立てた刀への負担が増し、そして──
ガコッ
と音を立てて壁が崩れた。
「しまった」
「へ?」
落下する。
串刺しになる。
しのぶがそう思った瞬間、体が一度上に引き上げられた。
「立て!」
鬼としのぶの体が入れ替わった。鬼はしのぶの下に潜り込み、そして自身の足裏としのぶの足裏を合わせるようにして背中から地面へと落下した。
ズブブッ──と、竹槍が刺さる音がするが、その一本すらしのぶを傷つけることは無い。
鬼の足に立ち、バランスを崩しそうになれば鬼がその手を伸ばして支えようとする。
「な……ぜ?」
鬼は顔を歪めた。
その口からは赤い血が流れ出ている。
突き刺さった竹槍は一本とは言わず、十数本は刺さっているだろうか。
竹槍はそう長くはなく、しのぶにまで届かなかったのが幸いだろう。
それともう一つ。鬼の顔面には刺さらなかったことか。
「何故? お前が人で、私が鬼だからだ」
「答えになっていませんっ。何故鬼のあなたが私を助けるのですか!?」
「……私の右手側に少し隙間がある。そこなら下りられるだろう」
答えようとしない鬼に苛立ちを覚えるが、しのぶはそれをぐっと押し殺して視線を鬼の言う右手側に向けた。
落下の衝撃で竹槍が数本倒れた場所がある。そこなら安全に立てるだろう。
「手を離すぞ」
言うや否や、鬼はその手を放してしのぶを解放する。
一度だけバランスを取る感じで手を広げたしのぶは、次の瞬間にはひょいっと跳んでいた。
パキっと竹槍が割れる音がして、その上にしのぶが舞い降りる。
「はぁ……さて……と……ぅ」
起き上がろうとして鬼は、それが出来ないことに気づく。
仰向けに倒れていながら、足は膝を折って天井に向けている。しのぶを少しでも高い位置で立たせるためだ。
だが膝を折った状態で、右太ももには竹槍が貫通していた。
そのせいで足を踏ん張ろうにも地面に付けられず、起き上がれなくなっているのだ。
「情けないかっこうで倒れ込んだものだ……」
動けずにいる鬼の女に対し、しのぶは唇を噛む。
今なら楽にこの鬼を倒せる。
だが果たしてそれでいいのだろうか。
何故この鬼は自分を助けようとするのか。
分からない。
理解できない。
どんなに考えても、答えは出てこなかった。
だからしのぶが出したのは──
「これで貸し借りなしです」
そう言ってしのぶは、鬼の女に突き刺さった竹槍を一本、また一本と引き抜いた。
「んぐっ」
「痛むんですか? 鬼なのに?」
鬼の女は顔をしかめながら、もごもごと呟いた。
どうやら血鬼術を使おうとしているようだ。
しのぶはすぐに腰へと手を伸ばす。
だが聞こえて来た言葉に「再生」という単語が含まれていたことで、警戒を解いた。
「まぁ、驚きました。治癒能力のある血鬼術を使う鬼がいるなんて。あ、でも……」
全ての竹槍を引き抜いた後、しのぶは鬼の体を観察した。
流れ出た血が霧状になり、そして自身の傷口に絡みつくとそれを塞いでいく。
「なぜわざわざ血鬼術を? 鬼であれば、自己再生能力があるでしょうに」
鬼の女は恨めしそうな目をしのぶへと向ける。
「あいにく、私は鬼としては出来損ないでね。再生能力は持っていない」
「あらあら、では弱い鬼さんなのですね」
言葉とは裏腹に、しのぶは決して目の前にいる鬼の女を弱いと思ってはいない。
むしろ自分が勝てるかどうか、それすら分からない手練れであると思っている。
傷の再生を済ませると、鬼は立ち上がって辺りを見渡す。
そして何かを見つけてそちらへと向かうと、しのぶにはもう目で追えなくなってしまった。
「こんなに暗いのに、見えているなんて羨ましいですね」
「じっとしていろ──こっちだ」
足音が聞こえると、見える範囲に鬼の姿が見えた。
「向こうに扉がある。ここで串刺しになった死体を回収するための出入口だろう」
「なるほどぉ」
「とりあえず休戦だ。この暗がりではお前は何も見えず、身動きも取れないだろう」
「仕方ないですねぇ。でも、ここを出ればあなたには死んで頂きますよ?」
その時しのぶの耳に、鬼が鼻で笑ったような声が聞こえた。
「やれるものならば、な」
「ふふ。地上に出れば、他の隊士のみなさんもいらっしゃいますから」
「あぁ、なるほど。それは頼もしいことで」
「えぇ、頼もしいですよ。ところで、あなたのことはなんてお呼びしましょうか?」
すぐ前を歩く鬼に殺気はなく、むしろ自分に対してよく背中を向けられるものだとしのぶは感心するような、呆れるような気持ちになる。
「……夢乃だ」
「そうですか。私は──」
「胡蝶」
しのぶが答えるよりも先に、鬼の──夢乃の口からしのぶの名が告げられた。
(あぁ、そうなのね……この鬼なのね、姉さん)
しのぶは意識を取り戻す寸前に見た夢を思い出す。
それは夢であって夢にあらず。
死んだ姉との記憶の一部だ。
「えぇ。私は胡蝶。胡蝶しのぶです」
しのぶは満面の笑みを浮かべ、そう自己紹介をした。