三月も終わりに差し掛かる頃。
駒澤村近くの桜並木が色づき、花見客が訪れるようになっていた。
杏寿郎は育手としての役目を終え、再び一般隊士としての職務に勤しむように。
この日、五日ぶりに生家へと帰宅した。
「千寿郎! 今帰ったぞっ」
「兄上、お帰りなさいませ」
兄が無事に戻って来たことを喜びほっとした千寿郎は、思わずその目頭が熱くなるのを感じた。
が、次に兄の口から出た言葉に、それも一気に引くことになる。
「夜桜見物に行くぞ!」
「……え?」
帰宅早々、杏寿郎は快活な笑みでそう言った。
時刻は昼前。
桜を見るなら別に夜でなくてもいい。
鬼狩りである者は夜の恐ろしさをしっている。
それなのになぜわざわざ夜桜なのか──
その理由を千寿郎はすぐに理解した。
「では、お弁当を作りましょう!」
「うむ! 買い物に行くなら付き合おう!!」
「いえ、直ぐ湯の準備をしますので、沸いたら入浴してお休みになってください」
そう言うと千寿郎は速足で浴室へと向かった。
日が暮れる直前、煉獄兄弟の姿は山林にあった。
杏寿郎の手には重箱が二つ、千寿郎の手には火を灯していない提灯とござがあった。
「夢乃!」
「ごめんください」
戸口でそう声を掛けると、暫くして奥から夢乃がちらりと顔を覗かせた。
外はまだ陽光が差しているので、彼女が出てくるのはそこまでだ。
「どうした、こんなに早い時刻に。それに千寿郎まで」
「桜を見に行くぞ!」
「お前は私に死ねと言っているのだな」
「ち、違う! よ、夜桜だ夜桜!!」
間髪入れないツッコミと、慌てて訂正する兄の姿を見て、千寿郎はひとりくすりと笑う。
「陽が暮れたら行きましょう。どこかござを敷ける場所があればいいのですが」
「うむ、そうだな。今が丁度見ごろの時期。夜桜見物の客も多い。良い場所はもう先客がいるだろう」
「俺、先に行って場所取りしてきましょうか?」
(そうすれば兄上は夢乃さんと二人で……)
と、兄に気を利かせたつもりだったが、それには兄自身から待ったがかかった。
「酔っぱらいも多い。子供ひとりで行かせる訳にはいかない」
「で、でも……」
「俺が行こう!」
「そ、それはダメですっ」
「む? 何故俺ではダメなのだ」
「そ、それは……」
そんな兄弟のやりとりを、襖の向こう側から見ていた夢乃は、ふぅっとため息を吐いた。
「桜並木でなければダメなのか?」
夢乃がこう尋ねると、煉獄兄弟は首を傾げてみせる。
「桜が見れればいいのだろう? 別にあの桜並木に拘る必要があるのか?」
「い、や……しかしあの場所以外だと、どこで桜が見れるというのだ?」
「……陽が暮れたら連れて行ってやる。それまで上がって休んでいろ」
そう言って夢乃は奥へと戻って行った。
二人がそのあとを追う。
綺麗に掃除のされた座敷牢では、夢乃が二人のためにお茶の準備をしていた。
「どこで花見をするつもりだ、夢乃?」
「あの桜並木を越えたところだ」
「越えた?」
またしても杏寿郎は首を傾げる。
桜並木は小川沿いにあり、その先は畑と山しかない。
畑にござを敷くというのだろうか? ──と思わなくもないが、流石に違うだろう。
皆目見当もつかず、杏寿郎は考えるのを辞めることにした。
隣では千寿郎がまだ考え込んでいるようだが、その姿を杏寿郎は笑みを浮かべて見守った。
しばらく三人で茶をすすりながら会話が続く。
話題は先日、選抜試験に合格した甘露寺の話だ。
「今、蜜璃さんに贈るための羽織を仕立てて貰っているんです」
「今? その娘が最終選抜に合格したのは、もう一月も前の話だぞ」
──と、夢乃は杏寿郎に冷たい視線を向けながらそう言った。
その視線から逃げるように、杏寿郎はそっぽを向く。
「し、仕方ないだろう。あの後俺も任務が入り、仕立ての依頼を出すのが遅れてしまったのだから」
「お、俺が気づいていればよかったんですっ。兄上を責めないで上げてくださいっ」
顔を赤らめ頬を膨らませる杏寿郎と、顔を赤らめ困ったように訴える千寿郎。
二人の煉獄を見ながら、思わず夢乃は噴き出しそうになる。
「それで、その娘はもう初任務を?」
「いや、まだだな! 刀鍛冶がどうも納得していないようで、甘露寺の実力を十二分に発揮させる刀を作るのだと躍起になっているようなのだ」
「……はぁ?」
「一応、甘露寺が選抜後に選んだ玉鋼と同種のもので、代用の刀を用意するそうだ!」
近日中には届くというのを、甘露寺自身が送って来た文で知った。
「刀鍛冶は個性の強い者が多いからな……」
「うむ!」
「そ、そうなんですね……」
二人の会話から、千寿郎は少しだけ不安に駆られた。
いつか自分も最終選抜を受け、そして玉鋼を手にする。その玉鋼を打ってくれる刀鍛冶は、いったいどんな人なのだろうかと。
そうして陽が暮れ、三人は屋敷をあとにした。
あぜ道を進み、この時間になってなお一層一通りの多くなった桜並木を進む。
「千寿郎っ。人が多い。逸れては大変だから、俺の手を握っていなさい」
「……(そこは夢乃さんの手を握るべきですよ、兄上)」
とは口に出しては言えず。
「でも兄上は重箱を二つもお持ちですよ」
「む?」
「ひとつ持とう。寄こせ」
「すまん、夢乃」
夢乃は受け取りながら(三人分か、これが?)と呆れる。
どう見ても五、六人分はあるだろう。
大食漢である杏寿郎の事は知っているので、呆れながらも同時に(足りるのか?)とも思った。
案の定と言うべきか、
「む! 甘味屋が団子の屋台を出しているな! 行ってみようっ」
そう言って杏寿郎は屋台を見て回る。
みたらし、きなこ、桜餅。豆餅と、杏寿郎は一通りの団子を買おうとしていた。
「弁当の意味はあるのか?」
「屋台で買うものの数が減りますから」
呆れたような夢乃の言葉に、千寿郎は苦笑いを浮かべて答える。
飽きられている兄はと言えば、振り返って
「夢乃は団子は好きか!?」
と、周囲にも聞こえるような音量で尋ねて来た。
周りの視線に気恥ずかしさを覚えながらも、彼女はぼそりと「普通」と答える。
「普通か! では好きだということだな!!」
快活な笑みで杏寿郎は応える。それから「どれが一番好きか」と尋ねた。
これは答えなければいつまでもやり取りが続きそうだと、そう思った夢乃は、彼の隣に立って指差した。
「そうか! きなこ団子だな! 主人、ではきなこを十本追加してくれっ」
「いや待て待て待て待て。お前、私に団子十本食えというのか!?」
「……食べられないか?」
「食べられる訳ないだろう!! 自分を基準にして言うなっ」
夢乃は慌てて一本でいいと店主に伝える。
その様子を後ろでは千寿郎が、そして前では店主が笑って見ている。
「はっはっは。娘さんの言う通り、煉獄の坊ちゃんは他の人が自分と同じように食うなんて思っちゃいけねぇや」
「むぅ……甘露寺は俺よりもよく食べていたのだがなぁ」
(それとも一緒にしないでくれ)
──と夢乃は口には出さずにそう思った。
甘露寺蜜璃がよく食べる女であることは、杏寿郎や千寿郎からも聞いている。
聞いている間は胸やけを覚えるほどの内容だった。
甘味屋店主ですら杏寿郎の大食漢を知っているのだ。
この村では有名なのだろう。
そんな男の胃袋に、夢乃が合わせられるはずもない。
買い込んだ団子は千寿郎が持ち、三人は桜並木を進んで行った。
やがて桜の木が途切れ、夢乃はあぜ道へと入っていく。
「山か?」
「山だ。ここからは私が千寿郎の手を引く。お前は提灯を持って足元を照らしてやれ」
「お、俺は大丈夫です」
と答えたものの、夢乃は構わず彼に手を差し出した。
千寿郎が持つ提灯を、兄が持つ。
仕方なく、千寿郎は伸ばされた夢乃の手を持った。
夜でも変わらず見える夢乃は、足場の良い所を選んで進んでいく。
少し上ったところで、三人の前方に一本の巨大な桜の樹が現れた。
「わぁぁ、凄いですね!」
「これは……見事な樹だな!」
桜の周辺だけが僅かに開けており、ござを敷くには十分な広さがある。
「桜は上だけじゃなく、下にもあるぞ」
夢乃がそう言って指さす。
村の桜並木には大量の提灯が掲げられており、その灯りに照らされて桜の木が浮かび上がって見えていた。
「うわぁ……綺麗ですね。ここ、特等席じゃないですか!」
「そうだな! ここは特等席だ!!」
二人の煉獄は嬉しそうに花見の準備に取り掛かった。
山林の屋敷を出る際に、夢乃から木箱を背負わされていた杏寿郎は、それを卸して荷を解く。
「なるほど! 西洋ランタンを何に使うのかと思ったが、灯り用か!」
「暗くてはお前たちが苦労するだろう」
僅かな空間が明るくなるだけであったが、それで十分だった。
重箱を広げ、団子を添える。
三人だけの夜桜見物が始まった。
その中で夢乃は杏寿郎に告げる。
「胡蝶は柱になった。次はお前の番だろう? そろそろ覚悟を決めろ」
──と。
我が家の近くにも桜並木があるのですが
開花しているのかすら分からない・・・